嫉妬と我侭



 ─ 後編 ─



ベルカがいるであろう部屋の前に立ち、しばし迷う。
早くベルカを安心させたいのはやまやまなのだが、エーコから手渡された髪飾りのことが気になって上げた手が止まってしまう。
『キミが言えば付けてくれるかもしれないし』
そんなことは有り得ない。
そう分かっているつもりなのに、期待を捨てきれない自分がいる。

ダメだ、こんなことを気にしていては。
内心で呟き、リンナは首を振る。
今はとにかく、誤解がとけたことをベルカに伝えることだけを考えよう。
ベルカを安心させることが第一で、その後のことは二の次だ。

意を決して小さくノックをすると勢い良く扉が開き、未だマリーベル姿のベルカが立っていた。
「あ! あの、さ、誤解……とけたん、だよな?」
「はい、エーコ殿からお話は伺いました。早合点をしてしまい、申し訳ありませんでした」
深く頭を下げると、ベルカが慌てたように両手を胸の前で振る。
「いや、いいんだ! あの状況じゃ仕方ねえし。ったく、エーコのヤツ……」
ベルカが不機嫌そうにため息をつく。
「あんなんで変な誤解されたらたまんねーよな。男とどうこうなんて趣味ねーっての!」
何気なく漏らされた言葉に、一瞬息が止まる。

別に、ベルカはおかしなことを言ったわけではない。
むしろ、常識に照らし合わせれば当然のことだ。
なのに、何故、胸が痛むのだろう。

「……なあ、どうしたんだ?」
ふと気付くと、ベルカが心配そうにリンナを見上げていた。
「どう、と申されますと……?」
どうしてベルカがそんな顔をしているのか分からず、リンナは軽く首を傾げる。
「いや……なんかさ、泣きそうな顔してるから、どっか身体の具合でも悪いのかなって思ってさ」
そんな顔をしていた自覚など、全くなかった。
ベルカに無用な心配をさせてしまったことが申し訳なく、リンナは再び頭を下げる。
「いえ、そのようなことはございません。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「だから謝らなくていいって。……何ともないなら、いいんだ」
そう言って笑うベルカに、リンナもこれ以上心配をかけまいと努めて笑みを顔に乗せる。

手の中にある、エーコから渡された髪飾りのことを思い出す。
折角笑っているベルカにこれを渡したら、そして付けてみてほしいと頼んだら、やはり怒るだろうか。

けれど、もし。
もし、怒りながらでもベルカがその願いを聞いてくれたなら。
エーコには決して頷かなかったことを、リンナにもしも頷いてくれたなら。

髪飾りをギュッと握り締める。
言ってみようか。
嫌がられるかもしれない。それでも、もしも……。

「……殿下」
「ん? 何だ?」
誤解がとけてホッとしているのか、安心した様子でベルカがリンナを見上げる。
「……これを」
同時に、例の髪飾りを手の平に乗せてベルカへと差し出す。
「これを……付けてみては下さいませんか」
どこか緊張を孕んだ声で、リンナはそう告げてみた。

「……は!? お、おまえ、何言ってんだ!?
完全に予想外だったのだろう、ベルカは目を白黒させている。
「あ、もしかして、エーコのヤツに何か言われたのか?」
そうに違いないとでも言いたげな顔で、ベルカはエーコがいるだろう部屋の方の壁を見る。
「いえ……違います。私が、これを付けたお姿を拝見したいと思いました」
ふざけるな、と怒りをぶつけられるのを覚悟の上で、リンナはそう言った。

「……見たいのか? おまえが?」
信じられないという風に、ベルカはリンナを見ている。
「はい」
嫌われるかもしれないという恐怖を表に出さないよう、必死で表情を整える。

しばらく困ったように髪飾りを見ていたベルカだったが、意を決したようにリンナの手から髪飾りを取る。
「……とりあえず、中入れよ。エーコがどっかから覗いてたらムカつくし」
リンナを引っ張って部屋に入れたベルカは、扉を閉める。
「言っとくけどな! 今回だけだからな! いいな!?
頬を幾分か染めたベルカが、少しためらいながらも髪飾りを自分の髪に……というよりも、マリーベルのウィッグにつけようとする。
が、元々プリムシード以外の髪飾りなど付けたことがない上に自分自身に付けるとなると手元が見えない分なかなか上手くいかないようで、悪戦苦闘している。
そんな姿が可愛らしいと思ったが、口に出すと間違いなく怒られそうなので胸にしまっておいた。
やがて面倒になったのか、ズイっと髪飾りをリンナに突き返す。
「おまえが見たいって言ったんだから、おまえが付けてくれよ」
「え……は、はい!」
慌てて髪飾りを受け取り、失礼しますと声をかけて慎重にベルカの髪へと手を伸ばす。
その手が若干震えてしまうのは、致し方ないところだろう。

