慌しく僧達が行き交う中、三蔵は悠然と歩きながらその光景を冷淡に見つめていた。
すれ違いざま、僧達が礼をしていくが、そんなものは見もしない。
ただ、明日の面倒を考えて知らず表情が不機嫌になっていく。
明日は11月29日。
三蔵の、いわゆる『誕生日』というものだ。
三蔵法師の生誕した日、というので、寺院では盛大な祝典が開かれるのである。
だが、結局のところ説法をしなければならなかったり、聞きたくもないお偉方の長ったらしいだけの祝辞を聞かされたり、三蔵にとっては面倒な行事でしかない。
拒否したいところであるのだが、三蔵法師という立場上それも出来ない。
大体、誕生日なんてものの何がそんなにめでたいのかと思う。
別に、誰がいつ生まれようがどうでもいい。
生まれた日が11月29日だろうと他の日であろうと、それは自分が望んでそうなったわけではないし、そもそも三蔵の場合は本当に生まれた日など分からない。
なのに、本当かどうかも分からない誕生日を何故いちいち祝うのか。
くだらない。三蔵は心底そう思った。
そんな事で準備に追われて動き回っている僧達も、それを突き放した目で見ている自分自身も。
何の意味もない形式的な行事だと分かっていて、それでもこんな式典をやる必要がどこにあるのだろう。
こんな式典をしたところで、出席した僧達の何人が本心から三蔵の生誕を祝っていると言うのだろう。
バカバカしいと思いながらも、その形式ばった祝典の中に組み込まれている自分にも嫌気がさしてくる。
三蔵は1つ舌打ちをすると、私室に戻る足を少し早めた。
私室に戻ると、そこは電気こそ灯されているもののシンとした空気だけが漂っていた。
このくらいの時間なら、拾ってきたあの小猿がタックルをしてくるのが常だっただけに三蔵は構えていた分拍子抜けしてしまった。
別にタックルされたいわけではないが、いつもあるものがないと調子が狂う。
ざっと部屋の中を見回しても、そこに悟空の姿はない。
もう寝てしまったのだろうかと、三蔵も寝室に向かった。
ガチャリと音を立てて、寝室の扉を開ける。
「うわぁぁぁぁ!」
途端に耳に届いた大音量に、三蔵は思わず耳を押さえた。
一瞬遅れてその音量の原因に目を向けると、悟空がバタバタと袋のようなものに何やら突っ込んでいる。
「……何してんだ」
「な、何でもないよ! あ、今日は、その、早かったんだね、三蔵」
何かを詰め込んだ袋を背中に隠して、悟空は慌てた様子でごまかそうとする。
だが、こんなにあからさまに怪しい態度を取られてごまかされる人間などいるわけがない。
「何隠してやがんだ」
「べ、別に何も隠してないよ」
「ほう。なら、その背中にある物は何だ」
「それは……その……」
口篭もる悟空の後ろに回り込んでその袋を手に取ろうとすると、悟空はその袋を守るように抱きしめた。
「ダメー! ダメダメダメー!」
三蔵に背を向けて拒絶する悟空に、さらに伸ばそうとした手を止める。
三蔵は身体を起こすと、自分のベッドに向かう。
「さ、三蔵……?」
その悟空の呼びかけには応えずに、無言で就寝のために法衣を脱ぐ。
「……あの、三蔵……ごめん、怒った……?」
「別に怒ってねえ。そんなに見られたくねえなら見ねえから、お前もとっとと寝ろ」
そう言って、三蔵は自分のベッドに横になった。
「うん……」
背後で悟空の返事を聞きながら、三蔵は目を閉じる。
悟空の声が元気がないのは、三蔵の言葉に突き放した響きを感じ取ったからだろう。
実際、今の三蔵は明らかに不機嫌になっているのだからそう聞こえても仕方ない。
悟空が自分に隠れてこそこそと何かをしているのが気に入らない。
ここしばらく、日中は毎日ではないもののどこかにいなくなって、しかもどこに行っていたのか話そうとしない事もこの苛立ちの原因かもしれない。
もちろん、それは本来悟空が責められるべき事ではないのは理解している。
誰にだって、他人には知られたくない自分だけの秘密があるものだ。
悟空とて、何でもかんでも三蔵に報告する義務があるわけでもない。
そう理屈では理解しているのだが、どうにもイライラしてしまう。
大人げないとは思うが、声に棘が出てしまうのは三蔵にもどうしようもない。
三蔵はそんな自分に小さく舌打ちをすると、無理やりそれらの思考を追い出す事に集中した。
