媚薬



 ─ 前編 ─



話がある、とキリコ=ラーゲンに呼ばれたときに、嫌な予感はしていた。
この男が何も企んでいないわけはない。
しかも、ご丁寧にリンナに別に使いを頼んでベルカから引き離してくれている。
リンナはベルカの傍を離れることにかなり難色を示していたが、立場上、キリコの命令を断ることは出来ない。
ここで無理に抵抗すれば、ただでさえ一度拘束されているリンナの身は確実に危うくなる。
今はとにかく無事にやり過ごすしかない。
心配するリンナに「大丈夫だから」と笑って、ベルカはリンナを行かせた。

「……で、話ってのは何だ」
「そうお急ぎにならずとも、ゆっくりとお話をしましょう」
ニコリとわざとらしい笑みを浮かべながら、キリコは先程運ばれてきた紅茶を勧める。
焦ってはダメだ。
苛つきをあからさまに出してしまっては、向こうの思う壺だ。
少しでも、落ち着いた態度を取らなければ。

目の前で湯気を立てる紅茶を見やる。
何か薬でも混入されているのではと思ったが、今この時にキリコがリスクを冒してベルカに例の薬を盛る必要性があるとも思えない。
薬が合えばいいが、合わなければヘクトルのように死亡する危険性がある。
既に、キリコはオルセリートと手を結んでいる。
ベルカが逆らいさえしなければ、立太子式典を明日に控えた今、面倒は避けたいはずだ。

気分を落ち着ける意味合いもあり、紅茶に口をつける。
特に、変な味はしない。
ゆっくりと熱い紅茶を流し込み、息をつく。
紅茶の香りで、少し落ち着いた気がした。

「話というのは……オルセリートのことか?」
カップを置きながら、出来る限り冷静さを保つように言葉を紡ぐ。
「いえ……今日は殿下ご自身のことに関するお話ですよ」
「俺の?」
「ええ。……殿下、ご結婚なさるおつもりはございませんか」
あまりにも予想外の問いかけに、ベルカは一瞬絶句する。

「いきなり何なんだ。そんなこと、おまえが気にすることじゃないだろ」
「この国の世継ぎに関わることですから、気にしますよ」
「世継ぎっていうなら、王太子のオルセリートを気にするべきじゃないのか。
 ……それとも、オルセリートに子が出来ない理由でもあるのか?」
暗に、オルセリートに何かしたのではないかと尋ねてみる。
「いえ。ですが、子が出来る出来ないはある種、運のようなものでもありますから」
キリコが小さく苦笑する。
「ですから、ベルカ殿下にもご結婚いただき、子を設けていただきたいというのが、我々の思うところなのですよ」
いけしゃあしゃあと……と、ベルカはキリコを睨みつける。
「本音は、俺をさっさと地方貴族の令嬢とでも結婚させてどっかに隔離したいんだろ?」
ここにいては面倒なことになるかもしれないから、王府から遠い地方の領主にでも収まらせたいんだろう。

「とんでもございません。私どもはただ、殿下にご良縁を差し上げたいだけですよ」
そう言って笑うキリコの言葉が本心でないことは明白だ。
「余計な世話だ。話がそれだけなら、俺はもう戻らせてもらう」
リンナの身の安全を盾に取られている以上、キリコの邪魔立てをするつもりはない。
しかし、だからといって何もかも言いなりになるつもりはなかった。

そうして席を立とうとするが、身体に上手く力が入らずにその場に膝をつく。
「……大丈夫ですか、殿下」
キリコが笑みを浮かべながら立ち上がり、ベルカに近付いてくる。
しまった、と思う。
やはり、先程の紅茶に何か混入されていたのだろうか。
「お、まえ……何を……」
「ああ、大した薬ではありません。少し、お身体を熱くするだけのものです」
要するに、媚薬ということだろう。
油断した。まさか、このタイミングでそんなものを盛られるなどとは考えもしなかった。

「何を……考えてやがる」
「ほんの少し、お背中を押させていただきたいだけですよ」
そう言うと、キリコは「失礼します」と声をかけてベルカを抱え上げる。
そのまま、別室に運ばれ、ベッドの上へとゆっくりと下ろされた。
「ここでしばしお待ちください」
告げて、キリコは部屋を出て行った。

身体が熱い。
中で熱が暴れ狂っている感覚がする。
うつ伏せになってシーツを握り締め、何とか耐えようと深く息を吐く。

キィ、と小さく扉の開く音が聞こえ、ベルカは視線を向ける。
そこには、見たことのない少女がいた。
金の髪に青い瞳を持った、おそらくはベルカとそう歳の変わらないであろう少女。

少女はベルカに近付き、名を呼びながらそっと手を触れようとする。
が、ベルカはその手を払って僅かに身体を起こす。
「……君が誰か知らないが、出て行って、くれ」
今のこの状況を考えると、この少女を連れてきたのはキリコだろう。
狙いは容易に分かる。
おそらくこの少女は、どこかの貴族の令嬢だ。
媚薬を盛って寝室に少女と2人きりで押し込み、既成事実を作らせたいのだ。

「……それは出来ません。ベルカ殿下に尽くすようにと、そう言い付けられております」
「必要ない」
キッパリと言い捨てる。

少女は纏っていたドレスとコルセットを床に落とし、ベルカの手を取ると自らの胸にそっと触れさせる。
「私では……お相手は務まりませんか」
手を引こうとするが、ただでさえ薬で力が入らない身体では上手くいかない。
「ベルカ殿下……」
その手が解放されたかと思うと、少女はベルカの首に腕を回し抱きついて身体を密着させた。
涼しい音を立て、プリムシードが揺れる。
「やめろ……!」
「ベルカ殿下……どうか、私を殿下のものにしてくださいませ」
熱く火照った身体に、女性特有の柔らかい感触が触れる。

