サクラソウ



西への旅の途中、立ち寄った街。
いくつも通り過ぎてきた街と同じように、宿に泊まって食事をして、そうして早々に出て行く。
それだけだと思っていた八戒だが、買出しに行った先の店であるやり取りを耳にした。

それは、普通に聞いていれば単に夕食のメニューの相談にしか聞こえなかっただろう。
しかし、その材料の中に花の名前が混じっていたように聞こえ、八戒は首を傾げる。
話をしていた客が去った後、八戒は先程までその客と話していた店の主人に尋ねてみた。

どうやらこの街では、記念日などに花を使った料理を振舞う習慣があるらしい。
食べてもらう相手への想いやメッセージなどを込めて、料理を作るのだという。
とはいえ、さほど大掛かりなものではなく、食事のメニューにほんの一品付け加えたりする程度のものだそうで、だからこそ殆どの家庭にこの習慣は普及しているのだそうだ。

八戒は少し考える仕草を見せた後、この近辺で花屋がないかを尋ねる。
それで八戒の意図を理解したらしい店の主人は、にこにこと機嫌の良さそうな顔でお奨めの花屋を教えてくれた。

花屋への道すがら、八戒は1人の人の事を考えていた。
今日が特に何かの記念日であるわけではない。
けれど、折角このような習慣のある街に立ち寄ったのだから、それに便乗してしまうのもたまにはいいだろうと思う。
料理を差し出した時の悟空の嬉しそうな顔が想像できて、八戒にも知らず微笑が浮かぶ。
悟空のためにどんな花で作ろうか……と、そう考えるだけで胸が弾む。
きっと大喜びで食べてくれるだろう。
そう思うと、花屋へ向かう足が少しずつ速くなる。
自分らしくないと思いつつも、そんな自分がとても幸福に思えて仕方がなかった。

花屋を覗いてみると、季節の花々が置かれている片隅に、エディブルフラワーのコーナーが設けられていた。
八戒がそちらに歩を進めると、女性店員が笑顔で近付いてきた。
「お料理用の花をお探しですか?」
「ええ……でも、思ったよりたくさん種類があるんですね」
「よろしければ、いくつかセレクトしましょうか?」
ざっと見渡して種類の多さに、八戒は素直にその言葉に甘える事にした。
「どのような方にお贈りになられるんでしょうか?」
「そうですね。……1番大切で愛しい人に」
余りにストレートな物言いに、女性店員は一瞬頬を染めて固まってしまったが、すぐに我に返るといくつか花を選りだした。

「大切な方に贈られるんでしたら、こちらのバラとかパンジーはいかがですか?」
「へえ、こういう花も食べられるんですね……」
感心したように八戒が呟くのを聞いて、店員が笑顔のまま視線を八戒に戻す。
「ええ。でも、普通のお花屋さんに売っている観賞用の花は食べられませんから注意して下さいね」
食用の花を扱っている花屋は余りないから、と、店員は念を押すように付け加えた。

そんな店員の説明を聞きながら花を見渡していると、オレンジ色の綺麗な花が目に留まった。
「あの花も食用ですか?」
八戒は、その花を指差しながら尋ねてみた。
「ああ、カレンジュラですね。もちろん食べられますよ。ただ、大切な方にお贈りするなら余りお奨めは出来ませんが……」
「どうしてですか?」
「花言葉が、余り良い意味ではないんですよ。『別離の悲しみ』っていうんです」
そう言いながら店員が指し示した先を見ると、確かにそのオレンジ色の花の傍に小さく花言葉の書かれた札があった。
よく見ると、他の花にもそれぞれ花言葉が書かれている。

端から順に改めて見ていくと、とある1つの花言葉のところで八戒の視線が止まった。
その、たった漢字2文字の花言葉が、八戒の心を捉えた。
それはまさに、八戒のとっての悟空の存在そのものだと思えたからだ。

「……こちらの花を頂けますか」
「サクラソウですね。ありがとうございます」
数輪のサクラソウを包んでもらい、八戒は店を出た。





あれから幾つかの食材を買い足し、八戒は宿へと戻ってきた。
サクラソウはサラダなどに用いると彩りが良くなって綺麗だという店員の勧めもあって、厨房を借りてサラダを作ることにした。
どうやら他にも八戒と同じような宿泊客が結構いるらしく、宿の主人も慣れた様子で快く厨房の片隅を貸してくれた。
厨房の中には数人の客と思しき人達がいたが全員が女性で、男1人の八戒が少々目立ってしまうのは致し方ないところだろう。

周りの女性の好奇の目は気にしないことにして、八戒はサラダ作りに取り掛かる。
とはいえ、元々料理などは慣れているので、さして手間がかかるわけではない。
けれど、普段よりもずっと丁寧に時間をかけて、八戒は調理を進めていく。
悟空のためだけに作る、悟空だけに食べてもらう料理。
それに込めた想いが、悟空に少しでも伝わればいいと思う。
思春期の少女めいた考えだな、と、八戒の顔に僅かに自嘲的な笑みが浮かぶ。
こんな風に誰かを想いながら料理を作るのは、いつ以来だろう。
ふと、八戒の瞼に1人の女性が浮かび、胸にチクリと痛みが走る。