翌朝、式典のためにいつもより更に早く起床した三蔵は、隣に敷いた布団ですやすやと眠る悟空に視線を向ける。
例の袋をしっかりと抱きかかえたまま眠っている辺り、余程三蔵に見られたくないらしい。
徹底したその態度に三蔵は眉に皺を寄せ、意識的に悟空から視線を外す。
悟空を見ないようにしたまま、三蔵は着替えを済ませると寝室を出て行った。
式典は滞りなく進行していく。
正直、どうして祝われるべき立場の自分がこんな面倒な事に付き合わねばならないのかと思う。
空々しい祝いの言葉を聞く事すらうざったい。
だが、こんなくだらない式典は一刻も早く終わらせたい思いもあり、三蔵にしては非常に大人しく式典の進行に従っていた。
式典などが全て終了した時には、既にもう日も落ちてすっかり暗くなっていた。
三蔵はため息をつくと、さっさと休むべく私室に向かって歩き出す。
悟空がどうしているのかも気になり、歩みが自然と速くなる。
今日は部屋で大人しくしているように、悟空には以前から言ってあった。
連れてきた当初と違い、この頃はそういった言い付けは必ず守るようになっていたので大丈夫だろうとは思っている。
だが、言い付けを守るようになったからといって寂しくなくなったわけではないだろう。
それとも、もう三蔵が傍にいなくても平気になったのだろうか。
昨日の何かを隠していた悟空の姿を思い出し、三蔵の脳裏をそんな考えが掠めた。
そんなわけはない、と思う。
しかし、ここのところ悟空が頻繁にどこかに出かけている事も事実だ。
どこに行ったのかそれとなく訊いてみても、ただ「街に行っていた」としか言わない。
それは嘘ではないのだろうが、街に何の用事があって言っているのかは何も話さない。
悟空が街に下りる。何のために?
それはひょっとして、三蔵の知らない誰かに会うためなのではないだろうか?
そこまで考えて、三蔵の足がその場で止まる。
悟空が自分の知らないところで、自分の知らない誰かと会う。
それを想像した時、三蔵の中で何か黒いものが湧き起こった気がした。
無意識の内に、両手を強く握り込んでいたらしく、両の手の平に走った痛みに三蔵は我に返った。
「……くだらねえ」
三蔵は右手の手の平についた爪の跡を見つめて、小さく吐き捨てた。
拾って面倒を見ているバカ猿が、誰とどこで会おうとも自分には関係ないはずだ。
三蔵は1度目を閉じると、すぐに再び私室に向かって歩き出した。
昨日と同じように私室の扉を開けると、今日はそこに悟空がいた。
だが、いつものタックルはやはりなく、三蔵の方を振り向いただけだった。
そんな悟空の態度に先程の考えが再び頭を掠め、三蔵の内に苛立ちが増す。
「あ、三蔵! おかえり!」
悟空が軽い足取りで三蔵に駆け寄ってくる。
「……ああ」
そう一言だけ返すと、三蔵は悟空から視線を外して寝室に向かおうとした。
「あ! 三蔵、ちょっと待って」
悟空はそう言うと、駆け足で寝室に入り、何かを両手に抱きしめて出てきた。
その『何か』を両腕で隠すように持ちながら、三蔵の前に立つ。
「……何だ」
不機嫌を隠そうともせず眉を寄せたまま問うと、悟空はほのかに顔を赤らめてにっこりと笑う。
「あのさ……お誕生日おめでとう!」
そう言うと同時に、悟空が両腕に抱えていたものが三蔵の目の前に突き出された。
それは、不器用に包まれ、リボンをかけられた……どう見てもプレゼント。
予想外の事に、三蔵は思わずらしくないほど大きく目を見開いた。
確かに今年は悟空が『誕生日』という概念を知り、初めて悟空の誕生日を祝った。
だが、その日にはケーキこそ買ったものの、三蔵は悟空にプレゼントを渡してはいない。
当然だが、三蔵以外に悟空の誕生日を知る者はおらず、他の誰からも貰っていないはずだ。
プレゼントを渡すものだという事を教えていなかったはずなのに、悟空が三蔵へのプレゼントを用意しているとは思わなかった。
「……三蔵?」
プレゼントを見つめたまま動かない三蔵に、悟空が首を傾げつつ名前を呼ぶ。
悟空の声にようやく固定していた視線を動かした三蔵は、今度は悟空に視線を向けた。
三蔵が受け取ってくれるのを待っているのに気付いて、三蔵はそれを受け取った。
すると、見る見るうちに悟空の表情が嬉しそうに綻ぶ。
その笑顔に、先程までの苛立ちがだんだん溶けていく気がする。
「なあなあ、開けてみて!」
わくわくしたように悟空の声に促され、三蔵は少し皺が多めのその包みを開いた。
