ホトトギス



近頃、勘太郎の様子がおかしい。
普段はどこに行くにも強引に春華を連れ歩くというのに、ここ最近は1人で出かける事が多くなった。
妖怪退治の仕事というわけでもなさそうだが、原稿の執筆が嫌で逃げ出した風でもない。
ヨーコにそれとなく尋ねてみたが、ヨーコも心当たりは全くないらしい。
勘太郎に直接問いかけてみても、いつもの笑顔ではぐらかされるだけだ。
なおも突っ込んで問い詰めればいいのかもしれないが、余りムキになると勘太郎が喜びそうでそれも癪だ。

勘太郎が1人で行動するという事は、自動的に春華も単独行動が出来るという事だ。
過剰に干渉されないという点においては、春華としてはむしろ歓迎すべき事と言えるかもしれない。
何しろ普段の勘太郎ときたら、春華が出掛けようとしただけで、何処に行くのだのボクも一緒に行くだのと煩くて仕方がない。
そして、ほぼ強制的に勘太郎が付いてくる羽目になる。
それを思えば、1人で好きなだけ動ける今の状況は絶好の機会なのだろう。

なのに、こんなにもイライラする自分に更に苛つく。
春華には明らかに過干渉であるのに、自分には干渉させない勘太郎が気に食わない。
何処に行っているのか、何をしていたのか。
春華の事はしつこいくらいに訊いてくるのに、春華がそれを訊いても本当の事は言わない。
のらりくらりと質問をかわして、うやむやにしてしまう。

相手の行動が気になるのが自分だけだと思っているのか、と内心で毒づき、春華はハッとしたように首を振る。
違う、別に気になっているわけじゃない。
ただ、勘太郎が春華に求める事を勘太郎自身が実行しない事に腹が立つだけだ。
理不尽な要求をされれば、誰だって面白くないに決まっている。

春華は少々荒々しい動作で座ると、手近にあった硝子細工を1つ手に取った。
光に翳すようにして、硝子細工を覗き込む。
この、キラキラと光を反射する硝子が、春華は好きだった。
綺麗なものは、心の中も洗い流してくれるような気分になる。





そんな風にして、ようやく春華も落ち着いてきた丁度その時。
穏やかな気分をぶち壊すような駆け足の足音が、襖の向こうの廊下から響いてきた。
その足音の主など、考えるまでもなく1人しかいない。
春華は小さくため息をつくと、手の中の硝子細工を元の場所にコトリと置いた。

それとほぼ同時に、春華の部屋の襖が勢い良く開かれる。
「春華!」
予想通りの人物の登場に、春華はわざと眉を顰めて不機嫌そうな表情を作る。
「……うるせえぞ、勘太郎」
そう言うと、勘太郎は拗ねたように頬を膨らます。
「もう、春華ってば。『おかえり、勘太郎』くらい言えないの!?
「『ただいま』も言わないお前が言うな。大体、どこ行ってたんだ?」
「……気になる?」
嬉しそうに尋ねる勘太郎に、春華は「別に」とだけ答える。
いつもこうだ、と思う。
勘太郎はいつも、こんな風に春華の問いを別の問いで切り返して肝心の事は何も答えない。
ここで「気になる」と言えば、あるいは答えが返ってくるのかもしれないが、春華にはそれが言えない。
勘太郎がそんな春華の性質を見透かしている事が分かるから、余計に苛立ちが増す。

そんな春華の内心の動きが分かったのか、勘太郎が僅かに困ったような笑みを浮かべた。
「ねえ、春華。ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ」
「……面倒くせえ」
あっさり言う事を聞くのが癪で、春華は勘太郎と視線を合わせないままそれだけを告げる。
「そんな事言わないで。春華と2人で行きたいんだよ」
その声色が妙に真剣味を帯びている事に気が付き、春華は勘太郎の方に振り向く。

勘太郎の瞳が、ジッと春華だけを真っ直ぐに見つめている。
それは何かを訴えかけているようで、春華はほんの少し身じろぐ。
しかしそれもほんの一瞬の事で、勘太郎はにっこりと笑うと、春華の腕を取った。
「ね? 行こう、春華」
春華は何かを言おうと口を開いたが、それは言葉になる前に消えてしまった。
その代わりに、「しょうがねえな」とだけ呟いて、仕方なさそうな素振りで立ち上がった。





