闇の向こう側



 ─ 前編 ─



何度も何度も、肌を重ねた。
けれど、あの人は決して自ら抱いてもくれなければ、抱かれてもくれない。

リンナに運ぶ食事を前に、ルツは手の中の小瓶を見つめる。
多少の迷いを振り切り、黒は小瓶の中の液体を僅かにスープに垂らした。
ほんの少量の、軽い眠り薬。
人体に害を与えることはない、傷にも影響はしないだろう。
眠ってしまうほどのものではなく、意識が朦朧とする程度の量。

こうでもしなければ、リンナは決してその腕で黒を抱かないだろう。
一度でいい、リンナから抱いてほしかった。
たとえ、判断力を失くしたリンナが見ている幻が、ベルカでしかなくても。

鍵を開けて部屋に入ると、リンナが窓際の椅子に腰掛けて座っていた。
鉄格子の間から覗く景色の向こうに、ベルカを見ているのだろうか。
「オルハルディさん、食事を持ってきたよ」
ローテーブルに食事を置きながら声をかけると、リンナがゆっくりと立ち上がる。

リンナの食事の様子を、扉の前まで下がってジッと見つめる。
食事中に見張っているのはいつものことなので、リンナももう気には留めていないようだ。
その手がスープにかかったところで、無意識に黒はギュッと手を握り締める。
スプーンで掬われ、リンナの口に運ばれていく様を幾分緊張しながら見つめていた。





外はもう夜の闇に覆われ、弱々しい月の明かりだけが窓から差し込んでいる。
まだ眠りに落ちるには少々早い時間であるにも関わらず、瞼と全身が妙に重く感じる。
普段ならば暗くなってくると光枝灯の覆いを外しに行くのだが、今日はそんな気力さえ湧かない。
すっかり暗闇に覆われた部屋の中で、リンナはただベッドに身体を投げ出していた。

半分眠りに落ちかけているような状態で、意識がふわふわと漂っているような感覚。
思考は形を為さず、浮かびかけては霧散していく。
今どこにいるのか、何をしていたのかさえも、空中に溶けていく。
カチャリ、と音が聞こえ、頭を僅かに動かして重い瞼を薄く開く。
扉から入ってきた人物の、顔は見えない。
ただ、目に映るのは、闇に同化したような……黒髪。

「殿下……」
リンナがもっとも愛しく思う、黒髪の少年。
ベルカが会いにきてくれたのだろうか。
ああ、そういえば……以前にもベルカが夜にリンナの部屋に来てくれたことがあった。
初めて肌を重ねた、あの夜。
ベルカに求められたことが嬉しくて、痛みすら喜びに思えた。

人影が近付いてきたかと思うと、不意に視界が覆われた。
完全に遮断されることはなく、薄ぼんやりとした輪郭だけが認識できた。
何故かなどと考える力すら今のリンナにはなく、ただそれを受け入れる。
ギッと軋む音が聞こえ、温もりが頬に触れる。

「リンナ……」
どこか、声が遠く聞こえる。
まるで靄がかかったかのように、遠い声。
けれど、自分を「リンナ」と呼んでくれるのはひとりだけだ。
「殿下……」
呟くように呼ぶと、額に口付けが落とされる。

口付けは額から瞼、頬と降りていき、少し間を置いて唇が触れ合う。
最初はついばむような軽い口付けだったが、次第に深く激しくなっていく。
「んっ……ふ、う……」
舌と唾液が絡み合う音が、静かな部屋の中に響く。

僅かな衣擦れの音と、少し乱れた息遣い。
早く、早く触れてほしい。
あの夜のように、リンナの名を呼んで抱きしめてほしい。

「リンナ……」
ベルカに名を呼ばれるだけで、身体に熱く火が点る感覚がする。
「なあ……今日は……おまえが、抱いてくれよ……」
くつろげられた胸元に注がれる声が、全身に染みこんでいく。

そうだ、約束をしていた。
いつか、今度はリンナがベルカを抱くと。

「はい……殿下……」
重い鉛のように感じる身体を動かして、リンナはベルカを抱きしめる。
そのまま身体を反転させ、自らが上になった状態で再び口付ける。
何もかもが欲しかった。声も吐息も、すべて。

もう、何も考えられない。
ただベルカが欲しい。
リンナの頭の中を占めているのは、それだけだった。





「リンナ」
まだ呼び慣れてはいない名を、囁く。
薬を盛って思考力を奪い、目隠しで視界を奪った。
そうして今、リンナは黒を抱こうとしている。
……ベルカを想いながら。
「殿下」
そう呼ばれるたびに胸に刺さる棘は、見ないフリをした。

初めてリンナから与えられる口付けを、どこか夢を見ているような心地で受け入れる。
たとえ閉ざされた視界の向こうにベルカを見ているとしても、今この瞬間にここにいるのは間違いなく黒だ。
口付けを受けながら、黒は手を伸ばしてリンナの背中へと回す。
こんな風に背中にしがみつくことも、初めてだった。

頬に口付けられた後、唇が耳から首筋へと辿っていく。
手が黒の肌の上を滑り、ゆるやかに撫でていく。
目隠しに使った布は薄手のもので、かろうじて黒の輪郭くらいは見えているはずだ。
完全に見えなくするといくら朦朧としていても外されてしまうかもしれないし、顔の判別さえ出来なければそれでいい。
念のためと、リンナが戸惑わぬように、上衣は最初の口付けの後に脱いでいた。
素肌の上を辿る大きな手が、心地良い。