多少手間取りながらもようやく髪飾りを付け終え、リンナは手を離す。
一歩後ろに下がって、ベルカの姿を見る。

色とりどりの花をあしらった髪飾りで彩られた、マリーベル。
リンナが想像していたよりも、ずっと可憐に見えた。
「……で、どうなんだよ」
「とても……よくお似合いです」
眩しいような気持ちで、髪飾りをつけたマリーベルを見つめる。
困った顔を見せながらも、ベルカはリンナの願いを聞いてくれた。
そのことが、たまらなく嬉しかった。

「おまえ、すっげー緩んだ顔してるぞ」
まだ少し頬に赤みを残したまま、ベルカが苦笑する。
「あ、その、申し訳ありません……」
「いや、いいよ。そんだけ喜んでくれるんなら、俺も付けた甲斐あるし……」
そこまで言ったところで、ベルカはハッとしたように付け加える。
「あくまで今回だけ特別だからな! 次はやんねえぞ!」
再び顔を赤くしながらまくし立てるベルカに、リンナは微笑みを返す。
「承知しております。……殿下、我侭を聞いていただき、ありがとうございました」
佇まいを正し、リンナは深々と頭を下げる。

もう、つまらないことを気にするのは止そう。
誰かと比べて自分の位置がどこにあるのか、そんなことを考えていても仕方がない。
例えほんの少しでも、ベルカがリンナに好意を持ってくれていることは確かだと思える。
それだけで、十分だ。
名前だって、いつかベルカがもっと自分を頼りにしてくれるようになったらきっと訊いてくれる。
自分はただ、最初にそう誓ったように、命を懸けてベルカを守ればいい。

「なあ」
聞こえた声に、頭を上げる。
「俺がおまえの我侭聞いてやったんだから、おまえも俺の我侭聞いてくれるよな?」
ベルカがニッと悪戯っぽく笑う。
「もちろんです」
「それじゃあさ! この街に着いたときに食べた串焼き、もう一皿買ってきてくれよ!」
ワクワクした様子で目を輝かせるベルカに、リンナはついクスリと笑ってしまう。
「笑うなよ! あ、そうだ。おまえの分も買ってこいよ。一緒に食べようぜ!」
唇を尖らせて抗議したかと思えば、すぐさま楽しそうに提案をする。
目まぐるしく表情の変わる様を見せてくれていることに気付いて、リンナは嬉しくなる。
サナで出会った頃やあの洞窟では、笑顔も拗ねた顔も見たことがなかった。
そんな状況ではなかったということもあるだろうが、こんな風に感情を素直に見せてくれるようになるくらいには気を許してもらえていると思っても良いのだろうか。

「では、すぐに買って参りますので、しばしお待ちください」
「他にも美味そうなモンがあったら買ってきていいぞ!」
むしろ買ってこいと言わんばかりの勢いで、ベルカが声をかける。
「承知致しました」
笑みを滲ませたまま、リンナは軽く頭を下げ、部屋を出る。

この部屋にやってきた時とは比べものにならないほど、心が軽い。
単純極まりないな、と、リンナは自分自身に対して苦笑する。
ベルカの一挙手一投足で、こんなにも気持ちを左右されてしまう。
けれど、決してそんな自分が不快ではない。
これほどに感情を動かされる相手に出会えるということは、とても得がたい幸運なのかもしれない。
どうしようもなく辛い思いに囚われることもあるが、信じられないほどの幸福感に満たされることもある。
それらを知ることが出来たのは、ベルカのおかげだ。

振り返り、ベルカがいる部屋の扉を見つめる。
この先も彼と共にあるために、それにふさわしい自分でいよう。
瑣末なことを気にして落ち込んでいるような弱い自分ではダメだ。
強くなくては。身体も、心も。

一度目を閉じてからゆっくりとその目を開くと、リンナは背筋を伸ばして踵を返した。






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後書き。

コミックス2巻終盤辺り読み返してて、エーコがベルカに抱きついたところで「これ、リンナがヤキモチ妬いててもおかしくないよね!」と思って書いたSSです。
最初は1話にまとめる予定だったのがまとまらず、前編が嫉妬、後編が我侭という形になりました。
何だかんだ言ってリンナに甘いベルカが書きたかっただけじゃないかと自分でもちょっと思います。



2010年12月12日 UP




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