迷宮



─ 2 ─



部屋の中には、三蔵と悟浄。
あの後、何度言っても、三蔵は八戒の存在すら認識しなかった。
何も見えていないかのように。

真っ青になっている八戒に休むように言って、部屋に戻らせた。
これ以上ここにいたら、八戒の方がどうにかなってしまいかねない。


悟浄が黙ったままその場に立っていると、三蔵がベッドから立ち上がり悟浄の方へ近付いてきた。





「……おい悟空、何突っ立ってんだ」





「なあ、俺、悟空じゃねえだろ……? ちゃんと俺の名前、呼んでくれよ……」
言っても無駄なのは分かっていても、そう言わずにはいられなかった。


「……は? 何言ってやがる。お前の名前は悟空だろう」


「三蔵……。『悟浄』って呼べよ……。なあ、頼むから……。
 エロ河童でも赤ゴキブリでも何でもいいから、『俺』を呼んでくれよ、三蔵……」
自分の声だと信じられないほど、口から出た声は弱々しかった。






「何で知りもしない名前を俺が呼ばなきゃならん」






返ってくる答えは分かっていたけど。
それでも、もしかしたらという微かな期待を持つ事は愚かなのだろうか。


もう、三蔵には、悟浄も八戒も見えてはいない。
見えているのは、聞こえているのは…………悟空だけ。






「おい、悟空……」
三蔵が悟浄に手を伸ばし、頬に触れる。
悟空と悟浄では、身長も体格も余りに違い過ぎる。
しかし、今の三蔵には、そんな事すら認識できていないのだろう。
見上げる視線にも、手を自分の肩より上にあげて触れる事にも、何も気にした様子はなかった。
ただ、向けられる余りに暖かい眼差しに、思わず立ち竦んだ。

こんな瞳など、見た事ない。こんなにも、優しく穏やかな瞳なんて。
これはきっと、かつて悟空に向けられていた眼差し。
悟空と2人きりの時は、いつもこんな瞳を見せていたのだろうか。
訳の分からない熱いものが、胸を灼いた。




「……やめろよ……」
呟いた悟浄を、三蔵は不思議そうに見返している。
あくまで表情は、穏やかなまま。

悟浄は今にも泣きそうな表情で三蔵の肩を両手で掴む。
「……そんな目で見んじゃねえよ! 俺はアイツじゃねえんだよ!
 いつもの不機嫌なツラでいいから、俺を見ろ! 『俺』を見てくれよ、三蔵!!

そんな瞳なんて向けられたくない。
自分を見ていないのなら、その瞳に宿る優しさは凶器だ。
心を深く抉り、その傷に更に刃を突き立てる。



三蔵の手が再び悟浄に伸びる。
今度は手は背中に回り、悟浄を優しく包むように抱きしめた。
そしてポンポンと子供をあやすかのような仕草で背中を叩く。
自分には、絶対に向けられないはずの行為。





どうやっても届かない絶望に、涙すら出てはこなかった。









三蔵は悟浄から少し身体を離し、片方の手で悟浄の腕を持つ。
引っ張られるままに、悟浄はベッドに座らされた。
悟浄の顔を両手で捉えた三蔵は、そのまま唇を重ねる。
口内に侵入し、深く絡み合う舌が熱くて……冷たかった。



三蔵に触れたいと思った事は何度もあった。
キスをして、抱きしめて、出来るなら全てを自分のものにしてしまいたい、と。
三蔵は悟空しか見ていなかったから、無理に奪う事はしなかったけれど。

それでも。

こんな風に触れるくらいなら、前の方が遥かにいい。
届かなくても、少なくとも三蔵は『悟浄』を見てくれていたのだから。






その状態のまま、ベッドに押し倒される。
三蔵の手が悟浄の服にかかり、服の中に滑り込む。

「お、おい、三蔵……!」
「うるせえ……。黙ってろ」
三蔵はそのまま首筋に唇を辿らせ始める。



はっきりいって、男に抱かれるなんて冗談じゃない。
例え、相手が三蔵だとしても。いや、三蔵だからこそ。
三蔵を抱きたいと思った事は何度もあるが、抱かれたいなどと思った事は一度もない。
ましてや、悟空の代わりに抱かれるなんて惨めすぎるではないか。



なのに。



どうしても三蔵の手を振り払えない。
本気で抵抗すれば逃げられるのは明らかなのに、それが出来ない。


もしも、この手を振り払ったなら。
三蔵は、二度と戻っては来ない。……そんな気がした。




三蔵によってもたらされる熱さ。
身体の熱とは裏腹に、心は何処か────冷えていた。



















ベッドの上に横たわりながら、悟浄は隣で眠る三蔵に視線を向ける。



情事の最中、三蔵はずっと『悟空』と呼び続けた。
悟浄を抱きながら、悟空を求め続けた。



三蔵の髪を梳きながら、悟浄はポツリと呟いた。
「なあ、三蔵……。お前にとって悟空は、こんな風に壊れちまうほど重要なモンだったのか……?
 もうお前には、アイツ以外は要らないのかよ……?」
八戒も……悟浄も。



「何で死んじまうんだよ、あのバカ猿…………」
いっそ、代わりに自分が死んでいた方がずっとマシだ。
こんな三蔵を見るくらいなら。




三蔵の意識の中から、もう既に悟浄も八戒も消去されてしまっているのだろう。
いや、悟浄達だけじゃない。悟空を除く、全てのものが消えてしまっている。


悟空が……三蔵を、三蔵の心を連れて逝ってしまった。
自分達から。悟空以外の全てから。




いっそ、自分も狂ってしまえたなら。
この痛みから逃れ、楽になれるのだろうか。








「三蔵……。お前が幻の中に生きる事を望むのなら、俺が幻になってやるから……。
 傷が癒えるまで、一生癒えねえなら一生、おまえの傍にいるから……」









だから─────1人でいくな。









俺が、一緒に堕ちてやる。
地獄でも、果てない奈落の底でも。



どこまででも、一緒にいってやるから────。









END












後書き。

悟浄……三蔵……つらい思いさせてごめんよぉぉぉ……。
結局三蔵様は『こちら』には戻って来れませんでした。
この先、三蔵が戻って来れるかどうかは……悟浄次第でしょうか。
三蔵が悟浄に悟空の幻を見たのは、おそらく言葉遣い諸々が悟空に似ていたせいではないかと。
八戒の口調では無理がありますので。
ヤバ系の描写はほぼ完璧に省略してますが、これは今回特に必要ないと思いまして……。
っていうより、受ける悟浄は私には書けません、すみません。
壊れ三蔵様を書きたかったんですが、悟浄主役になってしまいました。
三蔵様……影薄い……。 あんまり壊せませんでした……精進します。



2001年5月24日UP




短編 TOP

SILENT EDEN TOP