王子と姫君



 ─ 第三話 ─



「じゃ、行ってくるな」
「あ、ベルカ……」
いつものようにマリーベルの姿で裏口から出ようとしたとき、マリーベルから声がかかった。
「ん? 何だよ」
「あのね………………ううん、何でもない……。行ってらっしゃい」
何を言いかけたのだろうと気にはなったが、口を閉ざしたマリーベルの表情が泣きそうに思えて、それ以上訊けなかった。

街の東地区へと歩きながら、先程のマリーベルの様子を思い出す。
そういえば、今日は店に入ったときから様子がおかしかった。
何かあったのかと訊いてはみたが、マリーベルは何でもないとしか言わない。
仕立て屋関係で何かトラブルでもあったのかもしれないと思っても、話してくれない限りはベルカにはどうしようもない。
無理に聞き出すのも逆に追い詰める気がして、結局待つしか出来ない自分が不甲斐なく思えた。

「……やっぱ、世間知らずで頼りねーのかな、俺……」
ため息をついて、ベルカは独りごちる。
たった2人の姉弟。
力になれるものならば、いくらでも助けたいのに。

考えながら歩いているうちに、いつもの場所に辿り着く。
途中で買った屋台の蒸しパンを食べながら柵に凭れて座っていると、もう聞き慣れてしまった声がかけられる。
「やあ、マリーベル」
急いで残り少ないパンを食べ終えると、ベルカは立ち上がってリンナへと向き直る。
「こんにちは。今日はお休みなんですか?」
私服姿のリンナを見て、ベルカは少し浮き立った気持ちで尋ねる。
休みならば、今日は少し長く一緒にいられるのかもしれない。

「ああ。良かったら、街の中心部へ出てみないか?」
そのリンナの提案を、断る理由などない。
ベルカが頷くと、リンナは嬉しそうに笑ってベルカの手を取る。
「……嫌かな」
「……いえ」
男に手を握られているというのに、不快感はなかった。
むしろ、その温もりが心地良いとすら思った。

けれど、とベルカの心にひとつ影が落ちる。
リンナが手を取り笑いかけているのは……『マリーベル』。
『ベルカ』ではない。
騙していることへの罪悪感と、自分を見られていないことへのやるせなさ。
しかし今更、正体を明かすことも出来なかった。

ふと、リンナの視線がベルカの手──正確に言うと、手首の辺りに集中する。
「あの……何か?」
手の感触で男であることがバレたのかと、ヒヤリとする。
「あ、いや……何でもないんだ、気にしないでくれ」
そう答えたリンナの表情が少し落ち込んだように見えて、それがベルカの心に引っかかった。



表通りにある茶屋で、軽い食事を取る。
抜けるような青空の下での食事は、とても美味しかった。
「あ、すみません……私ばかり、こんな」
がっつかないように気をつけてはいるが、楽しいのと美味しいのとでつい食べる量が多くなる。
「そんなことないさ。そんなに美味しそうに食べてくれると、俺も嬉しいよ」
そう言って笑ってくれるものの、やはりどこか表情が冴えない気がする。

「あの……何か、お気に障ることをしてしまったでしょうか?」
思い切って、そう尋ねてみる。
「どうしてだい?」
「何だかさっきから……少し沈んだお顔をしておいでなので……」
「あ……いや、すまない」
困ったように視線を逸らしたリンナは、少し考えた後、決意した様子でベルカに向き直る。

「マリーベル……。その、こんなことを気にするなんて自分でも小さな男だと思うんだが……」
言いにくそうに、しかしその視線は先程と同じようにベルカの手首に向かっている。
「あのブレスレットは、やはり、君の趣味ではなかっただろうか……?」
もしそうなら今度は君に選んでもらって別のものを……と、リンナは続ける。

ブレスレット。
何のことか分からなくて、ベルカはどう答えたものかと考える。
ベルカは、そんなものをリンナから受け取った覚えはない。
そこまで考えて、ふと気付く。

ベルカが受け取った覚えがないのに、リンナはマリーベルに贈り物をしている。
それならば、考えられる可能性はひとつだ。
受け取ったのが、本物のマリーベルだったということだろう。

