八戒はそんな2人の様子を見ながら、荷物の中からある物を取り出す。
前の街を出発する前に、こっそり買っておいたもの。
「……悟浄、三蔵。飲みますか?」
八戒が手に持っているものは、ブランデーのボトルだった。
「おっ、ブランデーじゃん! んなもの、いつのまに買ったんだよ?」
「街を出る前に買っておいたんですよ。まあ、睡眠導入剤の代わりにでもなれば、と思いまして」
禁煙のイライラした気分に苛まれている状態で、眠れるはずがない。
2人とも酒には強いからボトル1本じゃ酔えないだろうが、少しはマシになるかもしれない。
眠ってしまえば、朝には禁煙令は解けるのだから。
八戒はグラスを2個取り出し、それぞれを三蔵と悟浄に手渡す。
「……おい、お前は飲まねえのかよ?」
グラスの数に疑問を感じた悟浄が尋ねる。
「僕は今日はいいですよ。特に飲みたい気分でもないですしね」
そう言って、八戒はまず悟浄のグラスにブランデーを注いだ。
そしてボトルを悟空に手渡す。
途端に悟空の顔がパッと輝き、受け取って三蔵の方に向き直る。
「三蔵、グラス出して!」
嬉しそうにボトルを構えている悟空に、少し苦笑しながら三蔵はグラスを差し出した。
三蔵と悟浄は、それぞれの飲み方でブランデーを咽喉に通した。
「なあ、三蔵、美味しい?」
「……ああ」
その答えに笑顔を深くすると、悟空は三蔵が飲み終わるのを待って再びグラスに注ぐ。
「悟空、ボトル貸してもらえますか?」
「うん!」
悟空が八戒にボトルを手渡すと、八戒もまた悟浄のグラスにブランデーを注いだ。
そんな風にボトルが空になるまで、静かな酒宴は続いた。
「さて、もう夜も遅くなってきた事ですし、そろそろ休みましょうか」
八戒がそう言って立ち上がると、ジープが車の形態になった。
それぞれの席で身体を休める準備をする。
肌に心地良い涼しい風が木々の間を吹き抜けていく。
外で眠る分には、良い条件の夜だろうと思えた。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「うん! おやすみ!」
「おう」
「……ああ」
それぞれの挨拶を交わし、4人は瞼を下ろした。
ふっと、意識が現実に引き戻される。
目を開けると、悟浄は前の助手席に三蔵の姿がない事に気が付いた。
やはり眠れないのだろうか。辺りを見回しても気配はない。
悟浄は音を立てないように気を付けながら、ジープからそっと降りる。
どうせ今目を閉じても眠れないだろう。
それなら気分転換がてら、その辺をぶらついてこようと思ったのだ。
なるべく足音を立てずに、ジープから離れて歩く。
良い風が頬をくすぐり、少しは気分が楽になる気がする。
特に方向も決めずに適当に歩いていたのだが、前方に人影を見付けて立ち止まった。
暗闇でも映える金色。誰かなんて考えるまでもない。
三蔵の姿を見ているだけでも、巣食っている苛立ちが溶けていく気がする。
何をしているのだろうとの興味から、あえて声は掛けずに見ていた。
三蔵は、ただ空を見上げていた。
悟浄もつられて上を見上げる。
空には雲がかかり、月はおろか星もほとんど見えない。
この空の何を見ているのだろう。光の見えない空に、何を見ているのだろうか。
「……そんな所で何してやがる」
視線が上を向いていたところに急に声を掛けられ、慌てて三蔵を見てみると三蔵の方は悟浄を見てもいなかった。
「何を驚いてやがる。気付かれてねえとでも思ってたのか、バカが」
「……三蔵様ったら意地悪じゃん。いつから気付いてたんだよ?」
「……さあな」
三蔵の視線は、未だ空に向けられたままだ。
「……なあ、何見てるわけ?」
「別に何も見てねえよ」
無視されると思っていた質問に答えらしきものが返ってきた事に驚きつつ、表面上はいつも通りの口調で尋ねる。
「何もって……どう見ても、何か見てるように見えんだけど?」
「てめえの目がおかしいんだろ。おかしいのは前からだろうがな」
「可愛くねえ……」
「可愛くてたまるか」
憎まれ口を叩き合うものの、それが苛立ちを呼ぶかと言えば、そうでもなかった。
むしろ、何故だか気分が落ち着いていく気さえする。
「ま、三蔵らしいっていやあそうだけどな」
「……うるせえよ」
三蔵は視線を空から落とし、ようやく悟浄の方を見た。
その瞬間、三蔵が暗闇の中で何処か光って見えた気がして、悟浄の心臓が早鐘のように鳴った。
キレイなヤツだとは思っていたし、ホレてる自覚もあったが、突然の衝撃に悟浄は焦った。
気付かれただろうか。三蔵は人の変化に聡いヤツだから。
何とかいつもの表情を作りながら、内心は焦りつつ三蔵の反応を待つ。
「……何ボケっとしてやがんだ。気持ち悪ぃ」
三蔵は眉を顰めて言い放ち、さっさと悟浄の横を通り抜けてジープの方に歩き出した。
どうやら気付かれなかった事に安堵しながら、悟浄もくるりと踵を返す。
「気持ち悪ぃはねえだろ? 傷付いちゃうぜ、俺?」
「ふん、てめえが傷付くような繊細な神経を持ち合わせてるとは思えんがな」
「あ、ひでえ。俺ってこんなに傷付きやすいのにぃ」
