三蔵は執務室で普段より更に不機嫌な顔で書類を片付けていた。
書類に記されている日付を見て、その表情に不機嫌さが増す。
3月14日。何の変哲もないはずの文字が、酷く苛立つ。
この苛立ちの原因は分かっている。
それが、認めたくない感情から出ているものだという事も。
悟空が初めて『バレンタイン』を知った今年。
その意味を知った悟空は、三蔵にチョコを贈ってきた。そこまでは良かった。
三蔵の気分をささくれ立たせているのは、悟空自身が貰ったチョコ。
察するに本命チョコと思われるものを悟空に贈ってきた──美邑とか言ったか──少女へのお返しの品を、悟空が買いに街に下りて行ったのだ。
八戒か悟浄辺りに、ホワイトデーの事も教えてもらったのだろう。
余計な事を、と思うものの、さすがに買うなとも言えない。
悟空が手持ちの少ない小遣いで、少女への贈り物を買う。
その事が、三蔵の眉間の皺をいつもより数本多く刻ませる原因となっているのだ。
何を買うのかは知らないが、おそらく買ったその足で渡しに行くのは間違いない。
悟空から貰う初めてのお返しに、その少女はさぞ喜ぶだろう。
それを考えただけでもムカつく。
顔も知らない少女の笑顔に苛つく自分がいっそバカバカしいとも思う。
無意識に力が入っていたのか、サインをしていたペンのペン先が音を立てて折れた。
「ちっ……」
三蔵は舌打ちすると、壊れたペンをゴミ箱に放り捨てて席を立つ。
『気分転換』という事を理由にして、三蔵は執務室を出た。
長安の街で三蔵は何をするでもなく歩いていた。
別に、何か目的があって出て来たわけではない。
少なくとも、三蔵自身はそう思っていた。
知らずに目が何かを探している事など、気付きたくもなかったのだ。
幾つめかの角を曲がると、ふと見慣れた姿が見えた。
思わずその角に身を隠してしまってから、そんな必要などない事に気付く。
別に隠れる理由などないはずだ。
例え、悟空の目の前に見た事のない少女の姿があっても。
2人の死角になる場所から見ていると、会話が聞こえてきた。
「……これ、私に?」
「うん、大したモンじゃないんだけどさ」
「ありがとう! ……すっごく嬉しい……!」
頬を紅く染めて花が開くかのように満面の微笑みを浮かべる少女。
その表情を見るだけでも、少女の悟空への想いが分かる。
果たして悟空は、この少女の想いに気付いているのだろうか。
そんな疑問が、三蔵の頭の中に浮かんだ。
もしも、気付いていたら?
悟空はその想いに応えるつもりなんだろうか。
そんなわけはない、と思う。
悟空が誰より想っているのは自分のはずだ、と。
だが、そう頭で考えてみても、どうしてもその可能性を否定しきれない。
悟空が言った『本命は三蔵だから』という言葉を、確かに三蔵は聞いた。
しかしそれも、悟空が『本命』という言葉の意味をちゃんと理解していてこそ意味がある。
もしそうでなかったら。単に、親愛の情を表すものでしかなかったなら……。
拭い切れない何かが、三蔵の心の内を侵していく。
今なお会話を続けている悟空と少女。
その会話が、ぷつりと途切れた。
正確には、少女が黙り込んでしまったのだ。
困惑する悟空を前にして、少女は俯いている。
その、何かを決めかねている様子に、次に少女が口にする言葉が三蔵には何となく分かった。
そして、顔を上げた少女が紡いだ言葉は……三蔵の予想通りのものだった。
「……あのね、悟空くん。私、さ。…………好き、なんだ…………」
おそらく一大決心でのセリフなのだろう、少女の顔は真っ赤に染まっている。
ただ、この言い方では悟空には伝わらないだろう、そう思っていた。
……だが。
見ると、悟空は目を丸くして、次の瞬間には少女と同じくらい頬が紅潮していた。
それを見た瞬間、三蔵は自分の心臓がドクン、と波打った気がした。
……普段の悟空なら、あんな曖昧な告白が通じるわけがないのに。
それが通じたのはまさか、悟空自身も同じ想いを抱いていたからなのだろうか……?
実際のところ悟空がその告白を理解したのは、バレンタインの時に悟浄に『本命チョコじゃないか』と言われ、それを気にしていたからなのだが、それを知らない三蔵にとって悟空の反応は宣告のように思えた。
悟空が、自分以外の者へ想いを向けるという事の。
悟空が何かを口にしようとするのを遮るかのように、三蔵はその場を離れた。
それが『逃げる』という行為であるという事すら、認識できなかった。
寺院に戻ってから三蔵は再び執務に戻ったが、当然仕事が進むはずもない。
殆ど手付かずの書類を見ている間にも、あの2人の姿が目の前をちらつく。
悟空より少し背の低い、長い髪の少女。
あの2人が一緒に歩いていれば、どう見ても初々しいカップルだろう。
本来なら、祝ってやるべきなのだ。
それは、保護者としては当然の事。
そこまで考えて、三蔵は手に持っていた書類を握り潰してしまった。
「……出来るかよ、そんな事!」
何かに対して怒鳴っているかのように、三蔵は思わず声に出してしまっていた。
手の中で潰れている書類が、僅かに震えているような気がした。
外がすっかり闇に包まれてからも、三蔵は執務を続けていた。
いや、執務を続けていた、という表現は間違いかもしれない。
書類の整理など、ロクに進んでいないのだから。
それでも、悟空がいるであろう私室へと戻る気にはなれなかった。
幸せそうな顔で、報告でもされたら?
その時、平然とした顔で対応してやれるとは思えなかった。
ぶちキレて、何かとんでもない事をしでかしてしまいそうで、戻れなかった。
───俺は、アイツをどうしたいんだ?
そんな自分自身への問いに、三蔵はまだ答えられなかった。
何だか最近私、短いお話書けなくなってるんでしょうか(汗)
バレンタイン小説に引き続き、前後編です。1日遅れました、すみません……。
コレを書いてて思った事は……三蔵様、まるで少女マンガのヒロインみたい……。
アナタは誰!?誰なの!?と言いたくなるほどの別人っぷり。
三蔵様、煮え切らないですね。書いてる方がイライラしてきます(笑)
黙って立ち聞きしてないで、横から悟空を掻っ攫っていけば良いのに。
どうしてこう、ウチの三蔵様は男らしくないのでしょうか……。