心の行く先



 ─ 3 ─



部屋に戻ったベルカはそのまま寝室に直行すると、ボフッと音を立てながらベッドに倒れ込んだ。
震える手で、シーツをギュッと握り締める。
「何で……何であんなこと言うんだよ、馬鹿野郎……!」
ようやく、諦められると思ったのに。
全て吹っ切りたくて、リンナの部屋に行ったというのに。
どうして、あんな風に今更ベルカの心を掻き乱すようなことを言うのだろう。





リンナへ特別な感情を持っていることに気付いたのがいつだったのかは分からない。
けれど、いつの間にかどうしようもないほどに好きになっていた。
傍にいない時ですら、目を閉じると浮かぶのはリンナの顔だ。
そんな自分が、最初は認められなかった。
当然だろう。ベルカもリンナも男なのだ。
男が男を好きになるなんて、そんなことあってはならないと思った。
しかし、ダメだと思えば思うほど、目はリンナだけを追ってしまう。

ベルカがこんな感情を抱いていることをリンナに知られたらと思うと、怖かった。
ただ純粋に自分を慕ってくれているリンナが、それを知ったらどう思うだろう。
気持ち悪いと、思われたりしないだろうか。
リンナは優しいから、あるいは理解を示してくれようとするかもしれない。
それでも、決して受け入れられることはないに違いない。
リンナは、『マリーベル』に好意を持っていた。
当然のことだが、リンナが想いを寄せる先にいるのはあくまで女性なのだ。

この気持ちをどうにかしてしまいたくて、けれどリンナを傍から離すことはもう出来なくなっていた。
そんな折に、縁談の話が来たのだ。
実際に引き合わされたその縁談の相手は、ひとつ年下の煉瓦色の髪をした侯爵家の令嬢だった。
王子であるベルカを前に相当緊張しているらしく、立ち居振る舞いも話し方もどこかオロオロした風だった。
そんな彼女を一緒にいた侯爵夫人は窘めていたが、ベルカはそんな侯爵令嬢の姿に何となく好感を覚えた。

彼女なら、好きになれるだろうか。
今すぐは無理でも、一緒に暮らすようになればいつかは心が向くようになるのかもしれない。
こんな考え自体、彼女に失礼だということは分かっていた。
だが、そうでもしなければ、ベルカはきっと一生この胸の中を占める想いを手放すことが出来ない。

この縁談をまとめる方向で話が進むことになった。
しかし、どうしても、リンナにそれを話せなかった。
早く話すべきだとは分かっていた。
遅かれ早かれ、いずれは耳に入ることは避けられないのだ。
自分の口から伝えなければと思うのに、告げることが出来ない。

伝えれば、きっとリンナは良縁を喜んでくれるだろう。
嬉しそうに、「おめでとうございます」と、そう言ってくれる。
それを想像した途端、胸が締め付けられるように痛んだ。
息が出来なくなるかと思うくらいの痛みに、胸を両手でキツく押さえた。

「今からこんなんじゃ、本当に言われたとき大丈夫かな、俺……」
自嘲気味に笑いながら、ベルカはポツリと呟く。
それでも、言わなければならない。
先延ばしにすればするほど、痛みは増すだけだ。
「おめでとう」と、リンナが言ってくれれば。
きっと、ベルカはリンナを諦められる。
「ありがとう」と答えて、リンナへの気持ちに決着をつけられるはずだ。

リンナの部屋に行こう。
先日からリンナがベルカに何かを言いたそうにしているのも気になっていたし、それを尋ねた後に縁談のことを切り出そう。
そう決めて、ベルカはリンナの部屋を訪れたのだ。





けれど、そこで交わされた会話は、ベルカの予想とは全く違ったものだった。
諦めるために、リンナの部屋に行った。
なのに、そこで聞かされたのは、それを許さないと言わんばかりの言葉だった。
この部屋にはベルカ以外誰もいないはずなのに、どこからか優しい声が響いてくる気がする。


『殿下のことが好きです』


「違う……」
リンナは、マリーベルを好きなだけだ。
ベルカがマリーベルを演じてたから、ベルカ自身も好きなのだと勘違いしてしまったに決まっている。


『マリーベルではなく、ベルカ殿下を愛して────』


「やめろよ……」
そんなのは、一時の気の迷いだ。
いつかきっと、リンナもそれに気付いてしまう。


『誰よりも愛しい、大切な方だと思っております』


「……やめろ!」
グシャリと髪を両手で掴みながら、シーツに顔を埋める。
お願いだから、これ以上この心を掻き乱さないでほしい。
どうして、諦めさせてくれないんだ……そんな思いでキツく手を握り締める。

信じてしまいたくなる。
けれど、一度その手を取ってしまったら、もう離せなくなってしまう。
リンナがいつか本当に好きな女性を見つけても、ベルカはきっと無理やりにでもリンナを繋ぎ止めるだろう。
今ならまだ間に合うと思ったから、諦めようと必死になっていたのに。
「何でなんだよ……どうしろって言うんだ……」
震える声で、ベルカは独りごちる。

もう、分からない。
どうしたらいいのか、どうすべきなのか。





結局答えは出ないまま、次の日を迎えていた。
リンナも出来る限り普段通りを心がけてくれているらしく、ベルカに対して何かを言ってくることはない。
しかし、だからといってこのままにしておくわけにもいかない。
それは分かっているのだが、答えが出ない今の状態では何も言えなかった。

