水遊び


陽射しが凶悪なまでの熱で道行く人の肌を灼く、そんな真夏のある日。
勘太郎は居間のちゃぶ台に突っ伏していた。

「う〜……暑い〜……。暑い暑い暑い暑い!」
まるでそれ以外の単語を知らないかのように、ひたすら「暑い」と繰り返す。
そんな勘太郎の様子に、同じ部屋で壁にもたれていた春華はため息を吐いた。
「夏が暑いのは当たり前だろ……」
「当たり前でも暑いものは暑いの! 大体、春華は暑くないの!?
「暑い」
「じゃあどうしてそんなに悠々としてるのさ!?
「騒いだからって別に涼しくなるわけでもないだろ」
「そりゃそうだけどさぁ……」
春華としては当たり前の事を言っているつもりなのだが、勘太郎はその答えに不満のようだ。

「……じゃあ春華、なんとかして涼しくしてよ」
「なんとかって何だよ」
「んー、妖力とかで」
「できるか!」
勘太郎の無茶苦茶な要求に、春華は即座に突っ込む。
それでもなお、勘太郎は何やらごねている。
全くタチの悪いヤツだ、と春華は聞こえないフリをしながら視線を外に向ける。


外は、気温の上昇が目で見て分かるほどにその暑さを主張している。
室内ならまだマシだとはいえ、それでも相当に暑い事には変わりない。
多少風が入ってきたところで、生温かい風では涼しいという感覚には程遠い。
勘太郎がだれている気持ちも分かるのだが、春華としてはいちいち騒ぐ事すら面倒くさい。
そんな事で体力を使っても、余計に暑くなるのが関の山だ。
それなら、動きを必要最小限に抑えてじっとしている方がいくらかマシだ。



そんなわけで春華はごねている勘太郎を放っておいたのだが、ふっと頭上に影が差したのを感じて振り返る。
すると、そこには勘太郎が腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「もう! 何でそう、春華ってばボクの話を聞かないのさ!?
「聞いてる」
「……へー、そう。じゃあ、今ボクが訊いた事に答えてよ」
そう返されて、春華は言葉に詰まってしまった。
何しろ聞いていたというよりは、聞き流していただけのため、勘太郎が話していた内容などロクに理解していなかったのだ。

春華が答えに窮したのを見て、やっぱりといったように勘太郎は詰め寄る。
「ほらほらほら、答えてよ、春華。聞いてたんでしょ?」
答えられない事を分かっていて詰め寄る勘太郎を、春華は軽く睨む。
だが、勘太郎がそんな事で怯むはずもなく、今度は選択肢を挙げた。
「それじゃあ、『はい』か『いいえ』で答えてよ」
そう言われて、春華は少し考え込む。
迂闊に答えると、何か面倒な事になりそうな気がするのだ。
だが、元々の質問内容が分からない以上、考えても正解が分かるわけもない。
かといって、答えなければ今日1日中延々と絡まれ続けそうだ。

「……『いいえ』」
とりあえず拒否の意志を示しておこうと、春華は答える。
だがその直後、勘太郎のしてやったりとでも言いたげな笑顔に、春華は自分の選択を後悔した。
「そっかー、『いいえ』なんだ。良かったぁー、『はい』って答えられたらどうしようかと思っちゃった」
そう言って笑うと、勘太郎は身体を曲げて、座っている春華の手を取った。
「それじゃ、行こっか」
「は?」
「だって『いいえ』なんでしょ? だから、行こうって」
「何でそうなる……」
「さっきボクは『暑いから近くの川に一緒に遊びに行こうよ。それとも春華、そういうの嫌?』って訊いたんだよ。
 で、春華の答えは『いいえ』だったでしょ? だから、一緒に行くんだよ」
どうやら勘太郎の思惑にのせられてしまったらしいと、春華はがっくりと項垂れた。
勘太郎はそんな春華の様子を気にせずに手を引っ張り上げて立たせ、そのまま玄関に向けて歩き出した。




強烈な陽射しの中を、勘太郎は春華の手を引きながら歩く。
「おい、勘太郎。いい加減手ぇ離せ」
「ヤだよ。だって、離したら帰っちゃうでしょ?」
「……帰らねえよ」
「ホントに?」
「ああ」
面倒くさいので帰りたいのはやまやまだが、ここで勘太郎を放って帰れば後で散々嫌味攻撃に晒されるのは目に見えている。
とりあえず諦めて付き合うとしても、この『手を繋いで歩く』という恥ずかしい状況からは逃れたい。
付き合う意志を見せれば手くらいは離すだろうと踏んでいた春華だが、その予想はあっさり裏切られた。
「でもダメ」
あくまで手を離さないどころか、勘太郎はますます手を握る力を強くする。
「帰らねえって言ってんだろ」
「うん、分かってるよ。でも、ボクが春華と手を繋ぎたいんだ」
勘太郎が振り返って笑う。
その笑顔が本当に嬉しそうで、春華は振り払おうとしていた手を止めた。

