そもそもの原因は、些細な事だったと思う。
夜遅くに街に着き、食事を出来そうな場所が既に酒場くらいしか開いていなかった。
なので、一行は仕方なくそこで遅い食事を摂った。
当然の事ながら、悟空以外のメンバーは酒を飲む。
普段なら無茶な飲み方などしない三蔵が、その日は悟浄に挑発された事もあって許容量以上の酒を飲んでしまったのが間違いだったのだろう。
三蔵の目が据わっている……そう気付いた時には遅かった。
酔って絡んできた酒場の客相手に、銃を出して脅しをかけるだけならともかく、キレて連射してしまったのだ。
それでも、弾を当てずに済ませたのはさすがと言うべきだろうが、それで済むはずもない。
更にはこちらも相当酔っ払っていたらしい悟浄が、胸倉を掴まれた相手に蹴りを入れてしまったものだからどうしようもない。
慌てて八戒と悟空が止めに入ったものの、酒場の中は大乱闘に陥ってしまった。
結果、一行は酒場を追い出されただけならまだしも、その中にこの街唯一の宿屋の主人がいたため、宿泊まで拒否されてしまったのだ。
そして止む無く街を出た4人は、ただでさえ朝晩は冷え込むこの季節に野宿する羽目になった。
いや、それでもそこまでなら悟空や八戒も仕方がないと済ませたかもしれない。
しかし、まだ酔いが冷めていないせいか、三蔵と悟浄が窘めた八戒に開き直るような言動をした事で、ついに悟空がキレてしまった。
「三蔵と悟浄が悪いんだろ!? 八戒に八つ当たりみたいな事言うなよ!
大体、飲む量をセーブ出来ないんなら、最初から飲まなきゃいいんじゃん!」
全くもって正しい悟空の言い分といつにない剣幕に三蔵と悟浄が反論できないでいる間にも、悟空の怒りゲージは上がっていく一方だ。
そしてついには、立ち上がって三蔵と悟浄をビシッと指差しながら高らかに宣言した。
「今日から1週間、酒飲むの禁止!」
抗議しようにもそれを許さないオーラを背後からゴゴゴゴゴ……と音が聞こえそうなほど立ち上らせている悟空を前に、三蔵と悟浄はそれを受諾せざるを得なかった。
そんな経緯で、三蔵と悟浄は只今禁酒真っ最中だ。
とはいえ、三蔵も悟浄も酒は好きであるが、煙草ほど中毒状態なわけでもない。
1週間は少々辛いが、それでもさすがに今回は自分達が悪い自覚があるためか素直に禁酒令に従っていた。
「っつってもよー、やっぱ酒が飲めねえと物足んねえよな」
悟浄が零すと、悟空にジト目で睨まれた。
「……わーってるって、飲みまセン」
ため息を1つついて、悟浄は両手を上げる。
何となく子犬に威嚇されている気分になって、逆らおうという気になれないのだ。
第一、悟空の目を盗んで飲もうなどとしたら、悟空よりもむしろ八戒にどんな目に遭わされるか分かったものではない。
何しろ八戒である。
例え悟浄や三蔵がどんな策を弄そうとも、八戒にかかればあっさり看破されそうだ。
以前の『禁煙令』の時も、隠し持っていた煙草を吸おうと試みたものの、結局八戒に見つかってしまった。
もっともその時は、八戒が自分達を真剣に思ってくれている事が分かって素直に反省したのだが。
しかし今回は、見つかったらただでは済まない気がする。
何か根拠があるわけではないが、それはもう世にも恐ろしい目に遭わされる気が、凄くする。
それは、悟浄の過去の経験が鳴らした警鐘だったのかもしれない。
そんな悟浄の心を読んだのか何なのか、八戒がにっこりと微笑んでのたまった。
「……今回の禁酒令、破ったら来年の禁煙令も1週間に延びると思って下さいね?」
天使のような慈愛の笑顔で悪魔のように残酷なセリフを吐いた八戒に、悟浄だけでなく三蔵もその場に固まった。
冗談だろう、と言いたいところであるが、そのキラキラと輝く笑顔にそんな儚い期待は脆くも崩れ去る。
────八戒なら、本当にやる。
三蔵と悟浄の心の声が、綺麗にハモった。
2人の脳裏に、去年の禁煙令の地獄が走馬灯のように甦る。
1日の禁煙であれだけの苦行だったのである。
それが1週間になんてなった日には、発狂死できそうだ。
三蔵と悟浄は顔を見合わせ、互いにこれ以上ない真剣な瞳で頷いた。
……この1週間、死んでも酒は1滴たりとも飲んではいけない。
三蔵と悟浄──2人の心が1つになった瞬間だった。
そんな2人の決意を嘲笑うかのような出来事が起こったのは、翌日に着いた街で泊まった宿でだった。