ガサガサと開けていくと、中から出てきたのは毛糸で出来た何か。
「……何だ、これは」
「それ、膝掛けなんだ。これから寒くなるだろ? だから仕事の時とかにって思って」
言われるまで膝掛けだとは分からなかった『それ』は、いびつな形で編み損なった箇所があちこちにある。
「まさかとは思うが……お前が編んだとか言うんじゃねえだろうな」
「うん! 俺が編んだんだ!」
予想通りの答えに、三蔵は改めて膝掛けと主張しているものを見た。
かなり形の崩れた、余りにも不器用に編まれた膝掛け。
一見すると謎の物体としか認識できないそれを、悟空はどれだけ必死に編んだのだろうと思う。
三蔵はふと気になった事を訊いてみた。
「お前、毛糸の編み方なんてどこで教わったんだ」
「街で雑貨屋さんやってるお姉さんが、誕生日にはプレゼントをするもんなんだって教えてくれたんだ」
そう言って、悟空は三蔵の手にある膝掛けを見る。
「でも、俺お金持ってないしって言ったら、『この季節なら自分で何か編んであげたら?』って」
「で、肝心の毛糸は」
「そこの店でしばらくお手伝いしたら、その『ほうしゅう』でくれた。編み方もその時教わったんだ」
それを聞いて、三蔵はここしばらくの悟空の不審な行動の全てが理解出来た気がした。
頻繁に街に下りていたのは、毛糸を手に入れるための店の手伝いと編み方を教えてもらうため。
それをずっとひた隠しにしていたのは、三蔵を驚かせたかったからだろう。
まあ、実際に三蔵は驚いたわけだから、その点では悟空の計画は成功したと言える。
全く編み物などした事のなかった悟空がこれを完成させるのに、一体どれだけ時間がかかったのだろうと思う。
何度も何度も失敗しながら、三蔵のために必死に編んでいたのだろう。
その編んでいる様子を想像すると、知らず穏やかな気持ちになる。
「不器用猿が無理しやがって」
「む、無理なんかしてないよ! ……そりゃ、ちょっと……大分……失敗したとこあるけど……」
自分でもこの膝掛けの出来が決してよろしくない事を自覚しているのだろう、だんだんと声が小さくなっていく。
「……まあ、初めてにしちゃ上出来だろう。いびつだろうが、毛糸は毛糸だしな」
「それじゃ、使ってくれるの?」
「今年の冬は厳しいらしいからな。ないよりマシだ。……使ってやるよ」
その最後の一言に、悟空の表情がぱあっと明るくなった。
「ありがとう、三蔵!」
頬をほんのり染めて、悟空が嬉しそうに笑う。
礼を言うべき立場が逆になっているが、悟空はそんな事などまるで気付いていないようだ。
自分の作った物を三蔵が使ってくれるという事が、何より嬉しいのだろう。
その表情はニコニコとして、まさにご満悦といった感じだ。
「『誕生日』は生まれてきた事を祝う日だって教えてくれただろ?
俺、三蔵が生まれてきてくれてすっげえ嬉しいから、何かお祝いしたかったんだ」
満面の笑顔を浮かべたままの、悟空の明るい声が三蔵の内に響く。
そんな悟空の笑顔と言葉で、ここ数日の苛立ちや今日の式典の疲れなどが綺麗に消えてしまった。
形式的な祝いの言葉や愛想笑いが何百あっても釣り合うはずのない、本心からの心と笑顔。
結局のところ、この花が開いたような笑顔こそが三蔵にとっては1番有難いプレゼントなのだろう。
光明を亡くして以降、初めて自分の誕生日を嬉しいと思った。
心から誕生を祝ってくれる存在を失くしたあの日から、三蔵にとって誕生日はただ1つ歳を重ねるだけのものでしかなかった。
別に、生まれた日がどうであろうと関係ないと。
だが、こうして満開の笑顔で喜ぶ小猿を見ていると、生まれてきた事に感謝してもいいと思う。
今なら、自分が生まれたこの日が大切な日だと思えるような気がした。
……今年の冬は少々冷え込んでも大丈夫そうだな。
そう思いながら、三蔵は悟空の頭に軽く手を乗せた。
END
後書き。
三蔵様、お誕生日おめでとうございますー!
という事で、記念三空小説です。どこのバカップルですか、この人達。
悟空に編み物までさせちゃいましたよ(笑)
一体どんな代物になっているのかは謎ですが、きっと三蔵にとってはどんな立派な膝掛けよりも価値のあるものなのでしょうv
悟空お手製の膝掛けを掛けて仕事に勤しむのですよ。
どうでもいいですが、この話の三蔵、結構単純というか現金ですね……。