Sunshine



───12月31日。

三蔵はいつもより更に高く積まれている書類から一旦離れ、椅子に凭れた。
年末になると書類の量も多くなり、三蔵法師として表に立つ回数も増える。
ここしばらくの忙しさで、さすがに三蔵にも疲れの色が出ていた。

トントン、と執務室のトビラをノックする音が聞こえた。
入るように促すと、三蔵の身の回りの世話をしている小姓が嬉しそうに入ってくる。
「三蔵様、そろそろご昼食をお持ち致しましょうか?」
少年らしい笑顔で、背筋を伸ばして小姓は扉の前で三蔵の返事を待っている。
「……そうだな。……いや、今日は私室に運んでくれ」
一度返事をしたものの、思い直して訂正する。
「分かりました。もう少ししてからお持ちした方がよろしいでしょうか?」
「ああ」
「では、12時半頃にお部屋にお持ち致します。失礼します!」
そう元気良く言って部屋を出て行く小姓を、三蔵はどこか優しげな目で見遣った。

あの小姓は数ヶ月前から三蔵の身の回りの世話を言い付かったのだが、三蔵に仕えるのが心底嬉しいらしく、三蔵のそっけない態度もものともしない。
三蔵も最初は他の僧達に対してと同様に冷淡に接していたのだが、今は多少三蔵の態度も軟化してきている。
それは多分、誰かを思い出させるからだ。
今もそうだ。いつもならこんな忙しい時はここで昼食をとるのだが、彼に別の人物の影が見えた。
余りの忙しさで構ってやっていなかった事を思い出し、昼食くらいは付き合ってやろうという気になったのだ。

三蔵は席を立つと、執務室を出て歩き出した。
悟空がいるであろう、私室へと。




私室の扉を開け、そこに悟空の姿がない事に眉を顰める。
外で遊んでいても昼時にはいつも部屋に戻ってきているし、三蔵に何も言わずに寺院外に出る事もない。
確かに、ここの所よく遊びに出かけていたが、今日は外には出ていないはずだ。
もしやと思い、寝室に向かう。
2つあるベッドの内1つに、すやすやと眠っている悟空の姿が見えた。
「バカ猿……。今何時だと思ってやがんだ」
叩き起こしてやろうとベッドに近付き、ハリセンを構える。
が、眠る悟空の余りの無防備な寝顔に一瞬その場で固まってしまった。
「…………ちっ」
一度振り上げたハリセンを静かに下ろし、しまい込む。
ここまで気持ち良さそうに眠っているのを起こす気にもなれず、三蔵はそっと寝室を出た。



私室の椅子に座ってしばらく身体を休めていると、さっきの小姓が昼食を2人分持ってきた。
「三蔵様。昼食をお持ちしました。こちらに置けばよろしいですか?」
「ああ」
そう言って、ちらりと寝室の扉を見る。
食事が運ばれてきたというのに、悟空は起き出してくる気配はない。
完全に寝入ってしまっているようだ。
「……1人分でいい。もう1つは……一応いつでも食べられるようにとっておけ」
「? はい、分かりました」
周りに視線を動かしたところを見ると、この小姓も悟空がいない事を不思議がっているようだ。
普段から悟空は三蔵に纏わりついているのだから、当然といえば当然だろう。
それでも余計な詮索はしてこない分、他の僧徒どもより遥かにマシだ。

小姓が悟空の分の食事を持って退室した後、三蔵は昼食をとった。
食べている内に、だんだん腹が立ってくる。
一体何のためにわざわざ時間を割いて私室に戻ったのか。
「あの、バカ猿が……!」
自分の甘さに嫌気がさす。
三蔵は昼食を食べ終えると、入ってきた時より数倍は不機嫌な表情で私室を後にした。



その後仕事をしている間中も三蔵の不機嫌は変わらず、書類を取りに来た僧を怯えさせていたりした。
唯一怯えなかったのはあの小姓だけである。図太いのか大らかなのか微妙なところだ。
悟空が昼食を食べたかを訊いてみると、3時頃に起き出してちゃんと食べたらしい。
それを聞いて、少なくとも身体の調子が悪いわけではないのだろうと息をつく。
ただ、そうなると尚更寝入っていた事がムカつく。人がわざわざ戻ってやったのに。

