強い陽射しが照りつける中、ようやく着いた街の宿。
悟空は部屋のベッドにボスッと音を立てて座りながら、荷物の片付けをしている八戒を見た。
「八戒、なんか手伝おーか?」
悟空が声を掛けると、八戒が振り向いて笑顔を見せる。
「いえ、大丈夫ですよ。もう終わりましたから」
「そっか……」
いつも八戒に任せっきりで、それが当たり前になるのが嫌で悟空は何かというと手伝いを申し出たりするのだが、八戒の手際が良いせいか今いち役に立ってない気がするのだ。
悟空のシュンとした空気が伝わったのだろう、八戒は立ち上がると悟空の傍に歩いてきた。
「悟空、これから買い出しに行くんですけど、一緒に来てくれませんか?
僕1人じゃ、とても荷物を持ちきれないんですよ」
それを聞いて、悟空の顔がパァッと明るくなる。
「うん! 行く!」
例え荷物持ちでも八戒の役に立ちたい。役に立てる事が、悟空には何より嬉しいのだ。
八戒と悟空は宿を出て、商店の建ち並ぶ街の中心部へと歩く。
まだ陽射しはかなり強く、道行く女性達は日傘を差したり深く帽子を被ったりしている。
「暑くないですか? 悟空」
「あちーけど、これくらい平気だよ」
「買い出しが終わったら、喫茶店で冷たいものでも飲みましょうね」
「ホント!? ラッキー!」
無邪気に喜ぶ悟空を、八戒はおそらくは陽射しのせいだけではないであろう眩しそうな目で見つめていた。
「八戒、次は?」
「次は……三蔵と悟浄の煙草ですね」
「……三蔵も悟浄も、煙草くらい自分で買いに行けばいいのに」
大量の荷物を抱えながら悟空がそう零したのも無理からぬ事だろう。
何しろ、ただでさえ多い荷物である。
買わずに済ませられるものは買わないでおきたい。
そんな悟空の様子を見ながら、八戒は苦笑した。
「仕方ないですよ。この暑い中、買い出しに行く人達じゃないでしょ?」
「そうだけどさー……、いっつも八戒ばっかり大変じゃんか」
「そんな事ないですよ。悟空がいるじゃないですか」
「……え?」
悟空は面食らったように八戒を見つめた。
きっと、何気なく言っただけの言葉なんだろう。
なのにそれは、悟空の心臓を跳ねさせるのには十分だった。
八戒も、予想外の悟空の反応に驚きを見せた。
心なしか、パッと八戒の方に向けられた悟空の顔が紅潮しているように見える。
それは、この暑さのせいだろうか。それとも……。
「……悟空?」
八戒に名前を呼ばれて、悟空はハッと我に返った。
慌てて八戒から顔を背け、視線を腕に抱えた荷物に埋める。
思わず八戒を凝視してしまっていた事に気付いて、ますます悟空の顔が赤くなる。
「な、何でもない、ごめん。次! 次、行こ!」
そう言うと、悟空は八戒の先に立って少し早いペースで歩き始めた。
後ろから八戒が歩いてきているのを気配で感じながら、悟空はとにかく落ち着こうとしていた。
きっと、八戒に変に思われてしまっただろう。
自分でも、自分が変だと思う。
ただ、さっきの八戒の言葉が余りに悟空にとっては強すぎた。
どうしてか分からないけれど、聞いた瞬間に心臓が跳ね上がる感じがした。
嬉しいと思うと同時に、鼓動がどんどん早くなっていった。
嬉しいと思うのは当然だと思う。
頼りにされていると思うのは、とても嬉しい。
その相手がが三蔵であれ、悟浄であれ。
でも、今感じたのはそれだけじゃなかった。
それは何故だろう。
八戒はたまに怖い時もあるけど、悟空にはいつでも優しくて。
いつ呼んでも、暖かい笑顔で振り向いてくれる。
悟空が何かを話す時も、どんなにたどたどしくても言葉足らずでも、悟空が話し終わるのをじっと待ってくれる。
どんな時も、何もかも包んでくれそうな、そんな安心感が八戒にはある。
それに触れている時が、悟空にとっては何より心地良い時間だった。
