王子と姫君



 ─ 第一話 ─



ベルカは引き戸を閉め、店内の椅子に腰を下ろす。
「店、上手くいってるみたいだな」
「おかげさまで」
「今日はアネットは?」
「丁度、配達に行ってくれてるの。ホント、助かってるわ」
言うと、マリーベルは一度住居部分になっている奥へと引っ込む。

再び出てきたその手には、お茶と茶菓子が乗ったトレイがあった。
ベルカの前のテーブルに、それを下ろす。
「別に、茶なんて出さなくてもいいのに」
などと言いつつも、ベルカの手は既に茶菓子に伸びている。
そんなベルカの様子を見て、マリーベルはクスクスと笑っている。
マリーベルに会いに来たときの、いつものやり取りだった。

ベルカの向かいに腰を下ろすマリーベルを、そっと盗み見る。
長い黒髪に碧い瞳を持った、双子の姉。
そっくりの顔に、よく似た声。身長だってそう変わらない。
男と女なのに身長差が殆どないのは若干納得がいかないが、実際に変わらないのだから仕方がない。
マリーベルが女の子にしては背が高いせいもあるのだが、せめてもう少し差があればいいのに。
……きっと、これから伸びてくるのだ。そうに違いない。

ベルカが最初にマリーベルの存在を知ったのは、12歳になった頃だった。
母から、マリーベルという双子の姉がいることを聞いた。
何故、マリーベルが一緒に城で暮らしていけなかったのかも。
理由を知っても、どうしてもベルカはマリーベルに会いたくなってしまった。
たったひとりの双子の姉。自分と同じ命を分けた少女。
だから、変装をしてこっそりと会いに行った。
話をしてくれたときに大まかな居場所を教えてくれたのは、ベルカがこうして会いに行くことを、母も望んでいたのかもしれなかった。

初めてマリーベルを見たときは、本当に驚いた。
双子だと知ってはいた。
けれど、自分と同じ顔を実際に目の前にすれば、誰だってびっくりしてしまうだろう。
ただ、驚きという点で言うならマリーベルの方が大きかったようだ。
それまでベルカの存在すら知らなかったのだから、それも当然といえば当然だろう。

そうして、マリーベルの義母──正確には城の女官だが──の口から、マリーベルへとその出生について告げられたのだ。
ベルカは、マリーベルさえその気ならば、城に帰ってこいと言うつもりだった。
古くからの言い伝えなどくだらない。
そんなことで国が滅んでたまるものか、そんなことで滅ぶほどこの国は弱くないと、そう信じていたからだ。
だが、マリーベルの出した答えはこのままここで暮らしたい、というものだった。
今の生活が好きだから、ここで母と静かに暮らしていきたいと。
マリーベルがそう望むなら、ベルカはそれを尊重しようと思った。
そして今は結局、こんな風に時折こっそり街に下りては遊びに来るようになったのだ。

マリーベルの義母が病で急逝してからは、義母の親友の娘であるアネットが仕立て屋を手伝ってくれていた。
アネット自身いつか仕立て屋を営むのが目標のようで、随分とマリーベルも助けられているようだ。
口も固く、ベルカのことも外部には一切漏らさず黙ってくれている。
もちろん、ベルカだって出来る限りマリーベルの助けになりたいとは思っているけれど。
手先が不器用なのでどうにも仕立て屋の仕事は手伝えなかった。



「ねえ、ベルカ」
声をかけられ、ベルカは顔を上げる。
「今日は、どっちの格好で行くの?」
そう尋ねられ、ベルカは少し首を捻って考える。
「そうだな……今日は、おまえのカッコで行くかな」
「やっぱり。じゃあ、奥で着替えてくる?」
「ああ、悪いな。今日は何か仕入れあるか?」
遊びに行くばかりでは悪いので、いつも仕入れの用事などがあるときはベルカがついでに立ち寄るようにしていた。
「ううん、今日は特に」
「分かった、じゃあとりあえず着替えてくる」
茶菓子を食べ終えたベルカは残ったお茶をグイと流し込むと、席を立った。

