Kiss Me!



旅の途中に立ち寄った町の、宿の一室。
バサリと新聞を置くと、三蔵は部屋に備え付けられているカレンダーを見た。
今日の日付──11月8日の右側に視線が集中する。
その日が何の日であるか、覚えてしまっている自分が忌々しい。
いっそ忘れてしまっていれば、いちいち余計な事を考えなくて済むのに。



その日を気にし始めたのは、11月に入ってすぐだ。
ふと見たカレンダーの日付を見て、その日の事を思い出した。





悟浄の、誕生日の事を。





「……くだらねえ」
互いにもういい歳だというのに、誕生日もへったくれもあるものか。
まだ未成年である悟空ならともかく、既に成人している男の誕生日など祝う必要などない。
そう思っているはずなのに。
11月に入って以降、それまでは殆ど目に留めなかったカレンダーが毎日やたらと目に付く。
それはもちろん、カレンダーが増えたわけでも何でもなく、無意識にカレンダーに視線が向かうせいだ。
ついカレンダーを見てしまっている事に気付くと、そんな自分が馬鹿馬鹿しくてムカつく。
それの繰り返しで、ここ1週間ほどの三蔵の機嫌は最悪だった。

そして、当然だがその不機嫌は今もなお継続中だ。
あんな河童の事で何故自分がこうもイライラしなければならないのかと考えると、更にイラつきが増す。
まさに悪循環だ。
くだらない事を考えずに寝てしまえと、三蔵は早々にベッドに入ろうとした。



その時、ノックの音が2回響いた。
「三蔵、僕です。ちょっといいですか?」
その声に、三蔵はベッドから離れて再び椅子に座り直した。
「入れ」
その返事とほぼ同時に、八戒が部屋に入ってくる。
「何かあったのか」
「いえ、そういうわけではないんですが……」
言葉を濁す八戒に、いつもより更に気が短くなっている三蔵の眉間にはあっという間に皺が増える。
「言いたい事があるならさっさと言え。ないなら出てけ」
あからさまに不機嫌な三蔵に八戒は少し苦笑すると、もう1つの椅子に腰掛けた。


「……悟浄の事なんですけど」
悟浄の名が出た途端に表情が硬くなったのを、三蔵自身は気付いていない。
「明日、何の日かもちろん知ってますよね」
「……さあな」
「相変わらず素直じゃないですね」
「どういう意味だ」
「どういう意味でしょう?」
にっこりと笑顔で問い返す八戒に、三蔵は反論するだけ無駄だと悟る。

「……で、明日がどうした」
「いえね、三蔵の事ですから、素直になれずにグジグジ無駄に考え込んでるんじゃないかなと思いまして」
「……ケンカ売りに来たのか、てめえ?」
あくまで笑顔で棘を刺す八戒に、しかも図星を指された事もあり、三蔵はキツく睨む。
「まさか。ただ僕は、三蔵に悟浄の誕生日を祝ってあげてほしいだけですよ」
「ふん、祝いたきゃお前や悟空で何かやったらどうだ」
「……貴方じゃなきゃダメなんですよ」
先程までとは打って変わって真剣な気配に、三蔵は横に向けていた視線を八戒に戻した。

その表情は、気配から察した通りのものだった。
「悟浄にとって、1番大切な人が祝ってあげなければ意味がないんです」
返事をしない三蔵を気にする事なく、八戒は続ける。
「もちろん、僕や悟空が祝っても悟浄は喜んでくれると思います。
 だけど、貴方は悟浄にとって特別なんです。だから、貴方でなければいけないんです」
そこで八戒は言葉を切る。

八戒が何を言いたいのか、三蔵にも分かる。
母親に疎んじられていた悟浄。
本来なら1番に慈しんでくれるべき相手に憎まれ、その殺意すらも受け入れようとした。
自分が生まれてきたせいだからと。自分さえいなければいいんだと。
最近はようやくその呪縛から解かれたようではあるが、それでも幼い頃から刷り込まれた自虐的な部分を完全に消し去る事は難しい。
だからこそ、『生まれてきておめでとう』と。
『生まれてきてくれてありがとう』と、そう言ってくれる存在を誰より望んでいるのは悟浄なのだろう。
最も愛しい人が、自分が生まれてきた事を喜んでくれたなら、それは悟浄にとっては何にも代え難い贈り物となるに違いなかった。

「三蔵。1年に1度、明日だけでいいですから、意地を張らずに素直に悟浄に接してあげて下さい」
それだけ言うと、八戒は立ち上がり、挨拶だけ残して部屋を出て行ってしまった。


「……勝手な事言いやがって……」
小さくそう呟くと、三蔵は立ち上がってカレンダーの前に立つ。
人差し指で「9」の数字をなぞりながら、じっとその数字を見つめる。

11月9日。
悟浄がこの世に生まれ出た日。
生まれてこなければ、出会う事もなかった。
もしも悟浄が存在しなかったとしたら、三蔵の『今』はどう変化していただろう。
そんな事をふと考えて、バカな事を、と思考を辿る事を止めた。
『もしも』なんて考えても意味がない。
今、現実に悟浄は三蔵達と旅をしているし、確実にそこにいる。
その事だけが、今何よりも重要な事だ。

