ひまわり



最初は、ほんのちょっとしたきっかけだった。



寺院での生活も少しは慣れ、時折街にも下りるようになった。
そんな時、表通りから少し入った路地から女性と数人の男の声が聞こえてきた。
好奇心で近付いてみると、男達が女性を引きずるようにして連れ去ろうとしていたところだった。
いくら悟空が子供だとはいえ、この状況がまともなものでない事くらいはすぐに分かる。
当然止めに入った悟空を、男達はせせら笑いながら排除しようとしたが、ほんの十数秒後には立場は逆転していた。

助けられた女性から礼をしたいと招待を受けた先は、女性が趣味でやっているという絵画教室だった。
仕事のかたわら、街の子供達に絵を教えているらしい。
初めて見る色とりどりの絵の具やたくさんの絵に、悟空はすっかり釘付けになってしまった。

そんな経緯で、悟空はその絵画教室に通うようになったのだ。





「ほら、三蔵! これ、今日描いたんだ!」
言いながら、悟空は絵を両手で顔の前に大きく掲げる。
「……これは………………どこの妖怪だ?」
「妖怪じゃないっ! 鳥! 鳥だってば!」
「鳥……?」
まじまじと絵を見つめて眉を寄せている三蔵に、悟空は頬を膨らます。
「もういいよ! 次は絶対三蔵をあっと言わせてやるからな!」
絵をくるくるとしまい、悟空は三蔵に人差し指を突きつける。
そんな悟空の様子を見て、三蔵に微かに笑う。
「いいだろう。次は、俺に分かる絵を描いてみせてみるんだな」
バカにされたような気がして、悟空は憤然として部屋を出て行った。



それから、悟空は絵画教室が開かれる日は必ず絵を描きに行った。
講師の女性に教えてもらいながら、何枚も何枚も描いていく。
本来、身体を動かす事が大好きで、じっとしている事が苦手な悟空だったが、信じられないくらい真剣に絵を描き続けた。
その根底にあるのは、おそらく三蔵に褒めてもらいたいという意識だろう。
だが、悟空自身、少しずつ自分の思うイメージに近くなっていく絵が楽しかった。
講師の女性が、1枚描くごとに着実に上達していると言ってくれたのも、悟空が絵に夢中になった一因かもしれない。
実際、今見てみると、最初に三蔵に見せた絵は確かに妖怪と言われてもおかしくない出来だった気がする。
もちろん、一生懸命描いたのは間違いないが、お世辞にも上手とは言えない。
だから、今度こそちゃんとしたものを三蔵に見せたい。
そしたら、三蔵はどんな顔を見せてくれるだろう。
それを想像すると楽しくて、悟空はますますやる気を出していった。



そんなある日、いつものように教室を訪れると、今日のテーマは「花」だと告げられた。
「花? 何でもいいの?」
そう尋ねると、女性講師は悟空の目線に合わせながら優しく答える。
「ええ。悟空くんもとても上達してきたし、大好きな人にプレゼントする絵を描いてみたらどうかしら?」
「……プレゼント……。でも、三蔵にあげられるくらいの絵、描けるかな……」
最初に絵を見せた時の三蔵の反応を思い出して、悟空は僅かに俯く。
「大丈夫よ。こういうのは気持ちなんだから。一生懸命描けばきっと喜んでくれるわ。
 それに、悟空くん、凄く上手になってるもの。ね?」
穏やかに笑う女性講師に、悟空もほんの少しホッとした気分になる。
「そっか……。そうだよな! よし! 俺、描く!」
悟空が顔を上げてそう言うと、女性講師は微笑んで頭を撫でてくれた。

「それじゃあ、折角だから花言葉も良い花を選びましょうね」
そう言って、女性講師は他の子供達も一緒に集めた後、1枚の大きな紙を床の上に広げた。
悟空を含む全員が、その紙の周りに両膝をついて覗き込む。
その紙には、花の名前の横にいくつかの言葉と、その花の小さな絵が載っている。
「ここに書いてある花はこの街で描ける花ばっかりだから、この中から描きたいものを選んでね」
「花の名前の横に書いてるのが、花言葉?」
「そうよ。どんな花か簡単に絵も付けてるから、好きな花を選んで」
女性講師の言葉を受けて、悟空はそこに書かれている花を上から順に見ていく。

その中で、1つの花が目に留まる。
「……なあ、この花言葉ってどういう意味なんだ?」
悟空が指差す先の言葉を見て、女性講師がああ、と表情を綻ばせる。
「それはね…………──」





完成した絵を持って、悟空は寺院へと走る。
最初は歩いて帰っていたのだが、気持ちがどんどん急いて早足になっていき、遂には走り出してしまったのだ。
早くこの絵を三蔵に見せたい。
三蔵の事を思って描いた絵を見て、三蔵はどんな顔をするだろう。
今度は、少しは喜んでくれるだろうか。

この絵を描いている間、考えたのは三蔵の事だけだった。
まだまだ上手いとは言えない絵だと分かっているから、せめて気持ちだけでもと、ひたすら丁寧に描いた。
三蔵にプレゼントする絵だから。
少しでも良い絵を。少しでも、気持ちの伝わる絵を。
そう思いながら、日が暮れる事にも気付かないほど一心不乱に描き続けた。

