珍しく静かな宿の一室で、三蔵はベッドに座り愛用の銃の点検をしていた。
すると、控えめなノックの音と共に聞き慣れた声が掛けられる。
「三蔵、ちょっといいですか?」
「入れ」
三蔵が許可を出すと、静かに扉が開かれ八戒が入ってくる。
「ちょっと行路の確認をと思いまして」
そう言うと、八戒はテーブルの上に地図を広げた。
ひと通り、行路の確認を済ませた後も八戒は三蔵の部屋を去らなかった。
「何だ、まだ何かあるのか」
「ええ。の事なんですけど」
「がどうかしたのか?」
「いえ、そういう事ではないんです。ただ、三蔵にお訊きしたい事がありまして」
「何だ」
「……貴方がの同行を許した、本当の理由は何ですか?」
突然の質問に、三蔵は少し常にない反応をしてしまった。
八戒の事だから気付いているかもしれないとは思ったが、こうも直球に訊いてくるとは思わなかった。
「なら訊くが、お前は何故の同行を提案した?」
返ってくる答えが分かっていて、三蔵は八戒に逆に問いかけた。
「それは……女性が徒歩でその目的の街に行くのは、余りにも無謀だと思った事が1つ。
もう1つは、彼女の強さなら僕らの旅に混じっても大丈夫だと判断したから。
最後は、彼女自身があの宝玉のせいで妖怪達から狙われていたからです」
そう、初めて会った時、はたくさんの妖怪達を自分の力で始末していた。
あれだけの力があるなら、例え自分達への刺客相手でも戦えるのは間違いない。
それが、紅孩児一行レベルの相手ではない限り。
そして自身も妖怪から命を狙われていた。
自分達の旅に同行しても、1人で旅をしていたとしても、妖怪に狙われる事に変わりはないのだ。
だから『危険な旅だから』という理由は、今回に限っては意味を持たなかった。
「そこまで分かってんなら、今更訊く必要もねえだろうが」
「三蔵は、他にも何か考えてるでしょう?」
「……何かとは何だ」
「それを伺ってるんですよ」
珍しくしつこい八戒に、三蔵はため息をつく。
納得がいく説明を貰えるまで、どうやら引き下がる気はないようだ。
「……俺も、確証があるわけじゃねえ」
「構いません」
三蔵は少し考え、そして話し始める。
「の持つ宝玉、その噂を俺も聞いた事がある。
あの宝玉はそれ自体が膨大なエネルギーを持ち、所有者に様々なものをもたらすと言われている」
「『様々なもの』って何です?」
「一説には不老不死だったり、また巨万の富だったり……どれも『噂』の域を越えねえものばかりだ。
信憑性でいうなら、例の『三蔵法師を喰うと不老不死になる』とかいう伝承程度だろう」
「要するに、眉唾という事ですね」
「まあな。だが、実際にあの宝玉が強い力を持っていることは確かだ。
それは、実際に目にしたお前にも分かるだろうが」
「ええ。確かに、相当強い力を感じましたが……」
「……そんな強力なエネルギー体を、あの連中が放っておくと思うか?」
「『あの連中』って、牛魔王サイドの事ですか?」
「そうだ」
「……まさかとは思いますが、の孤児院を襲った妖怪というのは……」
「可能性は十分にある。ただ、実際にその可能性を強く感じたのはの話を聞いてからだがな」
旅を始めてまもなくの頃に聞いた、あの話。
の強さについて、悟空が感心したようにと話していた。
その時が話したところでは、その寺院には宝玉目当ての盗賊が人間、妖怪問わず多かったらしい。
達の住む孤児院は、寺院からそう遠くない場所にある。
そのため、その盗賊と万が一出くわしたりした時のために、自分を守れるだけの力が必要だった。
つまり、自分自身の命を守るために強くならざるを得ない状況だったのだ。
それでも、宝玉を納めている寺院だけあって、盗賊が出ても自衛は出来ていたのだそうだ。
あの夜盗の妖怪の群れがやって来るまでは。
それまでの盗賊共とは、まるでレベルが違っていた。
統率の取れた動き、その強さも、ケタ違いだったのだという……。
その話を聞いたとき、三蔵はある事を思い出していた。
──10年前の悪夢の事を。
あの夜現れた妖怪の夜盗共の強さも、相当なものだった。
そして、夜盗の群れにしては統率された組織行動を取っていた。
光明三蔵法師も、そして幼かったとはいえ自分も、まるで歯が立たなかった。
のいた街の寺院を襲った夜盗が、同じ組織の連中だとしたら……?
