リトル・クリスマス





普段よりも賑わいを見せる街。
辺りも暗くなり始め、甘い雰囲気を纏う恋人達もそこかしこに見られる。
至るところではしゃいだムードの漂う中、街から少し離れた場所は普段通りの静寂の中にあった。



その静寂の中で、コトリと小さな音が響く。
三蔵は、執務を一旦中断して背凭れに凭れかかった。
長安の街ではクリスマス一色であっても、寺院においてはそんなものは関係ない。
クリスマスなど、単にいつもと同じ1日でしか有り得ない。
こうしていつも通りに仕事をして、1日が終わるだけだ。

再び書類の処理に取り掛かろうとした時、既に聞き慣れてしまった足音が聞こえてきた。
だんだん近付いてくるその騒がしい足音に、三蔵は書類を諦めて筆を置いた。
これだけ走ってくる時というのは、大抵三蔵に何か見て欲しいかして欲しい時だ。
少なくとも、それが達成されるまでは仕事はさせてもらえないだろう。



足音がドアの前まで来たかと思うと、勢い良くそのドアが開かれる。
「三蔵ー! ただいまー!」
「喧しい、たまには静かに帰って来れねえのか。……何だ、それは」
悟空と共にドアを越えて現れた物体に、三蔵は眉を顰める。

それは、1本の木。
といっても、本物の木ではなく大きさも悟空が両手で抱えられる程度のイミテーションのようだ。
木を抱えている両手の内、右手には更に紙袋がぶら下がっている。
両方を合わせるとかなりの荷物になるはずだが、悟空は疲れている様子もなく、それどころか嬉しそうに笑っている。



三蔵の興味を引いた事に満足したのか、悟空はそれをひとまず床に置いた。
「これさ、『くりすますつりー』って言うんだって! 今日は『くりすます』で、これに色々飾り付けするんだって言ってた」
「誰がだ」
「街のお花屋さんのおねーさん」
「……で、このツリーは貰ってきたとか言うんじゃねえだろうな」
「そうだよ? 俺が『くりすます』知らないって言ったら、おねーさんが『じゃあコレあげるから、家族の人と一緒に飾りなさい』って」
悟空が言うと同時に、ハリセンの音が鳴り響いた。
「バカ猿! 無闇に人からモノを貰うなっていつも言ってんだろうが!」
そんなに大きくないとはいえ、決して安いものではないはずだ。
悟空が可愛いからという理由で何かしらモノをあげたがる女達は多いが、三蔵にしてみれば厄介な事この上ない。
貰いグセがついても困るし、第一勝手に悟空に贈り物などされるとムカつくのである。
後者の理由は、三蔵自身、身勝手極まりないものだと自覚はしているのだが。

「……ごめんなさい……」
シュンと下を向いて元気をなくしてしまった悟空に、三蔵の内に罪悪感が湧いてしまう。
三蔵に見てもらいたくて、その反応を期待して帰ってきたその足で持ってきたのは明らかだ。
それが逆に怒られてしまったのだから、落ち込むのは当然かもしれない。
三蔵は少しバツが悪そうに視線を外してから、悟空の頭に軽く手を置いた。
「分かったならいい。これからは気をつけろ」
「うん!」
三蔵の声音が先程より怒りを含んでいない事を感じ取ったのか、悟空は安心したように顔を上げた。



「なあ、三蔵。これ、後で一緒に飾りつけしよ?」
ツリーを指して、悟空は期待に満ちた目で三蔵を見つめている。
だが、正直なところ、三蔵はどう返答したものか少し迷った。
何しろ、ここは仏教の寺院である。
その寺院で異教の聖誕祭など本来ならあってはならない事だ。
三蔵自身はそんな事はどうでもいいのだが、また僧正だの何だのに知れれば面倒な事になりかねない。
いや、これを剥き出しのまま寺院内に持ち込んだ時点で知れていると思ってもいい。


三蔵から返事がない事に、悟空の表情が少し曇ってくる。
「三蔵? ダメ? やっぱ仕事忙しい?」
クリスマスの意味などまるで知らない悟空は、机の上の書類を見て尋ねてくる。
仕事自体は急ぎではないので何とかなるのだから、悟空が心配している事は問題ない。
問題は、明日からの面倒である。

