触れ合う心



 ─ 1 ─



座り心地の良いソファに身体を預けながら、紅茶をひとくち流し込む。
ベルカには茶葉の良し悪しなどはよく分からないが、リンナが淹れてくれるお茶は本当に美味しいと思う。
目の前には、同じように、しかし背筋をピンと伸ばしてソファに座るリンナがいる。
遠慮するリンナをほぼ強引に座らせて、2人でお茶の時間を楽しんでいた。

ベルカがこの領地の太守の任に着いてから、1週間ほどが過ぎていた。
元々辺境の平和な領地だ。
特に何か問題が起こっているわけでもなく、幾ばくかの書類を決裁したり街を回って様子を見たり……といった程度で済んでいた。
もっとも勉強することは山ほどあるので、決して暇と呼べるほどではないのだが。

「ほら、おまえもそんなキチッとしてなくていいから、もっとくつろげよ」
俺とおまえしかいないんだから、と笑う。
「はい、殿下」
とは答えているものの、やはり背筋は伸びたままだ。
リンナらしいとも思うが、2人きりの時くらいもう少し気を緩めてくれてもいいのにとも思う。
自分たちは、想いを通じ合わせた恋人同士なのだから。

恋人、といえば、ひとつ気になっていることがある。
気付かれないように、そっとリンナの方を盗み見る。
緊張した様子で紅茶に口をつけるリンナの唇に、視線が集中する。

あの日、ベルカからもリンナに好きだと告げ…………初めての口付けを交わした。
だが、それ以来、全くもって何の進展もない。
あれから2ヶ月近くも経っているというのに、だ。
せいぜい、この離宮に着いた日に手を繋いで散歩をしたくらいだ。
清い交際にもホドがあるだろう、とベルカはため息をつく。

王子であるベルカに手が出しづらい、という気持ちも理解できる。
だが城と違ってここではさほど周りの目が厳しいこともなく、何よりベルカ自身がリンナを好きだと言っているのだ。
何も遠慮する必要などないのに。

そこまで考えて、ふと気付く。
何も、リンナが手を出してくるのを待っている必要こそないのではないだろうか。
いっそ、ベルカから手を出してもいいんじゃないか。

そんな風に考え込んでいると、リンナが困ったようにベルカを覗き込んでいる。
「殿下? どうかされましたか?」
「い、いや! 何でもねえ!」
さすがに考えていたことがことなので、少々焦り気味に誤魔化す。

このことは後で考えよう、とベルカは紅茶を再び手に取る。
今はリンナとのお茶の時間を楽しんだ方がずっと有意義だ。





夜の暗闇にすっかり閉ざされてからしばらく、ベルカは寝室のベッドの中で寝返りを打ってはため息をついていた。
執務や勉強が終わって疲れていても、目を閉じると思い出すのはリンナの顔だ。
本当なら、同じベッドで温もりを感じながら眠りたい。
身体全体で、触れ合いたい。
そう思っているのは、ベルカの方だけなのだろうか。

……触れ合う。
それは、どちらがどちらの役割をすることになるのだろう。
具体的に思い浮かべるにあたって、ようやくそこに思い至る。
ベルカもリンナも、どちらも男だ。
そういった行為に及ぶ場合、どちらかが女の役割を果たすことになる。

ベルカだって男なのだ。
抱かれるよりは、抱く方がいいに決まっている。
しかし、客観的に両方のパターンを想像してみた場合、どちらがしっくりくるかと言えば…………悲しいことにベルカが女役の方だろう。
年齢も身長も体格も経験も、悔しいがすべてにおいてリンナの方が上だ。
ベルカはヘクトルやシャムロックのエロ本で知識だけならそれなりにあるが、実践経験はまったくのゼロだ。
おまけに認めたくはないが、ベルカの女装は誰一人として男だと気付かなかったくらいだ。
リンナが女装などしたら、恐ろしいことになるに違いない。

