───眠れねえ……。
宿のベッドの上で、三蔵はゴロリと寝返りを打つ。
時刻は深夜の1時。普段ならもう眠りに就いている時間だ。
身体は疲れていて眠りを望んでいるはずなのに、意識がどうしても浮上してしまう。
三蔵は視線の先にある空のベッドを見つめる。
本来ならそこにいるべき人物は、今なお帰って来ていない。
「……ふん、あんなエロ河童なんざ、いない方が静かに眠れるってもんだ」
三蔵は誰にとも無くポツリと呟く。
悟浄がいれば、どうせ妙なちょっかいを掛けてくるに決まっている。
三蔵の睡眠を優先するなら、悟浄がいない方が助かる。
そう、そのハズだ。……しかし、まだ眠る事が出来ずにいる。
三蔵は苛立たしげに起き上がり、ベッドから降りてテーブルにある水差しを取った。
コップに水を注ぎ、クイッと飲み干す。
コップをテーブルに戻し、ベッドに腰掛ける。
今、横になったところでどうせ眠れないだろう。
無理に寝ようとするだけバカバカしい。
悟浄がいない。
ただそれだけの事で、何故この自分がここまでイラつかなくてはならないのか。
悟浄の行き先は予想はついている。
酒場か、そこで知り合った女の所だろう。
そう考えただけで、イライラして仕方が無い。
「アイツがどうしようが、俺には関係ねえ」
ここには誰もいないのだからわざわざ口に出す必要などないのだが、そうせずにはいられなかった。
まるで、自分に言い聞かせるように。
「やっべ〜、かなり遅くなっちまった」
悟浄は街灯の灯る道を宿へと急いでいた。
こんなに遅くなるつもりはなかったのだ。
何といっても、今日の同室は三蔵なのだから。
折角同室になれたのだから、やはりこのチャンスは逃したくない。
自然、足が駆け足気味になる。
もう三蔵は眠ってしまっているだろうか。
「待ってて……くれるわけねーよなぁ」
思わずため息が出そうになる。
一方通行なのかどうなのか、悟浄には今いち分からずにいる。
悟浄が三蔵を求めた場合、まず最初は悪態が幾つか飛んでくる。
『殺すぞ』とか『いい加減にしろ、この欲情河童!』とか。
思い出すだけで何となくヘコんでしまいそうになって、とりあえずその回想は片隅に追いやる。
それでも、悪態をつきながらも悟浄が諦めなければ受け入れてくれる。
それは、三蔵の自分への想いの証だと……信じたかった。
だけど、もしそうでなかったら、という考えが時々頭をよぎる。
単に、力では悟浄に敵わないのを悟っていて無駄な抵抗を放棄しているだけなのだとしたら。
三蔵が、悟浄が求めるこの行為を、口から出る言葉通りに心底嫌がっているのだとしたら。
悟浄はどうすればいいのだろうか。
諦める事など出来ない。……だが、三蔵が本当に嫌がる事もしたくない。
どうして、三蔵を、あんな鬼畜生臭坊主を好きになどなってしまったのだろうかと思う。
ただ、時々、とても頼りなく見えて。
消えてしまいそうに儚く見える時があって。
いつの間にか、瞳が三蔵の姿を常に捉えるようになってしまっていた。
考え事をしている内に少し速度が緩まっていた事に気付き、再び速度を上げる。
頭の中でゴチャゴチャ考えていても仕方がない。
いっそ、真正面から三蔵に聞いてみようか。
素直に答えてくれるとはとても思えないが、今の曖昧な状態よりは少しは進めるだろうか。
「……っし、決めた」
悟浄は駆け足で宿に向かいながら、小さく呟いた。
宿に帰って、もしも。もしも、三蔵が起きていてくれたら。
聞いてみよう。三蔵が悟浄を本心ではどう思っているのか。
悟浄が真剣に問えば、三蔵もいい加減にはぐらかす事はしないだろう。
そういう所は、妙に律儀なヤツだから。
悟浄はそう決めると、宿に向かう速度を更に速めた。
カチャリ、と小さな音を立て、悟浄は三蔵のいる部屋へと入った。
背を向けたままベッドに横になっている三蔵を見て、悟浄は内心でため息をついた。
待ってくれているなんて、そんな訳ないとは思っていたけれど。
やはり、三蔵は眠ってしまっている。
自分がいない事など、全く関係も興味もないといった風に。
三蔵の眠るベッドに静かに近付く。