「……ダメだよな。ごめんな、三蔵。俺、これ、返してくるから」
悟空は無理やり笑うと、ツリーと紙袋を抱える。
面倒事を避けるためには、そうさせるのが1番いいと三蔵は思う。
……しかし。



悟空がドアを開けるために手をかけようとしたノブを、三蔵は先に掴んだ。
それにも関わらずその状態から動かない三蔵を不審に思ったのか、悟空は傍に立つ三蔵を見上げた。
「……ダメだなんて誰も言ってねえだろうが、猿」
「え……だって……」
「1度貰ったモンをわざわざ返しに行っても迷惑なだけだろ。いいからここに置いとけ」
「いいの?」
「但し、仕事が終わるまでは大人しくしてろ。分かったな」
悟空の顔が、見る見るうちに嬉しそうな笑顔になる。
「うん! ありがとう、三蔵!」
言うと、悟空がツリーを置いてタックル同然の勢いで抱き付いてきた。
体勢を整えていなかったため、その勢いのままバランスを崩して悟空が覆い被さる状態で尻餅をついた。

「……このバカ猿! 大人しくしてろって言ったばかりだろうが!」
「ご、ごめん、三蔵。大丈夫?」
「ったく……」
そう言いながらも、悟空に退けと言えない自分に三蔵は内心ため息をつく。
いつからこんな風になってしまったのかと思いながらも、そんな自分自身の変化すら受け入れてしまっているのだからどうしようもない。


「三蔵? どっか痛いのか?」
三蔵が動かない事に不安になったのか、悟空は三蔵を覗き込んでいる。
「何でもねえよ。仕事が終わるまで、その辺で静かにしてろ」
そう言って三蔵はゆっくり立ち上がり、デスクへと向かう。
とりあえず明日必要な書類だけ片付けて、後は明日に回そうと考える。
仕事を次の日に回すのは悪循環のきっかけになりかねないから本来はやりたくないのだが、今日ばかりは仕方がない。
今日の分の書類を全部処理していたら、悟空はとても起きていられないだろう。
悟空は起きる時間もそれなりに早いが、寝る時間も相当早い。
健康的な生活サイクルだと思うが、時折その早さに呆れてしまう事もある。
ツリーの飾り付けの時間なども考えれば、あと1〜2時間くらいで書類の処理を済ませなければならない。
「もう1度言うが、飾り付けがしたきゃ静かに待ってろ。いいな」
「うん、分かった。待ってる」
悟空は素直に頷くと、ツリーの傍にちょこんと座り込んだ。






カチカチカチ……という時計の音と、書類をめくる音だけがやけに大きく響く。
普段なら望むべくもないその静寂に三蔵がふと視線を向けると、悟空はツリーをじっと見つめていた。
その表情は嬉しそうで、これからの楽しい時間を想像しているのが分かる。
あんなに楽しそうにしているのを見ると、明日以降に予想される面倒事くらいは我慢してやるかという気になる。
少なくとも、悟空が沈んだ顔で元気がないのを見るよりは遥かにマシだ。
多少の苦労を引っ被っても、悟空には元気過ぎるくらいでいてもらわなければ調子が狂う。
それは結局、三蔵自身のリズムをも崩す事になるのだから。

書類の処理に疲れていた気分が少し和らぎ、三蔵は再び筆を走らせ始めた。
とにかく仕事を終わらせる事に集中する。
悟空が舟を漕ぎ出す前に。出来るだけ早く。






筆を置く音と背凭れに凭れる音が聞こえたのだろう、悟空がパッと三蔵の方を向いた。
その表情は、終わったのか訊いてもいいのかどうか迷っている風に見える。
その無言の問いに答えるかのように、三蔵は椅子から立ち上がると悟空のところまで歩み寄った。
そこで、ようやく悟空は口を開いた。
「仕事……終わった?」
「ああ。一応な」
答えた途端に、悟空は嬉しそうに笑う。
「ホント!? じゃあ、一緒に飾り付けしてくれる!?
「……約束通り静かに待ってたからな。それくらいは付き合ってやる」
「ありがとう、三蔵!」
言うと、悟空は満開の向日葵のような明るい笑顔を三蔵に向けた。
この笑顔だけでも、明日からの事後処理の報酬としては十分なのだろうと思えた。



