「「………………何?」」
珍しく三蔵と悟浄の声が見事にハモった。
「ですから、今日一日禁煙して下さいねって」
ニコニコとした笑顔は崩さずに、八戒はもう一度繰り返す。
「ざけんな。いきなり何言い出しやがる」
案の定三蔵は不機嫌そうに言い捨て、早速マルボロを取り出している。
「……三蔵? たった今、お願いしたはずですが?」
「……大体、どうしていきなり禁煙させられなきゃならねえんだ」
そう言いながらもやはりコワイのか、マルボロを箱にしまっている。
「今日、何の日だかご存知ですか?」
八戒の言葉に、他の3人はしばし考え込んでいる。
「今日って……5月31日だろ? なんかあったか?」
悟浄は考えてはみるものの、どうも思い当たる記憶がない。
それに関しては、三蔵と悟空も同じらしい。
どうやら全員分からないようなので、八戒はその答えを口にした。
「今日はですね、『世界禁煙デー』なんですよ」
「「「『世界禁煙デー』?」」」
3人の声がハモる。
ハタから見るとかなり笑える光景であるのだが、本人たちは気にしていないようだ。
「そんな日マジあんのかよ」
「俺が知るか」
「へえ、でも何で5月31日が禁煙デーなんだ?」
悟空が至極もっともな疑問を口にする。
「まあそれにはちょっとしたエピソードがあるんですが……行数がもったいないので割愛します」
「……? ぎょうすう……?」
「こっちの話です。とにかく、今日はそう言う日なんです」
いつもの笑顔で話をごまかす。
「……と、いう訳ですので、お2人とも、今日一日我慢して下さい」
「ふん、くだらねえ。そんな誰が決めたか分からん日に俺が従う理由はねえな」
「俺に一日煙草吸うなってか? いくら何でも無理だって」
三蔵と悟浄がイヤがるのを見て、八戒のモノクルがキラリと光った!
「三蔵、悟浄、よ──────く聞いて下さいね?
僕は何も、禁煙デーだからっていうそれだけでこんな事言い出したわけではないんです。
煙草の煙が人体にとても有害なのはご存知ですよね?
普段からたくさん煙草を吸っているお2人の身体にも相当悪いという事は、もちろん分かりますよね?
まあ、自分の身体なんだからどうしようと自由だろうと、あなた方なら仰るかもしれませんが、
煙草というものは吸ってる本人だけに被害を及ぼすというものではないんですよ。
煙草から立ち上っている煙や、吸ってる人が吐き出した煙はそれ以上に有害なんです。
つまり、いつもお2人と行動を共にしている僕や悟空の身体も煙草に蝕まれているんです。
いい加減本数を控えて頂きませんと、僕達の方が肺がんになってしまいます。
それにこういった公共の場で吸うと、他のお客様にも非常に迷惑でしょう。
煙草嫌いの方だってきっといらっしゃるでしょうし。
ですが、さすがに『煙草をやめろ』だなんて僕には言えません。
そういうのは嗜好の問題ですので、そこまで口を出す権利はないですし。
ですから、とりあえず今日だけでも我慢して頂ければなぁ、と思いましてこんな事を言ったんですよ。
まあ出来ればこれからも、公共の場での喫煙は控えて欲しいんですけどね?
