「三蔵さんの方を見張ります」
そのの返事に、八戒は少し意外そうな顔をした。
にとって、1番話しづらいのが三蔵なのだから当然だろう。
「いいんですか? 大変だと思いますよ?」
「大丈夫です。最近は慣れてきましたから」
そう言って笑うを見て安心したのか、八戒も表情を和らげる。
「なら、三蔵の方はに任せますね。手段は問いませんから、頑張って下さいね」
「はい! どんな事をしてでも吸わせません!」
この少々物騒な会話を三蔵本人が聞いていたら、如何に三蔵とはいえ冷たい汗を流していた事だろう。
八戒の期待を受け、は三蔵の部屋の前に立つ。
いつもなら気後れしてしまうのだが、今日のには使命がある。
は身体の前で一度両手をぐっと握ると、三蔵の部屋のドアをノックした。
「……何だ」
いつもよりも更に不機嫌そうな声が、部屋の中からかけられる。
「私です。です。入っても良いですか?」
そう声を掛けたものの、三蔵の返事はない。
が八戒に言われて三蔵を見張りに来た事に勘付いたのかもしれない。
しかし、返事がないからといって、ここに突っ立っているわけにもいかない。
「……入りますよ?」
言いつつ、はそぉっとドアを開けた。
三蔵は部屋の中で椅子に座って新聞を読んでいた。
が部屋に入ると新聞を下ろし、に視線をやる。
目が合っただけで、三蔵の不機嫌具合が分かる。
今までに、こんなに険のこもった眼差しで見られた事はなかったからだ。
「……何の用だ」
おそらくは察しがついているだろう理由を、三蔵は敢えて尋ねる。
「えっと……ちょっとお話がしたいなぁって思ったんですけど……」
「ふん、嘘をつけ。八戒に言われて俺を見張りにでも来たんだろうが」
「あ、やっぱりバレてたんですね……」
さっきよりも更に、三蔵の表情が険しくなる。
「くだらねえな、さっさと出てけ」
テーブルに幾分大袈裟な音を立てながら新聞を置き、三蔵はを睨みつける。
だが、も「はい、そうですか」と引くわけにもいかない。
「ダメです。私、任されてるんですから。それに……」
「何だ」
「それに、私も思ってたんです。本当に、このままじゃ身体壊しちゃいますよ……」
「……お前には関係ねえだろ」
その言葉が、ほんの少しの胸に刺さる。
だが、表面上はそうは見えないように表情を作り、は言い募る。
「関係なくはないですよ。私だって、少なくとも今は一緒に旅をしてるんですから。心配くらいしてもいいでしょう?」
「……ち、勝手にしろ」
三蔵は言いながら立ち上がり、の横を通り過ぎようとした。
それを防ぐようにドアの前に立ちながら、は尋ねる。
「何処行くんですか?」
「何処でもいいだろ。そこをどけ」
「分かりました。それじゃあ私も行きます」
「来なくていい」
「連れてってくれるって言うまでどきません」
「ふざけんな、どけ」
「一緒に行っていいですか?」
「断る」
「じゃあイヤです」
「てめえ……」
「睨んでもダメです。私にも意地がありますから」
手を握りしめて、三蔵の目を見据えながらはその場に踏み止まる。
正直なところ、は少し怖かった。
三蔵に対して、ここまで強気な態度を取った事は今までない。
手をあげる事は決してないけれど、それでも三蔵の視線に射竦められると逃げたくなる事がある。
でも、さっき自身が言ったように、もはや意地である。
見張りを引き受けた以上、何が何でも三蔵についていなければならない。
だから、決して引くわけにいかなかった。
しばらくそのまま視線の戦いは続いたが、先に折れたのは……三蔵だった。
「……来たいなら勝手に来ればいい。だから、そこを通せ」
三蔵は、諦めたように小さくため息をついた。
許可を得た事に、の顔が明るくなる。
それを見て、さっきまでの苛ついた気分が少しだけ緩まり三蔵は内心で苦笑した。
感情のままに分かりやすく変化する表情が、拾った小猿のようで。
が部屋を出たのに続いて、三蔵も外に出る。
三蔵の次の行動が気になるのだろう、三蔵をじっと見つめているを一瞥して三蔵は外に出るべく宿の玄関に向かった。
街を、中心地とは反対の方向に向かって三蔵は歩いていく。
がくっついてきている以上、煙草の調達は出来そうにない。
それなら人込みに出て更に気分を悪くするよりも、街外れの人の少ない場所で落ち着いた方がいい。
三蔵の少し後を、軽い足音を響かせてがついてきている。
微妙に距離を空けているのは、なりに気を遣っているのかもしれない。
自分のペースで歩く三蔵に遅れないために、少々早足気味になりながら、それでも懸命についてきている。
そんなの様子を見ていると、三蔵も余りキツい態度を取り続ける事が出来なくなる。
煙草を吸えないため気分が良くないのは確かだが、仮にも女であるに八つ当たりというのはみっともない。
三蔵は静かに、だが深く息を吸って少しでも気分を落ち着けようとする。
そして、意識的にさっきより歩くペースを落とした。
しばらく歩くと、小さな公園に出た。
中心地から随分と離れたせいか、殆ど人の気配がしない。
公園と言っても、何か子供の遊び場があるわけでもない。
緑に囲まれた中に、幾つかの小さなベンチがあるだけの場所である。
時間を潰すには、三蔵にとっては絶好の場所だ。
人もいない、静かで涼しげな風の吹く緑の公園。
三蔵は手近にあるベンチに向かい、そこに座った。
