朝の務めを終え、三蔵は執務室で書類に目を通していた。
三蔵の誕生日である今日は寺院でも式典が予定されていたのだが、このところ処理が必要な案件が多く仕事が立て込んでいる事を理由に取り止めさせた。
実際、三蔵の目の前には未処理の書類が山のように積まれているし、先程から何度も僧達が三蔵の判断を仰ぎにやってくる。
もっとも、式典を取り止めさせた1番の理由は、くだらない事で神経を煩わせたくなかったからだ。
式典となると寺院外からの賓客も訪れるし、三蔵の立場上立ち振る舞いが色々と面倒なのだ。
それくらいなら、こうして書類に追われている方が遥かにマシだった。
それに、式典が開かれた場合、悟空をずっと部屋に閉じ込めておく事になる。
普段ならともかく、正式な式典では客も多く、妖怪である悟空がウロつけば騒ぎになるからだ。
出来る限り、悟空にそういう思いはさせたくなかった。
その悟空は、一体どうしているのだろうか。
しばらく前から、三蔵の誕生日のためにプレゼントを用意するんだと随分張り切っていた。
何度も街に下りては、仲良くなった街の人間に相談したりしているらしい。
お金など持っていない悟空がどんなプレゼントを用意するつもりなのか。
さぞかし悩んでいるだろう悟空を思うと、僅かに笑みが零れた。
たしか去年は、一見すると謎の物体にしか見えない膝掛けだった。
これから寒くなるから、と街の娘に編み方を教えてもらいながら悟空が編んだもの。
それは今年も冷え込んできた頃から三蔵の膝の上にある。
不器用なくせに無理をして編んだその不格好な膝掛けは、思いの外暖かかった。
さて今年は何をプレゼントするつもりなのか、と考えて、自分がそのプレゼントをかなり楽しみにしている事に気付く。
他人からの贈り物なんて期待した事などなかったのに。
悟空が自分のために一生懸命考えて用意してくれているのだと思うと、無性に嬉しくなる。
他の誰からも要らないが、悟空のプレゼントだけは欲しいと思う。
そんな自分の変化に違和感を感じないわけではない。
しかし、三蔵自身がその変化を何処か心地良いと感じているのも確かだ。
全く、厄介な動物を拾ってきたものだと思う。
何しろ、拾って以来、悟空に感情を振り回されない日などないのだから。
遠くからだんだん執務室の方へと駆けてくる足音に、三蔵は書類から目を上げた。
その数秒後に、大きな音を立てて予想通りの小猿が、予想外の格好をして飛び込んできた。
一瞬思考がフリーズしかけた三蔵であるが、何とか保ち直すと目の前の小猿に問いかけた。
「……何だ、その格好は。……いや、その前に誰に何を吹き込まれた?」
問われた当の悟空は、三蔵が何に驚いているのか分からないといった表情でキョトンとしている。
三蔵としては、今の自分の質問は当たり前のものだと思う。
自分以外の人間が同じ状況に直面しても、常識的な人間であるならきっと同様の反応をするだろう。
いや、三蔵としても自分が常識的な人間からは多少外れている自覚はあるが、問題はそこではない。
問題なのは、目の前にちょこんと立っている悟空の姿だ。
ありがちといえばそうなのかもしれない、とは思う。
実際にこういうやり取りをするカップルも存在するかもしれない。
だが、決して自分達はまだ恋人という関係ではなく少なくとも今の時点ではあくまで保護者と被保護者であって……というか、そういう問題ではないのだが。
……などと、三蔵が軽く混乱している間も、悟空は首を傾げて三蔵を見ている。
身体中にリボンを巻きつけ、頭上で大きなピンクの可愛らしいリボンを結んだ姿で。
三蔵はひょっとしたら街の娘達に面白がって結ばれただけかもしれないと、一応尋ねてみた。
「……まさかとは思うが、『俺がプレゼントv』とか言うんじゃねえだろうな」
『何それ?』という返事を期待して訊いてみたのだが、その期待は儚くも砕け散った。
「うん、そう! 俺がプレゼント!」
無邪気な笑顔で言い切った悟空を見て、三蔵は激しい頭痛に襲われた。
が、とりあえず悟空に妙な事を吹き込んだ者の事を聞き出さなければならない。
「悟空、それは何処で誰に吹き込まれたんだ」
「ん? えっとさ、なんか透けてる服着た、黒い髪の毛の偉そうなオバサン」
「……ほう」
そう小さく呟いた三蔵のこめかみには、はっきりと青筋が浮かんでいる。
「で、そのオバサンがさ。三蔵にプレゼントするんだったら、こうやってリボン巻いて『俺がプレゼント』って言ったら喜ぶぞって」
ひらひらと揺れるリボンの端をつまみながら、悟空は笑う。
その笑顔を見て、三蔵はとりあえず気分を落ち付けようと息を吐く。
吹き込んだ者の思惑はどうあれ、悟空は純粋に三蔵に喜んで欲しいと思ってした行動なのだろう。
だったら悟空に怒るわけにもいかないと、三蔵はひとまず気持ちを宥めるために机の上の湯呑みを手にした。
すっかりぬるくなったお茶を飲もうと湯呑みを口に運んだ時、悟空が再び口を開いた。
「それで、三蔵に『ご奉仕』っていうのするんだって」
その一言に、三蔵は思わずむせてしまった。
「……ッゲホッ、な、何言ってんだ、てめえは!」
咳き込みながら何とか言葉を発した三蔵に、悟空はまた首を傾げた。
「え? 三蔵、俺、なんか変な事言った?」
