軽快な足音を響かせながら、悟空は街中を駆けていく。
今日は久し振りに悟浄と八戒の所に遊びに行くのだ。
三蔵が仕事で出掛けてしまったため、寺院にいても仕方がない。
最近は遊びに行く機会がなかっただけに、悟空はウキウキと2人の家に向かって走っていた。
「あの……悟空くんっ……!」
不意に声を掛けられ、悟空はその場でブレーキをかける。
振り返ると、見覚えのある少女が立っていた。
確か、悟空をよく可愛がってくれているパン屋のおばさんの娘、だったと思う。
ちょっと話した事があるくらいなので、名前までは思い出せない。
「えっと……パン屋さんの……」
「美邑。覚えててくれたんだ」
少女──美邑は嬉しそうに笑うと、綺麗に包装された包みを取り出した。
「これ、チョコレートなんだけど……」
「え? 俺に?」
悟空が訊き返すと、美邑は少し赤い顔で頷いた。
「ふぅん……、サンキュな、美邑」
悟空が受け取ると、美邑の表情が安心したような、明るいものになった。
「良かった……。それじゃ悟空くん、またウチにも来てね」
そう言って、美邑はタタタッと走り去っていった。
それを見送ってから、悟空はその綺麗な箱を見る。
「チョコレートかぁ……。そういえば、去年も一昨年もこの時期にいっぱいチョコレート貰ったよな。
……何でだろ? 三蔵に訊いても教えてくれないし……」
そう、実は悟空は今日が『バレンタインデー』である事も、その意味も全く知らない。
だから、チョコレートを貰って嬉しいものの、それがどうしてなのか分からないのだ。
三蔵にも訊いてみた事があるのだが、取り合ってもらえなかった。
しかし、さすがに悟空でも毎年貰うと、何か意味がある事くらいは察しがつく。
「……八戒なら教えてくれるかな?」
悟浄に訊いたら、まず間違いなくからかわれる事は間違いない。
これも持ったまま行く事になるし、着いたら八戒に訊いてみよう。
悟空はそう決めると、再び2人の家に向かって走り出した。
「チョコレート、貰ったんですか?」
家に着き、さっき貰ったチョコを八戒に見せてみたら、驚いたような反応が返ってきた。
「うん。毎年同じ日にいくつも貰うからさ、なんかあるのかなって思って」
「おいおいおい、『なんかあるのかな』ってお前、何も知らねえで貰ってたのかよ?」
呆れたような悟浄の声が、横から飛んでくる。
「三蔵には訊いてみたんですか?」
「うん。でもいつも教えてくれないんだ」
「ははっ、アレじゃねえの? 迂闊に教えて意識させたくねえってんじゃねえ? 三蔵サマも結構可愛いじゃんv」
「三蔵に聞かれたら殺されますよ、悟浄」
「意識って? 何を?」
悟空には何が何やらさっぱり分からない。
首を捻っている悟空を見て、八戒は少し苦笑を漏らす。
教えたくない三蔵の気持ちも八戒には分かる。八戒にとっても大切な存在だから。
しかし、ずっと教えないわけにもいかないし、悟空の年齢から見ても知っていてもいい事だ。
そう思い、八戒は悟空に向かってゆっくり話す。
「悟空、2月14日……つまり今日は、『バレンタインデー』という日なんですよ」
「『バレンタインデー』?」
「ええ。バレンタインデーには、好きな人に自分の想いを込めてチョコレートを贈るんです」
それを聞いて、悟空は目を丸くしている。
「もちろん、全部が全部そういうわけじゃありません。『義理チョコ』もありますしね」
「? 何、それ?」
悟空の質問に、今度は悟浄が答える。
「要するに、知り合いやダチとかに義理でやる『義理チョコ』と、本気で好きなヤツに贈る『本命チョコ』の2種類があんだよ」
「へぇ〜……」
悟空はそれを聞きながら、自分の持っているチョコを見る。
「……これ、『義理チョコ』だよな?」
その悟空の呟きに、八戒と悟浄は顔を見合わせた。
見るからに『自分の手でラッピングした』と思われる丁寧で凝った、可愛い包装。
2人には、『本命チョコ』にしか見えない。
しかもそれが、悟空と同年代くらいの少女であるなら尚更だ。
「……ちゃんと自覚させといた方がいいか」
悟浄は八戒にそう言うと、椅子に座りながら悟空に向かって話した。
「おい、猿。俺の見たところ、それは『本命チョコ』だ。それを踏まえた上でお返ししろよ」
「え、本命!? ま、まっさかぁ……」
「その『まさか』だぜ、多分な。ま、開けてみて手作りっぽかったら確実だな」
そう言われて、悟空はリボンを解いて包装を開けた。
「……明らかに手作りって感じですねぇ」
「これで決まりだな」
「って、俺、どうしたらいいんだよ?」
「どうもこうもねえな。その気がねえなら、気ぃ持たせるような事言うなよ?」
「俺、よく分かんねえよ、そんなの……」
「はっきり告白されたわけじゃないんですから、いつも通りでいいと思いますよ」
「うん……」
すっかり悟空は考え込んでしまった。
今までそういう話が全くなかったのだから、無理もない。
「なあ、八戒」
不意に悟空が顔を上げて、真面目な顔で八戒に話しかけた。
「何ですか?」
「あのさ……、その、チョコって簡単に作れるの?」
「まあ、手順さえ間違えなければ、そう難しくはないですが……」
「ホント? 俺にも作れる?」
そこまで聞いて、八戒も悟浄も悟空の考えている事が分かった。
「……三蔵に、あげるんですか?」
その問いに、悟空は少し照れながら頷く。
「『本命チョコ』って本気で好きなヤツにあげるんだって、さっき悟浄言ってたろ?