でも、時々不安になる。
自分は八戒に甘えすぎているんじゃないかと思う。
八戒が優しいのに甘えて、我侭を言う事も多々ある。
そんな自分に後から落ち込んだりもするものの、なかなか甘えるのを止められない。
出来る事なら、八戒にも甘えてもらえるようになりたいのに。
八戒が甘えられるくらい大人になるには、どうしたらいいのだろう。
そうでなければ。
一方的に甘えるだけでは、いつか八戒が遠くに行ってしまうような気がして怖かった。
もっと強くなりたい。
悟空が八戒の傍で安心出来るように、八戒が安心できる場所になりたかった。
でも、そのためにどうすればいいのかが分からない。
分からないから、不安はどんどん大きくなる。
悟空は荷物をぎゅっと強く抱きしめながら、その不安に耐えていた。
そんな時だった。
「悟空、危ないっ……!」
八戒の声が聞こえた時には、悟空はよろけて後ろに座り込んでしまっていた。
どうやら考え事をしながら歩いていたせいで、人とぶつかったらしい。
「いててて……」
尻餅をついてしまった悟空は、それでも離さなかった荷物を抱え直した。
「悟空、大丈夫ですか?」
八戒が慌てて悟空の傍に駆け寄ってくる。
その八戒の行動が嬉しいと思ってしまった自分に気付き、悟空は首をプルプルと横に振った。
「悟空?」
「何でもない! 大丈夫」
悟空に怪我がないのを確認すると、八戒はぶつかった相手の方へと手を差し出した。
「すみません、大丈夫ですか?」
「え、あ、だ、大丈夫ですっ……」
後ろに弾き飛ばされてへたり込んだままだった少女は、両手を身体の前で大きく振りながら答えた。
悟空も慌てて少女に謝る。
「あっ、ごめん! 俺、ぼーっとしてて……」
「いえ、私も考え事してたから……ごめんなさい」
1度悟空に頭を下げてから、少女は立ち上がろうとした。
「……痛っ……!」
だが、立ち上がろうとしたものの、またすぐにその場にへたり込んでしまった。
「……足……怪我されたんですか?」
八戒は少女の前に屈み込む。
「ちょっと捻っただけだと思いますから大丈夫です……」
しかし、どう考えてもさっきの様子では『ちょっと捻っただけ』とは思えない。
「ちょっとすみません、失礼します」
そう言うと、八戒は少女の左足首に慎重に触れる。
「……っ……!」
「……かなり腫れてますね。もしかしたら、捻挫してるかも……」
「えっ……捻挫!?」
八戒の後ろから見ていた悟空が、身を乗り出した。
「どうしよう……俺のせいだ。俺がもっと気をつけて歩いてれば……」
「あ、あの、別に貴方のせいなんかじゃないですから……」
悟空が酷く落ち込むのを見かねたのか、少女は小さな声で声を掛ける。
そんな少女に八戒は少し微笑むと、悟空の方を振り返った。
「すみません、悟空。この荷物、持ってもらえますか?」
「え? うん」
悟空がその荷物を受け取ると、八戒は「失礼します」と声を掛けて少女を抱き上げてしまった。
八戒のこの行動には、悟空も少女も一瞬訳も分からず言葉を失った。
次の瞬間には、少女は真っ赤になってパニック状態になっていた。
「あ、あ、あ、あ、あ、あのっ……! わ、わ、わ、私は、だ、大丈夫ですからっ……!」
一方、悟空はまだ呆然としている。
混乱している少女を宥めるように微笑んで、八戒は説明をした。
「この足じゃ歩けませんよ。かといって、こんな往来で治療も出来ませんし……。
出来れば自宅か行き付けの診療所かの場所を教えて頂けませんか?」
『こんな往来』でいきなり抱き上げるのもどうかと思うが、八戒としても致し方がないのである。
ようやく我に返った悟空は、八戒に詰め寄った。
「じゃ、じゃあ俺がこのコ運ぶ! 俺が怪我させたんだから!」
