心の行く先



 ─ 2 ─



「殿下」
真っ直ぐに、ただベルカを見つめる。
迷いは捨てなければならない。
ベルカに対して、この先もずっと真摯な自分でいられるように。

「これから、私が殿下に申し上げることは……本来ならば、許されることではないのかもしれません」
ひとつひとつ、確かめるように言葉を口に乗せる。
「ですが私は、殿下に決して嘘を申し上げたくはございません」
『嘘』の一言に反応したのか、ベルカの表情が真剣なものになる。
「私の真実を申し上げることを……お許しいただけますか」
「……分かった。どんなことでもいい。言えよ」
そう言って、ベルカもまたじっとリンナを見据える。

「ありがとうございます」
受け止めてくれようとしているベルカに礼を述べ、頭を下げる。
自分は本当に良い主君に恵まれたと思う。
ベルカに出逢えたことは、リンナにとって何にも代えがたい幸運だ。

少し間を置いて、リンナは口を開いた。
「殿下。先程のお話ですが……私は、『おめでとうございます』とは、申し上げられません」
「……何でだ?」
「私は…………私は、殿下が女性とご結婚されるお姿を、見たくないからです」
「見たくない……って、どういうことだよ……」
分からない、といった風にベルカは眉を寄せている。



一生、告げるつもりなどなかった言葉だった。
自分などが、口にして良いはずなどないと分かっていた。
けれど今、どうしても、伝えなければならない。



「私は……あなたが、好きです。あなたの臣下としてだけではなく、1人の男として」
そう告げた時のベルカは、大きな瞳を更に大きくして呆然としていた。
まるで、何を言われたのか理解できないといった風だ。
「殿下のことが……好きなんです」
もう一度、確かめるようにゆっくりと口にする。



それきり口を閉じ、静かに審判を待つ。
ベルカに悟られないように、内心で覚悟を決める。
どんな言葉を向けられても、それを受け止められるように。

ベルカは時間をかけて、ようやくリンナの言葉の意味を理解したのだろう。
戸惑ったように視線をさまよわせた後、俯いてしまった。

やはり、迷惑だったのだろう。
男に想いを寄せられて、嬉しい男などいるはずはないのだから。
分かっていたことではあるが、思わず落胆してしまうこと自体はどうしようもなかった。

「……何の冗談だよ」
ベルカが俯いたまま、ポツリと呟く。
「冗談などでは、ございません」
リンナがそう答えると、ベルカが勢い良く顔を上げた。
「冗談じゃないってんなら、何なんだよ! す、『好き』……とか、有り得ねーだろ!?
拳を握り締めながら、ベルカが叫ぶ。

「殿下……お願いです、どうか、私の気持ちそのものを切り捨てないで下さい……」
祈るような気持ちで、リンナは言葉を繋ぐ。
「今回のことで殿下が私をお嫌いになられたのであれば、それは仕方のないことだと思っております。
 ですが、私の殿下へのこの気持ちを嘘だとだけは思っていただきたくないのです……。
 先程も申し上げましたように、これは、私の真実の気持ちです」
我侭な願いだと、十分に承知している。
けれど、リンナがベルカを好きだと思う、この心だけは信じてほしかった。

「ああ、そうか……」
ベルカが、彼に似つかわしくない自嘲的な笑みを浮かべる。
「おまえ、『マリーベル』を引きずってるんだろ?」
一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
「『マリーベル』が好きだったから、それを演じてた俺も好きだと思い込んでるんだよ、おまえ」
「お、思い込みなどでは……!」
「思い込みだよ。『マリーベル』が男だったってのに付いていけなくて、俺自身への気持ちと混ぜちまったんだよ」
「違います!」
「違わない。なら訊くけど、おまえ、最初から俺と……男の『ベルカ』と普通に出会って、それでも俺を好きになったか?」
そう尋ねられて、リンナは思わず言葉に詰まってしまった。

リンナは別に男色というわけではない。
むしろ、男を好きになったことなど初めてだ。
そして、ベルカを好きになった最初のきっかけが『マリーベル』であったことも、変えようのない事実だった。

『どんな出逢い方をしていても、必ずあなたを好きになっていました』と口にするだけなら簡単だ。
けれど、そんな薄っぺらい言葉では決してベルカには届かない。
何より、先刻自分に誓ったように、ベルカにいい加減な嘘は吐きたくなかった。

