モモ



すっかり日も落ち、暗闇の中に明かりが一際目立ち始める頃。
煙草に火を点けながら、悟浄は街中をブラブラと歩いていた。

折角立ち寄った街だ。
ただでさえ飽きもせずに襲ってくる刺客との戦闘に辟易する毎日なのだから、こういう時くらい息抜きしてもいいだろうと思う。
賭場でも見つけて一稼ぎするか、見目の良い一夜の相手を見繕うか。
そんな事を考えつつ街を流していると、ふと、見慣れた姿が目に入った。



「三蔵じゃねえか。何してんだ、んなトコで」
声をかけ、振り返ったその表情はいかにも嫌そうだ。
仮にもそれが身体を繋げた相手に向ける顔だろうかと思わなくもないが、三蔵らしいといえば三蔵らしい。
「煙草が切れたから買いに出て来ただけだ。てめえこそ何してやがる」
「あー……、ちっと呑もうかと思ってよ」
少し間を置いて、先程まで考えていた事とは違う理由を口にする。
さすがにバカ正直に言えば、ただでさえ悪い機嫌がますます悪くなるのは目に見えている。
「……ふん」
どうやら見透かされているらしく、三蔵は眉に皺を刻む。
少々バツの悪い空気を遮るように、悟浄は殊更軽い調子で三蔵に近付く。

「そうだ、三蔵も一緒に呑まねえ?」
「何故、俺が貴様と呑まなきゃならん」
そっけなく言い捨てられるが、悟浄もこの程度でへこたれはしない。
「いいじゃねえか、たまには。奢るぜ?」
「てめえの奢りじゃ、呑める量もたかが知れてるな」
「んだよ、お前が酔っ払うまで呑めるくらいのモンは持ってるぜ?」
三蔵が本気で断るつもりではない事を見越して、わざと挑発的に笑う。
案の定、三蔵はその挑発にあっさり乗ってくる。
「……いいだろう、後で金が足りんと言っても出さんからな」
「わーってるって。じゃ、行こうぜ。いつまでもここに突っ立ってんのも間抜けだろ」
誘いが上手くいった事に満足しつつ、悟浄は三蔵を促して歩き出した。



着いた酒場で、カウンターに並んで座りながらしばらくは黙って酒を呑んだ。
三蔵が静かに呑む事を好むのを知っているからだ。
チラリ、と悟浄は横目で三蔵を盗み見る。

相変わらず、綺麗な顔立ちをしている。
口に出すと銃弾が飛んでくるので言わないが、悟浄と同じように思っている者は少なくないだろう。
惚れた欲目ではない……と、思う。
現に、この酒場に入ってからも何人もの男の視線がチラチラとこちらに向けられている。
もっとも、その内のいくらかは「酒場に法衣」というミスマッチのせいもあるだろうが。

その法衣のせいだけでなく、三蔵は人目を惹き付けるものがある。
一言で言えば、カリスマ性と呼べるものなのかもしれない。
煙草も酒も殺しもするとんだ生臭坊主だが、何者にも侵せない凛とした高潔さが、そこにはある。
悟浄もあるいは、そういうところに惹かれたのかもしれない。

ふと、思った。
三蔵は、この旅が終わったらどうするのだろうか。
普通に考えれば長安の寺院に戻るのだろうが、三蔵の場合その『普通』にあまり期待が出来ない。
牛魔王蘇生を阻止して聖天経文とやらを取り戻したら、もう用はないとばかりに寺院を出てもおかしくない。
もしそうなったら、悟浄に三蔵の行方を掴む術はあるだろうか。
長安の慶雲院にいてくれれば、多少距離があるとしても会いたいと思えば会いに行ける。
けれど、もし寺院を出てしまえばどこに向かうとも分からないし、そんな事を訊いても三蔵が悟浄に教えてくれるとは思えない。
その事が、悟浄の不安と焦燥を煽り立てる。

そもそも、三蔵は悟浄の事をどう思っているのだろう。
持て余していた三蔵への気持ちをぶつけ、三蔵は最終的にはそれを受け入れてくれた。
だが、そうして身体を繋げても、三蔵はまだどこか遠いところに立ったまま悟浄を見ていないような気になるのだ。
結局のところ、半ば強引とも言える悟浄の押しに、流されてしまっただけなのではないだろうか。
だとするなら、この旅の終わりは、即ち2人の関係の終わりになってしまうのかもしれない。

嫌だ、と、悟浄はグラスを持つ手に力を込める。
グラスの中の氷が揺れ、軽い音を立てた。
と同時に、隣で少し乱暴にグラスを置く音が響いた。
我に返って隣に視線を向けると、三蔵は眉間に皺を寄せて悟浄を睨んでいた。

