いつもと同じように朝食を取って、食後にそれぞれコーヒーや紅茶を飲んでいた時。
八戒は実ににこやかに切り出した。
「さて、悟浄、三蔵。今日は何の日か覚えてますか?」
その八戒の言葉に、悟浄と三蔵は少し考える仕草をする。
「今日って……何日だっけ?」
そもそもの日付を覚えていなかったらしい悟浄が誰にともなく尋ねる。
は今朝、部屋にかかっていたカレンダーを見たのを思い出す。
「今日は、えっと、5月の31日ですね」
「お、サンキュ、。5月31日か………………あ」
何かを思い出したかのような悟浄に、三蔵もほぼ同じに思い出したのか嫌そうな顔をしている。
だが、としては5月31日が何の日かも分からないし、悟浄と三蔵が憂鬱そうにしている理由も分からない。
ので、仕方なく隣に座っている悟空に訊いてみる事にした。
「あの、悟空さん。今日って何の日なんですか?」
「ん〜……何の日だったっけ……。あ! 思い出した! そうだ、確か『何とか禁煙デー』とかいう日だ!」
「『世界禁煙デー』ですよ」
悟空の中途半端な説明に、八戒がフォローをいれる。
「『世界禁煙デー』? そんなものがあるんですか?」
去年は三蔵達が思った疑問を、今年はが口にする。
「ええ。で、実は去年三蔵と悟浄に折角の機会だからと、1日禁煙してもらったんですよ」
「そんな事があったんですか」
はようやく納得したように頷いた。
ここで、実は三蔵と悟浄は密かな期待を抱いていた。
が「何も禁煙までする事ないんじゃないですか?」とでも八戒に意見してくれるのを。
八戒は女性であるにはちゃんと優しいし、の意見にはきちんと耳を傾ける。
じっくり考えた後での意見であるが故に、あっさり却下したりする事はまずない。
そのがこの無茶な禁煙に異を唱えてくれれば、八戒も思い直すかもしれない。
2人はそう思い、の次の発言に注目していた。
……だが。
「良い考えかもしれませんね〜。やっぱり煙草って身体に悪いですし」
この一言によって、三蔵と悟浄の微かな希望は脆くも崩れ去ってしまった。
そのの言葉を聞いて、八戒は味方を得たとばかりに嬉しそうだ。
「そうですよねぇ。いやぁ、ならそう言ってくれると思ってましたv」
「いえ、私も前から思ってたんです。さすがに喫煙量が多すぎるんじゃないかなって」
「そうなんですよ。僕が言ってもちっとも改めてくれなくて。去年の禁煙令の効果も 2ヶ月ほどしか保ちませんでしたし」
「さすがに差し出がましいかと思って、言わなかったんですけど……」
「そんな事気にしなくてもいいんですよ。どんどん言ってあげて下さい」
「そうですか?」
「そうですよ」
実に和やかに進められている会話に、三蔵と悟浄はその場に突っ伏したい気分になった。
八戒との同盟締結という、1番恐れていた事態になってしまった。
こうなると、もはや止められる人間も妖怪もいない。
が普段控えめな割に笑顔で意見を貫く、いわゆる『八戒タイプ』である事はここしばらくの旅で理解している。
さすがに八戒よりは自分達に対して遠慮するが、が気を遣っている分キツく当たれないので八戒より対応に困る。
悟浄は三蔵に顔を近付け、こそこそと小さな声で話し掛ける。
「おい、どうするよ……」
「……どうしようもねえな」
「って、また去年のあの苦しみを味わうのかよ……?」
丸1日煙草を吸えなかった去年の禁煙令を思い出し、悟浄はうなだれる。
だが、ある事を思い付いたらしく、三蔵に耳打ちする。
「……おい、三蔵。バカ猿に説得させるってのはどうよ?」
八戒もも、悟空には極端に甘い。
悟空が反対すれば、あの2人も聞き入れるのではないだろうか……?