「やっぱり……俺が下……だよな……」
ハァ、とため息をつくが、実のところを言えば決して嫌なわけではない。
リンナが相手なら、それでもいいと思っている。
自分が抱かれる側になることなど考えたこともなかったから、確かに怖いと思う部分もある。
けれど、リンナならきっと優しくしてくれる。
リンナならば、この身体に受け入れてもいいと思える。

リンナは、ベルカを抱きたいと思ったことがあるのだろうか。
リンナも女性を抱いた経験はあるだろうが、男を抱いたことなどないだろう。
大切に想う気持ちはあっても、欲情などはまた別物なのかもしれない。
告白して以降のリンナの様子を見ていると、とてもベルカに対してその気があるように見えないのだ。

もしも、好きだが男を抱く気はない……とリンナが思っていたらと考えると、チクリと何かが胸を刺した。
触れ合いたいと、抱き合いたいと思っているのが自分だけだったら。
それは、あまりにも悲しすぎないだろうか。
そんなことはないと信じたい。
けれど、リンナが男であるベルカをそこまで求めてくれている自信がない。

ベルカはゆるゆると首を振る。
いくら考えても、分かるはずなどないのだ。
リンナに直接訊かない限り。

……決めた。
リンナの部屋に行こう。

ベルカは、リンナに触れたい。触れられたい。
肌の温もりを、直接感じたい。
そう思っていることを、リンナに伝えよう。
その上でどうするか……それは、リンナに決めてもらえばいい。



決断をしてしまったら、行動は早かった。
そっと部屋を抜け出して、廊下に誰もいないことを確認してリンナの部屋まで静かに歩く。
何かあったときにすぐに報せられるようにと、鍵は閉めていないということは聞いていた。
出来るだけ音を立てないようにドアを開けて部屋に滑り込み、寝室へと向かう。
寝室のドアを開けると、ベッドで眠っているリンナの姿が見えた。

そろりとベッドサイドまで近付く。
寝相が良いのか殆どシーツが乱れていないのがリンナらしいと思う。
下ろされた髪に触れてみたくて、手を伸ばす。

瞬間、突然手首を掴まれ、ベッドに引き倒され身体を押さえつけられた。
あまりのことに、心臓の鼓動が一気に加速する。
「…………殿下!?
引き倒した当の本人はといえば、ベルカを見止めて目を白黒させている。
次いで我に返ったらしく、慌てて手を離してベルカの上から飛び退く。
「も、申し訳ありません! 殿下に対して何という無礼を……」
そのままベッドに着きそうなほど深々と頭を下げるリンナに、ベルカは起き上がりつつ答える。
「いや、いきなり夜中に誰か忍び込んできたらそりゃ警戒もするよな。悪い」
「いえ、そんな……それよりも殿下、このようなお時間にどうなさったのですか?」
そのリンナの疑問は当然のことだろう。
何も正座をして尋ねなくてもいいのに、とは思うがそれはこの際置いておく。

そんなことよりも、先程まで考えていたことをリンナにどう伝えたものかと思案する。
あまりにストレートなのもどうかと思うし、回りくどいとリンナには通じなさそうな気がする。
いっそ告白の時のように先に行動……つまり、押し倒してしまおうか。

「……リンナ、ちょっとこっち来いよ」
ベッドの後ろの方で正座しているリンナに、ベルカのいる方に来るよう指差す。
何が何だか分からないという顔で、リンナは素直に膝立ちのまま移動してくる。
そうして、丁度良い位置に差し掛かったその時、グイッとリンナの腕を掴んで身体をひっくり返す。
不意をついたおかげか、意外とすんなりリンナは仰向けにベッドへと沈んだ。

そんなリンナを跨ぐようにして乗り上げると、リンナの両肩を押さえながらその顔を覗き込む。
「あ、あの、で、殿下……!?
随分と混乱しているらしく、頬を染めながらうろたえている。
……実はベルカが上でもいけるんじゃないか、などと一瞬頭を掠めるが、いやでもそれは経験のなさからして無理だろうと考え直す。

