明るい陽射しと鳥達の鳴き声が、八戒の意識を浮上させる。
いつも通りの朝。
窓のカーテンを引いて窓を開けると、朝の爽やかな風が八戒の頬をくすぐっていく。
見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
「ああ、今日も良い天気ですね……」
手を目の上辺りにかざしながら呟くと、八戒は身支度を始めた。
1階の食堂に入ると、八戒は少々驚いてしまった。
食堂のテーブルの内の1つに、八戒以外の3人が既に揃っていたからである。
普段も早い三蔵はともかく、悟浄と悟空が八戒より早く食堂に来た事なんて今までなかったのだ。
テーブルに近付いていくと、1番先に気付いた悟空が八戒に向かって手を振った。
「あ! 八戒、おはよ〜!」
悟空に笑顔で返すと、続いて、悟浄と三蔵の視線も八戒に向けられた。
「よ、おはよーさん」
すぐ傍まで来た八戒に、悟浄は片手を上げた。
「おはようございます、悟浄。随分早いですね」
「んー? ま、たまにはな」
悟浄は笑うと、立ち上がって自分の分のおかわりと八戒の分のコーヒーを持ってきてくれた。
「ありがとうございます。今日はどうしたんですか?」
「別に? ついでだからよ」
自分の分のコーヒーを置きながら、悟浄は元の椅子に座った。
3人の様子に少し不審を感じながらも、朝食を済ます。
朝食の間も、三蔵はコーヒーのおかわりを八戒ではなく悟空に頼んだりしていた。
一体何なんだろうと思うが、それ以外での3人の態度は特に変わらない。
何が何だか分からないまま、仕度を済ませた八戒達は宿をチェックアウトした。
宿の外で既に待機していたジープに乗り込もうとして、八戒は自分の座るべき席に別の人影を見付けて立ち止まった。
「悟浄? そこは運転席ですよ?」
「わーってるって、それくらい。今日は俺が運転するからよ、後ろ座ってろよ」
「え、どうして……」
「いーから。お前以外もう乗ってんだから」
見ると、三蔵と悟空も既に指定席となっている自分の座席に座っている。
「早くしろ、出発するぞ」
三蔵の声に促され、八戒は空中に?マークを幾つも浮かべながら後部座席に乗り込んだ。
エンジン音を響かせてジープは走っていく。
たまに停まって、悟浄と三蔵は地図を見ながら進路を確認して再び走り出す。
進路の確認の時にすら、悟浄も三蔵も八戒に訊こうとはしなかった。
何故今日に限って八戒抜きで何もかもしようとしているのか、八戒にはさっぱり分からなかった。
いつもより少し揺れる車内では、珍しく悟空も大人しくしている。
「腹減ったー!」といって騒ぎ出すのが常であるだけに、八戒の疑問はますます深くなる。
「……どうしたんですか、悟空。今日は随分大人しいですね」
「え? そうかなぁ?」
「そうですよ。さっきからずっと黙り込んでますし……何かあったんですか?」
少し心配そうな顔で覗き込むと、悟空は慌てて両手を胸の前で振る。
「何もないよっ。別に今は腹も減ってないだけだしっ」
「そうですか? それならいいんですが……」
まだ納得の出来ない八戒であるが、これ以上言っても悟空が困るだけだろうと思って引き下がった。
日が真上近くまで昇った頃、4人は川を見付けてそこで休憩がてら昼食を取る事にした。
八戒が食事の仕度をしようと荷物を下ろすと、悟浄がさっと横から荷物を取ってしまった。
「あの、悟浄?」
「俺らがやるから、お前は川べりでも散歩してこいよ」
「え? あ、あの、どういう事ですか? 今日は3人とも変ですよ?」
同じく珍しくも荷物をジープから下ろしている三蔵と、川から水を汲んでいる悟空を見渡しながら言う。
「いいんだよ。やるっつってんだから。ほら、さっさと散歩でも何でも行った行った」
悟浄に背中を押され、八戒は半ば強引に散歩に出掛けさせられてしまった。
川べりをぶらぶらと歩きながら、八戒は今朝からの行動を思い返してみた。
今日は朝から3人の様子がおかしかった。
いつもなら八戒に頼むような用事も、全く言ってこない。
それどころか、ジープの運転や昼食の仕度までするという。
楽である事は確かなのだが、まるで八戒が必要ないかのような態度に少し寂しくなる。
普段の雑用も、別に八戒はイヤイヤやっているわけではない。
この4人での旅が八戒は気に入っているから、むしろ進んでやっていると言ってもいいくらいなのだ。
こうして自分達だけで何もかもされてしまうと、八戒が要らないと言われているような気さえしてくる。
もちろん、あの3人がそんな事を言うわけはない。
これは自惚れではなく、真実そうだろう。
分かっていても、何処か自分の居場所がなくなるように感じてしまう。
八戒は川の側の手頃な岩に座り、川の流れをぼうっと見つめる。