「今からまた下ろしてとかしてたら手間でしょ? 足に負担がかかるかもしれませんし……」
「でも……」
八戒が女の子を抱き上げている姿を見ると、胸の辺りがチクチクと痛む。
そんな八戒を見たくない。背を向けてこの場から逃げ出したくなるから。
別に、この八戒の行動は何ら変な事ではない。
八戒は本当に優しいから。怪我をした少女を放っておけるわけがない。
そんな事は、悟空が1番よく知っている。
それなのに、どうしてこんなに嫌なのだろう。どうしてこんなに泣きたい気持ちになるのだろう。
ただ、足に怪我をした少女を抱き上げ、笑いかけている。それだけで。
悟空が俯いてしまったのを、怪我をさせた責任感からだと受け取ったらしい八戒は悟空に微笑む。
「大丈夫ですよ。ちゃんと無事にお送りしますから。
すみませんが、悟空はその荷物を宿へ運んでもらえますか?」
「……うん、分かった……」
力なくそう答えると、悟空は八戒達に背を向けて歩き出した。
これ以上、見ていたくなかった。
宿に帰ると、廊下に悟浄の姿を見つけた。
「おう、またすげー荷物だな、オイ。……あれ、八戒はどうしたよ。一緒じゃなかったワケ?」
『八戒』という単語にピクリと反応すると、悟空は悟浄の横をすり抜けようとした。
「っておいおい、どうしたんだよ。シカトはねーだろ?」
悟浄は悟空の持っている荷物の半分を片手でひょいと取ると、悟空達の部屋のドアを開ける。
当然のように入っていく悟浄の後ろから、悟空も部屋に入っていった。
部屋の隅に荷物を置くと、悟空は自分のベッドにうつ伏せに倒れ込んでしまった。
悟浄はというと、荷物を置いたにも関わらず、自分の部屋に戻らずに八戒のベッドに座り込んだ。
しばらくはそのまま、壁の掛時計の秒針の音だけが部屋を支配していた。
静かな部屋の中で、うつ伏せのままの悟空の耳にライターの火をつける音が届いた。
悟浄が煙草を吸い始めたのだろう。
「……煙草吸うんなら自分の部屋で吸えよ」
悟空は顔だけを悟浄の方に向ける。
「あっちじゃ生臭坊主が銃の点検してやがんだよ」
「別に関係ないじゃん」
「……煩くされると邪魔なんだとよ」
「要は追い出されたんだろ。ダッセー……」
「うっせえ、バカ猿」
図星だったのか、悟浄はそっぽを向きながら煙草をふかしている。
「……八戒って、優しいよな」
「ん? まあな。怒らすとアイツほど怖えヤツもいねえと思うけどよ」
「怪我した女の子を運んであげるくらい、八戒なら当たり前なんだよな……」
「ま、アイツは女子供にゃ甘いからな。……所詮、不特定多数への優しさだけどな」
最後に付け加えた言葉の意味がよく飲み込めずに、悟空は聞き返す。
「不特定多数への優しさ?」
「必要条件が揃った時だけの優しさだってこったよ」
「? よく分かんねえ」
悟浄は煙草をテーブルの上の灰皿で揉み消す。
「つまり、だ。その優しいって思う行動に、条件があんだよ。
例えば今のヤツなら、『怪我をした』ってな。その条件がなきゃ、『運ぶ』って行動も出てこねえだろ?」
それでもまだ腑に落ちない顔をしている悟空に苦笑して、悟浄は立ち上がる。
「不特定多数じゃねえ、特別な相手なら、そんな条件要らねえんだよ。
どんな感情でも無条件に与えちまえるモンだ。それがプラスの感情であれマイナスの感情であれ、な」
そう言われても、悟空には今いち良く理解できない。
「……ちょっと分かりにくかったか。ま、分からない内は分からなくていいんだよ。
あんまりグダグダ考えてねえで、感じた事そのまま受け入れとけ」
悟浄は悟空の頭をポンポンと叩くと、悟浄は部屋を出て行ってしまった。
1人になった部屋で、悟空は再び顔を枕に埋めた。
条件付の優しさ……確かに、八戒が他の人に見せる優しさには何かしら理由がある気はする。
なら、悟空に対しては?