そう思い、宝玉を最初に見た時に感じた疑念が強まったのだ。
「……だとすると、僕らの刺客とを狙う妖怪達は元は同じという事になりますね」
「あくまで可能性だがな。まあ、アイツと会った時に俺達が殺った妖怪どもはただのチンピラもどきだったようだが」
「そういうワケだったんですか……」
「どちらにしても、こちらで宝玉を確保しておいた方が確実だからな」
そう言って、三蔵は椅子の背に凭れる。
1人では宝玉を守りきれるとは限らない。
例え牛魔王サイドでなかったとしても、宝玉を奪われれば厄介な事になるだろう。
そして、の気性からして、宝玉を奪われるという事は……の死を意味する。
近頃ようやく本心から笑うようになった少女の死は、余り考えたくない。
共に旅をしていれば、刺客との戦闘時もフォローはきく。
いくらが強いといっても、1人では限界があるのだから。
「分かりました。それじゃ、僕は部屋に戻りますね」
そう言うと、八戒は地図を畳んで立ち上がり、出て行ってしまった。
ただ、出ていく前に少し笑ったように見えたのが気に障ったが、三蔵は1度舌打ちすると銃の点検に戻った。
八戒は三蔵の部屋の扉を閉める。
結局、三蔵もが心配だから同行させているのだろう。
それをわざわざ宝玉『だけ』が理由みたいに言うのが、如何にも三蔵らしいと思う。
クスリと笑い、自分の部屋に戻ろうと身体の向きを変えた。
その時、4つ向こうの扉が静かに、しかし少し急いだ様子で閉められたのが目に入った。
「あの部屋は……」
八戒は自分の部屋を通り過ぎると、その問題の部屋に向かった。
はテーブルの上に2つ紅茶の乗ったトレイをおくと、ボスンと音を立ててうつ伏せにベッドに身を投げ出した。
「……宝玉……」
肌身離さず身に付けている宝玉を眺め、はポツリと呟く。
は紅茶を淹れて、4人それぞれの部屋に持っていった。
悟空と、珍しく悟浄も部屋にいてそれぞれ紅茶を置いてきた。
八戒は部屋にいなかったので仕方なく三蔵の部屋に先に行こうと部屋の前まで行った時、三蔵と八戒の話し声が聞こえてきた。
最初はノックをして入ろうと思ったのだが、自分の名前が出てきてしまって入るに入れなくなったのだ。
ノックをするタイミングを計っているうちに、2人の会話を盗み聞きするような感じになってしまった。
『こちらで宝玉を確保しておいた方が確実だからな』
この言葉を聞いた時、何故だかとても悲しかった。
の同行を許したのは、単に宝玉を守るため。
むしろ、それは当然の事だと思う。
彼らにとっては、はいてもいなくても変わらないイレギュラーの存在。
なのに、しばらく旅を共にして、すっかり親しくなった気になって、『仲間』になれた気がして。
思い上がっていたのかもしれない。そう思うと、自分が情けなくて、惨めな気持ちになった。
「……バカみたい……。結局私って、宝玉にくっついてるオマケなんだよね……」
もしも宝玉を持っていなかったら。
そしたら、彼らはに見向きもしなかっただろう。
妖怪から襲われて、それを助けてくれても、それでサヨナラだったに違いない。
彼らにとって重要だったのはではなくて『宝玉を持っている』人間。
孤児院が襲われてからずっと1人で旅をしていて、それが当たり前で。
でも彼らと出会って、その暖かさにいつしか慣れていった。
慣れてしまったからこそ、それが否定されるのが辛かった。
「お前なんていらないんだ」と。
……まるで、を捨てた両親のように……。
コンコン。
突然響いた音に、の意識が急速に現実に引き戻される。
ドアに目を遣ると同時に、外から声が掛けられた。
「。僕です。入ってもいいですか?」
その声に、はさっきの会話を思い出して、ビクリと身体が震えた。
「……?」
返事がない事に不審を感じたのか、八戒が再びの名前を呼ぶ。
は呼吸を整え、気分を落ち着かせると、起き上がってドアを開けた。
「すみません、突然。ちょっとお話があるんですが……」
「……はい」
は八戒を部屋に招き入れ、椅子をすすめようとした。
だが、テーブルの上に紅茶の乗ったトレイが置きっぱなしになっている事に気付き、少し慌てる。
移動させようとトレイを持とうとした時に、後ろから八戒の声が掛かった。
「……さっきは、それを僕達に持ってきて下さるつもりだったんですね」
その言葉に、は勢い良く振り向いた。
「僕と三蔵が話してる時、部屋の前にいませんでしたか?」
「……ごめんなさい」