大好きな、大好きな三蔵。
いつも三蔵に貰うばかりで何も出来ないから、こうして三蔵に何かをしてあげられる事がとても嬉しかった。
本当はもっともっと役に立ちたい。
だけど、悟空はまだ子供で、寺院の外の事もロクに知らない。
その事に落ち込んだ事もあったけれど、今の自分に出来る事だって少しはある。
それが、忙しい三蔵の気持ちをほんのちょっと和らげるくらいの些細な事でも。





「三蔵! ただいま!」
三蔵の私室の扉を開くと同時に、悟空は室内へと飛び込む。
息を切らせて駆け込んできた悟空に、三蔵は僅かに眉を寄せる。
「……随分遅かったな。どこへ行っていた?」
「う、うん、ちょっと……」
悟空はくるくると丸めた絵を自分の背中に隠して、椅子に座る三蔵の元へと歩いていく。
そのもじもじとした様子に、ますます三蔵が不審そうな顔を向ける。
「何なんだ、言いたい事があるならハッキリ言え」
「うん……」
返事をしながら、悟空は三蔵の前に立つ。

だが、いざ三蔵の目の前に立つと、後ろに隠した手が固まったように動かない。
さっと見せてしまえばいいはずなのに、それが出来ない。

三蔵は、本当に喜んでくれるだろうか。
以前よりは多少上達したとはいえ、子供の自分の描いた絵など見て楽しいだろうか。
絵を見せて、もし、無反応だったら?
だからどうした、とでも言いたそうな眼で見られたら、どうしたらいいのだろう。

そう思うと、急に怖くなってしまった。
絵が完成した時の、はしゃいだ気持ちが嘘のように萎んでしまっている。
知らず、手に力が入り、背後でクシャリと音がした事にも気付かなかった。



いつまでも動かない悟空に業を煮やしたのか、三蔵がため息をつく。
「いつまでそうしてやがる。見せたいものがあるなら見てやるから、さっさと出せ」
そう言いながら、三蔵は悟空の後ろを指差す。
どうやら、悟空が後ろに何かを隠している事などとっくにお見通しのようだ。

悟空は意を決して、手に持っていた絵を広げて三蔵の前に出した……つもりだった。
だが、いつの間にやら握りしめてしまっていたらしく、絵を描いた紙はすっかりしわくちゃになっていた。
「あっ! ご、ごめん三蔵、今のナシ!」
さすがにこんなにグチャグチャになったものを見せるわけにもいかないと、悟空は再び手を背後に戻そうとする。
しかし、一瞬早く、三蔵がその手を掴んだ。

「今更隠すなバカ猿」
隠そうと腕を引く悟空の手の中から、三蔵はあっさりと絵を抜き取る。
「わー! ダ、ダメだってば、三蔵!」
「うるせえ」
悟空の制止を一言で却下し、三蔵は皺の寄った紙を言葉の乱暴さとは裏腹に丁寧に開いていく。



「…………ひまわり、か」
そう呟いた三蔵の声が、少し優しいように聞こえた。
「うん……」
最初の「妖怪」発言の事もあり、その次に続く言葉を悟空は緊張しながら待った。
「……猿が描いたにしちゃあ、よく描けてるじゃねえか」
「ホ、ホントに!?
「嘘だと言いたいのか?」
意地悪そうに尋ねる三蔵に、悟空は千切れそうなほど勢いよく首を横に振った。
「良かったぁ! 俺、一生懸命描いたんだ! 三蔵にあげようと思って……」
そこまで言って、悟空はハッと表情を変えると俯いてしまう。
「あ、でも、それ、グチャグチャになっちゃったし、また別の描くから……」
だが、三蔵から絵を取り返そうと伸ばした手は空を切った。

「三蔵?」
不思議そうに見つめる悟空だが、三蔵は視線を絵に向けたままだ。
「構わん。伸ばせば、そこそこ綺麗にはなるだろう。これは貰っておく」
「え、でも……」
「グダグダ言うな。俺のものなんだからどうしようと自由だろうが」
違うか、と言いたげな眼が、悟空の方に向く。
見る見るうちに笑顔になると、悟空は嬉しそうに頷いた。



三蔵が、絵を受け取ってくれた。
はっきりとは言ってくれないけれど、きっと喜んでくれたんだろうと思う。
そうでなければ、きっと突き返されているはずだから。
その事が、とても嬉しかった。
絵に込めた気持ちが、決して無駄じゃなかった事がたまらなく嬉しくて仕方がなかった。



また、絵を描こう。
三蔵のために。
その絵に、ありったけの気持ちを込めて。









END










ひまわりの花言葉 : 敬慕、あなたを見つめる




後書き。

6周年記念ミニ企画「花にまつわる小さなお話」第4弾。
第4弾は「ひまわり」です。
「ひまわり」といえば悟空しかあるまい!……という考えの下、三空にこの花を持ってきました。
一見妖怪に見える鳥の絵がどんなだったのかは、ご想像で補って下さると幸いです(笑)




2007年6月25日 UP




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