ココロの行方



─ 3 ─



泣きじゃくる悟空を、三蔵は直接には見ずに声と腕に伝わる震えで感じ取っていた。
泣かせたいわけじゃない。だが、このまま抱きしめてやる事も出来ない。



昼間見た光景を思い出す。
少女の告白に常にない反応を見せた悟空。
それは、三蔵自身が自覚しているよりも強い衝撃を与えた。

どうして今まで考えなかったのだろう。
悟空が、同年代の少女を好きになる事を。
慕われる事に慣れすぎて、その想いの種類を余り考えた事がなかった。

そう、あの時、三蔵は知ってしまった。
悟空が自分に今まで向けていた感情が、自分の悟空への感情とは違う事に。
その違いを分かっているつもりで、無意識に期待していたのだろう。
悟空も、自分に対して特別な想いを抱いていると。

そうじゃなかった。
確かに特別かもしれないが、それは三蔵が望んでいたものとは別のもの。
それを痛感させられた。



今なお、悟空は三蔵にしがみついたまま泣いている。
その姿に、三蔵の心にも鋭い痛みが走る。
悟空が泣いているのは、三蔵が拒絶するような、冷たい態度を取ったから。
三蔵の愛情を得たい、失いたくない、それが涙となって溢れている。

それが分かっていても、三蔵は違う、と思う。
子が親の愛情を求めるように、悟空もその愛情を求めている。
決して、1人の男としての愛情を求めているわけじゃない。
だから、三蔵は悟空に手を伸ばしてやれなかった。
手を伸ばせば、悟空の望むものとは全く違う愛情……いや、欲望を押し付けてしまう。
その挙句に、悟空を今より深く傷付けてしまうだろう。
それだけは、したくなかった。

それなら、どうすればいいのか。
三蔵には、悟空を突き放す事しか出来なかった。
これでいっそ、自分に愛想を尽かしてくれたならば。
少なくとも、悟空を汚い欲望で穢してしまう事だけはせずにいられる。



……頼む。俺から離れてくれ。
……俺が、お前が触れるその手の熱さに耐えていられる内に。



そんな思いが、三蔵の中で渦巻いている。
傷付けたくない想いが、奪ってしまいたい欲望に負けてしまう前に。
自分が『男』であるという事を、痛いくらい思い知ってしまう前に。









分かっている。これは自分の勝手な気持ちだと。
それでも、悟空は三蔵の手を放してあげる事が出来ない。



初めて女の子から告白されて、ようやく気が付いた。
自分の気持ちに。三蔵を誰より好きだというその想いに。
今まで思っていたのとは違う。暖かくて苦しくて切なくて。
どうしようもないほど、世界の中で三蔵だけが浮き上がって見えた。

だけど、そんな風に想っているのは……きっと自分だけ。
三蔵は悟空の事を『手の掛かるガキ』くらいにしか思っていないだろう。
大切にしてくれている事は知ってるし、厳しいけど優しくしてくれる。
だけどそれは、親が子供を慈しむのと同じもの。
保護者としての愛情でしかない。そう思うと、胸が締め付けられるように苦しくなる。


自分は三蔵に何を期待していたのだろう。
三蔵が悟空を、悟空が想っているような気持ちで想ってくれるわけがないのに。
どんなに胸が痛くても、それは三蔵が悪いんじゃない。
それが分かっているのに、どうして自分はこの手を放してあげられないのだろう……。



……その答えは、多分簡単。
好きになってくれなくても、嫌われるのだけは耐えられなかった。
恋愛感情は持ってくれなくても、せめて保護者としてでも手を差し伸べて欲しかった。
傍にいる事だけでも、許して欲しかった。

なのに、三蔵は悟空を引き離そうとする。
「何で」と訊いても、答えてもくれない。
悟空には、答えるだけの価値もないという事なのだろうか?
そんなのは嫌だ。離れたくない。
傍にいる事さえ許してくれなくなったら、悟空はどこで生きていけばいいと言うんだろう。







膠着状態のまま、どれくらい時間が経っただろう。
悟空の涙も乾き始め、静寂が部屋を支配していた。
その静寂を破って、ポツリと小さな声が響いた。


「……離れないかんな」
「……何?」
聞き取るのが精一杯の小さな声に三蔵が視線を向けると、次の瞬間悟空がバッと顔を上げた。
「俺、絶対三蔵から離れないからな! 三蔵が出てけって言ってもここにいるんだからな!」
突然の大声に、三蔵も意表を突かれたのか何も言い返さずに悟空を見ている。
「嫌われたって、無視されたって、俺はここにいるんだ!
 だって前に三蔵が言ったんじゃんか! 『お前が居たいと思うなら居ろ』って! だからっ……!」
シーツをギュッと握り締めて、悟空は三蔵に向かって怒鳴るような声量で訴える。

「何を……言ってやがる……」
「だって、しょうがないじゃんかっ……。離れたくないんじゃない、離れられないんだ。
 俺は、三蔵から離れたら、今の俺じゃなくなっちゃうよ……」
「違う。お前はどこにいようとお前だ。……岩牢から出てずっと一緒にいたから、そう思い込んでいるだけだ」
「思い込みじゃない! もし岩牢から解放してくれても、それが三蔵じゃなかったら、俺は……俺は、こんなに……!」
「……悟空?」
「こんなに…………好き……になんて、ならなかったんだ…………」
この想いを口にするのに、悟空は今までで1番勇気を必要とした。
拒絶される、その覚悟をしていても口にするのが怖かった。
今までの関係を崩す、決定的な一言なのだから。