だが、悟浄の名案とも思える案を、三蔵はあっさり却下した。
「無理だな。悟空はどちらかといえば禁煙賛成派だ」
去年の事を思い出しながら、三蔵はため息を吐いた。
「よしんばこっちに引き込めたとしてもだ。あの2人に言葉巧みに丸め込まれるのがオチだ」
去年、八戒に丸め込まれて三蔵の喫煙を止めたように。
悟浄としても、言われてみれば確かに、悟空に八戒との説得を望むのは無謀に思えてくる。
結局、禁煙令からは逃れられないという結論に達した三蔵と悟浄は、諦めたような表情になった。
今年も禁煙令が施行される事となり、三蔵と悟浄の煙草とライターが没収される。
2人とも、去年はこっそり隠し持っていたため、今年は更に念入りにチェックされた。
「はい、これで全部ですね」
八戒は手にいっぱいマルボロとハイライト、それにライターを抱えてにっこりと笑う。
「八戒さん、禁煙パイポとか買ってこなくてもいいんですか?」
いくら何でも何もなしでは可哀想だと思ったのか、は八戒に訊いてみた。
「ああ、大丈夫ですよ、。去年はなしで耐え切ったんですから。ねえ、三蔵、悟浄?」
三蔵と悟浄にしてみればせめて禁煙パイポは欲しいところだが、自分達が言っても却下されるのは明らかだ。
あの笑顔がそれを物語っている。
故に、敢えて禁煙パイポの要求はせず、悟浄は肝心な事を尋ねる。
「なあ、八戒。次の街までどれくらいかかるんだよ」
「次の街はここから近くですよ。今から出発したら昼頃には着けるんじゃないでしょうか」
「マジか? じゃあ、さっさと出発しようぜ」
今年は野宿で八戒の監視に晒されずに済むかもしれないと、悟浄は少し気分が軽くなる。
街に着いてしまえば、八戒の目の届かない場所はたくさんある。
いや、八戒が自分達の身体を心配してくれている事は分かっている。
分かってはいるのだが。
やはり悟浄にとって、丸1日禁煙というのは拷問そのものだ。
そうそう簡単に断てるものなら、とっくに禁煙できているはずである。
「それじゃあ、各自準備をして、出来次第チェックアウトして出発しましょう」
その八戒の言葉に異を唱えるものは当然いない。
食堂を出る時の八戒の怖いくらいの笑顔に妙な不安を抱きつつも、三蔵と悟浄もそれぞれ部屋に戻った。
三蔵と悟浄の希望もあり、一行は朝食の後すぐにチェックアウトして街を出た。
ジープの上では、いつもの如く悟空と悟浄のケンカが勃発していた。
「あ〜! またカードすりかえただろ、悟浄!」
「してねえよ。ったく、自分が弱いのを人のせいにすんなっての」
「嘘吐けよ! じゃあ、さっき引いたカード見せろよ!」
「け、やだね」
「ってコトはやっぱすりかえてんじゃん!」
「ねえっつの! 言いがかりつけてんじゃねえぞ!?」
「言いがかりじゃねえよ!」
「んだとぉ!? 言いがかりじゃねえならケンカ売ってんのか、バカ猿!」
ただ、いつもならもっと軽く悟空をあしらう悟浄が今日は苛立っているせいか余裕があまりない。
余裕がないのは三蔵も同じ事で、発せられている怒りオーラがいつもの倍はある。
このままでは確実に三蔵がキレると思ったがケンカの仲裁に入る。
「悟空さんも悟浄さんも、落ち着いて下さい。ね?」
「だって悟浄がっ!」
「んだぁ!? 人のせいにすんなっつてんだろ、猿!」
再び言い争いに発展しそうになった時。
「スト───ップ!」
突然響いたの珍しく大きな声に、悟空と悟浄の声がピタリと止まった。
「悟空さん、悟浄さんは今煙草を断っていて大変なんですから、余り刺激するような事言っちゃダメですよ?
苛立ちを紛らわせてあげるくらいの気持ちでいないと、禁煙なんて無理なんですから。
去年の禁煙令の時には、悟空さん、三蔵さんの気を紛らわせてあげたんでしょう?」
「え……何で、去年の事知ってんの?」
「あらかた八戒さんから伺いましたから」
この時、八戒と以外の3人は「一体いつの間に……」と思ったが、誰も口に出してはツッコまなかった。
「それはともかく、悟空さんなら悟浄さんにも同じように接してあげられますよね」
「うん……。悪かったよ、悟浄……」
素直に謝る悟空に、悟浄は一瞬言葉に詰まった。
「……悟浄さん」
促すように、は悟浄の方を見て微笑む。
「あー……、っと……、ま、俺もイライラして八つ当たっちまったからな。悪ィ……」
バツが悪そうに頭を掻きながら、悟浄は悟空にともにともつかない形で謝った。
一方、運転席でやり取りを聞いていた八戒は、感心したように笑っている。
「すごいですねぇ。あっさり収めちゃいましたよ。さすがですね、三蔵?」
「ふん、黙らせる手間が省けるのは確かに助かるがな」
「銃弾の無駄遣いもせずに済みますしね」
「いちいち嫌味なんだよ、てめえは」
「そんなつもりはなかったんですが……」
今のは別に何とはなしに言っただけのセリフだったのだが、嫌味と受け取られてしまった事に八戒は苦笑する。
普段なら聞き流すであろう言葉にもいちいち反応するのは、三蔵も相当苛立っているせいだろう。
八戒は隣の三蔵にも聞こえない程度の声で小さく呟く。
「……僕もちょっと言葉に気をつけないといけませんね。に叱られちゃいそうですし」
はいつでも気を遣ってくれているので、八戒も心配はしていない。
むしろもう少し我侭でもいいくらいなのに、と思うほどには4人に対して気を遣う。
その気の遣い方が、そうと気付かせないようにしているので余り悟空や悟浄は気付いていないようだけれど。
そのが今年はいてくれるので、去年よりはずっとやりやすそうだと思う。
三蔵と悟浄の煙草の禁断症状を、は少なからず和らげてくれるだろう。
「今年は街での禁煙令になりますが……もいる事だし大丈夫そうですね」
八戒は笑うと、街に向けてアクセルを踏み込んだ。
今年もやってきました。5月31日、『世界禁煙デー』!
『禁煙令』、やろうと思ってたんですが、もう去年の長編で大体やりたかった事やっちゃってまして。
それじゃあいっそ、こっちでやってしまえ!という事で。
主人公のスタンスが嫌煙家サイドなのは、話の都合上です。喫煙家の方、すみません(汗)
このシリーズ初めての続き物になりますね。いいのか、最初がこんなんで……。
シリーズの本筋とは全く関係ない話ですが、これはこれとして楽しんで頂けたらなと思います。
次回、三蔵様と悟浄さんの運命や如何に(笑)