頭がグラグラする。
思考がぼやけて、何も考えられなくなる。
柔らかい身体。甘い声。
それらが薬で増幅されてベルカを蝕んでいく。



『殿下』



不意に、声が響いた気がした。
ああ、そうだ。自分は王子なのだ。
リンナが主と認めてくれた、王子。
ベルカを信じ、命を懸けて忠誠を尽くそうとしてくれている。
こんな計略に、負けるわけにはいかない。

ベルカは震える手で、もう一方の手に思い切り爪を立てて引っかいた。
激しい痛みと共に、意識が覚醒する。
すぐさまベルカは少女の肩を掴み、その身を離させた。
「ベルカ殿下……?」
「俺は、君を抱けない。君も……好きでもない相手に、身体を開こうとするのは……止めてくれ」
そう告げて、ベルカは上手く動かない身体を叱咤して何とかベッドを下りる。
「ベルカ殿下! お待ちくださいませ!」
追いすがろうとした少女の手を振り払い、ベルカは部屋を出た。

「……随分とお早いですね。彼女はお気に召しませんでしたか」
ベルカの手の甲に刻まれた真新しい血の滲む引っかき傷で察したのだろう、キリコは悠然とした様子で笑う。
「ふざけんな……。くだらねえ真似、しやがって……」
壁にもたれて身体を支えながら、ベルカはこの部屋も出ようと少しずつ歩を進める。
「お辛そうですね。なんなら、好みをお聞かせ願えればすぐにご用意しますよ」
「物みたいに言うな! 俺は、おまえらのそういう、人の扱い方が気にいらねえ」
先程の少女も、決して悪い娘ではないのだろう。
ただ、親や上級貴族の命令を聞くことしか知らないだけの少女。
年月をかけてそういう風に彼女を仕立てたのは、親を含めた周りにいる貴族たちだ。

ベルカはキリコを睨みつけると、覚束ない足取りで部屋を後にする。
また捕らえられるかと思ったが、キリコは何をするでもなくただ見送っただけだった。
閉じたドアにもたれ、少しでも呼吸を整えようとする。
怪訝な様子でベルカを見ている見張りの衛兵を無視し、ベルカは絨毯に足を取られないよう気をつけながら歩き出した。

時折休憩しながら、ようやく雪華宮に戻ってくる。
使用人に尋ねてみたが、どうやらリンナはまだ戻っていないようだ。
寝室に向かい、ベッドに倒れこむ。

内部の熱は、一向に収まる気配がない。
自然に落ち着くまで待っていては、気が狂ってしまいそうだ。
熱い息を吐きながら、ベルカは一瞬迷った後自らの下衣をくつろげる。
一度吐き出してしまえば、きっと楽になるだろう。

ベッドに仰向けになり、自らの性器に触れ擦り上げると、薬で敏感になったそこは見る見るうちに張り詰めていく。
目を閉じて行為に没頭しようとしたところで、瞼の裏にひとりの人物が浮かんだ。
それに驚き、ベルカは動きを止めてパッと目を開ける。



今、自分は誰を思い浮かべた?



信じられない気持ちで、今度は兄の書斎から持ってきた本の姫君でも思い浮かべようともう一度目を閉じる。
しかし、浮かぶのはやはり、先程と同じ人物。

「なんで……だよ……」
小さく首を振りながら、否定するように呟く。
「なんで……リン、ナを……」
自分で自分が分からなくて、弱々しい声が零れ落ちる。

リンナは男だ。
別に中性的というわけでもない、誰が見ても間違えようのない大人の男。
マリーベルに変装していたベルカと違い、女に見立てるにはどう考えても無理がある。

なのに、今、自分を慰めようとして思い浮かべてしまう。
それが何故なのか、ベルカには分からない。
ひょっとして、自分には男色の気でもあるのだろうか。
そんなはずはない、と思う。
これまで男に興味を持ったことなんて一度もなかったし、今だって男を見て興奮を感じるなどということはない。

どうして、リンナを思い浮かべてしまうのか分からない。
こんなことにリンナを使ってしまう自分に、酷い罪悪感が襲う。
けれど、今はこの熱に抗えなかった。

「リンナ……」
小さく名を呼び、性器を刺激する。
『殿下』
意識の底で、優しい声がベルカを呼ぶ。
今ここにないはずのその声は妙に甘く聞こえて、ベルカの脳髄を侵していく。

先端からは透明な液体が止め処なく零れ、ベルカの手を濡らしていく。
薬の効果も相まって、夢中で手を動かした。
「はぁ…………んっ……リンナ……リン、ナッ……」
ひたすらその相手を求めるように、何度も名前を呼ぶ。
触れた手の温もりが、少し低い声が、キツネの洞窟で見た僅かに熱を帯びた寝顔が、蘇ってくる。
やがて、ベルカの身体に生み出される快楽は頂点に達し、その手を白濁した液体が汚した。

荒い息をつきながら、ベルカはゆるりと瞳を開く。
幾分ぼやけた視界の中に、見慣れた天井が映る。
ひとつ深い息を吐くと、何気なく顔を横に向け────表情を凍りつかせた。

寝室の入り口に立っていたのは…………たった今まで思い浮かべていた、その人物だった。






NEXT



ベルリンなのにリンナの登場が遅い……。



2011年4月3日 UP




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