少しばかりの小遣いを握り締めて、悟空は長い髪を揺らしながら街中を駆けていく。
基本的に悟空は金銭を持っていないが、時折三蔵のお使いをしては駄賃を貰ったりしている。
それを貯めて、街で美味しい食べ物を買うのが悟空の密かな楽しみだった。
もちろん、悟空が持っている金額では腹一杯には程遠いが。
お気に入りのひとつの小さな店に入る。
すると、いつもの店主の横で悟空とそう変わらない年頃の少女が危なげな手つきで包丁を握っていた。
「おや悟空、いらっしゃい」
「なあ……あれ、何やってんの?」
「ああ、あれかい。『好きな人にお弁当を作ってあげたい』なんて言い出してねぇ」
まったく色気づいて……と、店主はぶつぶつと不服顔だ。
「お弁当?」
悟空が首を傾げると、一心不乱に手元を見ていた少女が顔を上げた。
「そうよ! お弁当は愛情の結晶なんだから!」
何故か胸を張って嬉しそうに笑う少女の顔が、何だか印象に残った。
寺に戻った後、キョロキョロとある人物を探す。
あちこち探してようやく見つけたその人物に駆け寄った。
「おかえりなさい。三蔵様でしたらまだ執務室にいらっしゃいますよ」
「ううん、おっちゃんを探してたんだ」
「私を、ですか?」
この僧は、この寺で数少ない、悟空を差別しない僧だ。
悟空が話しかければ笑顔で答えてくれるし、見かければ声をかけてくれる。
「ちょっとさ、聞きたいことがあって」
「何でしょう。私に答えられれば良いのですが」
「えっとさ、俺にも、『お弁当』って作れるかなあ?」
そう尋ねると、僧はきょとんとした様子で悟空を見返す。
「お弁当……ですか?」
「うん、お弁当って『好きな人』に作ってあげるもんなんだろ?」
それを聞いて、僧は得心がいったかのような顔になった。
「ああ……三蔵様に差し上げるのですね」
「……うん。出来るかな」
僧の少し考え込むような仕草を見て、やはり無理なのだろうかと不安になる。
そんな悟空の様子に気付いたのか、僧は優しげな笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。簡単なものなら、私が教えて差し上げます」
「本当か!?」
本当に、自分でも作れるのだろうか。
「ええ。少し時間が遅くなってもよろしければ、お勤めの後に厨房を借りて練習しましょう」
「ありがとう、おっちゃん!」
僧の両手を取って、ブンブンと上下に振って礼を言う。
それから間もなく、悟空のお弁当作りの特訓が始まった。
さすがに最初は野菜を切ることすらまともに出来なかった。
指を切ったり、皮を剥いたら中身が殆どなくなってしまったり。
その度に落ち込みながら、けれど根気良く教えてくれる僧のおかげで少しずつ上達していった。
今日もそろそろ教えてもらう時間だと、チラチラと時刻を確認する。
「悟空」
突然声をかけられ、悟空はビクリと身体を揺らした。
「え、三蔵、何?」
「このところ、毎晩どこに行ってるんだ」
「ど、どこって別に……寺から出てるわけじゃないし……」
しどろもどろになりながら答える。
お弁当のことは、まだ三蔵には内緒にしていた。
内緒で作れるようになって、完成したお弁当を見せて驚かせたかった。
三蔵はジッと悟空を見極めるような視線を向けてくる。
これ以上問い詰められれば、悟空は話してしまうしかない。
三蔵に、嘘は吐きたくない。
「……まあ、別にいいが。変な騒ぎは起こすなよ」
少し苛ついた様子で煙草を灰皿に押し付け、三蔵がフイと顔を逸らす。
そんな仕草にズキリと胸が痛むのは、悟空の我侭だ。
隠し事をされて嬉しい者などいるはずがないのだから。
もうちょっとだから、もうちょっとで見せられるから。
心の中でそんな言い訳をして、悟空は小さく返事をした。
そうして更に数日が過ぎたある朝、僧が悟空に声をかけてきた。
「今日は、少し時間を早くしましょう。夕餉に間に合うように」
「え……ゆうげって?」
そう聞き返すと、僧は僅かに苦笑して言い直す。
「晩御飯の時間に間に合うように、ですよ。今日は三蔵様の分は作らないよう、言っておきますから」
「それじゃあ……」
「ええ、もう十分に作れるようになりましたから。三蔵様に召し上がっていただきましょう」
その言葉を聞いて、悟空の表情がパッと明るくなる。
「うん! わかった!」
笑顔で告げると、つられたように僧の顔にも優しい笑みが浮かんだ。
