王子と姫君



 ─ 第二話 ─



「それじゃあ、またな」
手を振って城に帰っていくベルカを見送り、マリーベルは椅子に腰を下ろす。

近頃は随分、街に下りてくる頻度が増えたように思う。
もちろん、嫌なわけではない。
ベルカに会えることは嬉しいし、仕事だって手伝ってくれる。
ただ、ベルカが何か隠し事をしているような気がして、それがちょっと気になるのだ。
ベルカにも言いたくないことのひとつふたつあって当然だとは分かっているけれど。

思えば、ベルカの様子に変化が見え始めたのは、いつもより帰りが遅かったあの日以来のような気がする。
あれから街へ来る日が増え、毎回マリーベルの格好で出かけるようになった。
以前までは、普通の変装と半々くらいだったのに、だ。

ひょっとして、誰か特定の人にでも会いに行っているのだろうか。
最初は好きな女の子でも出来たのかと考えたけれど、それだと毎回マリーベルの格好で行く必要はない。
出会ったのがマリーベルの姿でも、次からベルカの姿で「双子の弟」だと言えば済むことだ。

とはいえ、あれこれ詮索しても仕方がない。
いずれ、ベルカが話してもいいと思ったら教えてくれるだろう。
それまで、何も気付いていないフリをしておこうと、マリーベルはベルカが帰っていったドアを見つめた。



よく晴れた空を見上げ、マリーベルは荷物を抱えてひとつため息をつく。
顧客がどうしても引き取りに来られないというので配達することにしたのだが……重い。
大量注文は売り上げとしては有難いが、運ぶとなると非常に疲れる。
アネットが体調を崩して休んでいるので、ひとりで運ばざるをえない状況なのが辛い。
ベルカがいれば変装して手伝ってもらえるのだが、あいにく今日は来ない日のようだ。

この東の地区は殆ど来たことがないので、土地勘もあまりない。
地図を確認しながらウロウロしていると、不意に名を呼ばれて振り返る。
見ると、見覚えのない長身の衛士が駆け寄ってくるところだった。

「やあ、マリーベル。今日は随分と大荷物だね」
にこやかに話しかけられ、マリーベルは戸惑いながらも笑顔で応える。
こちらには全く覚えがないが、向こうはマリーベルを知っているらしい。
そこまで考えて、マリーベルに化けたベルカと間違えているのだと気が付いた。

どう対応すべきか、一瞬迷う。
ベルカの正体をバラすわけにはいかないし、単に双子の姉弟とだけ言えばベルカがただの女装趣味のように思われてしまう。
となると、何とか上手く話を合わせるしかないだろう。
ベルカはマリーベルの格好をしているときは基本的に敬語で話している、というのは確認してあった。
向こうの名前が分からないのは辛いが、少し話をするくらいなら大丈夫だろう。

「ええ、この先に品物の配達に来たんです」
ニッコリと笑顔で答える。
「そうか、そういえば仕立て屋をしているんだったね」
「はい。それじゃ、少し急ぎますので」
そう言ってそそくさとその場を去ろうとしたのだが、呼び止められてしまった。
「その荷物は女性ひとりでは大変だろう」
言いながら、男はサッとマリーベルの手から荷物を引き取った。
「あ、いえ、大丈夫ですから。お仕事中ですのに……」
「いいんだ。こういったことも仕事のうちだから、気にしないでくれ」
そんな風に言われては、強硬に断るわけにもいかない。
結局、荷物を持ってもらったまま並んで歩くことになった。

歩きながら話していると、男の真面目な人柄が見えてくる気がした。
それに加え、話の内容を聞いていると随分とマリーベル────ベルカと親しいようだ。
もしかして、ベルカはこの衛士に会いに来ているのだろうか。
衛士の男に? マリーベルの姿で?
にわかには信じがたいが、こうして会話を交わしていると、そうとしか思えなくなってしまう。
確たる根拠があるわけではない。
言うなれば、双子の姉としての勘のようなものだ。

目的地に着き、品物の受け渡しも済んで一息つく。
「本当にありがとうございました。助かりました」
男に向かってペコリと頭を下げる。
「いや、力になれたんなら嬉しいよ。……けど」
「けど?」
「ああ、いや、やっぱりマリーベルだなと思って」
言っている意味がよく分からず、首を傾げる。

「さっき話してるとき、何だかいつもと印象が違うなと思ったんだが……今、初めて会ったときのことを思い出してやっぱりいつもの君だと…………あぁ、すまない、何だか失礼な言い草だな」
困ったように頭を掻きながら謝る男に、マリーベルは少し驚いた。
女装したベルカとマリーベルが同じ人物に接触したことは何度もある。
それでも、今まで違いに気付いた者はひとりもいなかったのに。

「……マリーベル? すまない、気を悪くしてしまっただろうか……」
心配そうに男が見つめているのに気付き、マリーベルは慌てて否定する。
「いえ、そんなことありません。お気になさらないでください」
意識して笑顔を向けると、男は安心したようにホッと息をついた。
「それじゃあ、俺は仕事に戻るよ。帰りも気をつけて」
「はい、ありがとうございました」
男は嬉しそうに笑って、手を振って去っていった。