奥の部屋にあるのは、長い黒髪のウィッグと、マリーベルからもらった服。
折角城から出てきたのだからと、マリーベルのところに来た時は街に遊びに出かけることにしている。
その時に、当然王子であるベルカには変装が必要になる。
ここに来るまでの変装のまま行く日もあれば、双子であることを利用してマリーベルに化けて行くこともある。
女装に抵抗がないわけではないが、マリーベルの姿だと屋台などでおまけを付けてもらえたり値段をマケてもらえたりして……まあ、何というか、色々と美味しかったりする。
もちろん、マリーベルに迷惑をかけるような振る舞いなどは決してしないように気をつけているけれど。

「それじゃあ、行ってくるな!」
着替え終わると、ベルカはマリーベルに声をかけて裏口から店を出る。
「行ってらっしゃい!」
後ろからかかる声に、ほんの少しくすぐったさを感じながら。



いつものように街の中を、主に食べ物関係を中心に回っていく。
ベルカは街で売っている食べ物が、とても好きだった。
素朴でシンプルで、温かく美味しい食べ物。
もちろん城で出されるものも美味しいのだが、街の食事には活き活きとした生命力のようなものを感じた。

屋台で買った焼き芋を、街外れの公園のベンチに腰掛けてほくほくと食べていると、急に目の前に影が差した。
何だろうと顔を上げると、そこにいたのは3人の軽そうな男たち。
「ねえ、キミ、ひとりなの? 暇ならさ、俺たちと遊びに行かない?」
要するに、ナンパのようだ。
「……結構です」
「そんなこと言わずにさー、奢るから!」
フイと横を向いて断るが、そうそう簡単に引いてはくれないらしい。
「もう帰りますから」
立ち上がってその場を去ろうとするが、3人のうちの1人に腕を掴まれる。
その拍子に手に持っていた焼き芋が落ちてしまい、ベルカはギッと男を睨む。
まだ半分以上残っていたというのに、食い物の恨みは恐ろしいという言葉を知らないのか。

「つれないなー。ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃん」
「離してください」
「そんなツンツンしないでさー、別に変なこととか考えてないし」
嘘付け、と内心で悪態を吐くが、男たちはそれに気付く様子もなくベルカを取り囲むようにして笑っている。

どうするか、とベルカは男たちを睨みながら考える。
そう強そうには見えない。
ベルカならば隙をつけば片付けられるが、マリーベルの姿で迂闊なことは出来ない。

判断に迷っていると、腕を掴んでいた男が力ずくで引っ張って行こうとする。
そのとき、別のところから声が響いた。
「何をしているんだ!」
振り向くと、煉瓦色の髪の長身の男が走り寄ってくるところだった。
「おい、アイツ……」
「面倒だな……行こうぜ」
ボソボソと顔を見合わせて話していたかと思うと、ベルカの手を離してそそくさと走り去ってしまった。

「君、大丈夫かい?」
すぐ傍まで来た男が、去っていく男たちを苦々しそうに見送りながら声をかける。
「はい。助けてくださってありがとうございました」
礼を言いつつ、頭を下げる。
「あ、いや、街の治安を維持するのは衛士の務めだから」
「衛士さま、なんですか?」
その割には、目の前の男の格好は衛士服ではなく普通のラフな服装だ。
「ああ、今日は休息日なんだ」
ベルカの視線の意味に気付いたのか、男は苦笑する。

「俺はこの街を守る十月隊の分隊長をしている、リンナ・ジンタルス=オルハルディだ。
 もしまたあの連中が何かしてきたら、いつでも言ってきてくれ」
そう言って笑う男の目はひたすら真っ直ぐで、ベルカもつい笑みが零れてしまう。
「はい。ありがとうございます」
答えながら笑うと、男──リンナの頬が僅かに赤く染まる。

逸らした視線の先で地面を転がっている焼き芋に気付いたらしい。
「ああ、落としてしまったんだね。良かったら、俺がご馳走……」
言いかけて、リンナは一旦言葉を止める。
「あ、と、これじゃ、さっきの連中みたいだな……。すまない」
口を押さえて困ったように謝るリンナの真面目さは、ベルカにとって好感を持てるものだった。
「いえ、あの人たちとは違います。ちゃんと、分かりますから」
「そ、そうか。ありがとう」
ホッとしたように、リンナが笑う。