「変な事も何もあるか! 何だ、その、ご、『ご奉仕』ってのは!」
悟空相手に『ご奉仕』などと口にするのに抵抗があり、少々どもってしまう。
まだ幼い悟空にご奉仕をさせるなど、それはいくら何でも犯罪じみている。
いや、されたくないわけではないが、三蔵にも良心や保護者としての責任感くらいはある。
大体、悟空にそんな事をされては三蔵の自制心が崩れてもっと拙い事になりかねない。
一瞬想像しかけて、三蔵は慌ててその映像を脳内から追い出そうとする。
自分はまだあくまで保護者たるべきだ。悟空が成長するまでは。
無意識の内に熱くなりかける身体を、呼吸を深くする事で調えようとする。
「三蔵? どうしたんだ?」
珍しくオーバーリアクション気味の三蔵を、悟空はちょっと心配そうな顔をして覗き込む。
三蔵にしてみれば、どうしたもこうしたもあるか、と言いたいところである。
「……大体てめえ、意味が分かって言ってんのか」
とりあえずそれだけ尋ねてみると、悟空は胸を張って答える。
「当たり前じゃん! ちゃんと教えてもらったもん!」
そんな大威張りで答えられても困るのだが、いや、それ以前に『教えてもらった』というのはどう教えてもらったのか。
訊いてみるべきだとは思うが、聞きたくない気もする。
突っ込みどころ満載の悟空の言動に、どう反応していいものか三蔵が判断しかねている内に、悟空はずいっと身体を三蔵の執務机の上にに乗り出してくる。
「三蔵! 俺、『ご奉仕』頑張るから!」
頼むからそんなキラキラした眼差しでそういうセリフを吐かないでくれ……と、三蔵はその場で項垂れそうになった。
しかし、そこは三蔵も並みの人間の精神力とは違う。
抜けそうになる力と潰されそうな理性を振り絞り、何とか姿勢を正して悟空に向き合う。
「『ご奉仕』などいらん。大体、お前に出来るわけねえだろ」
三蔵がそう言うと、それまでやたら明るかった悟空の表情が一瞬にして翳った。
その事に三蔵の心がチクリと痛むが、さすがに今日はやむを得ない。
すぐに諦めるかと思いきや、悟空は1度俯いた後、キッと顔を上げた。
「出来るよ!」
「無理だ」
「出来るってば! 何でやってもない内からそんな事言うんだよ!?」
常ならば悟空の言う事はもっともなのだが、こればかりはそういうわけにもいかない。
「やらなくても分かる。お前にはまだ早い」
わざと少し突き放したような声色で告げる。
「……何でだよ。俺だって、俺だって出来るよ、掃除くらい!」
「だから、出来るわけ…………掃除?」
全く思いもよらなかった単語が出てきたため、三蔵の思考回路が一瞬混乱する。
何故今この会話の流れで『掃除』などという単語が出てくるのだろう。
混乱する思考を何とか繋ぎ合わせ、三蔵は改めて悟空に訊いてみた。
「おい、悟空。『ご奉仕』をどう教わった」
口論の途中での突然の質問に、悟空はワケが分からない風ながらも答えた。
「えっと、『他の人のために尽くす事』」
その答えを聞いて、三蔵は今度こそ脱力した。
「え? 何? 何か間違ってた?」
三蔵の反応を見て、悟空は困ったように三蔵を覗き込む。
間違ってなどいない。
悟空の言った事は、『奉仕』の意味としてとても正しい。
むしろ、勝手に歪んだ意味に取ったのは三蔵の方だ。
道理で会話が噛み合わないはずだ、と三蔵はため息をついた。
と同時に、悟空にこんな事を吹き込んだヤツへの怒りがふつふつと込み上げてきた。
明らかに、三蔵が誤解する事を見越しての故意犯だ。
今度会う事があったらタダじゃおかねえ……と、三蔵は見えぬ誰かに毒づいた。
「三蔵……三蔵ってば!」
ハッと我に返ると、悟空が眉を寄せて三蔵をじっと見つめていた。
「どうしたんだよ、三蔵。今日、何か変だぞ?」
誰のせいだと言いたいところではあるが、悟空に非はないのでそれは抑えた。
「何でもねえ。……で? それで何で掃除なんだ」
「うん、三蔵のために何かって考えたんだけど、あんまり出来る事ないし……。
でも掃除くらいなら俺にも出来るから、三蔵の部屋とここ、綺麗に掃除しようって思ったんだ」
へへ、と照れたように悟空が笑う。
「あ、でも今日は俺は三蔵のプレゼントだから、他に何かしてほしい事があったら何でも言ってくれよな!」
満開の笑顔でそう告げる悟空の顔を見ていたら、先程までの事などどうでもよくなってしまった。
思わず三蔵に笑みが浮かんだのを、悟空はめざとく見付けて頬を膨らませた。
「あー! 笑う事ないじゃんか! 俺だってそれくらい出来るんだからな!」
「分かった分かった。なら、お前が自分で言った掃除からしてもらおうか」
三蔵がそう言うと、悟空は拳を握りしめ、背後に炎が見えかねない勢いで闘志を燃やしていた。
「よし! 三蔵が驚くくらいキレーに掃除してやるからな!」
ビシッと三蔵に人差し指を突きつけながら宣言すると、悟空は「まずは私室から!」と叫んで執務室を飛び出して行ってしまった。
その勢いに、三蔵は思わず苦笑を漏らす。
とりあえず、棚や壁の破損くらいは覚悟しておく事にして、三蔵は書類の処理に戻った。
掃除の次はどんなプレゼントをしてもらおうか、と楽しげに思案しながら。
後書き。
三蔵様、お誕生日おめでとうございます。