大部屋しか空いておらず、4人が1つの部屋に押し込まれただけでも三蔵と悟浄にとっては不満だった。
その上、それに追い討ちをかけるように災いはやってきたのである。
ノックの音に八戒が応対に出ると、宿の主人が人好きのする笑顔で立っていた。
「こちらはこの辺りで1番の地酒なのですが、よろしければ三蔵様と皆様にどうかと思いまして……」
そう言いながら、宿の主人は八戒に酒瓶といくらかのつまみを載せた盆を手渡す。
「よろしいんですか?」
「もちろんです。このような狭い部屋しか空いておらず、窮屈な思いをさせてしまいましたお詫びでございます」
「そんなにお気を遣われなくても……。ですが、折角のご厚意ですから有難く頂きます」
八戒は微笑んで、宿の主人に頭を下げた。
そして、折角貰ったのだから、と八戒はその酒を開け始めた。
もちろん、三蔵と悟浄には「1滴たりとも飲ませませんよv」という極上の笑顔が向けられている。
至極旨そうに飲む八戒を見ているだけ、というのははっきり言って蛇の生殺し状態以外の何物でもない。
何しろ、この辺りで1番の地酒だと言うからには本当に旨いのだろう。
「なあ、八戒。それ、そんなに旨いのか?」
悟空が羨ましそうに尋ねると、八戒は少々機嫌が良さそうに笑った。
「ええ、凄く美味しいですよ。悟空もちょっとだけ飲んでみますか?」
「え、いいの!?」
嬉しそうに身を乗り出す悟空を見て、眉間に皺を数本刻みつつ見ているだけだった三蔵が口を挟んだ。
「おい、八戒。悟空は未成年だ」
「大丈夫ですよ、味見程度なら。悟空、これだけです、守れますよね?」
少しだけ注いだ酒を悟空に見せながら、八戒が確認を取る。
「おう!」
「悟空はいい子ですね。いくら言ってもちっとも守ってくれない誰かさん達とは大違いです」
八戒の言葉から繰り出される無数のトゲが、ザクザクと三蔵と悟浄に刺さっていく。
上機嫌に見えるがそれは悟空に対してだけの事で、三蔵と悟浄に対してはまだ相当根に持っているようだ。
結局、4人部屋であるが故に他の部屋に移動する事も出来ず、三蔵と悟浄は八戒が酒瓶を空にするまでそれを見続ける羽目になったのである。
そして、翌々日に着いた次の街でも、2人にとって試練の場が待っていた。
中央の広場で何やら催しのようなものが開かれているらしく、大勢の人が集まっていた。
「すみません、あちらで何か催しでも?」
八戒が近くにいた街の住民に尋ねると、至極楽しそうな声が返ってきた。
「おお、利き酒大会さ。桃源郷中から集めた極上の酒の数々の銘柄を当てるってヤツでな、優勝者にはその中でも最高級の酒が賞品としてプレゼントされるんだよ」
「へえ、面白そうですね」
「だろ? 誰でも参加できるから、兄ちゃん達も自信があんなら参加してみたらどうだい?」
「そうですね、ありがとうございます」
八戒が笑顔で答えると、住民は豪快に笑って八戒の肩をバンバンと叩いて去っていった。
「……だ、そうですけど。僕も参加してみていいですか?」
振り返りながら、八戒がにこやかに三蔵に許可を取る。
しかし、その笑顔にはどこからどう見ても有無を言わさぬ何かがあった。
「いいですか?」と訊いてはいるが、実質の響きは「いいですよね」である。
いや、むしろ「いいに決まってますよね、もちろん」の方が近いかもしれない。
「……勝手にしろ」
そう呟いた三蔵は最早、諦めの境地に達していた事だろう。
大会の結果は、当然というか八戒の優勝に終わった。
大酒飲みであるだけではなく、さらっと利き酒までこなしてしまうのが八戒の八戒たる所以であろう。
優勝賞品である最高級酒の行方はもう言うまでもない。
悟浄としては、一口だけでも……そう言いたいところであるが、言ったところで無駄である事は分かっている。
ダメ元で、とも考えたが、隣で三蔵が余計な事は言うなと言わんばかりに視線で圧力をかけてきているのでそれも叶わなかった。
まあ実際、禁酒令中にそんな事を口走ろうものなら『反省の意思なし』と取られてどんなペナルティが科せられるか分かったものではない。
八戒に席を外させてこっそり……などと思っても、禁煙令の失敗例を考えるとリスクが余りにも大きすぎる。
嬉しそうに酒を飲む八戒を恨みがましそうに見つめながら、悟浄はつい疑問を零してしまった。