「なあ、リンナ。俺のこと、好きか?」
「はい!」
即答されて、ベルカは頬が緩むのを感じる。
自分を好きでいてくれていると感じられるのは、やはり嬉しい。

「だったら…………今夜はここで、一緒に寝ていいか?」
勇気を振り絞ってそう告げると、至近距離にあるリンナが目を瞠る。
「殿下……それは……」
「当たり前だけど、単に眠るだけじゃなくて…………やっぱ、男を抱くのは……嫌か?」
「いえ……いいえ! そのようなことは! ですが……」
リンナが、突然のことに戸惑いを隠せていないのが分かる。

「俺は……俺は、おまえと抱き合いたい。肌を触れ合わせたい」
リンナが一瞬、息を飲む。
「おまえが好きだ。だから……」
言葉にしたのはそこまでで、ベルカはそのままリンナの唇に自らのそれを押し付けるように重ねた。

急に両腕を掴まれて引き剥がされたかと思うと、視界が反転した。
いつの間にか背中にはシーツの感触。
距離はさほど変わっていないが、今度はベルカがリンナを見上げる体勢になっていた。
「殿下……」
そう呟く声音にも、どこか熱を感じる。
「殿下、本当に……よろしいのですか」
「……じゃなかったら、最初から来ねーよ」
これ以上言わせるなと言外に含ませて答えると、リンナが「はい」と小さく笑った。

リンナの右手の掌が、ベルカの頬を包む。
ベルカが目を閉じると、温もりが唇に触れた。

何度も角度を変えて口付けられ、ベルカが呼吸のために口を開くと、何かが口内に侵入してきた。
それがリンナの舌だと理解した途端、顔中に熱が一気に集まる。
驚いて一瞬目を開くが、視界いっぱいを覆うほど至近距離にあるリンナの顔に恥ずかしくなって慌ててもう一度目を閉じた。

口内を蠢く舌に、どうすればいいのだろうと迷う。
以前読んだ本のことを懸命に思い出し、遠慮がちに自らの舌を差し出す。
舌を絡めながら繰り返される口付けに、思考がぼんやりとしてくる。
耳に響く濡れた音も、溢れたどちらのものともつかない唾液が口元を流れていく感触も、すべてが生々しくベルカの感覚を侵していく。

「っふ……」
漏れる声を認識することもままならず、ベルカは無意識に手を伸ばし、リンナの夜着を掴む。
何かを考える余裕などなく、リンナの口付けに応えることだけで精一杯だった。
いや、それすらも上手くは出来ていなかったかもしれない。
ただ夢中で、初めて経験する深い口付けを受け入れていた。

最後にチュッと軽く唇へと触れ、温もりが離れていく。
荒い呼吸で酸素を取り込みながらゆっくりと目を開くと、微かに息を乱したリンナがベルカを見つめていた。
その頬は心なしか紅潮し、先程まで口付けを交わしていたその唇は濡れている。
胸が締め付けられるように苦しくなり、ベルカは思わず目を逸らしてしまった。

「……お嫌、でしたか?」
ベルカの態度をどう受け取ったのか、どこか悲しげな響きが混ざった声が耳に届いた。
嫌じゃないと口に出すよりも早く、ベルカは何度も首を大きく横に振った。

嫌なんかじゃなかった。
むしろ、口付けがこんなに心地良いものだということを初めて知った。
単に気持ち良いだけじゃなく、心の中までいっぱいに満たされるような。
それはきっと、目の前にいるその相手がリンナだからだ。

覚悟は出来ているのだと、そう伝えるように、ベルカはリンナの首に手を回す。
リンナが、僅かに、だが嬉しそうに微笑むのが見えた。






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ようやくディープチュー済ませました。ベルカの攻勢の賜物です。



2011年2月6日 UP




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