カーテン越しに差し込んでくる光に、意識が浮上する。
見慣れない天井。旅を始めた頃は、これを見るたびにあの凄惨な光景を思い出し、身体が震えた。
しかし、三蔵達と行動を共にするようになってしばらく経った今、それも少なくなった。
彼らの賑やかさ、さりげない優しさに、何処か安心感を覚える自分がいる。
1人じゃないという事の心強さを、彼らに会っては思い出した。
はベッドから降りて窓に歩み寄り、カーテンをシャッと開ける。
眩しい陽光に、思わず目を細める。
直視できないほどの眩しさ。それにも、いずれは慣れてくる。
眩しさが翳るのではなく、自分自身の変化によって。
変化を受け入れるのは時間が掛かってもいい。少しずつ、それで十分なのだろう。
「……良い天気……」
窓を開けると、冷たい空気が部屋に流れ込んでくる。
冬特有の澄んだ空気を胸一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐く。
そうした後覗いた鏡には、もういつも通りの自分の顔が映っていた。
身支度を済ませて食堂へと降りると、席に座ってコーヒーを飲んでいた八戒が立ち上がった。
「おはようございます、」
「おはようございます」
が答えると、八戒はニッコリと微笑んで、にコーヒーを淹れてくれた。
「ありがとうございます。すみません、淹れてもらっちゃって……」
「いいんですよ。というよりも、習慣になっちゃってるんです」
笑いながら、八戒は再び席についた。
「八戒さん、随分早いんですね。まだ6時過ぎなのに」
「いつもこのくらいになると目が覚めるんですよ。悟浄には年寄りくさいとか言われますけどね」
「あはは、それなら私も同じですよね」
コーヒーを口に運びながら、テーブルを挟んで談笑する。
にとっては、八戒が一番話しやすかった。
どんな話題でもさっと答えてくれるし、それに、一番自然に会話が出来るのだ。
この頃になって八戒のに対する呼び方も、『さん付け』から『呼び捨て』に変わっていた。
呼び捨てにする前に了承を取られたが、その辺りが何となく八戒らしい。
も呼び捨てで呼んでいいとは言われているものの、どうしても出来ないでいる。
呼ばれるのは別に構わないのだが、自分でそう呼ぶとなると躊躇してしまうのだ。
まして、悟空を除いた3人はより年上なのだから尚更だ。
「ああ、悟浄曰く、もう1人の『年寄りくさい』人物が起きてきましたね」
そう言った八戒の視線の先を追うと、食堂に入ってきたのは、が最も話しづらい人物。
「……おはようございます、三蔵さん」
ペコリと頭を下げつつ挨拶をする。
「……ああ」
一言だけの返事。一言でもまともな返事が返ってきただけマシなのだろう。
実際、悟浄や悟空が「おはよう」などと言っても、いつも「うるせえ」くらいしか言わないのだから。
三蔵が席につくと、八戒が何時の間に淹れてきたのか、コーヒーをテーブルに置く。
そして三蔵も、それが当たり前であるかのようにコーヒーを飲み始める。
今でこそ慣れてしまったが、最初の頃は思わず『長年連れ添った夫婦みたい』などと思ってしまった。
さすがに口に出す事はしなかったが、つい笑いが零れてしまい、三蔵に睨まれた事があった。
思い出すと何となく面白いのだが、今日は顔に出す事はしない。
だって、そのくらいの学習能力はある。
新聞を読み耽っている三蔵を少し気にしつつも、八戒ととりとめのない事を話していると、
食堂の外から2人分の騒がしい声が聞こえてきた。
声量はだんだん増していき、バタン!と勢いよくドアが開かれる。
「腹減った〜!! メシ〜!!」
「ったく、んなに騒ぐなっつーの! メシは逃げねえだろうが!」
「逃げたらどうすんだよっ。ご飯なくなったら大変じゃんか!」
「っつーか、てめえが食うからすっからかんになんだよ!」
達のいるテーブルに近付きながら、悟空と悟浄はいつもの如くケンカをしている。
そろっ……と三蔵の方を振り向くと、案の定、新聞を持つ手が震えている。
その震えの意味するものは明白だ。は三蔵から少し距離を開けて避難した。
そして、三蔵の手の届く距離に悟空と悟浄が来た瞬間。
スパスパ──────ン!!という、いつ聞いても気持ちの良い打撃音を響かせ、