出来上がったお弁当を持って、悟空は三蔵の私室の前に立つ。
初めて作ったお弁当。
僧は良く出来ていると褒めてくれた。
けれど、三蔵に美味しいと思ってもらえるかどうかは分からない。
でも、悟空の気持ちはいっぱい篭めた。
三蔵を大好きだという気持ちだけは、お弁当いっぱいに詰まっている。
悟空が緊張気味に扉を開けると、三蔵は法衣を脱いで椅子に座っていた。
今日は珍しく煙草を吸っておらず、部屋の中にも煙の匂いはしない。
チラリと、三蔵の視線が向けられる。
「いつまでそこで突っ立ってやがる。さっさと持ってこい」
「え、あ、うん!」
早足で三蔵の元に歩いていくと、悟空はひとつ息を吸って手に持っている物を差し出した。
「三蔵! これ……美味いかどうか分かんねえけど、俺が作ったんだ」
三蔵の視線が、悟空の持つお弁当に注がれる。
「食って、くれる?」
言いながら三蔵を見つめる。
すると、三蔵の手がゆっくりとした仕草で上がり、お弁当を取った。
「食うに決まってるだろうが。晩飯抜きで寝かせる気か」
そんな憎まれ口を叩くが、その声にはどこか暖かい響きが混じっている。
三蔵が重箱の蓋を開けるのを、鼓動を高鳴らせながら見つめる。
かなり頑張ったのだが、さすがに細かい細工などは出来なかった。
三蔵の目には、どう映るのだろう。
「……おまえが、作ったんだな」
「うん……」
「意外に器用じゃねえか」
そう言って笑う三蔵に、悟空は嬉しくて胸を押さえた。
「あ、味は!? 味はどう!?」
「まだ食ってねえだろうが、落ち着けバカ猿」
呆れたように言われるが、落ち着けと言われても今の状態では落ち着きようがない。
三蔵に美味しいと思ってもらえるかどうか。
それは、悟空にとって最重要事項だ。
早く知りたいと思ってしまうのは仕方がないことだろう。
三蔵が料理を口に運ぶのを、緊張した面持ちでジッと見つめる。
咀嚼して飲み下したところで、次に開かれる三蔵の口元に自然と視線が集中する。
「……悪くはねえな」
「本当か!? 美味しい!?」
「疑うなら、てめえで食ってみろ」
そう言って、三蔵は箸で小芋煮をひとつ取り、悟空の口へと運んだ。
「……美味い」
「なら、問題ねえだろ。後は俺が食うからな」
言い方はそっけないが、要は全部ひとりで食べてくれるということだ。
悟空は椅子を引っ張ってきて、三蔵のすぐ傍に座る。
「ずっと練習してたんだ。三蔵に食べてもらいたくて」
「そもそも、何で弁当を作ろうだなんて思いついたんだ」
尋ねられ、悟空は街で弁当を作っていた少女のことを話す。
「『愛情の結晶だ』って聞いて、俺も三蔵に作ってあげたいなって思ったんだ」
だって三蔵のことが一番大好きだから、と悟空は笑う。
「『一番大好き』、か。そんなこととっくに知ってるがな」
「知っててもいいんだ、俺が伝えたかっただけだから」
どれだけ伝えても足りない気がする。
悟空がどれだけ三蔵のことを大好きか、もっともっと知ってほしい。
「……もうひとつ、愛情を伝える方法があるぞ」
ポツリと漏らされた言葉に、悟空は思わず身を乗り出す。
「え、それ何!?」
そんなものがあるなら、悟空もまた挑戦してみたい。
三蔵は何故か少し迷った風だったが、箸を置くと悟空の後頭部に手を回して引き寄せた。
視界いっぱいを覆うほどの至近距離に、三蔵の顔がある。
唇に、暖かく柔らかい感触が触れる。
ほんの少し触れただけで離れたそれは、低めの声を紡ぎだす。
「一番好きなヤツにだけ、してもいい愛情表現だ」
一番好きな人にだけ。
それを今三蔵が悟空にしてくれた。
「じゃあ、三蔵も俺が一番好きってことなんだよな?」
「……好きなように解釈しろ」
それだけ言い放つと、三蔵は再び食事に戻ってしまった。
心が沸き立つ。
嬉しくて、今にも走り出してしまいそうだ。
「俺! 俺も今度それ、してもいいよな!?」
もちろん、三蔵に。
「……勝手にしろ」
そう告げた三蔵の声は、少し照れたように聞こえた。
後書き。
10周年記念ミニ企画第3弾。
お題は「食って、くれる?」。
最初はエロい意味を想像してしまったんですが、ここはあえて言葉どおりに食事にしました。
手作り弁当は定番ですよね!
三蔵だって悟空が自分のためにお弁当作ってくれたりしたら嬉しいに違いない!……ってことでこうなりました。
少しでも気に入っていただければ幸いです、