Bitter and Sweet



─ 2 ─



三蔵は用意された部屋で、あからさまに不機嫌そうな顔で休んでいた。
説法のために昨日から訪れている、長安から少し離れた村。
説法も三蔵法師の務めの1つではあるのだが、はっきり言って鬱陶しい事この上ない。
まだ、長安の寺院で書類の処理をしていた方がマシだとも思う。

壁に凭れ、煙草に火を点ける。
不意に、置いてきた小猿の事が頭に浮かんだ。
いつもの如く付いて来たがったのだが、今回訪れる村が特に妖怪を毛嫌いしていると先に聞いていたため、連れては来なかった。
周りがどう思おうと、三蔵にとっては知った事ではない。
だが、その憎しみの視線に晒されるのは悟空だ。
何も、無理にそんな場所に連れて来る必要はない。

今日の午前中で務めは終わる。
何かしら理由をつけて引き止めようとはするだろうが、そんなものに付き合うつもりはない。
昼食をとって早々に村を出れば、夜には長安に戻れるはずだ。
時計に目をやり、立ち上がりながら、三蔵は窓の外───長安の方角を見ていた。



無事に説法も済み、引き止める坊主共を無視して三蔵は村を出ようとした。
その時、タタタッと小さな女の子が三蔵の前に駆けてきた。
「……何だ」
「三蔵法師様! これ!」
差し出された小さな可愛らしい包みに、三蔵は眉を顰める。
ただ、その茶色の少し長い髪と明るい色の瞳が、連れ出したばかりの頃の誰かを思い出させた。

「おい! 三蔵様に失礼だろう!」
三蔵の後ろに控えていた供の坊主の1人が子供を叱り、別の坊主がその子供の腕を掴もうとした。
「下がれ」
だが、三蔵の一言でその腕は止まり、戸惑いながらも後ろに下がる。
そして三蔵は、坊主の勢いにすっかり怯えてしまった子供の手からその包みを受け取ってやる。
すると、その子供の顔が明るい笑顔に変わった。
「ありがとう、三蔵法師様!」
満面の笑顔で三蔵に笑いかけると、子供は村の中へ走り去っていった。

三蔵は手の中の包みを見る。
黄色の包装紙に橙色のリボンがかかった、小さい箱。
さして深い意味があって受け取ったわけじゃない。
単に、どこか悟空に似た風情の子供を見て、気紛れに受け取っただけだった。
三蔵はその小さな包みを袂の中に無造作にしまい、何事もなかったかのように村を出た。




夕闇が濃くなってきた頃、思ったよりは早く長安に戻って来る事が出来た。
寺院の近くまで帰って来ると、正門の前に見慣れた茶色い髪が見えた。
三蔵が出張から帰ってきた時の、いつもの光景。
三蔵に気付くと、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「三蔵! おかえり!」
正門の見張りや三蔵の供の僧達の冷たい視線を浴びつつ、悟空は三蔵に笑いかける。
「……ああ」
それだけ言って、三蔵は悟空に隣を歩かせながら門をくぐった。

三蔵は供の僧達を元の職務に戻らせ、悟空を伴って自室へと向かった。
その途中、いつにも増して上機嫌な悟空に、三蔵は軽い苛立ちを覚えた。
今日が何の日かは、三蔵も知っている。
毎年毎年、悟空も街に行ってはチョコを貰ってくるのだ。
去年その意味を訊かれたが、三蔵は教えなかった。
意味を知ってしまったら、それで、もしも悟空がチョコをくれた『誰か』を意識してしまったら。
我ながらバカバカしいとは思うが、どうしても教えてやる事が出来なかった。
去年貰ってきた中に、『本命』と思われるようなチョコが混じっていたから、尚更。

教えてない以上、当然悟空もその本命チョコに込められた想いを知らないまま食べてしまった。
冷静に考えてみれば、三蔵のした事は酷い事なのだろう。
『誰か』の想いを知りながら、敢えて伝えずにその想いを押し潰した。
それを理解していても、感情がそれを伝える事を許さなかったのだ。
そしてそれを後悔すらしてない自分がいる。

