三蔵の目覚めは、すこぶる悪かった。
何故だか分からないが、イヤな感じがする。
時計を見てみると、6時だった。
三蔵は身支度を整え、部屋を出て食堂に向かった。
食堂には八戒が先に来ていてコーヒーを飲んでいる。
いつもの事なので、三蔵もそのまま席についてテーブルの上に置いてある新聞を取る。
すると八戒が三蔵のコーヒーを取ってきて、三蔵の前に差し出す。
「はい、三蔵」
「ああ」
それだけ言って、コーヒーを受け取る。
「そういえば三蔵。この街、寺院がありましたよね?」
「あったな、そういえば」
新聞に目を通しながら、興味なさげに答える。……実際、興味などないのだが。
八戒が少し小声になって、三蔵に囁く。
「実は僕が下に降りてきた時なんですが、その寺院のお坊さんのような方達がこの宿のご主人と話をしてたんですよ」
「……何?」
「ひょっとしたらですね、『三蔵法師』がここにいるって聞きつけて来たのかもしれませんよ?」
三蔵が眉を寄せて、心底イヤそうな、というか面倒くさそうな顔をする。
『三蔵法師』がいるとなれば、また説法してくれだの色々とややこしい事になるのは明白だ。
いっその事、さっさとこの宿をチェックアウトして街から出た方が良いかもしれない。
「でも、それじゃきっと宿のご主人から連絡がいっちゃいますよ?」
「…………まだ何も言ってねえだろ」
いつの間に、テレパス能力まで身に付けてしまったのか。八戒の謎は深まるばかりである。
「そんな事よりもですね、三蔵が『三蔵法師』だと分からなければいいんですよ」
「変装でもしろってのか?」
「まあ、近いですが……ただの変装じゃすぐバレちゃいますよ。
あなたの容姿は、宿のご主人から既に伝えられているでしょうし」
そう言って、八戒は横に置いてある紙袋からゴソゴソと何かを取り出す。
それが三蔵の目の前のテーブルに置かれた瞬間、三蔵のこめかみがひきつる。
「…………何だ、これは」
「服です」
確かに、服である。これを雑巾だとか言う人間及び妖怪がいたらお目にかかってみたい。
しかし、今問題にすべき論点はそこではない。
三蔵の目の前に置かれたその服は…………いわゆる女物なのである。
しかも、淡い若草色の優雅なツーピース。
「……まさか、コレを俺に着ろってんじゃねえだろうな」
三蔵の声がいつもより3度ほど低くなっている。
が、それで今更ビクビクするようなか弱い神経を、八戒が持ち合わせている訳は当然ない。
「え、すごく似合うと思うんですけど。三蔵、線が細いから大丈夫、着れますよv」
「そういう問題じゃねえだろ!」
「これくらいしないとごまかせませんよ、きっと」
三蔵から出ている北極のようなオーラをものともせずに、八戒は更に三蔵を言いくるめにかかる。
「これで街をブラブラしておけばバレませんよ。悟空と悟浄には内緒にしておきますし。
あの人達に捕まっちゃったら、しばらくこの街に足止めされかねませんよ?」
足止め、という言葉に三蔵は思わず反応する。
ただでさえ、余計な面倒事が多くて遅れがちになっている。
出来る事なら足止めされるのは避けたい。
しかし…………女装するなど冗談じゃない。
八戒はもう一息だと、更に言い募る。
「誰も三蔵だって分からないんですから。それに、元々昼にはチェックアウトする事になってますし。
それまでに三蔵が見付からなければ、きっと諦めますよ」
昼までの辛抱だ、と。そこに三蔵の妥協点を見付けさせる。
「昼までの数時間、我慢すればいいんですよ。何日も付き合わされるよりはマシでしょう?」
「…………分かった」
……八戒の弁舌の勝利である。
さすが八戒、人を言いくるめる事にかけては天才的としか言いようがない。
「余計なお世話です。あなたに言われたくありません」
……いい加減、天の声を聞き取るのは止めて欲しい所である。
それはともかく、八戒にうまく言いくるめられた三蔵はとうとう女装という禁断の領域に踏み込んでしまうようだ。
「さ、そうと決まれば早速着替えましょう♪ とりあえず僕の部屋の方がいいですね」
言いながら八戒は先程服を取り出した紙袋を持ち、席を立つ。
三蔵は八戒が妙に嬉しそうなのも気になるが、その紙袋にまだ何か入ってそうなのがもっと気になった。
「……おい、八戒。それ、何が入ってるんだ」
「あ、これですか? 部屋に戻ったらお見せしますよv」
八戒はウキウキ、という擬音でも貼り付きそうな感じで、いや、実際貼り付けながら2階に上がっていく。
三蔵は、今更ながら承諾してしまった事を後悔し始めていた。
