ヒトリ・フタリ


「なぁ、三蔵! 三蔵ってば!」
「……何だ」
不機嫌を顔中に貼り付けて三蔵が答える。
視線は宿の部屋に備え付けてあった新聞に向いたままだ。
それでも、悟空が話しかければ必ず返事を返してくれる。
それが悟空にはたまらなく嬉しかった。

「……おい」
「え?」
「え、じゃねぇよ。人を呼んどいて黙り込むな」
その顔を見れば、更に不機嫌の度合いが急上昇しているのがわかる。
三蔵にしてみれば、3日も野宿が続いた上に刺客の量も比較的多く、かなり疲れていた。
しかも、外は夕刻から雨が降り出しており、耳障りな音を立てている。
故に、もともと短い気が、更に短くなっているのである。
「あっ……うん、えっと……」
悟空は慌てて続けようとしたものの、実は特に用事などない。
ただ、三蔵が部屋に入ってからずっと新聞を読んでいるので、自分のほうに気を向けて欲しかったのだ。
平たく言えば、「かまってほしかった」のである。
だが、真っ正直にそんなコトを言おうものなら、「バカ猿!」という怒声とともに
100%の確率でハリセンが容赦なく頭に叩き込まれるだろう。

「……えっと……そう! 三蔵、“人魚の涙”って知ってる!?
とっさに、昼間町をうろついてた時に耳に挟んだ話をふってみる。
「知るか」
…… 一蹴である。
ここまでそっけなく返されると、意地でも興味を引きたくなる。
「この町に入るちょっと手前のトコにさ、大きい湖があっただろ? あそこに人魚が棲んでるんだって」



町で聞いた話によると、今から200年ほど前、村の子供があの湖のそばで遊んでいて足を滑らせて湖に落ちた。
本来は子供だけで遊ぶのを禁止していた場所なのだが、隠れて遊んでいたらしくその場に大人はいなかった。
当然子供達だけで助けることなどできず、泣きながら大人を呼んできた時には、もう溺れている子供の姿は湖面にはなかった。
すぐに町をあげての捜索が始まったが、いくら捜しても、遊んでいた場所の周辺はおろか、
湖の何処からもその子供を見つけることは出来なかった。

4日間にわたる捜索も功をなさず、誰もが諦めかけていた時。
子供は発見された。何度も捜したはずの湖のほとりで。
すぐさま町中が大騒ぎになった。“奇跡”が起きた、と。
当然だろう。湖に落ち、4日間も発見されなかった子供が無傷で帰ってきたのだから。
それでも、子供達がいたずらで、落ちたと言いながら隠れていただけではないのかと疑う者達もいた。
確かに、その方が話の筋は通るだろう。少なくとも“奇跡”よりは。
だが、あの時の子供達の様子は真剣そのものにしか見えなかった。
子供達の嘘で、4日間もの間、町の大人達を全員騙し通すなど不可能だろう。
そうして、“奇跡”の真実を知るため、助かった子供にその時のことを聞いてみたのだ。

少年は、人魚に会ったのだと言った。
小さな子供の話なので要領を得ることは難しかったが、大体の話はこうだ。
少年は気が付いた時、洞窟のような場所におり、そこに人魚がいたのだという。
人魚は少年に蒼く輝く宝石を与えた。その宝石は“涙”なのだと言う。
その宝石は、少年の手の中で溶けて消えてしまった。
その直後に再び少年は意識を失った。
そして、気付けば湖のほとりに横たわっており、その後町の大人達に発見されたのだ。
その宝石の意味が、その時は全くわからなかった。
しかし、何ヶ月かして……少年は異変に気付いた。
そう、あの日以来、成長していない自分の姿に。髪も爪も、1ミリとして伸びない。
それから何年たっても同じだった。
町の者達は少年を気味悪がり、少年は町から姿を消してしまった……。





「くだらねぇな」
そこまで話し終えたところで、三蔵が吐き捨てる。
「この手の伝承なんざ、どこの町や村にもある。
 事実も混じってるかもしれんが、大半は勝手に想像で脚色して作ってるだけだ」
「脚色?」
「……子供が溺れたのは事実だとしても、“人魚”なんてモンはその200年とやらに付け加えられた可能性が高いってことだ」
そもそも、望みもしない『不老不死』を勝手に与える“人魚”など、迷惑以外の何物でもないではないか。
「……でもさぁ、もし本当の事だったら、そいつ……それからどうしたんだろうな」
悟空のいう『そいつ』が、不老不死になった少年であることは、三蔵にもすぐにわかった。
「さぁな。不老不死なら今でもどっかで生きてんじゃねぇか」
「……死にたいって思わないのかな」
悟空の瞳の色が少し翳る。

たったヒトリで、歳も取らず、永遠の時を生き続ける……。
それがどれほどつらいことか、悟空は誰よりもよく知っていた。
五行山の岩牢に閉じ込められてから、三蔵が現れて連れ出してくれるまでの500年、ただひたすら、空を見上げていた。
時を止めたまま……ずっと……。
でも、悟空は“太陽”を手に入れた。『三蔵』という“太陽”を。
その少年には“太陽”は現れたのだろうか。
それとも今も、暗い闇の中を独りで歩いているのだろうか……。
そして、その人魚は、何を思って少年に『不老不死』などを与えたのだろう。
それが、その少年にとっての幸せだと思ったのだろうか。それとも……。


「悟空」
珍しく思考の迷路にはまり込んでいる悟空に、三蔵が声をかける。
ハッと顔を上げた悟空の目と、深い紫暗の瞳がぶつかる。
「そんなつまらねぇ伝承に少ねえ脳みそ使ったところで時間の無駄だ。明日も早えんだ、とっとと寝ろ」
そう言って新聞を置き、自分もベッドに向かう。
見てるこっちがイテェだろ……などと口に出す三蔵ではないが。
らしくない悟空など見たくない。いや、見なくてもわかるのだ、纏う空気が違うことを。
「……うん、オヤスミ」
悟空は素直に三蔵の言葉に従う。まだ、瞳の翳りは残したまま……。














憎い……。



……何が?