胸の突起を舐められ、ビクリと身体が反応する。
危うく「オルハルディさん」と呼びそうになって、慌てて出かけた言葉を飲み込む。
今は、そう呼んではいけない。呼べば、終わってしまう。
呼ぶべき名前は、姓ではなく。
「リン、ナ……」
熱く濡れた吐息と共に、その名を呼ぶ。
すると、顔を上げたリンナは嬉しそうに唇を微笑みの形に変え、チュ、と口付けてくれた。

すべてが、優しかった。
呼ぶ声も、施される愛撫も、口元に浮かぶ表情も。
目隠しがなければ、きっとその眼差しもとても柔らかいのだろう。
本来ならば、黒には決して与えられるはずのない、優しさ。
今夜がきっと、最初で最後の微笑みだ。

丁寧な愛撫はやがて下りていき、下衣をくつろげて黒の性器にその手が触れる。
リンナに触ってもらったことなど、当然だが一度もない。
初めて触れるリンナの手は、黒が思った以上の快楽を運んできた。
今触れているのがリンナだと思うだけで、熱が集まっていく気がする。
「ふっ…………あ、ぁ…………」
指を絡められるたびに殺しきれない声が漏れ、無意識にベッドに足を突っ張る。
手淫とは、こんなにも気持ちが良い行為だっただろうか。

快楽の波に浚われそうになっていると、その手が外れ、更に奥へと動いていくのが分かった。
奥の窄まりに指先が触れ、そこを解すように指に絡んだ先走りの液体を塗り込まれる。
すぐに入ってくるかと思ったが、リンナはゆっくりと丁寧に入り口を撫で解している。
なるべく痛くないように、負担にならないように……と、そんな想いが見える気がした。

やがて、慎重な仕草で、つぷりと指が侵入してくる。
十分に解していたおかげか、さして痛みは感じなかった。
異物感があるのは仕方がないが、それがリンナの指だと思うとそれすら黒には喜びだった。
遠慮がちに蠢く指を必要以上に締め付けないようにと、黒は懸命に呼吸を整える。
完全には無理だが、出来るだけ力を抜いて、リンナがやりやすいように。
その間にも、リンナは身体のあちこちに口付けを落としてくれる。
胸に、腕に、指先に……唇に。

気遣って時間をかけて解してくれるのは嬉しいが、黒は早くリンナが欲しかった。
痛かろうと何だろうと、早くリンナに入ってきてほしい。その熱さを感じたい。
黒はギュッとリンナの夜着を掴む。
「リンナ……もう、いいから……はや、く……」
告げるのと同時に、中にあるリンナの指に僅かに力が篭る。
そうして、緩やかな動作で後孔から指が抜かれる。
埋めるものを失くしたそこが、ひくひくと次に訪れるはずのものを待つ。

リンナが黒の足を抱え上げる。
「殿下……大丈夫です……優しく、しますから……」
そう言って、今夜何度目かの口付けが与えられる。

リンナの昂ぶりが押し当てられ、黒の鼓動が一際強く跳ねる。
貫いてほしい。
優しくなくてもいい、すべてを奪うくらいに激しく。

一呼吸の間を置いて、リンナのモノが黒の中へと侵入してくる。
押し広げられる痛みに止まりそうになる呼吸を、必死で繋ぐ。
優しくすると言ったその言葉を守るように、リンナは強引に入ってこようとはしなかった。
途中で引いたりもしながら、少しずつ、少しずつ。
そんなリンナの優しさに焦れて、黒はリンナの夜着を引っ張る。
「やっ……も……、と……もっと、奥、に……!」
一番奥まで貫かれて、ひとつになってしまいたい。

ぐっと腰が進められ、黒の背中が弓なりに反る。
「く、あ……」
「痛みますか……」
「だい、じょうぶ、だから……」
止めないでほしい、という言葉は口にしなくても伝わったようだ。
リンナは動きを止めず、ゆっくりと黒の奥へと分け入ってくる。

すべてを身の内に収め、黒は身体を震わせながら深く息を吐く。
さすがに痛みは避けられないが、そんなことなどどうでもいいくらいに満たされた気分だった。
見ている相手は幻でも、リンナが黒を抱いてくれている。
その手が唇が、そして全身が、黒を求めてくれている。
これほど幸せなことがあるだろうか。

触れるだけの口付けを合図にして、律動が始まる。
揺さぶられ、何度もギリギリまで抜いては奥まで貫かれる。
最初は緩やかだったその行為も、次第に激しさを増していく。
ぐちゅぐちゅと結合部分が濡れた水音を響かせ、黒の興奮を増幅させていった。

「……あっ……んんっ、や……オ、ルハ……ディ、さ……」
無意識に呼んだ名を認識する余裕すらなかった。
もっとも余裕がないのはリンナも同じようで、それを聞き咎められることはなかった。

混じり合う乱れた呼吸と水音、ベッドの軋む音が、部屋の中を満たしている。
「殿下……殿下っ……!」
何度も呼ばれる名が黒の名になることは、決してない。
それでも良かった。身体だけでも、求めてくれるなら。

既に痛みはなく、繋がった部分の熱から生まれた快楽が全身を支配する。
脳細胞が焼き切れてしまいそうなほどの、悦楽。
ただリンナにしがみつき、喘ぎ声を上げる。
世界がこの部屋だけになってしまったような、そんな錯覚が黒を覆う。

「気持ち、い…………も、っと……」
もっと、もっと深く。
身体の奥深くまで、リンナを刻み付けてほしい。

限界が近付き、もう何も考えられなくなる。
自分が自分でなくなり身体が浮いていきそうな感覚がした。
快楽に飲まれ、やがて意識は白く染まっていった。






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リン黒ヘッツェンは書いてて楽しいですが恥ずかしい。



2011年8月7日 UP




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