「さっきから、何を考えてやがる」
「いや……」
三蔵がこちらを見ていた事にすら気付かないほど思考に嵌まり込んでいた自分に気付き、悟浄は言葉を濁す。
「テメエから誘っておいて、シケた顔で呑むな。酒が不味くなる」
そう言い捨てると、三蔵はフイと視線を悟浄から外す。
「…………わりぃ」
自嘲気味に笑い、悟浄は小さく呟く。

そんな悟浄の様子に三蔵は何かを言いたそうな素振りを見せたが、結局は開きかけた口を結んでしまった。
気まずい空気のまま、周りのざわめきだけをBGMにして酒を消費していく。

何杯目かの酒を飲み干した後、悟浄はポツリと呟いた。
「……なあ、お前……この旅が終わったらどうすんだ……?」
正直、まともな答えが返ってくると思っていたわけではない。
しかし、何故だか無性に訊かずにはいられなかった。

しばらく三蔵は黙っていたが、グラスを置くと小さくため息をつく。
「……まだ、はっきりと決めたわけじゃない。とりあえず、三仏神に報告後は慶雲院は出るつもりだがな」
切り捨てられずに真面目な答えが返ってきた事に、悟浄は思わず目を丸くする。
それが気に障ったのか、三蔵は不機嫌さを隠そうともせずに悟浄を睨みつける。
「自分から訊いておいて驚くんじゃねえよ」
確かにそれはもっともなのだが、普段の三蔵の言動から考えればそういう反応になったのも仕方がないところだろう。

三蔵が答えてくれた事に妙に嬉しくなって、悟浄の気分が少し上昇する。
もしかしたら、悟浄の様子がいつもと違う事に気付いて、ほんの少し歩み寄ってくれたのかもしれない。
三蔵は、人のそういう変化にはやたらと聡いところがあるから。
そして、その変化を切り捨ててしまえないくらいには、人の好い部分が三蔵には確かにある。
そんな不器用さを見せてしまうから、悟浄は三蔵をどうやっても嫌いにはなれないのだという事を、三蔵は分かっているのだろうか。

三蔵のグラスが空に近くなってきているのを見て、悟浄はマスターにある酒を頼んだ。
そして、グラスが空になると同時に出てきた酒を、三蔵に差し出す。
「……何だ」
悟浄の意図が把握できないのだろう、三蔵は些か不審そうな視線を悟浄に向ける。
「俺のオススメの酒。まあ、いっぺん呑んでみろって」
そう言って三蔵の前に置いたグラスに注がれた酒の上には、小さな花びらが3枚浮かんでいる。
「桃花酒か。意外だな」
「何がだよ」
「てめえがこういう風流な酒を知っている事が、だ」
「俺みてえな風流人捕まえて何言ってやがんだっての、この生臭坊主」
軽口で言い返すが、とりあえず酒を突き返されなかった事に内心で安堵する。

実際のところは、この桃花酒は以前一度呑んだきりだ。
だが今、ふとその時に聞いた話を思い出した。
酒そのものの事ではなく、浮かぶ桃の花びら。
たまたまそこに花が好きな女がいて、桃に関する逸話やら何やらを随分と聞かされた。
正直、その内容の半分も覚えていないが、たった1つだけ覚えていたものがあった。
随分と情熱的だと思った、桃の花言葉。
当時は理解できなかったそれが、何故だか強く印象に残って、今こうして思い出した。
思い出したら、無性にその酒を三蔵に呑んでもらいたくなったのだ。

三蔵が、花言葉なんてものを知っているとは思えない。
だが、それでいいと思う。
伝えたいわけじゃない。
ただ、悟浄の想うその言葉と一緒にこの酒を呑んでくれればいい。

三蔵が喉を鳴らして酒を呑むのを、悟浄はじっと見つめた。
「……どうよ、その酒?」
グラスを置いた三蔵に、悟浄は甘い声音で問いかけた。
しばらく黙ったままグラスに残る酒を見つめていた三蔵だが、僅かにグラスを揺らすと小さく答えた。
「…………悪くはない」
返された言葉に満足し、悟浄は微かに笑う。



そのまま全部、悟浄の心ごと呑んでしまえばいい。
花言葉など理解していなくても、感情はきっとそこに込められたものを理解してくれるだろう。
そしていつか、三蔵が差し出したこの酒を、自分が呑める日が来ればいいと思う。



その日が来るまで絶対に見失わない事を心に決めて、悟浄は自分の酒を飲み干した。









END










モモの花言葉 : 私はあなたのとりこです




後書き。

6周年記念ミニ企画「花にまつわる小さなお話」第6弾。
ラストを飾るのは「モモ」です。
桃花酒は本来は3月3日の桃の節句に飲む酒ですが、そこは気にしないで下さい。
この2人は何だかんだでラブラブなのですが、三蔵がああなので雰囲気出ないのが辛いところ。




2007年7月30日 UP




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