しかし、もうその想いは言葉として出てしまった。
もう、戻れない。
その事が、逆に悟空の気持ちを決めさせる事になった。
「俺、もう決めたんだ! ずっとずっと、絶対に三蔵の傍にいるんだ!」
「……一時の錯覚でそんな事を口にするな。単に、お前の傍に俺しかいなかったから……」
「違うよ! さっきも言ったじゃんか……三蔵じゃなきゃダメなんだよ……。
 なあ、三蔵……どうしたら、どうしたら分かってくれるんだよ……?」
『好き』と言ったのに。三蔵には伝わらない。
それが悲しくて、どうしたら伝わるのか分からなくて悟空は必死に三蔵にしがみつく。
そして、それを伝える術を……1つだけ、思い出した。






悟空に必死に掴まれているその腕が、どんどん熱くなっていく気がする。
三蔵はどこかで期待する想いを懸命に振り払っていた。
悟空が三蔵に心を預けているのは、まだ悟空の世界が狭いからだと。
いずれ世界が広がれば、その心は飛び立っていってしまうものなのだと。
そして、自分は『その時』を耐える事が出来ないという自覚をしてしまっている。
だから、悟空を突き放そうとした。
近付きすぎる事で、触れる事で、その想いが暴走してしまわないように。

だが、それももう限界に近付いている。
こうしてしがみつかれている間にも、黒い欲望は心を侵食していくばかりだ。
いっそこのまま奪ってしまえたら……そう思い、そしてそれを理性が否定する。
その翼をもぎ取ってはいけない。
穢れない魂を、欲望で染めてはいけない。
分かっているのに、今にもその身体を抱きしめてしまいそうになる自分がいる。


不意に掴まれている腕をぐいっと引っ張られ、身体が少し傾く。
何を……と思い、悟空の方を振り向いた瞬間目に入ったものに三蔵は目を見開いた。
目の前、近すぎる距離にある悟空の閉じられた瞳。
唇の温かな感触に、初めて今の状況を悟る。
そして悟ったその瞬間に、全身が急激に熱さを増した。




───もう、ダメだ。
───もう、止められない。




三蔵は引っ張られているその力の方向に、身体を傾ける。
そのまま、空いている方の手で悟空の肩を掴んで倒した。
その拍子に唇は離れ、三蔵は掴まれている手も振り解くと悟空の顔を挟むようにベッドに両手をついた。
そして、その両手で悟空の頭を抱え、口付ける。
さっき悟空がしたものとは違う、深い、奪うような口付け。

「……ふっ……」
悟空の口から、微かに声が漏れた。
唇をゆっくり離すと、間近にある悟空の瞳もゆっくりと開けられる。
悟空の瞳は潤んでいるが、微かに見えるのは困惑の色。
だからといって、もう離してやる事など出来ない。
もう既に、欲望は暴走を始めてしまった。もう三蔵には止められない。
今更拒絶するなんて事は許さない。
「……今更後悔したって遅え。逃げられるチャンスを蹴ったのは……てめえなんだからな」
だが三蔵の瞳に宿る危険な光にも、悟空は臆さなかった。
「なあ、三蔵……。俺の事、どう思ってるんだよ……? 俺が知りたいのは、それだけだよ……」
三蔵の瞳を真っ直ぐに見つめて問う悟空の耳元で、三蔵は小さく囁く。



その答えに、悟空は嬉しそうに笑う。
「なら、俺、ぜってえ後悔しない。何があっても、三蔵がそう思ってくれてるなら」
断言する悟空の笑顔に、三蔵の瞳から少しずつ危険な光が消えていく。
悟空はそのまま、両手を上げて三蔵の首に絡める。
「大好きだよ、三蔵。三蔵の傍にいられるなら、どんな事になっても俺、絶対後悔なんかしないから」
大好きな人の傍にいて、その人に想われる。
それで後悔なんて出来るはずがない。






ようやく、傍に辿り着けたココロ。
絶対に、離さないで。
俺も、離さないから。



カラダが重なり合ったこの日に、ココロも重なったと、そう思うから。







END






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別名「ヘタレ三蔵様暴走編」。(オイ)
すみません、あんまり前回の情けなさをカバーできておりません……。
結局のところ、ハッピーエンドに持っていったのは悟空ですから。
まあ今回、ハッピーエンドと言うにはまだ三蔵様が少々不安定な状態であるのですけれども。
三蔵が押し倒した後の悟空の反応によっては、非常にヤバいエンディングを迎えていた事でしょう。
三蔵のセリフはぼかしてますが、そこはご自由に捏造して下さい。
私には、どーしても、三蔵様にそういうセリフが言わせられません……。
このお話、視点がコロコロ変わりますが、2人の視点それぞれから書きたかったのです。
え? この後の三蔵様と悟空ですか? ……ヤですね、決まってるじゃないですか(笑)
ちなみに、ウチにおける三空小説はどれも基本設定で話繋がってるものが殆どですが、
『Bitter and Sweet』と『ココロの行方』は、完全に別物です。
他のウチの三空とは違う、全く別の三蔵様と悟空だと思って下さいませ。
ウチの基本の2人は、まだプラトニックで可愛い恋愛をしてますので(笑)



2002年4月9日UP




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