いつものように変わりばえのしない執務を終え、三蔵は私室へと寺院の廊下を歩く。
すれ違う僧達がすっと避けて会釈をしていくが、全く見もしない。
さっさと私室に戻り、ゆっくりしたいのである。
もっとも、私室に戻ったところでゆっくり出来るわけはない。
待ち構えていたかのように、小猿が遊んでくれとばかりに飛びついてくるのは分かりきっている。
しかし、暗い顔をした僧共の相手をしているよりは遥かに良い。
私室のドアを開けると、予想に違わず悟空がいつものタックルで出迎える。
「おかえり、三蔵ー! 今日は早かったんだなー」
「書類の処理が少なかったからな。……ん?」
三蔵はいつもと違う部屋の様子に気付いた。
「……おい、悟空。何だ、あれは」
尋ねられた当の悟空は、キョトンと三蔵の指差す方向を見ている。
「何って、笹だけど」
「笹は見れば分かる! どうして俺の部屋にあんなバカでかい笹があるんだと訊いている」
三蔵の背よりも高い笹が部屋の隅にスタンド付きで立っている。
「今日街に行った時にさ、いつも挨拶してくお花屋さんのおばさんがくれたんだ。
何か、今日は『七夕』っていう日で、この短冊に願い事を書いて吊るすと叶うんだって!」
そう言って、悟空は机の上に置いてあった10枚ほどの短冊を三蔵に見せた。
嬉しそうに短冊を掲げる悟空に、また妙な事を吹き込まれてきたのかと三蔵はため息をついた。
そんな三蔵の様子を見て、悟空の表情が少し沈む。
「……三蔵? ダメだった……?」
さっきまでの明るいカオはどこへやら、不安そうに三蔵を見上げる悟空に気付いた三蔵は悟空の頭に手を置いた。
「ダメとは言ってねえだろ。……礼は言ったか?」
「うん。ちゃんと『ありがとう』って言ってきたよ」
「そうか。……だが、余り何でもかんでも受け取るなよ、いいな」
「分かった」
素直に頷く悟空の頭をポンと叩いて「よし」と三蔵が言うと、悟空は嬉しそうに笑った。
悟空は短冊の横に置いてあった箱を持ってくると、中を三蔵に見せる。
「これ、飾り付けするヤツもちょっとだけくれたんだ。一緒に飾ろうと思って」
「ふん、高いところに手が届かねえだけだろ」
「ひっでー! そんな事……あるかもしんないけど……」
ぷくっと頬を膨らませる悟空に少し苦笑しながら、三蔵は飾りの幾つかを箱から取る。
「飾るんだろ。さっさとしねえと、睡魔が襲ってきても知らねえぞ」
そう言って、三蔵は悟空の届かない高い位置から飾り付けをしていく。
「じゃ、俺は下から飾ってくな!」
三蔵に向かって笑うと、悟空はしゃがみ込んで飾り付けを始めた。
飾りの量は少なかったので、割とすぐに飾り付けは終わった。
こうして見ると、よく街で見かける七夕用の笹そのものである。
そういえば、と三蔵は飾られた笹を見ながら思い出す。
金山寺にいた頃、光明三蔵と一緒に笹を飾った事があった。
優しい笑顔で、三蔵に短冊を渡して説明してくれた。
あの時、三蔵は願い事を書けなかった。
光明三蔵と共に暮らせるこの日々が続いてほしいと思いながらも、本人がいる前では書けなかった。
それが失くなるなんて、思いもしなかったから。
短冊に願い事を書いたところで、叶うはずなどない。
それでも、どうしてあの時、自分の願いを文字という形に出来なかったのだろうと思う。
もう二度と、願う事すら出来なくなる前に。
「……ぞう……三蔵ってば!」
意識を過去に飛ばしていた三蔵はふっと我に返った。
視線を下ろすと、悟空が三蔵の前に立って顔を覗き込んでいた。
「どうしたんだよ、三蔵? 笹見て、ボーッとして……」
「いや……何でもねえ」
「……ならいいけど……。三蔵、無理に俺に付き合って……」
「バカ猿。何で俺がてめえのために無理なんざしなきゃならねえんだよ」
「ホント? だって、辛そうなカオしてたよ……?」
「……気のせいだろ。それより、短冊はいいのか?」
悟空の鋭さから逃れるように、故意に話題を変える。
「あ、そうだ、願い事書かなきゃ!」
パッと後ろを振り向くと、悟空は短冊を取りに机に向かった。
「えっと、10枚あるから……はい、三蔵、5枚」
三蔵は差し出された短冊から、1枚だけを抜き取った。
「俺は1枚で良い。後はお前が書け」
「え、三蔵、1個しか願い事ないの?」
「ああ」
「ふ〜ん……。じゃ、俺、9枚書いちゃっていいの?」
「食い物以外の事も書けよ」
「いくら何でも9枚全部食い物なワケないじゃん!」
「どうだかな」
「……む〜……」
悟空は少しの間膨れていたが、すぐに気を取り直したのか短冊に願い事を書き始めた。
しばらくは、悟空の願い事を考える小さな声だけが部屋に響いていた。
が、ようやく全部書き終えたのか、悟空が立ち上がる。
「やっと書けた〜!」
短冊を9枚揃えると、悟空は三蔵のところに駆けてきた。
「……で、どんな願い事を書いたんだ?」
三蔵は悟空の手にある9枚の短冊をスッと手に取った。
「あ! ……まあ、いいけど……でも……」
何故か妙に躊躇っている悟空の言葉を聞き流しながら、三蔵は短冊に目を落とす。
1枚ずつめくりながら、三蔵は呆れたように呟く。
「……やっぱり食い物関係ばっかりじゃねえかよ」
だが、7枚目の短冊を見た瞬間、三蔵の表情が変わった。
『三蔵の探しものが見つかりますように』
「……これは、何だ」
どれの事か分からなかったのだろう、悟空は三蔵の手元を覗き込んでから答えた。
「あ、これ? だって三蔵、ずっとなにか、探してるモンあるんだろ?