「てめえで言うな。説得力のカケラもねえよ」
いつになく三蔵の口数が多い気がしたのは、やはり苛立ちのはけ口を求めての事だろうか。
三蔵はジープの方に足を進めながら、目線だけで悟浄の方を振り返る。
浅い眠りから覚め、どうせ寝つけないなら、と散歩に出た。
雲が掛かり、光のみえない空が今の自分を表しているようで、何となく見つめていた。
そんな時に感じた気配。
誰のものかはすぐに分かった。
すぐに声を掛けてくるかと思ったら、らしくなく様子を窺ったりしているので、しばらくは放っておいた。
だが、いい加減うざくなってきたのでこちらから声を掛けてやったのだ。
悟浄との会話は、正直言って嫌いではない。
いつでも返ってくる軽口にイラつく時も多いが、こういう時にはちょっとした気分転換になる。
悟浄の方はというと、三蔵の後ろをてくてくと歩いている。
「おいカッパ、真後ろを歩くな、うっとうしい」
「んじゃ、隣ならいいわけ?」
そう言いながら、悟浄は足を速めて三蔵のすぐ隣に並んだ。
「あと30cm離れるなら隣でも許してやる」
「へいへい」
悟浄は現在の位置から20cmほど離れる。
10cmほど足りないが、三蔵も何も言わないのでそのままの位置を保って歩く。
思いがけず2人きりで歩けるのだから、これくらいで満足するべきなんだろうななどと思いながら。
もともとジープからさほど離れていたわけでもないので、すぐにジープに着いた。
悟空はそれはそれは気持ち良さそうに眠っているが、八戒はどうだろうと思う。
三蔵と悟浄が相次いでジープから離れたのだ。
八戒の事だから、ひょっとしたら目を覚まして自分達の戻るのを待っていたかもしれない。
そう思い、悟浄はこっそりと運転席に座っている八戒の様子を窺う。
八戒の瞼は閉じられている。呼吸も規則正しく、どうやら本当に眠っているようで安堵する。
今日は一日散々気を遣わせてしまっている。
これで、夜中にまで起こしてしまったら、さすがに申し訳ない。
三蔵と悟浄は黙ったまま、それぞれの席に戻り、目を閉じる。
眠りに誘われるまでには大分掛かりそうだが、それでも目覚めた時よりは気分は落ち着いていた。
意識が再び沈み込むのを、それぞれの思いで待っていた。
木々の間から差し込む眩しい朝日により、意識が引き上げられると同時に
鳥のさえずりが風の音と一緒に耳に染み込んでくる。
瞼をゆっくりと開けると、朝の陽光が緑に反射してキラキラと輝いている光景が目に飛び込む。
「おはようございます、悟浄」
声の方向に振り向くと、八戒が朝食の仕度をしていた。
横では悟空がちょこちょこと手伝いをしている。
「遅い。さっさと目ぇ覚ませ」
三蔵がその傍で腕を組みながら木の幹に凭れかかっている。
「んだよ。三蔵が俺の起床時間に口出すなんて珍しいじゃん」
「てめえが起きねえと、『禁煙令』が解けねえんだよ」
「へ? そうなのか?」
「いえ、折角だから、2人一緒に煙草をお返ししようと思いまして」
それを聞いて、悟浄はさっさとジープを降りて3人の所に向かう。
『禁煙令』の解除を待っていたのは、悟浄とて同じ事だ。
丁度朝食の仕度が済んだようで、4人はいつもの定位置に座る。
「三蔵、悟浄。2人とも、昨日は本当にご苦労様でした。
正直、お2人がこんなにも頑張ってくれるとは思ってませんでした。
約束通り、煙草はお返しします。はい、ハイライトとマルボロです」
八戒は荷物の中から煙草を取り出して、三蔵と悟浄に一箱ずつ手渡す。
「でも、いきなりたくさん吸わないで下さいね。それじゃ昨日の頑張りが無駄になっちゃいますから」
「ああ、わーってるって」
悟浄はウキウキとハイライトの包装を剥がす。
三蔵の方も、表面上は無表情ながら実に手際よくマルボロを吸う準備に入っている。
「はい、悟浄」
悟浄が煙草を咥えたのを見て、八戒がライターの火を差し出す。
「お、サンキュ」
じじじ……と煙草に火が灯る。
そして一日ぶりの煙草を肺一杯に吸い込んで、煙を吐き出す。
「はあ、やっぱ美味えよなあ」
一息ついて見てみると、三蔵も悟空に火をもらって吸っていた。
そして1本分吸い終わる頃に、八戒が灰皿を悟浄に手渡す。
それに煙草を押しつけて消して、もう1本取り出そうとしてその手を止めた。
さっきの八戒の言葉を思い出す。
「……とりあえず、1本にしとくか」
そう呟いて、悟浄はハイライトをズボンのポケットにしまった。
無駄にはならない。
昨日一日の我慢を思えば、いつもなら2本吸うところを1本に減らすくらい何でもない。
それが、今回の『禁煙令』の効果なのだろう。
「さあ、それじゃ朝食を食べちゃいましょうか。早めに出発しないと、今日中に街に着けませんよ?」
「三蔵、メシ食おうぜ、メシ!」
八戒と悟空がテキパキと料理を盛り分ける。
「おい、サル! てめ、自分のだけ大盛りにしてんじゃねえよ!」
「早い者勝ち〜!」
「このサル〜!」
「うるせえ! 黙って食えねえのか、てめえら!」
スパスパーン!と小気味いいハリセンの音が、森の中に鳴り響いた。
いつもとよく似た今日が、また始まる。