ムカムカした気分のまま、それでも今日の分の仕事を終え、私室に戻る。
扉をいつもより少々荒い開け方をして私室に入ると、悟空が飛びついてきた。
「三蔵、おかえり〜v」
「『おかえり〜』じゃねえ、バカ猿!」
スパアアアン!と、さっき殴れなかった分を取り返すかのようなキレのいい打撃音が響き渡る。
「いってえええ!」
ハリセンの直撃を受けて、悟空が頭を抱えて三蔵に抗議の視線を向ける。
「いきなり何すんだよ〜! 暴力ぼーず!」
「……もう一発くらいたいか?」
三蔵が再びハリセンを構えたのを見て、悟空は渋々引き下がる。

「大体てめえ、何時まで寝てやがんだ。だらけてんじゃねえぞ」
「だらけてたわけじゃねえもん」
「ほう、午後3時まで寝てて、だらけてねえってのか?」
「あれはさぁ……寝貯めっていうか……」
「……意味が分かるように喋れ」
「だって、それぐらい寝とかねえと夜起きてられねえじゃんか」
「起きてる必要ねえだろ。ガキはさっさと寝ろ」
「ヤだ。だって、俺決めてるんだもん」
「決めてる?何をだ」
三蔵が訊くと、悟空は嬉しそうに笑いながら答えた。
「三蔵と2人で、初日の出見に行くんだ!」
「初日の出……?」
「うん! すっげえ綺麗だって八戒が言ってて、それで俺、三蔵と2人で見に行きたいなって……」
照れたように笑う悟空に、三蔵もようやく納得がいった。
今日──大晦日の夜から新年にかけて三蔵と出かけたくて、でも起きていられる自信がなかったため、昼の間から無理にでも睡眠をとっていたのだろう。

「な、三蔵。一緒に行こ? それとも、やっぱ疲れてる……?」
三蔵のこのところの忙しさを知っているためだろう、悟空は少し心配げに三蔵を見つめている。
「……まあな」
三蔵は寝室に入り、法衣を脱いでベッドに入る。
その様子を見て、悟空がしょんぼりと肩を落としたのが見なくても分かる。
「……11時になったら起こせ」
!! ……うん!」
一転して元気になった声に苦笑しながら、三蔵はそのまま目を閉じた。




悟空に起こされるまでもなく午後11時前には目が覚め、今悟空と2人で寺院を出て歩いている。
初日の出を見るという場所は、以前に悟空が見つけてきた丘。
ちょうど東の空が見渡せるため、日の出を見るにはうってつけの場所だ。
日の出を見るだけならこんな時間に出て来る事もないのだが、こうして出てきたのは、新年を迎える瞬間は寺院などよりもあの丘の方が気分がいいだろうと思ったからだ。

ほどなくして、その丘に着く。
「さっむ〜……。三蔵、寒くない?」
「お前が薄着過ぎるんだ。風邪ひいても知らねえぞ」
「う〜……、いいもん、こうするから!」
悟空はそう言うと、三蔵の腕にしがみついてピッタリと身体を寄せる。
「なっ……! バカ猿、くっついてんじゃねえ!」
「いいじゃんか、寒いんだもん」
三蔵は悟空を引き剥がそうとするものの、力いっぱいしがみつかれているのでそれは出来なかった。
ため息を1つつくと、引き剥がすのを諦めて腕を下ろす。
三蔵の理性を試すような行動が、その気もなく出て来るのだからタチが悪い事この上ない。

三蔵の腕にしがみついたままで悟空がポツリと呟く。
「今年も、もう終わりかぁ……。色々あったよな。八戒や悟浄と出会ったりさ」
「ふん、別に出会いたくなかったがな」
「へへ、嘘ばっか」
「……殺すぞ」
「今年は終わるけど……来年も、俺、ここにいられるよな……」
悟空の言う『ここ』。それはおそらく『三蔵の傍』。
「……お前がいたいならな。いつまでいたって構やしねえよ」
「ホント?」
「訊くな、バカ猿」
「うん……ありがとう、三蔵」
そう言ってぎゅっと三蔵の腕を抱きしめる悟空に、三蔵の表情も知らず穏やかになる。