勘太郎の言うままに黒翼を羽ばたかせ、着いた先は小さな山の中腹。
野草が一面に生い茂るその一角に、春華と勘太郎は降り立った。
こんなところに一体何の用があるのか見当もつかず、春華は訝しげに勘太郎を見やる。
当の勘太郎は、目の前の野草を見つめて満足そうだ。

「ほら、春華。この花。これを春華と一緒に見たかったんだよ」
勘太郎の言葉に促されるように、春華は勘太郎が指差す先を見る。
しかし、春華の目にはどこにでもある普通の花にしか見えない。
「この花が、どうかしたのか?」
そんな春華の問いには答えず、勘太郎は視線をたくさんの花に固定したまま笑う。
「この花ねえ、『ホトトギス』って言うんだよ」
「ホトトギス? 花の名前が、ホトトギスなのか?」
「そう、ほら、花びらに斑点があるでしょ? これを似たような斑点が、鳥のホトトギスにもあるんだよ。だから、『ホトトギス』って名付けられたんだって」
そう説明する勘太郎は、まだ春華の方を振り返らない。
「あまり見た目は鮮やかな花じゃないけど、ボクは、この花が好きなんだ」
そう話したところで、不意に勘太郎が春華に視線を向けた。



「この花は、ボクにとっての春華だから」



勘太郎の言った意味が分からなくて、春華はどう反応すべきか迷ってしまった。
春華の戸惑いも予想していたらしく、勘太郎は微笑を浮かべると、その花の前でしゃがみ込んだ。



「それにね、春華にとってのボクも、この花なんだ」



「……どういう意味なんだ」
話に全くついていけない。
いつもの事とはいえ、春華を置いてけぼりで勘太郎1人で納得されると面白くない。
「分からない?」
勘太郎はしゃがんだまま、春華の方に振り仰ぐ。
「分かるわけねえだろ」
言い捨てると、勘太郎は小さく笑って立ち上がった。

「うん、そうだね。でも、分からなくてもいいんだ」
ただ……と、勘太郎は再び花に視線を落とす。
「……ただ、この花をボクと一緒に見た事を、春華が覚えていてくれたらいいんだよ」
まるで忘れ形見にとでも言いそうなその言葉に、春華は言い返す事が出来なくなってしまった。



いつかは、訪れる別れ。
妖怪と人間の、どうしようもない寿命の差。
それを今更ながらに突き付けられた気がして、春華は両手をキツく握り締める。

普段は何を言っても堪えないくらい図太い神経をしているくせに、時折こんな風に繊細な脆さを見せる勘太郎が気に入らない。
けれど、1番気に入らないのは、そんな事くらいで胸に痛みを感じる自分自身の弱さだ。
聞き流す事も出来ない。反論する事も出来ない。ただ……痛い。

いっそ勘太郎が自らの思いを全て曝け出してくれたら、少しはこの痛みもマシになるのだろうか。
それとも、却って痛みは増していくのだろうか。
春華にはそれすらも分からず、その事が尚更痛みを煽る。





「……帰ろうか、春華」
振り返って静かに微笑む勘太郎に、春華は黙ったまま承諾する事しか出来なかった。

黒翼を羽ばたかせる寸前、春華の視線が最後にもう一度ホトトギスに向けられる。
何の変哲もない野草。
忘れてしまえばいい。特別な事など、あるはずもない。





「……忘れないでね、春華。 ボクと、この花の事を」





空に舞い上がる刹那、背中で呟いた勘太郎の声は…………聞こえなかったフリをした。









END










ホトトギスの花言葉 : 永遠にあなたのもの




後書き。

6周年記念ミニ企画「花にまつわる小さなお話」第3弾。
第3弾は「ホトトギス」です。
本当は秋の花なので季節外れも甚だしいのですが、その辺は気にしないで下さい。
勘太郎……しおらしいように見えて、実は凄く自信満々な事を言っているような。




2007年5月22日 UP




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