電光石火のようなハリセン攻撃が悟空と悟浄に炸裂した。
「「いってぇぇぇぇぇ!!」」
悟空と悟浄の声がハモる。
「毎朝毎朝くだらねえ事で騒いでんじゃねえ! 本当に殺すぞ!」
言い捨てると、三蔵は再び自分の席についた。
何度見ても飽きない楽しい光景である。
「さ、じゃあ朝食にしましょうかv」
まるで何事もなかったかのように、八戒はにこやかに全員を促す。
「そうですね、私、注文してきます」
同じく何事もなかったかのように言って、は席を立とうとした。
「……八戒ももよぉ……『大丈夫ですか?』くらい言えよ……」
憮然と席につく悟浄のセリフに、と八戒は顔を見合わせる。
「「大丈夫ですか?」」
今度はと八戒の声がハモった。
「……やっぱ、言わなくていいわ……」
脱力した悟浄が、首を落としてため息をつく。
その様子が可愛らしくて、はクスクスと笑いながら、注文のために席を立った。
朝食を食べ終わり、一息ついたところで八戒がお茶を飲みつつ三蔵に尋ねる。
「三蔵、もう一日この街で一泊したいんですが良いですか?」
「……どういう事だ」
八戒の質問に、三蔵は眉を顰めて視線を八戒に向ける。
当然だろう。旅行なワケではないのだ。
三蔵達もも、先を急ぐ旅なのである。
も八戒が突然延泊を申し出た事に、少し驚いていた。
「いえね、今日、何の日かご存知ですか?」
「知るか」
即答した三蔵の言葉に、八戒は苦笑する。
も、今日は何の日だっただろうと考える。
いや、それ以前に今日は何日だっただろう。
旅を続けていると、日付が判らなくなる事がままある。
毎日日付を確認する事もないし、しても仕方ないからだ。
?マークが顔に出ていたのだろう。隣に座っている悟浄がに顔を近づけてきた。
「何、ひょっとしても判らなかったりするわけ?」
「……何の日なんですか?」
「おいおい、マジかよ……。ってそういうの興味ねえの?」
『そういうの』と言われても、どういうのか判らないのだから答えようがない。
「今日って……クリスマスだろ?」
今まで会話に参加せず、デザートを食べまくっていた悟空があっさりと答える。
それを聞いて、は小さく「ああ……」と呟いた。
今日は25日だったのか、と今更ながらに思い出す。
今まであまり縁がなかった日だけに、気にしていなかったのだ。
三蔵もようやく思い至ったという顔をしていたが、それでも腑に落ちないらしい。
「で、クリスマスと延泊と、どういう関係があるんだ」
どうやらそう返される事は予想通りだったらしく、八戒は笑いながら答える。
「折角クリスマスに街に泊まれるんですから、ちょっとしたパーティーでもどうかな〜と思いましてv」
「パーティー!? いいじゃん、やろやろ!」
八戒のセリフに即座に反応したのは悟空だった。
「俺も別にいいぜ。野郎ばっかだったらお断りだけどな」
悟浄はちらりとを見て、珍しくも悟空に同意する。
「くだらねえ。クリスマスなんざ俺には関係ねえ。そもそも俺は仏教徒だぞ」
「そういうのは、ちゃあんと仏様を信じて尊んでるヤツが言うもんなんじゃねえのぉ?」
「ふん、そもそもキリストとやらの誕生日を、何故俺が祝わなきゃならん」
「……興味ない割に詳しいですね、三蔵」
「それぐらいの事は知識として知っている。バカにしてんのか、てめえは」
「してませんって。それに、キリストの誕生日を祝うためにクリスマスパーティーをするのはクリスチャンの方だけでしょう。
大抵の方は、楽しい雰囲気を味わうためにパーティーをするんですよ」
「必要ねえ」
三蔵はいともあっさりと言い捨てる。まあ、三蔵からしてみれば当然なのかもしれない。
やり取りをじっと黙ってみていただが、おずおずと三蔵に話し掛ける。
「あの……私もクリスマスパーティー、やってみたいんですけど……」
「何?」
三蔵のキツい視線がに向けられる。
この頃は慣れてきたので、も必要以上にビクビクしなくなったが。
「私、今までクリスマスに何かした事なくって、それで、どんな感じなのかなーって」
「今まで一度も……ですか?」
に反応を返したのは、三蔵ではなく八戒だった。
「はい」
が育ったのは、寺院が運営していた孤児院だ。
当然、異教徒の神の生誕祭など教えられもしなかった。