もそのベンチのところまで来たため、てっきり座るのかと思ったら、いつまででも立ったままだ。
少しだけに視線をやると、何か迷っているようにも見える。
「……何してやがる」
「え、あ……。いえ、このベンチ狭いし……」
確かにこのベンチは小さく、ぎゅうぎゅうに詰めても3人は無理とも思えるくらいのものである。
ここに座れば、三蔵との距離はほんの10cmほどしか空かないだろう。
「……そんなにイヤなら、他のベンチに座ればいいだろ。見える範囲にあるだろうが」
思ったよりも不機嫌な声が出てしまったらしく、が慌てたように身を乗り出した。
「違います! 私がイヤなわけじゃなくてっ!」
そのの余りの剣幕に、三蔵は驚いたように目を開いた。
それで我に返ったらしいは、すぐに身を引いて謝る。
「あ、すみません。大声出しちゃって。……イヤなわけじゃなくて、私はいいんですけど、三蔵さんがイヤかなって思って……」
「イヤなら最初からてめえが座るスペースなんて空けねえよ」
わざわざ端に座って場所を空けてやってるというのに何を言っているのかと、三蔵は少し呆れてしまった。
その三蔵の言葉を聞いて安心したのか、はゆっくりとそのベンチに座る。
「それじゃあ……お邪魔します」
「ベンチに座るのに邪魔するも何もあるか、バカが」
「あははっ、それもそうですね」
見張り役のために三蔵の部屋を訪れてから初めて笑ったに、三蔵も多少気分が穏やかになる。
作り笑顔はしょっちゅう見るが、気を遣いすぎる余りに本心からの笑顔はなかなか見れない。
それが時たま三蔵を苛立たせる原因にもなるし、がそれを見せた時には苛立ちを和らげる要素にもなる。
隣で嬉しそうに笑っているに、三蔵はため息をつく。
「いつまで笑ってやがんだ。何がそんなに嬉しい」
「いえ、『隣に座るな』とか言われたらショックだなーって思ってたから、場所を空けてもらえた事が嬉しいんです」
「食堂とかでも、たまに座ってるだろうが」
「食堂の時は、こんなに近くないじゃないですか」
「近いのが嬉しいのか?」
「はい」
「お前の考えてる事はワケが分からんな」
「いいんですよ、分からなくて。オンナゴコロは男には分からないって決まってるんですー」
にこにこと笑いながら言うに、三蔵は再びため息をついて諦めたように前を向いた。
「あ! そうだ!」
静かな空気の中、急に手を叩いたに、三蔵は弾かれたようにを見た。
「いきなり大きな声を出すな!」
「……あ。すみません」
口を抑えて謝ると、はポケットから何かを取り出して三蔵に差し出した。
「はい、三蔵さん。これ」
「……? 何だ?」
「飴ですよ。ちょっとは口寂しさが紛れるかなって思いまして」
「……まあ、何もないよりはマシか」
三蔵はの手の上に乗っている3個の飴玉を受け取る。
おそらくこれも、この街に着いた時に禁煙令用にが買っておいたのだろう。
少しでも、三蔵や悟浄の気が紛れるように……と。
そういえば、去年は八戒が寝酒にとブランデーを買ってきたりしていた。
「……ったく、どいつもこいつも……」
「え? 何ですか?」
「何でもねえよ」
そう言うと、三蔵は飴の包み紙を剥がし、1つ口に放り込む。
「……甘え……」
「ああ、今食べたの、ストロベリーキャンディですから。……甘いの、お嫌いでした?」
「いや……」
「そうですか? 良かった! 他にもまだありますから、なくなったら言って下さいね」
「……ああ」
三蔵が答えると、は嬉しそうに再びポケットから取り出した飴を眺め始めた。
あれから何個かの飴が消費され、陽も少しずつではあるが傾いてきている。
その間、は何を話すわけでもない、ただ横に座っているだけだ。
普段は口数の多い方であるが黙って座っているのは、三蔵の気分を乱さないためだろう。
気を紛らわすのに話がしたければ、三蔵の方から何か言うだろうと。
だから、それまでは黙って静かにしていようと思ったのだろう。
そんな風にただ座っているだけなのだが、不思議と気分は落ち着いた。
禁煙による苛立ちが、思うよりもずっと三蔵を支配しない。
それはさっきからの飴の効果なのか、それとも、隣でボゥッと前を見つめているのせいなのか。
それは分からないが、少なくともこの場所、この空気が悪くないと思えた。
本格的に空が赤くなってきたのを見て、三蔵はベンチから立ち上がった。
「……そろそろ戻るぞ、」
の方を見て、三蔵はが立ち上がるのを待つ。
すぐにも立ち上がったのを確認すると、三蔵は宿の方向へ歩き出した。
「見張り、必要なかったかもしれませんね」
宿に戻るべく歩きながらはそっと呟く。
「……さあな」
三蔵はそうとだけ答え、一旦立ち止まってを振り返った。
「? どうしたんですか?」
「飴、まだ持ってんだろ。なくなる前に寄越しとけ」
は少し驚いたような顔をしたあと、嬉しそうに笑って飴を三蔵に渡した。
ちょっと静かに2人っきりの時間・三蔵編でした。
2人で座る狭いベンチはお約束。 ……の割に近い距離が活かせなかったのは残念。
折角あの三蔵様がスペース空けて待っててくれたのに! 惜しい!(←何が)
今回三蔵様に関しては、主人公に対して最初はキツく、徐々に柔らかく、としてみたのですが……。
読んで下さってる方に、ちょびっとでも悶えて(笑)頂けたら嬉しいです。