ココロの行方



─ 2 ─



しんと静まり返った部屋の中、悟空はソファに座りながら扉を見つめていた。
時刻はもう夜10時。
いつもなら、とっくに部屋に戻っている三蔵が、今日はまだ戻ってきていない。

「……まだ終わんないのかなぁ……」
時間と共に重くなっていく瞼をこすりながら、悟空はポツリと呟く。
最近は特に行事もなく、そんなに極端に忙しくはなかったはずなのに。
本当なら執務室に様子を見に行きたいのだが、仕事の邪魔になるからと、それは我慢していた。
このくらいの時間になると、諦めて先に眠ってしまう事もある。
でも、今日はどうしても三蔵に会いたかった。
自分の気持ちを、三蔵に会う事で確かめたかった。




悟空は昼間の事を思い出す。
悟空の事を『好き』だと言った少女……美邑。
そんな事を言われたのは初めてだから、正直戸惑ったし、ドキドキもした。
でもそれは……違う、と思った。
何が違うのか、言葉では上手く言えない。
ただ、そう思ったのだ。───違う───と。

『好き』という言葉を聞いた時、真っ先に浮かんだのは……金糸の髪と紫暗の瞳。
いつでも悟空を照らしてくれる、金色の太陽。
それを思い浮かべた瞬間、顔中が熱くなった。
自分でも、顔が真っ赤になっているのが分かった。
心臓が壊れそうなほど早く鳴って、思わず自分の手で胸の辺りを握りしめた。


その時、初めて思ったのだ。
自分は、三蔵に対してどんな感情を持っているんだろう、と。
三蔵の事が大好きなのは、分かりきった事。
でも、今まで三蔵を好きだと思っていた気持ちと、今の気持ちは同じなのだろうか……。
その気持ちの違いが、悟空にはまだよく分からない。
それがもどかしくて、三蔵に会えば何か分かるんじゃないかと思った。
だからこうして、夜遅くまで三蔵の帰りを待っているのだ。


ちゃんと、自分の気持ちがどういうものなのか確かめなければならない。
そうじゃないと、悟空が「ごめん」と言った時の美邑の悲しそうな表情を振り切れない。
自分に好意を持ってくれた人を悲しませて、だからこそ、曖昧なままは嫌だった。
帰り際に笑ってくれた美邑の、あの思いを無駄にしないためにも。
何より、自分自身のけじめとして、ちゃんと答えを出したかった。




身じろぎもせずにじっと扉を見つめていた悟空だが、微かに聞こえた足音にハッとする。
その足音の主が誰かを悟ると、少しずつ鼓動が早くなっていく。
今までは、こんな事はなかったのに。
嬉しいとは思っても、こんなにドキドキする事なんてなかったはずなのに。
その足音が部屋の前まで来る時間が、何だかいつもの倍以上に長く思えた。

小さい音を立てて扉が開くと、そこには悟空がずっと待っていた人がいた。
「三蔵、おかえり。遅かったね」
ソファから立ち上がり、悟空は三蔵の方へと駆け寄る。
だが、三蔵の様子が何となくいつもと違う気がした。
はっきりとした違いではないけれど、どこか、よそよそしいような……そんな感じがした。
それには表面上気付かない振りをして、悟空はなるべくいつも通り三蔵に笑いかける。
そうしないと、もしも悟られたら、心臓の音が三蔵にまで聞こえてしまうんじゃないかと思えて。



三蔵は一度だけ悟空を見遣ると、そのまま顔を逸らして悟空の横を通り過ぎて行く。
その行動に、悟空は一瞬その場で固まってしまった。
普段なら、どんなに疲れてても一言くらい声を掛けてくれるのに。
こんな風に、殆ど無視のような、そんな態度を取られた事なんてなかったのに。

鼓動が早くなる。
でもそれは、さっき三蔵が戻ってくると思った時のものとは違う。
今の鼓動の早さは、むしろ逆のもの。……背中が冷える、そんな感じだった。
明らかに悟空を拒否したかのような三蔵の態度に、心に何か冷たいものが伝った。

「さ、三蔵……!」
硬直から自分を解放させ、悟空は慌てて振り返って三蔵の後を追う。
三蔵は既に寝室に入って法衣を着替えていた。……悟空には背を向けたまま。
その背中に、悟空の心がズキリと痛んだ。
こんな痛みは知らない。どうしてこんなに痛いのか、それすらも。
ただ分かるのは、その刺すような痛みが三蔵によってもたらされている事だけ。