「……暑苦しいだけだろ」
「いいじゃない。川に着いたら涼しくなるよ」
随分上機嫌らしい勘太郎の様子に、春華は諦めたように手の力を抜いた。
春華がその気になれば、こんな手くらい簡単に振り払える。
しかし、振り払ってしまった時の反応が何となく分かってしまうだけに、実行を躊躇ってしまうのだ。
今日くらいならいいか、と結論を出し、春華は勘太郎に手を引かれるまま歩いていった。





町から離れ、小さな森の中の川に到着する。
すると、勘太郎は春華を引っ張って川のほとりまで走り出した。
川辺にしゃがんで、勘太郎は繋いでいない方の手を川に浸ける。
「わ〜、冷たい! ほら、春華も浸けてみなよ、すっごく気持ち良いから!」
言われて春華も川に手を浸すと、確かに冷たくて心地良い。
澄んだ綺麗な水の流れが、暑さで熱を持っている手を冷やす。
「ねっ、気持ち良いでしょ?」
「……ああ」
その答えに満足したのか、勘太郎は笑うと、ようやく春華の手を離した。
そして、履物を脱ぎ、袴を捲り上げて川に入っていった。

膝ほどの深さもない、至極小さくて浅い川なので危険はないが、子供みたいにはしゃぐ勘太郎に春華は少し呆れる。
丁度木陰にある大きな岩に腰を下ろし、水を蹴って遊んでいる勘太郎に視線を向ける。
心底楽しそうに遊んでいる勘太郎は、とてもじゃないがいい大人には見えない。
それどころか、普段の腹黒策士ぶりすら見えないくらい無邪気に遊んでいるように見える。
きっと暑さゆえの錯覚だろうと思いつつも、こういう勘太郎を見るのは嫌いじゃない。
こんな風に何も考えずにただ楽しんでいる勘太郎というのは、実は結構珍しい。
原稿に追われていたり、何かしら思考を巡らせていたり、普通に笑顔を見せている時ですら何処か計算めいたものを感じさせる。
だから、勘太郎にもこんな単純に、純粋に笑う事があるのだと思うと、少し安心する。
普段は全く見えない勘太郎の内面が、ほんの少し見える気がして。


「春華〜! 春華も一緒に水遊びしようよ!」
見ると、勘太郎が川に足を浸けたまま春華に向かって手を振っている。
「オレはいい。面倒くせえ」
「む〜……」
あっさりと拒否した春華に、勘太郎は眉を寄せて春華をじっと見つめる。
その恨みがましい目に一瞬怯んだ春華は、ふいっと横を向いた。



「春華」
すぐ傍で聞こえた声に、春華は反射的に振り向いた。
その瞬間、冷たい水が春華の顔にかかる。
「うわっ……!」
「へっへ〜、ボクの誘いを断ったバツだよ」
いつの間にか春華の目の前に立っていた勘太郎は、腰に手を当てて笑っている。
「てめえ……」
「睨んでもダメだよ〜。悔しかったらやり返してみなよ」
そう言うと、勘太郎は再び川に走っていった。

春華は濡れた顔を手の甲で拭きながら、大岩から立ち上がった。
「……上等じゃねえか」
春華はずかずかと川べりに歩いていくと、片足だけ川に浸けて力一杯勘太郎の方へと水を蹴り上げた。

「うわっ、冷たっ!」
モロに水を被ってしまった勘太郎は、頭を軽く振って水滴を落としている。
「いーよ、春華がその気なら……」
勘太郎は大きく前に屈むと、両手を使って春華に向かって再び水をかけた。
「この野郎……」
ボタボタと水滴をたらした春華のこめかみには、はっきりと青筋が浮かんでいる。
こうなってしまうと、もう次の行動は決まっている。
春華が川に入ってきたのを見て満足したのか、勘太郎は楽しそうに笑った。






かくして、翌日には勘太郎が熱を出して寝込むという事態になった。
もちろん勘太郎も春華も、ヨーコに散々説教を食らわされたのは言うまでもない。








END






後書き。

すんごく久しぶりのtactics駄文です。
最初から最後まで、春華は勘太郎に操られっぱなしです(笑)
原作でも、春華っていつも勘太郎のいいように動かされてますよねぇ……。
ひょっとしたら、熱出して寝込むのも勘太郎の計算の内だったりして。
そんで、春華につきっきりで看病してもらおうと……。
勘太郎だったら有り得そうだ、と思ってしまう私の勘ちゃん観は間違ってますか。



2003年8月8日 UP




tactics TOP

SILENT EDEN TOP