「それじゃあ、改めて、ご馳走させてくれるかな。この街の衛士として、嫌な気分のまま帰ってもらいたくないんだ」
ベルカに気を遣わせないような言い方を選んでいるところに、この男の性格が現れているように思えた。
とはいえ、助けてもらった上にご馳走してもらうというのは気が引ける。
そう言ってみたのだが、リンナは自分がそうしたいだけだから気にしないでくれ、と笑っている。
結局、その言葉に甘える形で2人で街中に戻った。

焼き芋を買い直して2人で食べた後、奢られっぱなしでは申し訳ないと買った飲み物をリンナへと渡す。
少し驚いた顔を見せた後、リンナが嬉しそうにありがとうと受け取ったことが、ベルカも少し嬉しかった。
並んでそれを飲みながら、他愛のない話をする。
リンナと交わす会話は楽しく、意識するまでもなく自然に笑顔が零れた。

そんな風にしているうちに、日が傾きだす。
「……っと、そろそろ帰らないと」
つい時間を忘れてしまったことに気付き、そんな自分に驚く。
「随分と付き合わせてしまったな。送っていこう」
「あ、いや、ひとりで帰れますから!」
うっかりマリーベルが店の外にいるのを見られたら、面倒なことになる。
「今日は色々ありがとうございました!」
慌ててペコリと頭を下げて礼を告げると、ベルカは踵を返してその場を走り去った。
離れがたい気持ちが心のどこかにあることに、気付かないフリをして。

しばらく走った後で、足を緩める。
マリーベルの姿で、ひとりの人間とこんなに長く話をしたのは初めてだった。
それはもちろん、ボロを出さないためだ。
出来るだけ、普段のマリーベルの行動範囲外の場所で食べ歩くようにしているのもそのためだった。
いつも気をつけているのに、何故今日はこんなに長く話してしまったのだろう。
今から思い返すと、ところどころで素が出てしまっていた気がする。
不審を抱かれていなければいいけど……と、ベルカはため息をつく。



「ただいまー」
裏口から戻ると、店の方はアネットが出ているらしく、マリーベルが出迎えに来てくれた。
「おかえり。今日は遅かったね」
「あ、ああ、ちょっとな……」
リンナのことを思い出し、言葉を濁す。
別に隠すようなことでもないのだが、気がついたらこう答えてしまっていた。
「……どうかしたの?」
「何が」
「なんか……顔が赤い気がするけど、熱でもあるの?」
「ね、熱なんかねえよ。ちょっと走ったから暑くなっただけだ」
「そう? それならいいけど……」
まだ少し納得していない風で、しかしそれ以上追及はしないでくれた。



後日、再び街に下りてマリーベルの姿であの場所へ行った。
行こうと思っていたわけじゃない。
何故だか、気がついたら足がそこに向かっていた。
そしてそこで、またその姿を見つけたのだ。
今度は、衛士服に身を包んだリンナに。

向こうもこちらに気付いたらしく、パッと表情を明るくすると駆け寄ってきた。
「やあ、また会ったね」
「今日はお仕事ですか? 大変ですね」
「ああ。でも俺はこの仕事が好きだよ。人々を守るこの仕事に、誇りを持ってる」
そう話すリンナの顔は自信に溢れていて、確かにとても誇らしげだった。

どこか眩しいような気持ちで見ていると、リンナが何かに気付いたような表情になる。
「そういえば、君の名前を知らない。……訊いても、いいだろうか」
偽名を名乗るのに何となく躊躇いを感じて名乗っていなかったのだが、ここで答えないわけにはいかないだろう。
「私は…………マリーベルと、いいます」
「マリーベルか。綺麗な、良い名前だ」
チクリと、何かが胸に刺さる。
真面目な相手を騙すことへの、罪悪感だろうか。
結局その場はリンナがまだ仕事中ということもあり、少し会話を交わしただけで別れた。



その後も機会があるごとに街に下りて、そのたびにマリーベルの格好で出かけた。
相変わらず、足は自然とあの場所へと向いた。
ある時は仕事中の、ある時は休息日のリンナと、何度か逢瀬を重ねた。
リンナの方もベルカを待っていてくれている風なのが、何だか嬉しくて…………苦しかった。






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ベルカがほんのり恋心のようなものを抱いた模様。



2011年5月22日 UP




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