そして、そのベッドに背をもたれさせるようにして床に座った。
「……やっぱ、一方通行って事なんだろーな」
小さく、ポツリと呟く。
完全な独り言。……そのはずだった。
「……何がだ」
突然聞こえたその声に、悟浄は心臓を鷲掴みされたかのごとく驚いた。
勢い良く振り向くと、三蔵が起き上がっている所だった。
「三蔵、起きてたのか!?」
思わず声が大きくなる。
「うるせえよ、今何時だと思ってやがんだ、てめえ」
「……ワリ」
今度は小さく、呟く。
「……てめえも、帰ってくるのなら人を起こさねえように気を使いながら帰って来い」
悟浄としてはこれ以上ないほど気を使っていたつもりなのだが、どうやら三蔵を起こしてしまったようだ。
しかし、三蔵が起きている今なら、聞けるだろうか。
ここに帰ってくる途中、ずっと考えていた事を。
「あのよ、三蔵……」
悟浄はその場に立ち上がり、三蔵の方に身体を向ける。
三蔵は黙ったまま、悟浄を見据えている。
「あー、その、……聞きてえ事があんだけど、さ」
「何だ」
あくまで、三蔵の表情は変わらない。
いっそ、あからさまにイヤそうな顔でもしてくれれば聞く気もなくなるのに。
三蔵をじっと見たまま止まってしまっている悟浄にイラついたように、三蔵はベッドから降りる。
「おい、言いてえ事があるんならさっさと言え。うっとうしいんだよ」
悟浄は、向かい合うように立った三蔵の紫暗の瞳に吸い込まれるような感覚に襲われる。
どうしてコイツは、ただそこにいるだけでこんなにも自分を惹き付けるのだろう。
手に入れたい。この瞳に映る、『特別』なものになりたい。
「三蔵、オマエさ、ホントはどう思ってんだ……?」
目的語が抜け落ちた悟浄の質問に、三蔵は訳が分からないといった表情を見せる。
「いきなり何言ってやがる。どう思ってるって、何をだ」
「……俺」
この発言はさすがに三蔵にとっても予想外だったらしく、少なからず驚いた表情になっている。
沈黙が、場を支配する。
この沈黙が、今度は悟浄にとっての予想外だった。
すぐさま、『下僕』だの『エロ河童』だのといった単語が出てくるかと思っていた。
だが、三蔵は悟浄から視線を外し、何事かを考えているように見えた。
その反応に、ほんの少し、期待してもいいのだろうかという考えが浮かぶ。
相手はあの三蔵なのだから、はっきりとした返事が来るまで油断は出来ないが。
「……三蔵」
しばらく続いた沈黙の後、悟浄は三蔵の名を呼んだ。
思わず手を伸ばし、三蔵の頬と髪に触れる。
三蔵がピクリと反応を示し、その手をゆっくりと押し退ける。
「……やめろ」
相変わらず視線は悟浄から外したままだ。
「……おまえは……」
「え?」
小さく聞こえた三蔵の声の内容が聞き取れず、聞き返す。
「……おまえは、どうなんだ」
それは、悟浄が三蔵をどう思っているのかという意味なのだろうか。
「決まりきった事聞くなよ……。分かってんだろ?」
こんなにあからさまな態度を見せているのだから。
口に出すと軽く聞こえそうなので、余り言葉にした事はないけれど。
「……好きだよ。お前にホレてんだよ、俺は」
同じ一言を口にするのでも、三蔵相手だと思い切り緊張してしまう。
女にならいくらでも言える事が、三蔵に言う時はひどく照れくさい。
「……何故だ」
聞かれて、悟浄は一瞬何の事か分からなかった。
意味を理解した後も、どう答えればいいものか考え込んでしまった。
理由なんて、悟浄にもよく分からない。
気が付いたら、視線が離せなくなっていた。
傍にいてやりたいと、そう思うようになっていた。
「……さあな、分かんねえよ。こういうのって、理論的に説明できるようなモンでもねえだろ?」
陳腐な言い回しだけど、これは真実だ。
感情を理屈で説明できれば、苦労もしない代わりにつまらなくてしょうがないだろう。
感情も、未来も、他人も、分からないからこそ面白いのだ。
分からないからこそ、分かりたいと、理解したいと願う。
だが、三蔵は納得できていないようだった。
三蔵が理由にこだわるのも、分からないわけではない。