「あ! あと少しで12時だ。……あと1分半……」
持ってきていた時計の秒針を見ながら、悟空がカウントダウンを始める。
「……あと10秒。……5、4、3、2、1……三蔵、あけましておめでとう!!
三蔵からパッと身体を離し、三蔵の前に立って満面の笑顔で悟空が嬉しそうに言う。
「……ああ」
「え〜っと……あと、『今年もどうぞよろしくお願いします』って言うんだよな」
「形式ばった挨拶なんざする必要ねえ。お前が言いたい事だけ言え」
「うん。三蔵、今年もずっとずっと一緒にいるから、俺!」
「俺の意志は無視か?」
「だって、俺がいたいならいつまででもいていいって言ったじゃん。だから、ず〜っと一緒にいるんだ!」
「……ふん」
三蔵は1歩踏み出すと、悟空の身体を抱き寄せた。

「……さ、三蔵!?
急に抱き寄せられ、悟空が驚いているのが分かる。
「……風邪ひくって言ってんだろうが、バカ猿」
「……三蔵、あったかいや……」
悟空は三蔵の胸に顔を埋め、背中に手を回す。
冷たい空気が吹き抜ける中、お互いの体温が心地良かった。



あれから数時間が過ぎようとしている。
真冬の夜にこんな丘で数時間を過ごしているにも関わらず、三蔵は特にそれが嫌だとは思わなかった。
その理由を考えるといつもは不機嫌になるのだが、今日はむしろ穏やかな気分だった。
三蔵にピッタリと寄り添っている悟空の体温のせいかもしれない。
少し視線を動かして悟空を見てみると、悟空はじっと東の空を見つめている。
その余りに真剣な様子に、思わず苦笑する。
こんな事にまで一生懸命なところが、色んな人間から好かれる1つの要因なのだろうか。

やがて、東の空を見ていた悟空の表情が動いた。
「あ! 三蔵、夜明け!」
その言葉に三蔵も東に顔を向けると、空が白み始めていた。
そのまま、無言で太陽が昇ってくるのを待つ。

ゆっくりと、静かに空が赤く染まり、太陽がその姿を見せ始める。
その幻想的で美しい光景に、悟空はもちろん、三蔵も目を離せずにいた。
時間をかけて太陽がその姿を全て現し、そして周りが光に照らされた。


「綺麗〜……。俺、日の出って初めて見たけど、すっげえよな」
「夕焼けと似てるが、沈むのと昇るのとでは印象がガラリと変わるからな」
「うん。俺は、日の出の方が好きだな」
「だったら、来年も見に来りゃいいだろ」
「……三蔵も一緒に?」
「……気が向いたらな」
三蔵のその返事が『承諾』の意である事が分かっているのか、悟空は微笑んで三蔵に再びしがみつく。
今度は引き剥がそうともせずに、三蔵は2人きりの時だけの優しい眼差しを向ける。



暗闇を徐々に満たしていく太陽の光。
それは三蔵にとって、悟空そのものだ。
10年前のあの日以来三蔵の中に澱んでいた黒い影を、その光で少しずつ照らしていった。

口には決して出さないけれど。
この光がずっと傍にあれば良いと、太陽を見ながら三蔵は感じていた。







END








後書き。

何とか間に合いました、新年おめでとう小説。
しかし、新年小説なのに小説の時間の流れが半分以上大晦日だっていうのも……。
久々の三空らぶ甘です。バカップルです。悟空中毒症な三蔵様。
本当は「来年も見に〜」のシーンで、三蔵様に約束としておでこにキスさせようかと思ってたんですが、金鈷があると出来ないので泣く泣く諦めました。
やりたかった……おでこにキス……。
あと、話の中に出て来る小姓は名前出てませんが、決して道雁ではありません(笑)
壁紙は日の出をイメージして作ったのですが、日の出というより夕焼けに見える……。





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