考えてみるものの、よく分からない。
その時、部屋のドアがノックされ、外から声が掛けられた。
「悟空? いますか?」
「八戒……」
悟空が呟くと同時に、八戒がドアを開けて入ってきた。
「ああ、良かった。部屋にいたんですね。また街に出てたらどうしようかと思いました」
悟空を部屋の中に見つけて安心したように笑った八戒であるが、ベッドにうつ伏せになっている事に少し首を傾げる。
「……ひょっとして、どこか具合でも悪いんですか? それとも、重い荷物で疲れちゃいましたか……?」
心配そうに覗き込んでくる八戒に、悟空は勢い良く起き上がった。
「何ともないよ! ちょっと暑さでダレてただけで……」
「そうですか? それならいいんですけど……」
「それよりさ……あのコ、どうしたんだよ?」
「あのコ……ああ、あの女の子ですか? ちゃんとお医者様に診て頂きましたよ。
お家の方にも連絡しましたんで、後は大丈夫でしょう」
「ふぅん……」
元気がない悟空を見て、八戒は悟空の隣に腰掛ける。
「捻挫はしてなかったみたいですから、心配いりませんよ」
どうやら少女の怪我を気にして元気がないのだと思ったらしい八戒は、悟空に安心させるように笑う。
「それよりも悟空、行きましょうかv」
さっと立ち上がった八戒を、悟空は目を丸くして見つめた。
「え? 行くって……どこに?」
「あれ、忘れたんですか? 『買い出しが終わったら、喫茶店で冷たいものでも飲みましょう』って言ってたでしょう?」
「……言ってたけど……」
もう既に宿に帰ってきているのだから、わざわざ出て行く必要などないように思える。
もちろん、嫌なわけではなくてむしろ嬉しいのだが、八戒が自分に気を使っているのではないかと思うと少し躊躇う。
「……行きたくありませんか?」
「そ、そんな事ない! 行きたい!」
八戒の寂しそうな顔に、つい大声が出てしまった。
「良かった。僕、実は悟空と一緒に行こうと思ってこっそり予約までしてたんですよね〜」
「予約? いつの間に……」
「この街に着いて、宿を探してた時ですよ。すごく人気の店らしくて、予約なしじゃ入れないっていうものですから」
「そんな店に、俺と? 何で……」
「だって、悟空と一緒に行くのが1番楽しいじゃないですか」
その八戒の言葉に、悟空は顔が熱くなっていくのを感じた。
今は感じたままの思いを大事にしていよう。
いつか、何かが変わる、その時まで。
後書き。
8月9日は八空の日。って事で書きました。
今回は悟空の心情中心で。今まで八空書く時っていつも八戒視点だったので。
本当は両想いなんですけどねぇ。悟空視点で書くと、八戒さんの気持ちって分かりづらい……。
この話は時間的には最初に書いた八空『昼下がり』より前の話なので、気付かれまいとしてるのかも。
私の書く八空にしては珍しく、出来上がっちゃう前のお話、という事で。
でも、この2人を書くのは好きなんですよ。ほのぼのしてるカップルだからv
今回はおまけ付です。八空のおまけなので、当然浄三です(笑)