が『クリスマス』を知ったのも、たまたまその時期に街に遊びにいったからだ。
だが、当たり前だがその孤児院でそういったパーティーなど許されるはずもなく、単にそういう日があると知っているだけだったのだ。
だから、言われるまでクリスマスの事など全く思い出しもしなかった。
「……ダメですか?」
恐る恐る三蔵に尋ねてみる。
「……ち、勝手にしろ」
三蔵はため息を一つついて、煙草に火を点けた。
「ありがとうございます、三蔵さん!」
まさか承諾がもらえるとは思っていなかったので、つい声が大きくなってしまった。
「大声で言わなくても聞こえる。耳元で高い声を出すな」
「あ、すみません」
思わず口元を押さえるものの、無駄である。
三蔵の顔を見てみると、口で言うよりも怒ってはいないようなので少し安心する。
「じゃ、決定だな。ははっ、三蔵サマったらフェミニストv」
楽しそうにからかう悟浄に、迷いなく三蔵が連続発砲する。
「だああ! 当たる、っつーか死ぬー!」
「遠慮はいらん、死ね」
「クリスマスが命日は嫌過ぎだろ!?」
「知った事か」
「三蔵、その辺にしてあげて下さいね。パーティーの準備をする人がいなくなってしまいます」
八戒が無限に続きそうな銃撃を、やんわりと止める。
悟浄が小さな声で「止める理由がそれってのもどうよ……」などと呟いているのは、黙殺状態である。
パーティーの買い出しと準備を終え、5人はささやかなパーティーを始めた。
ささやかと言っても、悟空がいる以上、料理の量は膨大である。
「いやあ、でも今回はがいてくれて助かりましたよ。
僕1人で作るとなると、いくら何でも相当な時間がかかっちゃいますからね」
「でも、殆ど八戒さんが作ったじゃないですか。すごく料理上手なんですね」
「慣れれば、これくらいは作れますよ。の料理の方が、凝ってて綺麗ですよ」
「味が追いついてればいいんですけど」
「なあこれ、が作ったんだろ? すっげえ美味え!」
と八戒の会話を聞いていたのか、悟空が目の前の料理をパクつきながらに言う。
悟空はいつでも本当に美味しそうに食べてくれる。
その悟空の様子を見ていると、どんなにたくさんの量でも作ってあげたくなるから不思議である。
「ありがとうございます、悟空さん。いっぱい食べて下さいね」
「うん! も食べようぜ」
「そうですね」
小皿を取って、主に八戒の作った料理を取り分けて食事を始める。
ふと気付き、は皿をテーブルにおいてビールの瓶を取る。
「三蔵さん、注ぎましょうか」
三蔵の持っているグラスが空になっているのを見て、はビール瓶を掲げる。
「ああ」
すんなりとグラスを差し出した三蔵が、ちょっと意外だと感じた。
てっきり「いらん」とか言って、自分で注ぐかと思っていたのだ。
ビールを注いでテーブルに瓶を置くと、三蔵がその瓶を取った。
「、お前は酒は飲めねえのか?」
「私、ですか? 飲めますけど……」
「なら、グラス取ってこい」
「? はい」
言われるままにはグラスを取ってくる。
「……グラスをこっちに出せ」
「……あの、ひょっとして注いで下さるんですか?」
「それ以外にどう見える。さっさと出さねえと、気が変わるぞ」
「え、あ! はい!」
は慌ててグラスを三蔵の方へと差し出す。
三蔵が、のグラスにビールを注いでくれている。
こんな事は滅多にない事なのだろうと思い、少し嬉しくなる。
もしかしたら、さっきから結構飲んでいるので三蔵も少々酔っているのかもしれない。
少し離れたところでは、八戒と悟浄が顔を見合わせ、悟空がポカンと見ている。
「おいおいおい、三蔵サマが他人に酒注いでるぜ?」
「明日……雪でも降ったら出発出来ませんねぇ……」
「雪で済むかなぁ……?」
「潔癖なふりして、実は女に一番弱いんじゃねえの?」
「免疫が無い、という点では間違いではないかもしれませんが」
「え、三蔵って免疫無いの?」
「そーそー。お揃いで良かったな、悟空」
好き放題な事を話している3人を、三蔵がジロリと睨む。
「死ぬか? お前ら……」
「いっやで〜す」
「僕も今死ぬのは困りますねえ」
「俺ももっと美味いもん食いたいし」
「……殺す」
三蔵は瓶を置き、代わりにS&Wを手に持って構える。
ガウンガウンガウン!!