後日、ベルカが訪ねてきたときに不意に思い出して訊いてみた。
「ねえ、ベルカ。この間、長身の衛士さまに会ったんだけど……」
「え!? リンナに会ったのか!?
動揺も露に、ベルカが聞き返してくる。
「あの衛士さま、『リンナ』って言うの?」
「あ、ああ……。会うときはおまえの格好だから、『衛士さま』って呼んでるけど」
「……どうして?」
「え?」
「どうして、いつも私の格好で会ってるの?」
この疑問は、当然のことだと思う。
単に彼に会うだけなら、普段のベルカの変装でもいいはずだ。

「それは……」
ベルカが、言葉に詰まっている。
ひょっとしたら、ベルカ自身よく分かっていないのかもしれない。
自分があのリンナという衛士に対して抱いている感情の正体を。

結局、その場はそれ以上の話をすることはなかった。



数日後、先日の納品先への追加注文の品物を届けに、再び東地区へとやってきた。
アネットが配達を申し出てくれたのだが、いつも悪いからと断って店番を頼んでおいた。
今度は迷うことのない道を歩きながら、何となくキョロキョロと辺りを見回す。
リンナの姿を探している自分に気付き、マリーベルは戸惑う。
たった一度会っただけの男を、何故こんな風に無意識に探してしまうのだろう。

きっと、ベルカが彼のことを気にしているからだろう。
ベルカがあんなに頻繁に会いに行く相手に、興味があるだけだ。

リンナには会えないまま目的地に着いてしまったことに、僅かな落胆を感じる。
品物を納め、帰路に着く。
いつもよりもゆっくりと歩いている自分に、気付くことはなかった。

はあ、と小さくため息をついたところへ、聞き覚えのある声が聞こえた。
振り向くと、こちらに手を振って駆け寄ってくるリンナがいた。
沈んでいたマリーベルの表情が、ふっと緩む。

「マリーベル! 良かった、ちょうど君に会いたかったんだ」
そう言って笑うリンナに、胸がキュ、と締め付けられた。
「私に……ですか?」
「ああ、実は、渡したいものがあって……」
腰につけていた小さな鞄から、リボンの付いた袋を取り出す。
「もし良かったら……もらってくれないか」
差し出されたそれを、戸惑いがちに受け取る。

袋を開けると、そこには美しい装飾が施されたブレスレットが入っていた。
「こんな……良さそうなもの……随分、高価なものなのでは……?」
「いや、そんな大層なものじゃないんだ。ただ、君に似合うんじゃないかと思って……」
ちゃり、とマリーベルの手の中で揺れたそれには、何か文字が彫ってあった。

──愛しき者 愛しき世界に 慈しみの風を──

リンナらしい、とても暖かい言葉だと思った。
ただ、マリーベルが文字を読めることはあまり公にしていないことだった。
基本的に、文字を学ぶ機会の少ない市井の民、特に女性は文字を読めない場合が多い。
マリーベルは母から一通り勉強していたが、それを人に知られることは避けていた。
知れれば不審に思われるかもしれないことを分かっていて母が文字を教えたのは、ひょっとしたら、いつかマリーベルが王女に戻る日が来るかもしれないと思ってのことだったのだろう。

「……ありがとうございます。とても嬉しいです」
文字のことには触れず、ブレスレットを抱いて礼を告げる。
「喜んでもらえたなら嬉しいよ。趣味に合わなかったらどうしようかと思っていたから」
「そんな。こんなに素敵なものを頂いたのは初めてです。何かお礼が出来ればいいのですが……」
「ああ、そんなこと気にしないでくれ。俺が、君にプレゼントしたかっただけなんだ」
照れたように笑うリンナを見て、マリーベルの心の奥の方で何かが痛んだ。



仕事があるからと別れ、マリーベルもまた店へと戻った。
「あ、おかえりなさい!」
出迎えてくれたアネットに返事をしつつ、一度奥の住居へと引っ込む。
椅子に座り、手の中のブレスレットを見つめる。

これは……マリーベルが受け取るべきものではないことは分かっていた。
このブレスレットを手にするべきなのは…………ベルカ。
リンナがプレゼントしたかったのは、ベルカが演じた『マリーベル』だ。

渡さなければ。
次にベルカがやってきたときに、「衛士さまからベルカへのプレゼント」なのだと。
ベルカがマリーベルに変装して会いに行ったとき、ベルカがブレスレットをしていなかったら、きっと彼は悲しむだろう。
ちゃんと、本来渡るべき者のところへ手渡さなければならない。
それは、ちゃんと理解しているのに。

「何で、だろ……?」
どうして、自分はこれを渡したくないなどと思っているのだろう。
ベルカがこれを着けてリンナと笑い合っている姿を想像すると、息が出来ないほどの苦しさが襲う。
こんな感情など抱いたことがなくて、マリーベルはどうしていいのか分からなくなる。

この気持ちが何なのか、どこかで分かっていたのかもしれない。
けれど、それを認めてしまうのが怖かった。
認めてしまったら大切なものが壊れてしまう気がして、それが恐ろしかった。



泣きそうな想いを抱えたまま、マリーベルは胸に押し付けるように両手でギュッとブレスレットを抱きしめた。






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いよいよ三角関係になってまいりました。



2011年5月28日 UP




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