全てが……私を裏切った全てが憎い……!



……裏切った? 誰が?



みんな、みんな、みんな……! 苦しめばいい……!



……苦しいのはアンタだろ? だって、泣いてるじゃんか……。












「……くう……、悟空、起きて下さい」
ゆっくりと目を開けると、八戒がそばに立っている。
「……八戒?」
ぼんやりとした瞳で呟く。
「? どうかしたんですか、悟空?」
八戒が幾分心配そうな表情で、悟空の顔を覗き込む。
何処か調子でも悪いのだろうか、と一行の保父さんとしては心配にもなるだろう。
そうでなくても、八戒は悟空には甘い。
三蔵や悟浄相手の時のように、悟空相手に笑顔で毒を吐くような真似はしない。
悟浄などは、不公平だと常々思っているようだが。

「……悟空、朝食が出来てますよ。
 もう三蔵たちも席についていますし、早くしないと悟浄に全部食べられてしまいますよ?」
柔らかい微笑を乗せて八戒が言うと、悟空は今目覚めたと言わんばかりの勢いで飛び起きる。
「え!? もう朝メシできてんの? 腹減ったー! 早く行こうぜ、八戒!」
いつもの調子に戻った悟空に、八戒は密かにホッとする。
……と、そのまま出て行こうとする悟空を引き止める。
「悟空、お腹が空いているのはわかりますが、ちゃんと着替えて、身繕いしなきゃダメですよ」
「……あ、そか」
慌てて着替え始める。
「すぐ行くから、先行ってて。あ、俺の分のメシ、ちゃんととっといてくれよな!」
「はいはい。じゃあ、早く来てくださいね」
クスクス笑いながら、八戒が出て行く。



ふと、着替えながら先刻の夢のことを考える。
自分は、誰と話してたんだろう?
そして、何を話してたんだろう……?
つい先刻見たはずの夢なのに、思い出せない。
思わず手が止まった時、グ〜ッと緊張感の欠片もない音が部屋に響く。
今更言うまでもない音の正体に、悟空は自分が空腹だったことを思い出す。
「あ〜もう! 考えたってしょうがないや! そんな事よりメシ、メシ!」
のんびりしていて、本当に朝食を食べ損ないでもしたら、悟空は動けなくなるだろう。
手早く残りの身支度を整えると、悟空は大急ぎで食堂に向かった。




「腹減った〜! メシ〜!」
食堂に現れた悟空は、余りにもいつも通りの悟空で。
だからこそ、三蔵は何処か違和感を感じた。
悟空の様子がおかしいと感じたのは、あの人魚の話をしてからだ。
だが、あの話は悟空が三蔵にしたものだ。
三蔵が悟空に聞かせたわけではない。
町で聞いてきたと言っていたが、少なくとも宿の部屋に入るまではいつもと変わりなかった。
なのに、三蔵に話してから、瞳に翳りが宿った。
三蔵にはそれがわからない。
聞いた時には何ともなくて、何故人に話した時に落ち込むのか。
「ちっ……」
三蔵は小さく舌打ちする。誰にも聞こえない程度の声で。
どうして自分が、こんなバカ猿のことでこれほどイラつかなくてはならないのか。
イラついている自分に、更にイラつく。
悟空が何もないように振舞っているのが苛立ちを増幅させ、知らず知らずのうちに、マルボロの吸殻がどんどん灰皿に積まれていく。



三蔵が怒ってる。
物凄いスピードで消費されていくマルボロを見ながら、悟空はそう思う。
たぶん、自分のせいなのだろう、とも。
何にも興味がないように見えて、三蔵は人の心の動きに聡い。
ほんの些細な変化も見抜かれてしまう。
何年も暮らしてきて、悟空はそれをよく知っている。
いつもなら、悟空も大抵のことは三蔵に話してしまう。
隠しても無駄だし、隠すつもりもない。
しかし、今回のことに関しては、悟空自身にも分かっていないのだ。

何故、これほど痛むのか。本当かどうかもわからない伝承なんかに。
町で聞いたときは、そんな話があるんだ、くらいにしか思わなかった。
しかし、実際に自分で口にしてみるとチクリと胸が痛んだ。
確かに、その少年の境遇は悟空と似た所がある。
でも。今、悟空には三蔵がいる。
そっけない態度をとってはいても、大事にされているのをちゃんと感じている。
それでも、胸の中の靄は晴れない。
どんどん広がっていく気さえする。
悟空は、それを打ち消したいかのように、ただ目の前の食事に集中した。
何かから、逃れようとするように。




NEXT





長編 TOP

SILENT EDEN TOP