恋愛温度


「春華、今だ!」
その声と同時に、雷が轟音を上げて落ちる。
ようやくやまびこ親子が片付いて、春華は深く息を吐いた。

全くこの親子はしつこくて仕方がない。
だが、親はともかく娘の方は邪気がない事もあってそうそう手荒な真似が出来ない。
だからこそ、余計に始末が悪いとも言えるのだが。

勘太郎の用が済んだら二度とこの山へは来るものかと考えた時、やまびこ親子を説得していた勘太郎がこちらを向いた。
「何か可哀想になってきた……。春華、結婚してあげなよ」
おそらく何気なく言っただろう勘太郎の言葉に、春華は一瞬凍りついた。
咄嗟に取り繕いはしたが、若干声が上ずっていたかもしれない。

やまびこに初めて会った時の「婚約者」発言といい、わざと言っているのかと思うくらい勘太郎はこの手の発言に躊躇いがない。
勘太郎の知らない春華の過去には敏感に反応したり、普段からどこに行くにも春華を連れ歩いてくっついて離れないくせに。
あんな笑顔で「好きだよ」などと言ったくせに。
なのに、平然と他の女に言い寄ったり春華に他人を勧めたりする。
まるで、春華を翻弄して遊んでいるのではないかとすら思う。

「……春華? どうしたの?」
河童の住み処とやらに向かう途中の道で、勘太郎が立ち止まって春華の顔を覗き込んでいる。
「何か、機嫌悪いみたいだから。そんなに疲れたの?」
のほほんとした顔で訊く勘太郎にお前のせいだと言ってやりたくて、しかしその衝動をかろうじて抑える。
「別に。さっさと行かねえと、先越されても知らねえぞ」
勘太郎の目を見ないままそう答えると、勘太郎は春華の内心など全く気付いていないように慌てて早足で歩き出した。
「そうだよ! 万が一蓮見に先越されたりしたら、どんな嫌味言われるか分かったもんじゃない!」
駆け足気味に先を行く勘太郎を見て、春華は僅かに目を伏せた。

もう既に今の勘太郎の頭の中は、河童の杓子と蓮見という男の事だけだろう。
春華に執着しているような顔をして、本当は春華に関心などないのではないかと時々思う。
いや、そうじゃない。
関心はあっても、それはあくまで鬼喰い天狗への憧れでしか有り得ないのではないか。
「好きだ」という言葉も、春華が思うような意味はないのかもしれない。
だとしたら、今の自分は余りにも滑稽だ。
春華は、無意識に自嘲の笑みを浮かべる。
一体いつから、自分はこんなに女々しくなったのだろうか。

「はーるかー! 何してるのー!」
掛けられた声に我に返ると、離れた場所から勘太郎が春華を呼んでいた。
考え込んでいる間に歩みが随分遅くなっていたらしい。
春華は軽く首を振ると、大股気味に勘太郎の元へと急いだ。




結局河童の杓子は勘太郎の手に渡り、蓮見との勝負は勘太郎が勝利した。
ロザリーという娘とエドワーズとかいうエクソシストの事は気になるが、今の段階ではまだ何も分からない状態だ。
ただ、ロザリーはともかくエドワーズという男に対しては、春華は得体の知れない危機感を感じていた。
あの笑顔はあの男の本当の顔ではないと、理屈ではなく本能で感じる。
いつか勘太郎にとって危険な存在になるかもしれない。
もっとも無害な人間を演じている以上、今すぐ排除してしまうわけにもいかないのも現実だ。
とにかく注意を払い、勘太郎に危害を加えようとする様子を決して見逃さないようにしなければならない。

そこまで考えて、春華は小さくため息をついた。
いつの間にか、思考が勘太郎中心になっている自分に気がついたからだ。
どうあがいても、勘太郎は春華を逃がしてはくれない。
傍にいればもちろん、そうでなくても、春華の思考を占領する。
逆に、勘太郎の思考を春華が占領する事などあるのだろうか。
とても、そうは思えなかった。
ウンザリするほどまとわりついてくる割に、勘太郎はあっさりと他の者に意識を向けるから。
むしろ傍にいる時ですら、笑顔の下では別の事に思考を巡らせている気すらする。

表面上の温度差と、内心の温度差は、きっと真逆なのだろうと思う。
第三者から見れば、勘太郎が一方的に春華を慕っているように見えるかもしれない。
しかし、内に秘めた感情の激しさは……きっと逆だ。
勘太郎を手に入れてしまいたくて仕方がない自分がいる。
春華だけを見て、春華だけを想う勘太郎が欲しい。
だが、そんな事を口に出せるはずもなく、表面を取り繕う事ばかりに慣れてしまっていた。



パタパタと足音が聞こえ、春華は窓の外を見ていた視線を襖に向ける。
春華の部屋の前で止まった足音に、春華の予想通りの声が続いた。
「春華、入るよ」
返事を待たずに入ってきたのは、案の定勘太郎だった。
「何だよ」
先程まで考えていた人物を前にして、春華は微かな動揺を隠そうと固い声になる。
突き放したような響きを含んでしまった声に、勘太郎の眉が寄せられる。
何となく居心地の悪い気分を感じて、春華は勘太郎から目を逸らした。