八戒の部屋に入ると、三蔵は服を持ってバスルームへと追いやられた。
「なるべく早くお願いしますね。悟空達が起きてきたら困りますから」
確かに、こんな服を着た姿を悟空や悟浄になど死んでも見られたくない。
三蔵は渋々とその服に着替える。
「あ、やっぱり似合いますねぇ。僕の見立て通りですv」
三蔵が着替えて出てきたのを見て、八戒が感嘆の声を漏らす。
いっそ似合ってなければ笑い話にもなるだろうが、ヤバいくらいに似合いすぎている。
悟空や悟浄が見たら、その場に固まって見とれるだろう。
「ちっ……、何で俺がこんな格好を……」
「まあまあ、少しの辛抱ですよ。それじゃ、三蔵。ここに座って下さい」
三蔵は八戒の指差した椅子に座る。
もうちょっと警戒した方がいいと思うのだが、どうも三蔵は妙な所で素直である。
八戒もすぐそばに椅子を引いてきて座り、横のテーブルに紙袋の中身を並べる。
「…………おい、待て」
「え、どうしたんですか、三蔵?」
「……それは何だ」
「見ての通り、お化粧道具ですよ?」
「化粧なんざ出来るか! 女じゃあるまいし!」
「女装にお化粧は必要不可欠ですよ。大丈夫、僕がキレイにお化粧してあげます!」
そんな力いっぱい宣言されても、三蔵としては納得できるはずなどない。
そもそも何故化粧の仕方を知っているのか、と突っ込める人間は生憎作者と読者様だけである。
再び八戒は『三蔵言いくるめモード』に入る。
「三蔵、いくら似合ってても服だけじゃ見る人が見れば男だってバレちゃいます。
その時、変な目で見られるのは三蔵なんですよ?」
更に三蔵に反論する隙を与えず、言葉を続ける。
「お化粧してしまえば、三蔵ほどキレイなら間違いなく十人中十人が女性だと思います。
ファンデーションを塗ればチャクラも隠せますし、バレる事はありませんよ」
三蔵は眉を寄せたまま黙っている。
確かに服まで着てしまった以上、後戻りはちょっと出来ない。
「ちゃんと三蔵だって分からないようにしますから。僕を信じて下さい♪」
……今いち信じる気にはなれないものの、このまま出て男とバレるのも困る。
三蔵はかなり気は進まないが、仕方なく八戒に任せる事にする。
三蔵に承諾させ、八戒は嬉しそうに三蔵に化粧を施していく。
こんな機会など、滅多にない。……というか最初で最後だろう。
こっそり写真にでも収めておこうか、などと三蔵が聞いたら銃弾を撃ち込まれそうな事を考える。
実に手際良く化粧を終えると、八戒は何処からか出した鏡を三蔵の前に掲げる。
「ほら、とびきりの美人に仕上がってるでしょうv」
「………………………………」
三蔵の顔には、もはや諦めの色が濃く滲んできている。
鏡には、とびきりの美人。……三蔵は死んでも認めないだろうが。
確かにこの姿を見て、三蔵と分かる人間も妖怪もまずいないだろう。
恐るべきは、化粧の威力。
女の素顔を見るのが、ちょっと怖くなる瞬間である。
「さあ、それじゃ三蔵。悟空達が起き出してくる前に街に出たほうがいいですよ」
「……ああ…………」
三蔵はもう既に疲れ果てたかのような足取りで部屋を出て行く。
半ばヤケである。
もうどうとでもなれといった心境かもしれない。
三蔵が宿を出たのを確認すると、八戒はジープに話し掛ける。
「ジープ、三蔵の後を追いかけてって下さい。変な輩に絡まれて、騒ぎになるとマズイですから」
「キュ〜!」
「ああ、それとコレを」
八戒はジープの首に極小ビデオカメラ付きの首飾りを付ける。
「折角ですから、ついでに面白いもの録ってきて下さいv
自動制御になってますから、ジープは三蔵の後について飛ぶだけでいいですよ♪」
いつの間に、いや、それより何処でこんな代物を入手したのか。
ジープがパタパタと飛んでいった後、八戒は再び椅子に腰掛ける。
「あー、でも『嘘』だなんてバレたら殺されますねぇ。……バレなきゃいいんですよねv」
そう結論付けて、八戒は化粧道具の後片付けに取り掛かった。
その後の三蔵の機嫌とビデオの行方は、ようとして定かではない。
END
三蔵編後書き。
……とうとう女装させてしまいました。あの三蔵様に。
今までいくつか見た事ありますが、よもや自分が書く事になろうとは……。(他人事みたいに……)
最初はこんなつもりじゃなかったんですが、書いてる内にこんな風になっちゃいました。
でもまあ、悟浄さんよりはまだマシですので許してください、三蔵様。
ビデオの行方はどうなったんでしょうねぇ。……私が見たいくらいですが。
結局、この後嘘はバレなかった模様です。さすが八戒、抜け目ありません。