「なあ、三蔵。三蔵ってば!」
自分の方を向いて欲しくて、悟空は何度も三蔵の名前を呼ぶ。
しかし、聞こえているはずなのに三蔵は振り向かない。何も言わない。
その事に、さっき感じた痛みはますます強くなっていく。
泣いてしまいそうな自分を抑えるために、悟空は自分の手をきつく握り締めた。


「三蔵! ……何で無視すんだよ! こっち向けよっ……」
声が切羽詰まっているのが、自分でも分かる。
三蔵が振り向いてくれない事が怖かった。もう見てもらえない事が怖かった。
もうあの眼差しが自分に向けられなくなる事が……怖くてたまらなかった。


どうしてこんなにも恐怖を感じるのだろう。
きっと三蔵以外の人なら、こんなにも怖いとは思わない。
例えそれが、八戒や悟浄でも。
こんなにも怖いと思うのは、その相手が三蔵だから。




……『三蔵だから』……?



三蔵だから……振り向いて欲しい。見て欲しい。その手を取って欲しい。



三蔵が大好き。それは、ずっと前から。
でも……違う。この気持ちは……とても、特別な想い。
痛くて苦しくて、でもどこか甘い感覚を伴ったその想いの名を、悟空は知らない。

知らないから伝えられなくて、悟空はどうしていいか分からなかった。
手を伸ばして掴みたいのに、身体が石になったように動かない。
もしも掴んで、その手を振り払われたら?
そう思うと、震える手を三蔵に向かって伸ばす事が出来なかった。



三蔵が着替え終わり、ベッドに向かう。
今、呼ばなければならない。手を伸ばさなければならない。そう思った。
この状態のまま今日が終わってしまったら、何かを失くしてしまうような気がした。

呼べ。呼んで、その手を掴め。
そうしないと、今、その手を掴まないと、もう……。



「……ぞう…………」
絞り出すように、声を出す。
「…………三蔵!!
その声と共に、悟空は強引に身体を動かし、殆ど体当たりのような勢いで三蔵にしがみついた。

「な……!?
三蔵が驚いたように悟空の方に顔を向ける。
だが、悟空と視線が合うとすぐにさっと顔を背けた。
「何で……何でだよ!? いつも、いくら怒ってたって、目ぇ逸らしたりしなかったじゃんか!」
悟空は必死で三蔵に詰め寄る。
「何でだよ……!? 俺の事、そんなに嫌いになったのかよぉ……!?
涙声になっている事にも、頬に冷たいものが流れた事にも気付く余裕がなかった。
「な、んで……喋ってくれないんだよ……? お願いだよ……何でもいいから……何か言ってよ、さんぞぉ……」
ポロポロと零れ落ちる涙を、止める事すら出来ない。
三蔵に嫌われたのかもしれない。そう思うだけで、次から次へと溢れてくる。


「……放せ」
ようやく向けられた三蔵の言葉に、悟空の身体が弾かれるように震えた。
「……ヤだ」
「いいから放せ」
「ヤだ! 放さない!」
振り解かれないように、悟空は手に精一杯力を込める。
両手でしがみついているため涙も拭えなかったが、そんな事はどうでも良かった。
その事で、三蔵に自分の気持ちが伝わるなら。そう思った。

……でも。


「放せっつってんだろ!」
常よりもずっとキツい怒鳴り声が、悟空に突き刺さる。
それでも、悟空はその手を放さなかった。いや、放せなかった。
「ヤだよ……もうワケ分かんねえよ……。なんで……なんでなんだよぉ……」
どうしてここまで拒絶されるのか、その理由が悟空には分からない。
こんなに傍にいたいのに。こんなにも……。




───こんなにも、好きなのに。




そう考えて、悟空は目を見開いた。
『好き』。でも、今までの『好き』じゃなくて。


何よりも特別な、『恋』という名の想いを、今、はっきりと悟空は自覚した。







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目次ページが「前編」から「1」「2」に変わっていた辺りで気付いていた方もいらっしゃるでしょう……。
2話で収まりませんでした。思いの外悟空の心理描写が長くなってしまいまして。
何だか『悟空・恋自覚編』となってしまった今回。本当に少女マンガだ……(汗)
今までは『親愛』だと思っていた感情が『恋』である事に気付いてしまったようです。
自覚させたのは美邑ちゃんでしょう。彼女自身が望んだ事じゃないですが。
それにしても今回、三蔵様にムカついた方、手ぇ挙げて♪……はぁい(挙手)
このお話における三蔵様、とことん男らしくないです。ヘタレです。(注:私は三蔵様ファンです)
悟空を傷付けて、泣かせて、その三蔵様の苦しさは次回、という事で。



2002年3月26日UP




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