もしも、ベルカに男同士として出逢っていたら。
今と同じように主従の関係にはなっていても、心の中身は全く違ったものになっていたかもしれない、と思う。
ひょっとしたら、ベルカの言う通り、彼を恋愛対象とは見ずに純粋に主としてのみ慕っていたのかもしれない。

そして逆に、『マリーベル』が本当にマリーベルという名の少女であったならば。
彼女に恋をし、けれど今とは全く違う恋心を抱いていたかもしれない。

結局は、『かもしれない』としか言えないのだ。
可能性を想像することは出来るが、それはあくまで『想像』でしかない。
実際にそうなった時の自分達を見られない以上、誰にも何も断言など出来るはずはないのだ。

しかし、ひとつだけ。
ひとつだけ、断言できることがある。

「殿下」
答えを待つベルカは、何かに耐えているように唇を噛んでいる。
「今の殿下の問いに、私は『はい』と言い切ることは出来ません。
 訪れなかった未来のことは、私には答えようもないのですから」
そう告げると、ベルカの瞳が微かに落胆に染まったように見えた。
あるいはそれは、リンナ自身の願望がそう見せたのかもしれないけれど。

「ですが、殿下。ひとつだけ、殿下にお答えできることがございます」
ベルカから視線を逸らさず、真っ直ぐにその瞳を見つめる。
「私は、今この時、『マリーベル』ではなく……『ベルカ』殿下を愛している、ということです」
途端に、ベルカの頬が朱に染まる。

「マリーベルと出逢い、ベルカ殿下と過ごし、私は今のこの感情を育てて参りました。
 違う出逢い方、違う過ごし方をしていれば、また全く別の感情が育っていたかもしれません。
 ですが、今この瞬間、私の心の全ては……ベルカ殿下にのみ向かっております。
 それでは、いけませんか。信じるには、足りませんか?」

必死の思いで、リンナは今の自分の心を伝えようと試みる。
大切なのは、「もしかしたら」という仮定の話ではない。
今現在、それぞれの心の中にある感情がどうであるかだ。

「殿下。再び申し上げます。……私は殿下のことが好きです。誰よりも愛しい、大切な方だと思っております」
この言葉が、ベルカの心に届いてほしいと強く願う。
「どうか……どうか、そのことだけは、信じてください。
 その後で、殿下が私をどう思われるか……それは、私も覚悟はしております」
この想いが、決して受け入れられるはずがないことも。

伝えたいことを全て伝え、リンナは口を閉じた。
ここから先は、ベルカの言葉を待つしかない。
もし、これでもなお信じてもらえなければ、リンナはこれ以上想いを伝える術を知らない。
その時は、そんな自分の不甲斐なさを悔やむしかないだろう。

ベルカは目を閉じて俯き、微動だにしない。
今、ベルカの中でどんな思考や感情が渦巻いているのか、リンナには分からない。
願わくは、ベルカの出した結論が、リンナの想いを信じる前提であってほしい。
応えられないと言われても信じてさえもらえれば、この想いはきっと報われる。



それから、どれくらいの時間が流れただろう。
随分と長い時だった気もすれば、ほんの一時であった気もする。
ふと、空気が動いた。

「リンナ……」
「はい」
俯いたまま、ベルカが呟くように話す。
「ごめん、俺……考えたけど、今は何も、言えない。
 今日は……このまま部屋に帰らせてもらっていいか……?」
普段のベルカからは考えられないほど弱々しいその声に、リンナの胸が痛んだ。
ひょっとして自分は、ベルカを酷く傷付けてしまったのではないだろうか。

「……はい、おやすみなさいませ、殿下……」
深く礼をすると、ベルカは小さく返事をしてからどこか頼りない足取りで部屋を出て行った。

想いを告げたことは、間違いだったのだろうか。
後悔は、決してしていない。
けれど、結果として自分はベルカを苦しめてしまっているのかもしれない。

「殿下……」
小さく、愛しい人を呼ぶ。
ベルカの返事がどうであれ、おそらくもう以前のような関係には戻れない。
たとえ表面上は元通りになれたとしても、互いの心は何も知らなかった頃のままではいられないだろう。

それでも、他ならぬベルカへの心を偽りで固めてしまうよりはずっと良い。
もし、真実を告げたことで────ベルカの傍にいられなくなったとしても。






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まだ続きます。
次回、ベルカサイド。

2010年9月26日 UP




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