「……何か、仕組んでねえか……?」
悟浄がそう思ったとしても無理からぬ事だろう。
禁酒令が発せられて立て続けにこのような事態が続けば、悟浄でなくとも疑いたくなるだろう。
「嫌だなぁ、悟浄。いくら僕でも、こんな街をあげての催しまで仕組めませんよ」
酒を飲む手を止めぬまま、八戒が笑顔で答える。
確かに、普通に考えるなら無茶だろう。
しかし。
『八戒だから』。
その理由だけで、何もかもが可能になるような気がするのは果たして悟浄の思い込みなのであろうか。
だが、それをバカ正直に口に出そうものなら恐ろしい未来が待ち受けているのは間違いない。
悟浄とて、そのくらいの学習能力はある。
故に、何か釈然としない思いを抱えながらも黙って耐えていたのである。
しかし、その翌日も、翌々日も、やたらと一行の先々には上質の酒の数々が現れた。
それはもう、誰かの策略──誰の、とは最早考えるまでもないのだが──としか思えないほどの連続攻撃である。
その間断なく繰り出される攻撃にグロッキー寸前の悟浄は、思わず叫ぶ。
「ほんっとーに! ほんっとーに、仕組んでねえんだな!?」
「偶然です」
にっこり笑顔でキッパリと言い切られてしまっては、悟浄に言い募れるはずもない。
三蔵はというと、眉間の皺が数本増えている上にこめかみには青筋が立っている。
背後から立ち上っているオーラだけでも、軽く妖怪1ダースは殺れそうである。
今この場に刺客の群れでも現れようものなら、おそらくまともな死に方は出来ないであろう。
「さて、三蔵、悟浄。今日で丁度1週間ですが……ちゃんと反省しましたか?」
八戒の言葉に、悟浄は首がもげそうな勢いでコクコクと頷いた。
「三蔵は? どうですか?」
八戒がそう言って三蔵を見ると、三蔵は明後日の方を向いたまま黙りこくっていた。
心中はどうあれ、あの三蔵が「反省しました」などと言えるはずもない。
「反省の色がないと、禁酒令、解けませんよ?」
その言葉に対しても、三蔵は何も言わない。
悟浄としてはまあ自分の禁酒令はこれで解けるだろうと考えていたため、仕方ねえヤツだ、などと他人事のように思っていたのだが。
「仕方ありませんね。三蔵がそういう態度だと、連帯責任という事で後1週間2人とも頑張ってもらいましょうか」
八戒から発せられたとんでもないセリフに、悟浄は一瞬呆けた顔を見せた後思いきり慌てた。
「ちょ、ちょっと待てよ! 俺は反省してるっつっただろ!?」
「でも三蔵がこうだと、禁酒令、解くわけにいかないでしょう?」
「だったら、三蔵だけ継続すりゃいいじゃねえか!」
「ダメです。元々2人に発した禁酒令ですから、両方反省しないと解けませんよ」
八戒からの非情な通告に、悟浄は僅かな沈黙の後、くる〜りと三蔵の方を向いた。
「……何だ、言っとくが俺は……!?」
言いかけたところで、ズズイと迫ってきた悟浄の据わった目を見て三蔵が身じろいだ。
悟浄はガシッと三蔵の法衣を掴むと、ガクガクとその首を揺さぶる。
「反省したな!? したよな!? したって言えええええええ!」
「……悟浄、壊れた?」
成り行きを見ていた悟空が、ポカンとした顔で呟く。
「思ってたよりも、随分効いてたみたいですねぇ」
のほほんと、まるで他人事のように八戒がその様子を見ている。
そんな呑気な2人を他所に、悟浄の勢いはますます強まる一方である。
「反省だ反省! はーんーせーいーしーたーよーなー!?」
「……あ、ああ……」
顔がくっつきそうなくらいに至近距離で予想外の迫力を受けた三蔵は、思わずそう答えていた。
それを聞いた悟浄は三蔵から手を放し、バッと八戒を振り返った。
「今聞いたよな!? 反省したってよ!」
そんな悟浄には答えず、八戒はポツリと呟いた。
「……三蔵って、案外押しに弱いですよね」
「うん……結構……」
呆然と見ていた悟空が小さな声で同意をしたが、それが耳に届かなかったのは三蔵にとっては幸いだっただろう。
かくして、激闘の末ようやく禁酒令が解かれた。
喜びに打ち震える悟浄に、八戒の爽やかな笑顔が向けられる。
「……次、同じような事をしたら、1ヶ月ですから」
さらりと告げられた宣告に、悟浄と三蔵が石と化したのは無理からぬ事かもしれない。
その後、禁酒令が再び発動されたかどうかは定かではない。
後書き。
「4周年記念ミニ企画」第15弾。