悟浄だって、もし三蔵が悟浄を……という事になったらきっと理由が気になるだろう。
三蔵が自分の何処を好きになってくれたのか、知りたいと思うだろう。
しかし、分からないものを教えてはやれない。
「三蔵。理由なんて分からねえけど、俺、本気なんだぜ? それだけじゃ、ダメか?」
ただ「好きだ」と、それだけではダメなのだろうか。
なら、どうすれば、三蔵は自分を見て、受け入れてくれるのだろう。
こんなにも目の前の相手を遠く感じたのは初めてで、悟浄は思わず三蔵の腕を掴んで引き寄せた。
「なっ……! 離せっ……!」
驚いた三蔵が悟浄を押し返そうとする。
「離したら……行っちまうだろ……?」
「……何処にだ」
悟浄から遠い所へ。手を伸ばしても届かない所へ。
この手を離したら、三蔵の心が二度と掴めない場所へ行ってしまうような、そんな気がした。
「好きなんだよ……! どうしたらいいんだよ。どうしたら、お前は……」
我ながら、情けない声だと思う。
三蔵は、こんな自分に呆れてしまうだろうか。
だけど実際、悟浄はもうどうすればいいのか分からなくなっている。
言葉で伝える以外、もう悟浄には想いの伝達方法が浮かばない。
経験なんて、腐るほど積んできているはずなのに。
その全てが、今は全く役に立たなくなっていた。
その時、何かの感触を背中に感じた。
それが、三蔵が悟浄の背中に手を回して服を掴んでいるのだと理解するまでに数秒の時間を要した。
「……さ、三蔵……!?」
三蔵の行動が信じられなくて、腕の中の三蔵を見る。
だが、三蔵の顔は悟浄とは逆の方向を向いているため、その表情は見えなかった。
三蔵が、自分を求めてくれているのか。
悟浄の事を、受け入れようとしてくれているのだろうか。
こんな抱擁くらいで、心音が三蔵に聞こえるんじゃないかと思うほどに速まっている。
「……三蔵」
言いながら、ほんの少しだけ身体を離すと、三蔵の顔が悟浄の方へと向けられた。
その表情は、悟浄が今まで見た事のないものだった。
切なそうな、どうしていいのか分からないような、そんな表情をしていた。
「……三蔵、最初の質問の答え、聞いていいか……?」
悟浄を、どう思っているのか。
「……俺は……分からねえ……。分からねえ、けど……」
「……けど……?」
三蔵は顔を伏せ、悟浄の胸に頭を預ける。
「こうしてるのが………………イヤじゃ、ない…………」
その答えは、悟浄が望んでいたものだった。
三蔵は、他人に触れられるのを極端に嫌う。
その三蔵が、こうして抱きしめられてイヤじゃないというのは、三蔵にとって『特別』だという事なのだから。
その事が、三蔵が自分を『特別』に思ってくれている事が、悟浄は嬉しくて仕方がなかった。
「三蔵、今の、嘘じゃねえよな……?」
分かっていても、確かめずにはいられなかった。
「嘘だって言って欲しいのか」
「んなわけねえだろ。離さねえから、後悔すんなよ」
「……ふん」
いつもの素直じゃない態度が、今は何だか嬉しく感じた。
抱きしめていた手を頬に滑らせ、三蔵の顔を悟浄の方に向ける。
ゆっくりと、顔を近付けていくと、三蔵が目を閉じた。
唇が、触れ合う。
掠めるような、優しいキス。
普段の自分からは考えられないほどささやかなキスだけど。
それが、とても愛おしくて、暖かかった。
後書き。
5月3日! それなら浄三を書かねば!と思い、書いてみました。
が、難産でした、それはもう泣きたくなるほど。
悟浄がひたすら悩んで不安がっているので、話が進まないんですよ……。
ああ、次はもうちょっと強引な悟浄を書きたいです。(まだ書く気か)
一線をとっくに越えてるくせに、両想いか否かで悩むなよ、悟浄。
おまけモードは同じシチュエーションの三蔵サイドです。
今回のおまけモードは、本編と同時進行で書いてました。
全く同じ時間軸のお互いの心情という、初の試み。
反応が怖かったりしますが、出来れば一言ご感想頂けると嬉しいですv
ちなみに、この後どうなったのかは多分皆様の考えてらっしゃる通りではないかと(笑)