「生まれてきた日……か」
三蔵はカレンダーから手を離すと、少し考え込むような仕草をした後ベッドに入り、電気を消した。









翌日、午前中の間に買い出しなどを済ませると、昼食後には八戒は悟空を連れて丁度今街で催されている祭りに出かけてしまった。
八戒がジープの調子が思わしくないと言うのでもう1泊する事になったのだが、昨日の八戒の言動から察するに明らかに嘘だろう。
その証拠に、「悟浄に渡して下さい」とケーキなどを三蔵の部屋に残していった。
その甘ったるい匂いに眉を顰める。
こんなものはさっさと押し付けるに限る、と、三蔵はケーキを持って悟浄の部屋に向かった。
八戒からの預かりものを押し付けに行くだけだ、と誰にともいえない言い訳を無意識に心の中でしながら。

八戒と悟空のお祭り編

「よーお、三蔵サマが俺の部屋訪ねてくるなんてどういう風の吹き回し〜?」
「うるせえ」
軽口を叩く悟浄を一睨みすると、三蔵は手に持ったものを悟浄の前に掲げた。
「……何だ、これ?」
「見て分からんか、ケーキだ。……八戒からの預かりものだ」
「八戒から? 何でまた」
分からないといった顔のままケーキを受け取る悟浄に、三蔵はため息をつく。
「……自分の誕生日も覚えてられねえとは、さすが河童だな」
「誕生日? ……あー……そういえば」
やっと思い出したのか、さして感慨もなさそうに悟浄が呟く。
「八戒ってマメだよな。本人すら忘れてる誕生日覚えてんだから」
手にしたケーキを見て、悟浄が苦笑する。

「で? 三蔵サマからはなんかプレゼントないわけ?」
「あると思うのか?」
「……思ってマセン」
「分かってんなら訊くな」
昨夜の八戒のやり取りなど忘れてしまったかのように、口からはいつもの憎まれ口しか出て来ない。
大体、これが三蔵という人間だという事は八戒だって分かってるはずだ。
なのに、いちいち無駄な事を言いに来やがって、と自分の態度を棚上げして三蔵は内心で悪態をつく。
問題なのは自分の態度だと分かってはいる。
だが、20数年もかけて作られてきた性格がそう簡単に変わるものでもない。
思い通りにいかない自分の言動に苛つきながら、三蔵は踵を返して部屋を出ようとした。

だが、扉を閉める前に三蔵とは別の手がそれを阻んだ。
「なあ、お前も食ってけよ、ケーキ」
「いらん」
「だってよ、俺1人で食えるわけねーだろ、これ。猿じゃねえんだから」
確かに、ホール型のそのケーキはどう考えても1人分ではない。
「……知るか、なら後で猿にでもやれ」
「どうせ八戒と出かけてんだから当分帰ってこねえだろ。それともボク洋菓子キライだから食べられまセンってか?」
見え透いた挑発。くだらない、と思う。
……だが。
「……飲み物はテメエが用意しろ」
部屋に入って扉を閉めると、三蔵は真ん中のテーブルにある椅子に腰掛けた。

「へーへー。しっかし、普通誕生日迎える本人にやらすかね?」
「うるせえ。つべこべ言うな」
「わっかりましたー」
言うと、悟浄は飲み物を調達すべく部屋を出て行った。






シンとした部屋の中で、三蔵は安物の木の椅子にギッと音を立てて凭れる。
あんな馬鹿みたいな挑発に乗る事などなかった。
勝手に言わせておいて、さっさと部屋に戻る事も出来たはずなのに。
結局、ケーキにしろ挑発にしろ、それを口実に『仕方ない』と自分を納得させなければ行動すらも起こせない。
そんな自分の子供のようなプライドに、自嘲的な笑みが漏れる。


ガチャリとノブを回す音に、三蔵は咄嗟に表情を消す。
それと同時に悟浄が飲み物を手に入ってきた。
「ほらよ、買ってきたぜ」
テーブルに置いたそれは、ブランデーのボトルが何本かとグラスが2つ。
ついでに氷とケーキを切り分けるナイフと小皿も用意してきた辺り、悟浄も八戒の事は言えないマメさである。

悟浄は不慣れなのか不器用な手付きでケーキを切り分け、グラスにブランデーを注ぐ。
「じゃ、折角だし食うか」
「てめえの場合、食うよりも呑む方が主だろうが」
「それはお前も同じだろー?」
「当たり前だ、猿じゃあるまいし」
そんな会話を交わしながら、それぞれグラスを煽る。



ケーキを食べるよりも明らかに酒を次々と消費していく中、三蔵はグラスの中の氷をふと見つめる。
カランと音を立てて揺れた氷は、既に大分溶けかかって小さくなっている。
酒に溶けて消えていく氷のように、いっそこの酒で自分の心の内にあるものも溶かしてくれないだろうかなどという考えが僅かに浮かぶ。
そんな考えが浮かぶ事自体、三蔵も少し酔ってきているのかもしれない。