隣を歩く悟空を、視線だけ動かして見る。
おそらく悟空が元気なのも、単に『美味しいモノを貰った』という、それだけなのだろうと思う。
それでもチョコを貰って喜んでいる、そう思う事自体が三蔵の苛立ちを呼ぶ。
悟空の楽しそうな顔を見ていられなくなって、三蔵は視線を意識的に正面に戻した。




私室に着き、三蔵と悟空はそれぞれ部屋に入る。
案の定、簡素なテーブルの上には幾つものチョコが転がっている。
その中に1つ、ひときわ凝った包装のものがあるのが目に止まった。
さりげなく近付いて見てみると、カードが挟まっていた。

 『悟空君へ。美邑より』

それを見て、三蔵の眉が不快気に顰められる。
それは、去年悟空に贈られた本命チョコに添えられていたカードに書かれていた少女の名だったからだ。
今年も贈ってくるところをみると、まだ諦めていないという事なのだろう。
そのままそれを見ていたら握り潰してしまいそうで、三蔵はテーブルを離れて寝室に向かった。

「あ、三蔵! もう寝るの?」
「……うるせえ。こっちはくだらねえ仕事であんな村まで行かされて疲れてんだよ」
「……そっか、そうだよな。じゃあさ、ちょっとだけ待って!」
悟空はそう言うと、再び私室の方に戻っていった。
少ししてから戻ってくると、両手を後ろに隠して笑っている。
「……何だ」
三蔵は法衣を脱ぎながら、不審な目を向ける。
「うん、あのさぁ……」
悟空が言いかけた時、三蔵の法衣からコトリと何かが落ちた。

それは、綺麗に包装された小さい箱。
それを見て三蔵は村を出た時の事を思い出した。
あの時、村の子供に貰ったものを袂に入れていたのを、すっかり忘れていた。
今日という日を考えれば中身は見なくても判る。おそらくチョコレートだろう。
だからといって、別に三蔵には何の感慨もありはしない。
それを拾って何気なく悟空を見た。
その悟空の表情に、三蔵は思わず視線を固定させた。

悲しそうな、凍りついた顔。
ついさっきまで、あんなに嬉しそうに笑っていたのに、だ。
「……どうした、悟空」
三蔵に声を掛けられて、悟空は我に返ったように再び笑顔を見せる。
「そ、それ……三蔵が貰ったの?」
「ああ」
「そっか……。なんか、意外でさぁ……。ほら、三蔵って、毎年そういうの、ぜってえ受け取らなかった……し、さ……」
悟空が見せる笑顔は、どう見ても無理に作った笑顔であるようにしか三蔵には思えない。
だが、何故そこまで……と考えて、1つの考えに思い至った。


「……悟空、お前、今日八戒と悟浄の家に行かなかったか」
「え……行ったけど。……あれ、俺、行くって三蔵に言ったっけ……?」
「ちっ、やはりな……。てめえ、あいつらに余計な事吹き込まれてきやがったな」
「余計な事って……『バレンタイン』の事……?」
悟空の予想通りの返事に、三蔵はため息をつく。
今日のチョコの意味を知ってしまったために、悟空は三蔵が貰ったチョコに敏感に反応してしまったのだ。
実際、三蔵は今までそういった贈り物を全て切り捨ててきたのだから、当然かもしれない。
たった1つだけ受け取ったという事実に、悟空は傷付いたのだろう。

「……ふん、ガキに嫉妬か? バカ猿」
そう言い放つものの、三蔵の眉間の皺は消えている。
動揺していてそれに気付かない悟空は、余りの言い草に食って掛かった。
「バカって何だよ! 俺、俺はホントに三蔵がその人の事…………って、え? ガキ?」
「これの贈り主はまだ5〜6歳のガキだ。てめえ、俺を変質者扱いする気か?」
「5〜6歳……? それ、ホント……?」
「こんな事で嘘をついてどうする」
拍子抜けしたような顔で、悟空は呆然としている。

その様子を面白そうに見ていた三蔵であるが、悟空の手に握られたものを見て少し表情が変化する。
「……いつまでも間抜け面晒してんじゃねえよ。その手に持ってるものは何だ?」
「え? あ! ……えっと…………三蔵! これ……!」
「……何だ」
突き出された小さな箱を見て、三蔵はそれの正体に感付きながらも悟空に尋ねる。
「これ……チョコなんだ。三蔵に、あげようと思って……」
顔を真っ赤にして、悟空は三蔵の目の前にチョコを掲げている。