「どわあああ! またかよ!? ってーよりも、何で俺だけ!?」
「貴様が一番狙いやすいからだ」
「理由になってねーだろ!」
「うるさい! つべこべ言わずに死ね!」
更に、三蔵は悟浄に向けて引き金を引きまくる。
「……また宿のご主人に謝らなくちゃいけませんねぇ」
「弾痕、すごい数ですね。……私にも原因ありますし、私が謝ってきましょうか?」
「が気にする事ないですよ。さ、あの2人は放っておいて、僕達も飲んで食べましょう♪」
「放っといていいんですか?」
「ええ。今言っても止まりませんしね。後で、自分達でご主人に謝罪してもらいましょう」
そう言う八戒の笑顔が何処となく怖いのは気のせいだろうか。
三蔵と悟浄の未来に不安を感じていた時、トントンと指で叩かれて振り向くと、悟空が立っていた。
「なあ! これ、もう1個しかないから半分こして食べねえ?」
あの悟空が食べ物を誰かと分ける、という事に少し驚く。
「半分、頂いていいんですか?」
「いいに決まってんじゃん。はい、お皿出して」
屈託のない笑顔に、も無意識に表情が綻ぶ。
「ありがとうございます」
そう言ってが笑うと、悟空も嬉しそうに笑う。
「あ、俺、その顔好きだなー」
「え?」
言われた意味が一瞬判らず、聞き返す。
「んー、さ、いつも笑ってるけど、何て言うか、ホントには笑ってない気がしたんだ。
でも、今、なんかすっげえ綺麗な顔で笑ったからさ。俺、嬉しくって」
その言葉に、は思わず目を見開く。
まさか、悟空に見抜かれているとは思っていなかったのだ。
ポーカーフェイスとしての笑顔を。あの時以来、本当の意味では笑っていなかった自分を。
「……? どうかした?」
固まってしまったを見て、悟空が心配そうに声を掛ける。
「あ……いえ、何でもないです」
「俺……なんか、の嫌な事、言っちゃった……?」
悟空の表情がみるみる曇っていくのを見て、は慌てた。
「そんな事ないです。ちょっとびっくりしただけで……」
「そっか。それならいいんだけど……」
「……さ、悟空さん。料理が冷めちゃいますよ?」
「あ、そうだ! メシメシ!」
悟空はテーブルの上の料理に意識を向け、再びすごい勢いで食べ始めた。
「……鋭いでしょう? 悟空って」
八戒がの隣に立ち、そっと笑いかける。
「悟空は純粋で、だからこそ、人の本質が見えるんですよ」
悟空を見つめながら、八戒は言葉を続ける。
「悟空が貴方に懐いている。その事だけで、僕は貴方を信用できるんです」
「……八戒さんも、悟空さんに救われてるんですか?」
「ええ、僕だけじゃありません。多分、三蔵も、悟浄も……」
その八戒の言葉は、にも素直に信じられた。
悟空なら、きっとどんな痛みを持った人の心でも、知らず知らずの内に癒してしまうのだろう、と。
は、今更ながらに、彼らと共に旅が出来る事を感謝した。
きっとこれから、この4人と旅をしていく過程で、は色んなものを得るだろう。
失った痛みを克服する事はまだ出来ないけれど、今はそれでもいい。
いつかは、この痛みを越えられる気がした。彼らと共にいれば。
にとって、初めてと言える『クリスマス』。
これから何回クリスマスを迎えても、今年のクリスマスはにとって特別なものとして残る、そんな気がした。
こちらは久々の更新でございます(汗)
前までの設定もろもろ忘れられた方も多いのではないかと……。
八戒さんが呼び捨てになった辺り、ちょっとは親しくなっている模様。
それでも今回はクリスマスという事で、それぞれ色々絡ませてみたのですが……。(←これで?)
一番私の願望が入ってるのは、『三蔵様にお酌をする。そしてお酌してもらう』です(笑)
悟浄との絡みが一番少なかったですね。悟空は最後の方で美味しい所を持っていきましたし。
今度書くときは、悟浄さんともっと会話をさせねば……。