ツリーと一緒に貰ってきたらしい紙袋には、ツリーに飾る色々な装飾品が入っていた。
それらを1つずつ、小さなツリーに飾っていく。
「なあ、三蔵。いっこだけ訊いてもいい?」
「……何だ」
「今日が『くりすます』って日なのは聞いたんだけど、『くりすます』ってどういう日なんだ?」
唐突な質問に、三蔵の手が止まった。
正確に教えてしまえば、悟空がこのツリーを寺院に持ち込んだ事を気にするのは目に見えている。
あれでいて、悟空は自分の行動で三蔵の立場が悪くなる事には酷く敏感だ。
自分の我侭で三蔵に面倒が降りかかるのだと知れば、おそらく落ち込むだろう。
今これほど喜んでいる分、その反動は大きくなるに違いない。
かといって、全くのデタラメを教えるわけにもいかない。
そんな事をしても、結局はどこかでそれを指摘され、本当の事を知る事になる。
それ以前に、どんな理由であれ悟空に嘘を吐きたくはない。

三蔵は少し考えた後、『異教』というキーワードだけを外して説明した。
少々強引な説明の仕方になってしまったが、その辺はやむを得ないだろう。
悟空が割と素直に納得してくれた事に内心で安堵する。
知る必要のないものは知らなくていい。
仏教だとか異教だとか、そんな事は悟空には関わりのない事なのだから。



最初にこの部屋に持ち込んだ時よりも、目に見えて賑やかになっていくツリー。
それが楽しいのか、悟空は飾り付けに夢中になっている。
小さなプレゼント箱のオブジェをつけながら、悟空はツリーを挟んで向かいにいる三蔵を覗き込んだ。
「なあなあ三蔵、また来年も『くりすます』していい?」
「……このツリーの1年間の収納場所はテメエで確保しろよ」
「うん! 俺、大切にしまっとくから!」
「なら、勝手にしろ。気が向いたら付き合ってやらん事もない」
実際のところ間違いなく付き合う事になるのは分かり切っているが、わざと曖昧に表現する。
それでもそれが三蔵なりの承諾だと知っている悟空は、飾り終えたオブジェから手を離すと向かいの三蔵のところに回り込んで来た。
そして、別のオブジェを飾っている三蔵の傍に立つと、横からその腰にしがみついた。

「……何だ」
「へへ、三蔵大好き」
「ふん、いい加減聞き飽きたな」
そう言いながらも、三蔵の表情はいつになく穏やかだ。
この状態では飾り付けも出来ないが、悟空を引き剥がす気にもなれず三蔵はそのまま好きにさせる事にした。
悟空の気が済むまでは、しばらくこのままでいてやってもいい。
この状態でいる事を自分も望んでいるなどとは、三蔵自身は今いち自覚しきれていないのだが。


「三蔵、えーっと……『めりーくりすます』!」
三蔵にしがみついたままで、悟空が顔だけ上げて笑った。
「それも街のヤツから教わってきたのか?」
「教わったわけじゃないけど、なんか街で皆こう言ってたから。……間違ってる?」
「いや……」
「へへっ、良かった」
そう言うと、悟空は再び顔を埋める。
「……メリークリスマス」
三蔵は小さく呟いた。生まれて初めて口にする言葉。
本来なら自分が口にするべきではない言葉だと分かっているが、今日だけはいいだろうと思う。





この日以降、最高僧の執務室の隅には可愛らしく飾られた小さなクリスマスツリーがその存在を控えめに主張していたという。
その事で寺院内ではちょっとした物議を醸したようだが、三蔵の努力の成果か、それが悟空の耳に入る事はなかった。
その後、結局ツリーは新年を迎えるまでは執務室を明るく彩っていたそうである。









END











後書き。

三蔵様は小猿ちゃんのためなら、異教の祭りだろうと後がどれだけ大変だろうと、何でもやっちゃうのよーって話を書きたかったんです。
この話の悟空はまだ三蔵と出逢って2年足らずという認識で書いています。
そんな愛らしい悟空に花屋のお姉さんはメロメロのようです(笑)
ツリー……あげないですよね、普通。恐るべし、ちび悟空の魔力。






短編 TOP

SILENT EDEN TOP