「……春華。ボク、何かしたかな?」
僅かな沈黙の後に、勘太郎が春華に歩み寄りながら問いかける。
「何の事だ」
振り向きもせずにそっけなく答える間に、勘太郎は春華のすぐ傍まで近づいてきた。
「大豊山に行ってから、少し様子が変だから。あの山に強引に連れてったのを怒ってるの?」
勘太郎のその予測は、正解ではないが全くの外れでもない。
あの山に行かなければ、あんな不愉快な発言は聞かずに済んだのかもしれない。
だが、本質的なところを分かっていない勘太郎に腹が立ち、春華はつい勘太郎を睨みつけてしまった。

その視線を受けて、勘太郎は困ったような顔になる。
「何も、そんなに怒らなくてもいいじゃないか。父親を倒すのに協力したんだし」
「……違う」
「春華?」
首を傾げる勘太郎に、どうして分からないんだと苛立ちはどんどん増してくる。
口を開けば怒鳴ってしまいそうで、春華はきつく唇を結んだ。

部屋の隅の置時計の針と、窓の外をそよぐ風が木の葉を揺らす音だけが部屋に満ちる。
そうしてどれだけ時間が経った頃だろうか。
勘太郎が俯きがちに、小さく口を開いた。
「春華は、いつも何も言わないね」
苦笑じみた笑みを浮かべて、勘太郎が呟く。
「ボクは、いつでも春華が好きだって言ってるのに」
その表情が、泣き笑いのように見えたのは気のせいなのか。
「結局、ボクの独り善がりなのかな?」
それまで俯いていた顔が不意に上げられ、春華の視線と重なった。




「ねえ、春華。ボクの事好き?」




真正面から見据えられて問われた言葉に、春華は一瞬息を止めた。
春華を真っ直ぐに見つめるその瞳から、視線を逸らす事が出来ない。
迷いながら口を開きかけるが、言葉が出て来ずにまた閉じてしまった。

黙り込んでいる春華を見て、勘太郎が困ったような笑みを見せる。
「ボクは、春華が好きだよ。春華が1番、好きだよ」
どう返せばいいのか分からなくて、春華はただ自分を見つめる勘太郎を見返す。
「春華がボクを好きじゃなくても、ボクは春華が好きだよ」
寂しそうな色を混ぜた表情が、勘太郎に浮かぶ。

勘太郎が1歩踏み出し、春華の両腕を捕らえて額を春華の胸に預ける。
「春華……ボクを好きになってよ。今すぐじゃなくてもいいから」
勘太郎が春華の腕を掴む力が僅かに強まったのが分かる。
「いくら時間がかかってもいい。ボクはずっとキミの傍にいるから」
そう言って顔を上げた勘太郎は、春華を見て眩しそうに笑う。
「ボクの春華。…………好きだよ」
春華を見上げる勘太郎の顔が近付き、柔らかいものが唇に触れた。

掠める程度に触れた唇が離れると同時に、春華は勘太郎を思わず抱きしめていた。
互いの身体に少しの隙間も許したくなくて、両腕にきつく力を込める。
春華よりも小さく細い身体。
それを離したくないという想いだけが、春華の中に満ちている。
どうすれば叶うのかも分からぬまま、春華はただ勘太郎を抱きしめるしか出来ない。

「春華、痛いよ……」
勘太郎の声に春華は我に返り、腕を緩めた。
力の加減をする事すら忘れてしまうほど囚われている自分を、自覚させられる。
「……悪い」
呟きながら、勘太郎の肩に手を置いてその身体を押し戻す。
「いいよ。嬉しかったから」
本当に嬉しそうに笑う勘太郎をまともに見ていられなくて、春華はつい顔を逸らした。

勘太郎の様子を横目で窺うと、勘太郎は窓の外の夕焼けを眩しそうに見ていた。
「ああ、もうこんな時間だね。そろそろ行かないと、ヨーコちゃんに怒られちゃうかな」
本当は晩ご飯の支度がもうすぐ出来るから春華を呼んでくるように言われたんだ、と勘太郎は悪戯っぽく肩を竦めた。

踵を返して部屋を出た勘太郎は、春華を振り返る。
そして襖に手を掛けながら、にっこりと春華に笑いかける。
「ねえ春華。ボク達は、『両想い』ってヤツなんだよね?」
笑顔でそう告げて、勘太郎はそのままスッと襖を閉じて行ってしまった。
呆然とそれを見送った春華は、やがて小さく笑い出す。




全く敵わない、と思う。
いつだって勘太郎は、春華の予想の遥か上を行く。
だからこそ、見ていて飽きないし、こんなにも掴まえたいと思うのだろう。


「……いつまでも、優位でいられると思うなよ?」
その内、立場を逆転させてやるからな。

見えない背中に呟くと、春華は勘太郎の後を追って部屋を出た。








END






後書き。

「4周年記念ミニ企画」第9弾。
お題は「ねえ、春華。ボクの事好き?」。
「甘々」との指定を頂いておりましたが、あ、甘くなってますかね?
ちょっと前半がシリアス調でいっちゃったので、終盤は頑張ってみたつもりなんですが!
しかし、結局のところ勘太郎の手の平の上……みたいな感じがするのは気のせいか(笑)
リクエスト下さった方に、少しでも気に入って頂ければ嬉しいです。



2005年8月5日 UP




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