それを三蔵が受け取ると、悟空の顔が嬉しそうに綻んだ。
三蔵は受け取ったチョコをじっと見る。シンプルだが綺麗な包装。
「なあなあ、三蔵! 食べてみて?」
「……ああ」
三蔵はベッドに腰掛け、包装を剥がしていく。
中から出てきたたくさんの小さなチョコを1つつまみあげる。

「それさ、俺が作ったんだ!」
「お前が?」
「うん、八戒が教えてくれたんだ♪」
「……そうか」
それを引き受けた八戒の事を考えると、少しだけ三蔵の瞳が沈んだ。
三蔵も八戒の悟空への想いは気付いている。
そして、八戒自身の持つ想いとは正反対のはずの、この悟空の願いを断ち切れなかった気持ちも。
それでも、決して譲れない。三蔵が最優先する相手は……八戒ではないのだから。

そんな事を思いながら、三蔵はそのチョコを口の中に入れる。
「……美味しい?」
「……ああ、なかなかだ」
「ホント!? 良かったぁ……」
三蔵の返事に、悟空は心底嬉しそうに笑っている。



その笑顔が三蔵にもたらすのは、暖かさを伴った甘さ。
そして……それ故に自分以外のものからも愛されるという苦さ。

まるで今食べたチョコのように、その無邪気な笑顔は、甘さと苦さを三蔵に与える。
麻薬中毒患者のように、それを手放せない自分。


「……どうしようもねえな」
三蔵の小さな呟きに、悟空は不安そうな目を向ける。
「え? 何が? ……これ、なんか、変だった!?
思わず漏れた呟きに過剰に反応され、三蔵は悟空の頭に手を置く。
「そうじゃねえよ」
立ち上がった拍子に、開いた扉の向こう、私室のテーブルの上のチョコが目に入った。



「……悟空、アレはお前が貰ったんだな?」
「アレって……あ……」
三蔵の視線を追った悟空が、例のチョコを見て思い当たったように呟く。
その反応を見る限り、悟空もあのチョコが本命である事に気付いているのだろう。
「でも! 俺は、俺の『本命』は三蔵だから!」
三蔵が何かを言おうとする前に、悟空が先制する。
ここまで即座に反応するとは思っておらず、三蔵もその場で悟空を凝視してしまった。

当の悟空はというと、言ってしまってから恥ずかしくなったらしく、真っ赤になったかと思うと俯いてしまった。
おそらく三蔵に誤解されたくなくて勢いで言ってしまったのだろう。
だが、その反応を心地良く思う自分を、三蔵は感じていた。
「……まだ何も言ってねえだろうが」
「だ、だって……」
俯いたまま呟く悟空の顎を取り、上を向かせる。

頬を紅潮させたままキョトンとしている悟空の唇に、そっと自らの唇を重ねる。
唇を離すと、悟空が目をパチクリとさせている。
「……三蔵。今の、何?」
「……チョコの礼だ」
「チョコのお礼ってこうするの?」
「……相手が本命の時だけだ。それ以外にはしなくていい」
「ふぅん……。なんか、口の中甘いや」
「今の今までチョコ食ってたんだから当然だ。……いい加減寝ろ、明日起きれねえぞ」
「うん、おやすみ。三蔵」
悟空が自分の寝室に入ったのを見てから、三蔵はベッドに横になる。



おそらくさっきの三蔵の言葉の意味に気付いたのであろう。
悟空が盛大な音を立てつつ再び三蔵の寝室のドアを開けるのを、微かな笑みを浮かべて聞きながら。







END





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遅くなりましたが、バレンタイン駄文後編でございます。
前編後書きの予告通り、三蔵様ばっかりです。三蔵様オンステージ。(違う)
普段の3割増で悟空依存症が重度になっております。自覚したら手に負えませんね。
会った事もないのに、悟空への本命チョコのカードの差出人の名前を1年間覚えてましたし(笑)
その美邑ちゃん。結局後編では出番すらありませんでした……。
三蔵様に名前を覚えてもらっているという事で満足して下さい。……悟空らぶな彼女にそれは無理か。




2002年2月25日UP




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