だから、俺、三蔵にチョコあげたいなって思って……」
「……いいですよ、僕が教えてあげます」
「ホントに!? サンキュー、八戒!」
パァッと笑顔になった悟空を見て、悟浄は八戒にしか聞こえないように耳元で囁く。
「……おい、八戒。いいのかよ?」
「いいんですよ。というより悟浄、ここで僕が『嫌です』なんて言えると思いますか?」
苦笑混じりにそう言う八戒に、悟浄もそれ以上は何も言わなかった。
八戒に教えてもらいながら、悟空は一生懸命にチョコを作る。
三蔵に食べてもらいたくて。三蔵に、想いを込めたチョコを贈りたくて。
チョコを削る時に指を切ったり、湯煎で溶かす時に熱湯で火傷をしたり、その度に八戒に手当てをしてもらいながら何とかチョコを作っていく。
型に入れて冷蔵庫で固めている間に包装紙を買ってきて、ラッピングの仕方を八戒に教えてもらった。
完成したチョコを教えてもらった通りに、丁寧にラッピングしていく。
失敗しながらも、何度目かでようやく見栄え良くラッピングできた。
出来上がったチョコを見て、悟空は嬉しそうに笑う。
「へへ、やっと出来たぁ……」
「とても良く出来てますよ。ね、悟浄」
「へぇ〜、猿にしちゃ上出来じゃねえか」
「猿って言うなよ! ……八戒。ホントありがとな!」
「いえ……」
その八戒の笑みが少し曇っていた事に気付いたのは、悟浄だけだった。
完成したチョコを八戒が用意してくれた小さな紙袋に入れて、悟空は寺院への帰り道を急ぐ。
何も急ぐ必要はないのだが、早く渡したいという気持ちが足を早くする。
寺院へ帰る途中でも、いつもチョコをくれるおばさんやお姉さん達からいくつも貰った。
こんな風に毎年皆が軽いノリでくれるために、悟空も今までこの日の意味をさほど気にしなかったのである。
ただ、1つだけ、今年は本気であるらしいチョコが混じっている。
好意を持ってくれる事は嬉しいし、美邑の事も嫌いじゃない。
だけど、悟空の心は決まっている。誰よりも大切な人がいる。
だから、本当にそれが本命チョコであったとしても、悟空にはどうする事も出来ない。
「……でも、決まったわけじゃないし……」
もしかしたら、手作りは美邑の趣味で、ただの義理チョコかもしれない。
そうならこんな風に考える事自体、バカバカしい事だろう。
どっちとも分からないなら、考えるだけ無駄だと思い、悟空は再び寺院に向かって走り出した。
……あれ? あれれ? どうして続いてるんでしょう……?
……というか、三蔵様はどこ(笑)
美邑ちゃん……単に悟空に『バレンタインデー』を知るきっかけを作るためだけに出したはずなのに、いつの間にか妙に存在をアピールしております。何故。
でも悟空には三蔵様がいるので、報われません。ごめん、美邑。
次回は後編ですので、三蔵様もちゃんと登場します。
むしろ次回は三蔵様ばっかりかもしれません。今回の鬱憤を晴らすかの如く。