『意地を張らずに素直に悟浄に接してあげて下さい』



余計なお世話だ。



『貴方じゃなきゃダメなんですよ』



そんな事、とっくに知ってる。







「……悟浄」
呑むのを止めて小さく呟いた三蔵に、悟浄は視線を上げる。
「さっき、『プレゼントはないのか』とかほざいてやがったな」
「ああ。ま、ないだろうとは思ってたけどな」
そう言って笑う悟浄の眼がどこか寂しげだと思ったのは、三蔵の気のせいだろうか。

いや、多分そうじゃない。
「……欲しいなら、やらんでもない」
「……へ?」
悟浄にとっては予想外だったのか、場に似合わぬ間抜けな声が悟浄の口から漏れた。
「いらんならいいが」
「ちょ、ちょっと待てよ! いらねえなんて言ってねえだろ! ってか、マジにくれるわけ?」

「やると言ってるだろう。欲しいものがあるなら言え」
「……何でもいいのかよ?」
「言ってみろ」
三蔵が促すと、悟浄は立ち上がって三蔵の座る椅子の傍に立ち、身体を前に倒して三蔵の耳元で囁いた。

「……じゃ、このまま今夜いっぱいベッドの……」
そこまで言いかけたところで、スパァァァアン!というキレの良い音が鳴り響いた。
「調子に乗んじゃねえ、このエロ河童!」
「いってぇぇぇ! 『何でもいい』っつったじゃねえかよ!?
「やかましい! 俺の許可する範囲内での『何でも』だ!」
「どういう理屈だよ、それ!?
油断していたところに力の限り殴られ、悟浄は頭をさすって抗議する。

そんな悟浄に背を向けると、三蔵はハリセンをひとまずしまう。
その頬が怒りのためだけでなく紅潮している事は、きっと気付かれていない……と思う。
悟浄はというと、まだちょっとブツブツ言っている。
「うるせえ、他のにしろ」
「へいへい。んじゃあ……そうだなー……」
そう言ってしばらく考え込んだ後、悟浄は何か思い付いたように笑う。

「そんじゃあ、キス」
懲りていないのか、先程と同じように耳元で囁く。
数秒の間の後、振り向いた三蔵に、悟浄は後ろに引いて少し身構えるような動作をした。
おそらく、ハリセンを警戒しての事だろう。


しかし。


唇に感じる温もりはそのままに、三蔵は閉じていた目を軽く開ける。
至近距離にある悟浄の顔は、驚きのあまりに瞬きを繰り返している。
そんな悟浄の呆然とした顔が可笑しくて、口付けたまま微かに目元に笑みが浮かぶ。
それに悟浄も我に返ったのか、1度三蔵を凝視した後、目を閉じて三蔵の身体を抱き込む。
悟浄は何度も角度を変えては、更に深く口付けた。



長いキスの後、そのままの勢いでベッドに押し倒されそうになって再びハリセンが炸裂した。
「……調子に乗るな、と言ったはずだが?」
「…………スイマセン…………」
頭からぷしゅうう……と音がしそうな状態で、悟浄はしくしくとベッドにうつ伏せに倒れ込んでいる。
更には聞こえるか聞こえないかといった程度の小さな声で、「いけると思ったのに……」などと呟いている。

いかれてたまるか、とこちらは内心でのみ呟きながら、三蔵は何とか自分の鼓動を正常に戻そうと静かに深く呼吸をしていた。
とりあえず落ち着いてから、三蔵は椅子に腰掛ける。
「まだ酒残ってんだろ。呑むぞ」
そう言ってグラスに酒を注ぐものの、悟浄はベッドに突っ伏したままだ。

「……日が沈んでからなら、考えてやらんでもない」
その三蔵の言葉から数秒後、それまで突っ伏していたのは何だったのかと言いたくなる勢いで悟浄が飛び起きた。
「い、今のマジか!?
「さあな。大体、この俺がてめえの『誕生日』を祝ってやってるだけでも有難く思いやがれ」
そう言うと、三蔵は一気にグラスを煽る。
「祝って……くれてんの?」
「そう見えねえのか」
「いんや……サンキュ」
「……ふん」
三蔵はふい、と横を向くと、空になったグラスに酒を注ぐ。

「そんじゃあ、ま、大人の時間がくるまで酒盛り続けっかー」
いきなり復活した悟浄に、現金なヤツだ、と思う。
三蔵は微かに笑うと、今の気分の良さを酒のせいにして何杯目ともしれない酒を口にした。









END











後書き。

さて、突然ですがここで問題です。
このお話は次のうちどれでしょう。 → 1、シリアス  2、甘々  3、ギャグ
……私にも今いち掴めません。(オイ)
何はともあれ、悟浄の誕生日です。
一昨年のバースデー浄三は悟浄視点だったので、今年は三蔵視点で。
誕生日は(ウチの)悟浄には幸せになれる数少ないチャンスなので、幸せになれるよう頑張ってみました。
途中、ハリセンで殴られたりしてますが、悟浄は幸せなんです。ええ、きっと!




短編 TOP

SILENT EDEN TOP