とにかく、この場は何とか取り繕わなければならない。
「いえ! そういうことじゃないんです! ただ……」
何て言えばいいだろう、とベルカはひたすら考える。
「ただ、外に着けていくと、万が一外れて失くしてしまったらと心配で……」
少し、言い訳としては苦しいだろうか。
そう思ったが、リンナはホッとした様子で息をついている。
「そ、そうなのか……。すまない、おかしなことを言って……」
素直に信じてくれたリンナに、チクリと胸に棘が刺さる。
リンナに嘘を重ねることが……こんなにも、辛い。



自宅への帰り道、歩きながらベルカはブレスレットのことを考える。
何故、マリーベルはブレスレットのことを教えてくれなかったのだろう。
単に、忘れていただけだろうか?
そう思いたくて、けれどそうではない、ある種確信めいたものがあった。
今日はずっと様子がおかしかったマリーベル。
その原因は、まさにこのブレスレットのことだったのではないか。

もしも、マリーベルが意図的にベルカにブレスレットのことを隠していたのだとしたら。
その理由は…………ベルカが考えられる限りでは、ひとつしか思い当たらなかった。



裏口から入り、元の格好に着替えてから店の方へと向かう。
既に閉店時間を過ぎているのでそのまま店に入ると、マリーベルがぼんやりと座っていた。
アネットは既に帰ったようだ。
「……マリーベル、ただいま」
声をかけると、ハッと顔を上げてベルカの方を向く。
「あ、ベルカ! おかえりなさい」
慌てて立ち上がり、マリーベルが笑顔を作る。

「なあ……ひとつ、訊いてもいいか?」
「……何?」
何を訊かれるのか、分かっているのかもしれない。
マリーベルは落ち着いた様子で訊き返す。
「リンナに、何か贈られなかったか?」
そう尋ねると、マリーベルは僅かに俯いた。

しばらく沈黙が流れていたが、やがてマリーベルがベルカの横を抜けて自宅奥へと入っていく。
そうして戻ってきたマリーベルの手には、ブレスレット。
やはり……と、ベルカは視線を落とす。

「……ごめんなさい。ベルカに渡すべきだって、分かってたんだけど……」
そうじゃない、と思う。
リンナからマリーベルへの贈り物だ。それは、マリーベルが持っているべきものだろう。
「そのブレスレットは……おまえのものだよ、マリーベル」
そう告げると、マリーベルは驚いたようにベルカを見つめ返す。
「それは、リンナがマリーベルに、ってくれたものだろ? だったら、俺じゃなくて、おまえへの贈り物だ」
だけど……と、ベルカは言葉を繋げる。
「けど、何で、ひとこと教えてくれなかったんだ……?」
「それは……」
マリーベルは一度口を開きかけ、躊躇いを見せた後、また閉じてしまった。

ベルカは意を決して、帰り道で考えていたことをマリーベルに問う。
「リンナのことが…………好き、なのか?」
マリーベルは答えない。
だが、むしろそのことが、ベルカの問いを肯定していた。

ああ、やっぱり……と、ベルカは自嘲気味に笑う。
リンナは、どう見ても『マリーベル』に想いを寄せている。
そして、マリーベルもまた、リンナを好きなのだ。
まさに、両想いのハッピーエンドというヤツだ。

「良かったじゃねーか! リンナも、どう見たっておまえのこと好きだろ」
「ベルカ?」
「何そんなシケた顔してんだよ。晴れて両想いだろ? 心配しなくたって、もう、おまえの格好で会いに行ったりしねーから……」
何よりベルカ自身が、もうリンナを騙し続けることにも、自分を見ないリンナと会うのにも、耐えられそうになかった。

胸の辺りがキリキリと痛む。
マリーベルの幸せは、ずっと望んでいたことのはずなのに。
心の奥が締め付けられて、悲鳴を上げている。
ダメだ、これ以上ここにいては。
早くこの場を去らなければ、マリーベルにみっともない姿を見せてしまう。

「それじゃあ、俺、そろそろ帰るな!」
そう言って、裏口のある奥へ向かおうとしたのと、引き戸が開いたのとは同時だった。
「もう閉めているのに、すまない。マリーベル、いるかな」
本来ならこんなところで聞くはずのない声に、ベルカは思わず振り向く。



そこにいたのは間違いなく、今日会ったばかりの……その人だった。






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とうとう正体バレです。



2011年6月5日 UP




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