すると、歩いてきた方角から微かにハリセンの音が聞こえてきて少し苦笑する。
きっと悟空か悟浄が何か仕出かして、三蔵にハリセンで殴られたのだろう。
そんな風に考えて、自分がその場にいないという事を急に実感した。
いつもなら、近くで笑って見ていた光景が今は遠くからの小さな音でしか聞こえない。
何もしなくて済んで身体はこんなに楽なのに、心はこんなにも重苦しい。
もやもやとしたものが、胸の辺りに澱んでいる。
咽喉が乾いて、八戒は岩から降りると川に歩み寄っていく。
水を掬おうと川面を覗き込んだ時、自分の顔が映り込んだ。
川に映った自分の顔は、酷く暗い顔をしていた。
どうしてだろうと考えてみて、1つ思い当たった。
……1人だからだ。
笑ってみせる相手がいない。1人なら、笑う必要もない。
作り笑いすらも、それを見せる相手がいる事で成り立つものなのだと知った。
ゆっくりとした足取りで、八戒は三蔵達のいる場所まで戻ってきた。
見ると、すっかり昼食の用意は出来上がっている。
3人がこちらに気付く前に、八戒は自分の表情を整えた。
「あ! 八戒、おかえり!」
「ただいま戻りました。凄いですね、これ」
八戒は用意された昼食を指しながら笑う。
そこには、昼食とは思えないほどの量の食事が並べられていた。
普段から悟空に合わせて量そのものは多いのだが、今日は何となく豪華である。
その奥に少し大きな白い箱を見付けて、八戒は尋ねた。
「……その箱、何ですか? 見覚えないんですけど……」
その八戒の台詞に、3人はそれぞれの顔を見遣った。
「……もういいか?」
「俺に訊くな」
悟浄と三蔵のコソコソした会話が耳に届く。
「? 『もういい』って何がですか?」
「あー……っと……ま、いいか」
そう言うと、悟浄は箱の中身を取り出した。
白い箱から出てきたものに、八戒は驚きの表情を見せる。
そこに現れたのは、キウイがふんだんに使われた生クリームケーキ。
「……あの、これは……?」
訳が分からずケーキを見つめている八戒に、悟空が明るい声をかけた。
「八戒、誕生日おめでとう!」
その一言に、八戒の目が大きく見開かれた。
誕生日。
その単語を理解し、初めて今日が9月21日───自分の誕生日であったと気付いた。
そしてようやく、今日の3人の行動の理由が分かった気がした。
「それじゃあ、今までのは……」
八戒の呟きに、悟浄が少し目線を逸らしながら答える。
「俺達は何つーか、『プレゼント』って柄じゃねえし? 今更モノ贈んのも何だしよ。
なら、誕生日の今日1日くれえゆっくりしてもらおうってな。な、悟空」
「うん! いっつも八戒にばっかり迷惑かけてるからさ。今日はのんびりしてて欲しいなって」
「そんな、迷惑だなんて……」
思ってませんよ、と言おうとした八戒の言葉を遮るように三蔵の声が重なる。
「ぐだぐだ言ってねえで、たまには休んどけ。過労で倒れられでもしたら、それこそ迷惑だからな」
三蔵らしい言い分に、八戒はクスリと笑った。
「分かりました。それじゃ、今日はお言葉に甘えさせてもらいましょうか」
「そうそう。ほら、メシだってなかなかの出来だろ? 思う存分食っとけって」
悟浄は出来た食事の幾つかを八戒の前に持ってくる。
「ええ。ではいただきます」
言ってから、目の前の皿の1つを手に取って食べてみる。
「……美味しい」
八戒の感心したような感想に、悟浄が機嫌良さそうに笑った。
「だろ? 結構イケるだろ?」
「ええ、本当に美味しいですよ。さ、じゃあ皆で食べましょうか」
「うん! いっただっきま〜す!」
悟空はいち早く反応すると、待ってましたとばかりに食べ始めた。
「あ! オイ、猿! てめえのための料理じゃねえんだから、ちっとは遠慮しろ!」
「分かってるよ!」
「どうでもいいから、静かに食え!」
一気に騒がしさの戻った中で、八戒はさっきまでの澱んだ気持ちが消えていくのを感じた。
こんなにも、この人達は自分の事を思ってくれているのに。
「1人」だなんて考えが頭を掠めた自分が、申し訳ない気がした。
騒がしいけれど、何よりも暖かい空間。
ここが、自分のいるべき場所なのだと強く思う。
「……ありがとうございます」
喧騒の中の3人には聞こえない程度の声で、八戒は小さく呟いた。
END
後書き。
八戒さん、お誕生日おめでとう!って事で書きました。
八空は去年に書いちゃったので、今年はオールキャラでいってみました。
日頃お忙しい八戒さんに1日だけ休みを、と思って書き出したお話なのですが……。
最初はほのぼのにする予定だったのが、いつの間にかシリアスになってしまいました。
やはり八戒さんにとって重要なのは、彼らと一緒にいる事なんですよね。
それを自覚した1日ではないでしょうか。
……主役で書く時はいつもホワイト八戒さんなんですよね、私が書く話って。