わざとではないものの、盗み聞きをしてしまった事をは素直に謝った。
そんな風に俯いてしまったを見て、今度は八戒が些か慌てた風になる。
「あ、いえ、別に責めてるわけじゃないんですよ。不可抗力な事は分かってますし。ただ……」
「ただ……?」
「……ただ、貴女が誤解して……いえ、貴女を傷付けてしまったんじゃないかと思ったんですよ」
その言葉にが顔を上げると、八戒の悲しそうな表情が目に入った。
「確かに、『貴女と共に旅をする理由』、それに宝玉が含まれている事は本当です。
でも、決してそれだけではないんですよ」
は黙ったまま、じっと八戒の話を聞いていた。
「宝玉を持っていたとして、それがでなかったとしたら同行を申し出たかどうか分かりませんし、
三蔵も許可を出さなかったかもしれません。
いえ、その時点では同行を決めていても、すぐに止めていたかもしれない。
僕達は、好意も持っていない人と一緒に旅ができるほど我慢強くないんです」
八戒の表情は真剣そのものだ。それだけでも、これが本心であると分かる。
「僕達は、『宝玉の所有者』ではなく、『』と旅をしているんです。それだけ……分かって下さい」
それを聞くと、は俯いてしまった。
自分が今、どんなに泣きそうな顔をしているかが分かるから。
「……?」
が俯いてしまった事に心配になったのか、八戒が少し覗き込むような仕草を見せる。
そんな八戒を安心させようと、は1つ静かに深呼吸をすると顔を上げて笑った。
「……ありがとうございます、八戒さん」
「いえ、僕はむしろ謝らなきゃいけませんね。に嫌な思いをさせてしまって……」
「そんな事ないです! 私が勝手に思い込んだだけですから……」
首をぶんぶんと思い切り横に振るを見て八戒は笑うと、トレイの上の紅茶を手に取った。
「これ……僕達のために淹れてくれたんですよね? 頂いて良いですか?」
「え……でも、それ……もう大分冷めちゃってますよ?」
「構いませんよ。が淹れてくれたものなんですから」
八戒はすっかり冷めてぬるくなった紅茶を口に運ぶ。
「……美味しいですよ。相変わらずの紅茶は絶品ですね」
そう言って笑う八戒が、は嬉しかった。
「おかわり、淹れてきましょうか? 今度は熱いのを」
は笑顔でカップが1つ残っているトレイを持ち上げる。
「是非お願いします。……出来れば、三蔵にも」
「……三蔵さん?」
「ええ。三蔵もね、貴女を結構気に入ってるんですよ。ああいう性格なので、口には出しませんけど」
「そ、そうなんですか?」
4人の中で1番突き放したイメージのある三蔵が自分を気に入っているなどとは、到底信じられない。
「意外ですか? 無理ないですけどね。でも、三蔵の気の短さはも知ってるでしょう?
が気に入らなければ、さっさと置いていっちゃってますよ」
それは、確かにそうかもしれない。
どう見ても、気に入らない人間と旅を出来るほど人間関係に器用なようには見えない。
もし八戒の言う通りなら……ちょっとは自信を持ってもいいのだろうか。
自分は、旅を続ける彼らの中に居場所を確保しているのだと。
そのの思いを読み取ったかのように、八戒は話し出す。
「僕らは4人とも、宝玉のあるなしに関わりなく、にいて欲しいと思っています。
が同行するようになって結構経ちますが、その間にそれだけの存在にはなってるんですよ」
「……はい」
1つ頷くと、はパッと顔を上げて微笑むとドアの方に歩いていく。
「最高に美味しいのを2つ淹れてきますから!」
「ええ、待ってますよ」
八戒の笑顔に見送られて、は部屋を出た。
確かな暖かさが胸に満たされるのを感じながら。
色々な設定がこっそり出てきました。牛魔王サイドとの関連とか。主人公の過去(?)とか。
今回のお相手は八戒さんでしたね。何て美味しいところを持っていくんだ、八戒!
主人公、ようやく彼らの輪の中に自分もいるんだという自信がちょっとついたようです。
今まで、考えないようにしつつも、ずっと不安だったんでしょうね。
あの4人相手なら、それも当たり前かもしれないんですけど……。
悟空と悟浄がカケラも出てきてなくて、2人のファンの方には申し訳ないです。
三蔵様は出てきたものの、主人公との絡みはないですし……。
まあ、このお話は八戒さんファンの方々へvという事で(笑)
その内、三蔵様、悟空、悟浄さんそれぞれメインの絡みも書きたいとは思ってます。(←いつの話だ)