……とまあ、こういう訳なんですが、分かって頂けましたか?」
「……ああ……」
見事なまでの長ゼリフに、他の3人はついていくのがやっとだったようだ。
かろうじて三蔵が返事を返しているが、妙に疲れた風に聞こえたのは気のせいではないだろう。
もはや反論する気も起きなくなっているようだ。
もちろん、それを狙っての長ゼリフではあるのだが。
「では、一日禁煙して下さるんですね。ああ、良かったv」
ニッコリと両手を叩いた八戒を見て、悟浄がコソコソと三蔵に耳打ちする。
「おいおい、いいのかよ。一日煙草吸えねえんだぜ?」
「イヤならテメエで八戒を説得しろ」
「それが出来りゃおまえに言うかよ……」
「なら諦めろ」
突き放すように三蔵は言い捨てる。
三蔵も煙草は吸うが、悟浄ほどヘビースモーカーな訳ではない。
一日我慢するのは確かにキツいが、八戒と論戦を繰り広げる方が遥かにキツい。
勝ち目のない戦いで、体力と気力を消耗するなどバカらしい。
これらの理由で、三蔵はもはや一日の我慢を選んだようだった。
朝食を終え、普段なら三蔵も悟浄も食後の一服をするところなのだが、
八戒が笑顔で見ている上に灰皿も取られてしまっているのでどうしようもない。
「……思ったよりストレスたまりそ、コレ……」
悟浄がため息をつきつつ呟く。
三蔵も既に、不機嫌な表情に磨きがかかっている。
それからそれぞれ部屋に戻って準備をし、宿をチェックアウトした。
次の街に向けてジープを走らせる。
「次の街まで結構距離がありますので、今日は野宿になりそうですね」
「げーっ、マジかよ……!」
冗談じゃないと言った風に悟浄がうなだれる。
いっそ次の街に着いてくれれば、八戒の目の届かない酒場なり女の所なりにシケこめるのに。
野宿では八戒の監視からどうにも逃れようがない。
もちろん、それは三蔵とて同じなのだが。
「なーなー三蔵ー!」
「うるせえ! 昼まで待て!」
バシーン!と、いつもより少々大きめで派手なハリセンのヒット音が鳴り響く。
「いぃってぇええ! まだなんも言ってないじゃんかー!」
余程痛かったらしく、頭を抑えながら悟空が抗議する。
「どうせ『腹減ったー!』だろうが! てめえの言うことなんざ聞かなくても分かるんだよ!」
「まあまあ三蔵。苛立つのは分かりますが、悟空に当たらないで下さいね」
誰のせいだ、と言いそうになるのを押し留め、三蔵は再び助手席に腰を下ろす。
そのまま午前中は何事もなく過ぎていった。
最も、煙草だけではなくライターまで八戒に没収されてしまっているので吸いたくても吸い様がない。
日が真上近くまで昇った頃、休憩を取るのに丁度良い小川を見付けた。
「じゃあ、ここで休憩がてらお昼にしましょうか」
「やったー! メシだメシー♪」
悟空がはしゃぎながら八戒の準備を手伝っている。
三蔵はといえば不機嫌指数が上昇しっぱなしだし、悟浄も珍しく不機嫌顔だ。
煙草が吸えないのが、2人とも相当堪えているらしい。
八戒としてもちょっと可哀想だとは思うのだが、今後の事を考えるとこのままでは困るのだ。
お節介だとは思うがこの機会に、もはやニコチン中毒状態に近い2人に本数を控える努力をして欲しいのである。
三蔵と悟浄自身のために。そして何よりいつも傍にいる悟空のためにも。
身体を壊してからでは、遅いのだから。
いらないと言う2人に何とか昼食を取らせ、そこから2時間ほどは休憩という事になった。
問題はここからだ。
いくら八戒でも、別々に行動するであろう三蔵と悟浄を同時に見張る事は出来ない。
だとするなら、どちらかには悟空に付いていてもらうという事になるだろう。
さて、どちらに悟空を付けたものかと考える。
普通に考えるなら、悟空を悟浄に付け、八戒が三蔵に付いたほうが良いのだろう。
悟空は三蔵にはそうそう逆らえないのだから、悟空を三蔵に付けてしまうと効果がないように思える。
しかし、ここは……。
「……悟空、ちょっといいですか?」
「ん?どうしたの、八戒」
「休憩中、三蔵に付いて、三蔵が煙草を吸わないように見てて欲しいんですよ」
「うん、分かった!」
そう言って、三蔵の所に走っていこうとした悟空を止める。
「大事な事を言い忘れてました。三蔵の事なんですが…………」
小さな声で、しかし真剣に言い聞かせる口調で悟空に話す。
悟空の顔も真剣なものに変わり、一つ頷くと三蔵の元へと走っていった。
悟空を見送り、八戒は悟浄の方へと向かう。
悟空を悟浄に付けなかったのは、その場合悟空が悟浄に上手く丸めこまれるか
もしくは言葉を上手く使って撒かれるかするかもしれないと思ったからである。
そう考えると、悟浄にはむしろ八戒が付いた方がいいだろう。
三蔵の方は……おそらく大丈夫だろう。
ちゃんと悟空には言い聞かせてあるのだから。
あとは、自分が悟浄を見ていればいい。
いくら何でも八戒をごまかせるとは悟浄も思ってはいないだろう。
かくして、三蔵と悟空、悟浄と八戒という組み合わせでの休憩時間が始まった。