だから、それが見つかりますようにって。なんか変かなぁ……?」
首を傾げている悟空は、本気で考え込んでしまっている。
「……これは、『お前の』願い事なのか?」
「うん、そうだよ?」
悟空は、どうしてこんな事を訊かれるのか全く分からないという風に答える。
これは確かに三蔵が望む願い事ではある。
でも悟空は、それを『自分の願い事』だと言い切った。
三蔵の願いが叶う事が、悟空の願い事でもあるのだと、何の疑いもなく。
「……そうか」
三蔵はそうとだけ呟くと、次の短冊に目を移した。
次の短冊に書かれていたものも、三蔵に関するものだった。
『三蔵が幸せでありますように』
「……どうして俺なんだ」
「え?」
「この短冊に書くのは、お前の願い事だ。何故、自分の幸せを願わねえ?」
「何でって言われても……。それ、俺の願い事だし……。
それに、自分の幸せは最後の短冊に書いてるもん」
この言葉につられて、三蔵は最後の短冊を1番上に持ってくる。
最後の短冊。それに書いてあった願い事。
『三蔵と、ずーっと、一緒にいられますように』
三蔵は、思わずその短冊を凝視してしまった。
「……三蔵? どうしたの?」
悟空の見上げる瞳と視線が合って、三蔵は意識的に視線を短冊に戻した。
「……これが……お前の幸せなのか?」
「うん! なあなあ、これ、叶うかな……?」
不安と、少しの期待と混じらせながら、悟空は三蔵に尋ねる。
「さあな。……だが」
「だが?」
少し不安を増した眼差しが、三蔵を見つめる。
「叶えるための、短冊だろ? 書いたからには、てめえで叶えてみせろ」
「……うん! 絶対叶える!」
そう言うと、悟空は明るい笑顔で三蔵にしがみついた。
「しがみつくんじゃねえ! 暑苦しい!」
「やーだー。だって、ずーっと一緒にいるんだもーん♪」
本心からの拒絶じゃない事を悟っているらしい悟空は、三蔵の怒鳴り声にもめげない。
「だって、三蔵が『自分で叶えろ』って言ったんじゃん。だから俺、絶対離れないんだー」
楽しそうに三蔵にくっついている悟空は、暑いだろうにそれを気にする様子は全くない。
三蔵は諦めたようにため息をつき、悟空の頭に手をやる。
「……分かった。分かったから、とりあえず手を離せ。短冊飾れねえだろうが」
「あ、そっか。飾らなきゃ意味ないよな。……あ、そういえば」
「何だ」
「三蔵の短冊、見せて?」
「………………断る」
「何でだよー! 俺の、見たくせにー! ズリー!」
「うるせえ!」
悟空の見せて攻撃をかわすと、三蔵は悟空の身長では見えない位置に短冊を飾ってしまった。
「あー! 卑怯だぞ、三蔵ー! どんな願い事書いたんだよ!?」
「何でもいいだろ。ほら、お前もさっさと飾れ」
「……ズルいよなー……いっつもさー……都合が悪くなるとこれだもんなー……」
「やかましい!」
スパーン!といつものようにキレの良い音が鳴り響く。
翌日、悟空が三蔵の執務中にこっそり笹を下ろした時には、既に短冊は失くなってしまっていた。
そして、しばらくはその事で悟空が拗ねて、三蔵は大変な思いをしたらしい……。
END
後書き。
初めての七夕です。当然の如く三空な辺りに、趣味が窺い知れます。
三蔵様が短冊に何を書いたかは……いや、想像つかれている方も多いのではないかと。
照れ屋さんなので、とても悟空には見せられません。(←殺されそうな事を)
拗ねた悟空の機嫌を直すのに、三蔵様はどんな手段を用いたのでしょうか。
しばらくは、帰ってきてもお出迎えがなかったとか。……可哀想に、三蔵様。
さて、今回久々のおまけとして、去年の七夕に掲示板に掲載したSSをつけました。
……書き下ろせれば、1番良かったんですけど……。