少し外の空気を吸ってくると告げて、ベルカは城の庭園を歩いていた。
石段の縁に腰を下ろすと、ため息をつく。
すると、背後から突然声をかけられた。
「何だ何だぁ? ため息なんかついちまって」
驚いて振り返ると、そこにはシャムロックがいた。
「おっさん……こんなトコで何してんだよ」
「ははっ、さっきまで姫さんの相手しててな。全く、結構人使いが荒いな、あの姫さんは」
笑いながら言うシャムロックを見て、ベルカもクスリと笑う。
ミュスカはすっかりシャムロックがお気に入りらしく、何かにつけては呼んでいるようだ。

「それより、どうした? ……縁談のことか?」
ベルカの隣に腰を下ろしながら、シャムロックがベルカの様子を窺う。
「んー、縁談っつーか……」
縁談そのもののことではないが、それに関わることなのは確かで、どう言っていいのか分からずに言葉を濁す。
「悪かったな、オルハルディの旦那に喋っちまって。まさか知らないたぁ思わなかったからよ」
「いや、それはいいんだ。おっさんが悪いわけじゃねえし」
ベルカに、話す勇気がなかっただけのことだ。シャムロックには何の非もない。

「……ベルカ、なんか、溜め込んでるもんがあるんじゃねえのか?」
シャムロックに顔を覗き込まれ、思わず目を逸らしてしまう。
「言っとくが、こないだのことはともかく、俺は『言わない』と約束したことは絶対喋らねえぞ。
 口が堅くなきゃ、傭兵なんざやってられねえからな」
確かにそうだろう、と思う。
その点に関しては、ベルカもシャムロックのことは信用している。

いっそ、話してしまおうか。
1人で考えることに、少し疲れてしまった。
シャムロックならば、男同士でのこんな色恋の話でも、偏見を持たずに聞いてくれそうな気がした。

「……マジで、誰にも言わねえでくれるか?」
「心配すんな、約束してやる」
シャムロックが表情を改めて、はっきりと断言する。

少し迷ったが、ベルカは事の経緯をシャムロックにポツリポツリと話し出した。
気持ちの整理が付かないままの話だったので要領を得ない話し方になってしまったが、シャムロックは黙って聞いてくれていた。
全て話し終えると、僅かな沈黙が生まれる。

「……なるほどなぁ、そいつは16、7のガキにはキツいかもな」
普段ならばガキ扱いするなと怒るところだが、今のベルカはそんな気にはなれなかった。
本当に自分は、子供なのだ。
こういう時に、どうしていいのかまるで分からない。

「なあベルカ、おまえはどうしたいんだ?」
「どうしたいって……」
「『どうすべきか』じゃなくて、おまえ自身が『どうしたいか』ってこった。
 立場とか性別とかずっと先の未来とか、その手のモン全部とっぱらってみろ。
 『今』、『おまえ』が、『どうしたい』か。単純だろ?」

ベルカが、どうしたいか。
叶うことなら、リンナの手を取ってしまいたい。
手を取って、いっそそのまま抱きついてしまいたい。
「好きだ」と告げて、「俺だけの傍にいてくれ」と、そう言ってしまいたい。

「今、心ん中で思ったこと、全部実行しちまえよ。やりたいことやっちまえ」
「でも……」
そんなこと、本当に許されるのだろうか。
いつかきっと、破綻してしまうに違いないのに。

「『後悔しない選択をしろ』なんて、俺は言わねえ。
 何を選んでも、全く後悔しない人生なんて有り得ねえ。後悔は、絶対どっかでするもんだ」
ベルカではなくどこか遠くを見つめ、シャムロックは静かに話す。
「けどな、自分自身に嘘を吐いた末にする後悔ほど、自分を嫌いになる瞬間はねえぞ」
その言葉は、ベルカに言っているようにも、そうでないようにも見えた。

「自分のこと嫌いになんのは、悲しいだろ」
その声にどことなく寂しさのようなものを感じ、ベルカは開きかけた口を閉じる。
「ま、たまには年長者のアドバイスってヤツを聞いてみるもんだぜ」
ニッと笑いながら、シャムロックがベルカの髪をグシャグシャと掻き混ぜた。
その荒っぽい優しさに、ベルカは泣きそうな気分になる。

「……いいのかな、本当に自分の気持ちに正直になっても」
「奴さんだって、自分やおまえに嘘を吐きたくないから、自分の気持ちを正直に伝えたんだろ。
 だったら、おまえもそうしたって、何も悪いことなんかあるか」
背中を叩かれ、ベルカは文句を言いながらも何か心が軽くなった気がした。

そうだ、リンナも嘘を吐きたくなかったんだ。
ベルカにも、自分自身にも。
だから、ベルカに拒否されるのを覚悟の上でその気持ちを伝えた。
どれだけの勇気が必要だっただろう、と思う。
リンナから想いを告げられたベルカですら、こんなに悩んでいるのに。
ベルカの気持ちが全く分からない状態でそれを告げることを、リンナは恐れなかったのだろうか。
いや、きっと怖かっただろう。
それでも、リンナは真摯な想いをもってベルカに対してくれた。
ひたすら真っ直ぐに、誠実に。
そんなリンナに嘘の気持ちを返すのは、あまりにも酷い仕打ちだ。

真実の気持ちを伝える、とリンナは言った。
ならば、ベルカも真実をもって応えなければ。

たとえこの先の未来で後悔する日が来たとしても。
この日の自分を誇ることが出来るように。



ベルカは一度拳を握り締めると、勢い良く立ち上がる。
「おっさん! ありがとな!」
それだけを伝えると、ベルカは走り出した。






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更に続きます。
次回、??サイド。

2010年10月3日 UP




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