決して彼女への気持ちが褪せたわけではないけれど、『今』を生きる中でたった1人を大切に想うことをどうか許してほしいと思う。
悟空に惹かれた心に正直に生きていくことが、自分の決めた生き方だから。
いつか、同じところに行く日まで、悟空と共に生きていきたいと願う。
八戒はしばし手を止めて目を閉じていたが、ゆっくりと瞼を開くと先程よりも真剣な表情で調理を再開した。





完成したサラダを持って、八戒は悟空の部屋に向かう。
悟空の部屋といっても同室なので、イコール八戒の部屋でもある。
「悟空、いますか?」
扉を開けるとジープと戯れている悟空が振り向き、八戒は安堵する。
先程買い出しの荷物を置きに戻った時は部屋にいなかったため、戻ってきているかどうか心配だったのだ。
「八戒、おかえりー。遅かったじゃん。……あれ? それ何?」
八戒の手の中にある大きめのガラスの器を見止め、悟空が首を傾げる。
その子供っぽい仕草に微笑を浮かべつつ、八戒はテーブルの上に器を乗せる。

「これ……サラダ?」
そう訊いてくる悟空の目は既にサラダに釘付けだ。
顔に「腹減った」と書いてあるのが見える気がする。
「ええ、悟空に食べてもらおうと思って」
「え? 食っていいの!?
パッと顔を上げて嬉しそうな悟空に、八戒は笑顔で促す。
「いいですよ。元々そのために作ってきたんですから」
夕食前という時間であるが、悟空の場合サラダの1皿や2皿食べたところで何の影響が出るわけでもない。

「いっただっきまーす!」
宣言と同時に食べ始めようとした悟空だったが、何かに気付いたように手を止める。
「あれ? これって、花?」
「食べられる花なんですよ。可愛いでしょう?」
「へ〜、そんなのがあるんだ」
驚いたように呟き、悟空は珍しそうな顔でその花びらを他の野菜と一緒に一口食べる。
「あ、美味い!」
「そうですか、良かった。どんどん食べて下さいね」
「おう!」
そう答えると、悟空は更に食べ始めた。

しかし、もっと豪快に食べ出すかと思った八戒の予想を裏切り、悟空は普段からは考えられないほどゆっくりと食べ進めている。
むしろ、一口一口確かめながら食べている風にも見える。
もしかして先程美味しいと言ってくれたのは気を遣ってくれたからで、実は一気に食べられないほど悟空の口に合わなかったのだろうか。
そんな不安が八戒の中で膨らんでいく。

不安が珍しく表情に出ていたのか、悟空が心配そうに八戒を覗き込んだ。
「八戒……どうしたんだよ、すっげえ変な顔になってる」
「え、ああ、いえ…………それ、口に合わないなら、無理に食べなくてもいいですから、気を遣わずに残してくれていいんですよ」
「え? 何で? メチャクチャ美味いよ」
「それならいいんですが…………いつもみたいな勢いがないので、ちょっと心配になって」
八戒の言葉に思い至ったらしい悟空が、慌てたように首を振る。
「そんなんじゃなくて! えっとさ、前にちょっと言われた事があって……」
手を止めて、悟空は僅かに俯く。

「普段の食事の時はいいけど、誰かが俺のために心をこめて作ってくれた料理を掻き込むような真似はしちゃいけないって」
どこか懐かしそうな色を瞳に浮かべ、悟空はゆっくりと話す。
「心のこもった料理は、ちゃんとその人の想いを噛みしめながらゆっくり味わいなさいって言われたんだ。それが、俺にとって大切な人なら尚更……って」
そう言う悟空の頬がほんのりと色づいているように見えた。
「悟空……」
「これ、八戒が俺のために作ってくれたんだと思ったから、大事に食べなきゃって思ったんだ。あ、でも、『俺のために』とかって、俺が勝手にそう思ってるだけだけどさ」
「そんな事、ありません……」
言いながら、八戒は泣きそうな気持ちになっている自分を自覚する。

泣いてしまいたくなるくらい、嬉しかった。
八戒がほぼ自己満足で作ったその料理を、悟空がこんなにも大事に考えてくれている。
ただ、美味しそうに食べてもらえれば幸せだと思っていた自分の願いよりも、遥かに超える幸福感を悟空は与えてくれている。
そしてその幸福感は、更なる愛おしさを生む。
ああ、まさに悟空はサクラソウにもっともふさわしい人だ、と思う。

「……ありがとう、悟空」
「え? 何で八戒がお礼言うんだよ? それって、料理作ってもらった俺のセリフだろ?」
首を傾げながら言う悟空に、八戒は微笑みながら返す。
「いえ、僕は悟空に色々貰いましたから」
幸せを。再び誰かを愛しく想う暖かさを。
まだ分からないといった様子の悟空だが、「そっか」と一言だけ呟いて笑った。



この先きっと、サクラソウの花を見るたびに幸せな気持ちになれるだろう。
願わくは、悟空もそうであってくれたらいいと思う。

そんな想いを込めながら、八戒は優しい色の花びらを祈るような気持ちで見つめた。









END










サクラソウの花言葉 : 希望




後書き。

6周年記念ミニ企画「花にまつわる小さなお話」第2弾。
第2弾は「サクラソウ」。
悟空=「食べる」なところが安直といえば安直ですが、八戒と悟空ならこういうのもアリかなと。
八戒にとっては、悟空はまさしく「希望」なんだろうと思って、この花を選んでみました。
2人でいるとそれこそ背景に花が飛びそうな、このほんわか甘々カップルが大好きです。




2007年5月7日 UP




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