王子と姫君



 ─ 第五話 ─



あれから2週間。
ずっと考え続け、悩み続け…………ようやく出した答えを持って、リンナは歩いていた。
目的地である、マリーベルの店に向かって。



今日は店が休みで表の入り口は鍵が閉まっているので、裏口へと回る。
呼び鈴を鳴らすと間もなく扉が開き、マリーベルが顔を出した。
「衛士さま……」
「マリーベル。休みの日に朝から済まない。今日は、時間があるだろうか……」
「……はい。中へどうぞ」
マリーベルに促され、家の中へと入る。
女性の一人暮らしの家に上がり込むのは若干の抵抗があるが、話の内容が内容だけに外で話すわけにもいかなかった。

居間に通され、座ったソファの前のテーブルにお茶が置かれる。
そうしてマリーベルが向かいに座ると、沈黙が下りた。
緊張で乾いた喉をお茶で潤し、リンナはひとつ深く呼吸をする。
出した答えを、告げなければ。
それがたとえ、どんなに目の前の少女を傷付けるものであっても。

「……マリーベル」
名前を呼んで、顔を上げる。
「この2週間、ずっと考えてきた。そうして、やっと、答えが出た」
マリーベルは黙ったまま、リンナを見返している。



「俺は…………俺が、好きなのは…………ベルカ殿下、なんだ」



真っ直ぐにマリーベルの目を見つめながら、リンナはハッキリと告げた。
マリーベルの目を見るのは辛かったが、この場で目を逸らしてはいけないと思った。
それが、想いを伝えてくれたマリーベルへの礼儀であるはずだ。

「俺はマリーベルが好きだった。けれど、出会ったマリーベルが殿下だったと知って分からなくなった。
 俺は殿下演じるマリーベルと、本当の君と、2人の『マリーベル』に会っていた」
2人の人間であることに気付かなかった自分が、情けなかった。
もっと注意深く見ていれば、気付けたかもしれなかったのに。
マリーベルと会えることに浮かれて、小さな違和感を見過ごし続けていた。

「君たちの話を聞いて、最初は俺は、自分が好きなのは女性である君なのかと思った。
 けれど……何度目を閉じても浮かんでくる『マリーベル』は…………殿下だった」
酷いことを言っている、と思う。
しかし、自分が辿り着いた答えをすべて告げなければいけない気がした。

「王子殿下に対して、俺のような者が抱いていい感情ではないことは分かってる。
 ましてや男同士、好きになったからといって、どうにかなるようなものではないことも。
 ……それでも、自分の気持ちは偽れない」
正直な気持ちを打ち明け、リンナは口を閉じた。
マリーベルにどんな言葉をかけられても、受け止めよう。

しばらくは互いに黙ったまま、時間だけが過ぎていく。
不意に空気が動いたと思うと、マリーベルが閉じていた目をフッと開いた。
その時に彼女が顔に乗せた微笑みは、悲しげで……優しいものだった。

「ありがとうございます、衛士さま。本当の気持ちをお聞かせくださって……」
そう口を開いたマリーベルは、一旦息をついてから再び話し出す。
「分かっていました……衛士さまがベルカのことを好きだということは」
その言葉に驚きを隠せないリンナに、マリーベルは苦笑している。
「好きな人が誰を見ているかくらい……分かります」
マリーベルの目が、寂しそうに伏せられる。

「その上で、私は衛士さまの口からそれをお聞きしたかったのです。
 ご自分に嘘を吐かず、真っ直ぐにベルカを求めてくださるのかを」
もしリンナが自分の気持ちを誤魔化していたら、きっとマリーベルはリンナに失望していたのだろう。
マリーベルの想いを裏切らずに済んだことに、心から安堵する。

「でも、安心しました。やっぱり、衛士さまは思った通りの方でした」
吹っ切ったように、マリーベルが笑う。
「どうか、その気持ちを、ベルカに伝えてあげてください」
あの、ブレスレットと共に。

リンナも、もちろんそのつもりだった。
だが……。
「マリーベル。あれから、ベルカ殿下は……?」
「……一度も」
眉尻を下げ、マリーベルが小さくため息をつく。

状況が状況だ。
ベルカも、街に下りて来づらいのだろう。
そして、ベルカが城に篭ってしまえば、マリーベルもリンナもベルカに会うことは困難だ。
何しろ、ベルカはこの国のたったひとりの王太子殿下なのだから。

リンナは、ひとつ大きく息を吸う。
「大丈夫だ。そこは、何とかしてみせる」
「衛士さま……」
「やっと気付けたこの気持ちを、必ず殿下にお伝えするよ」
「……はい。衛士さま……どうか、どうかベルカをよろしくお願いします……」
マリーベルは姿勢を正すと、リンナに深く頭を下げた。
「ああ。……ありがとう、マリーベル」
済まない、とは言わなかった。
謝罪をすることは、逆にマリーベルに対して礼を失すると思ったのだ。

店を出て歩き出そうとしたとき、マリーベルに呼び止められた。
「衛士さまのお心がベルカに伝わったら……また、2人でここに来てくださいね」
「ああ、約束する」
たとえベルカがどんな答えを出そうとも、必ずマリーベルに伝えに来よう。





一度宿舎に戻って衛士服へと着替える。
そうして、懐にブレスレットを忍ばせ、城門へと向かった。

いくら分隊長の地位にあるとはいえ、リンナは貴族でもない、ただの平民だ。
本来ならば、王太子殿下への目通りなど叶うはずもない。
だが、そんなことを言ってはいられなかった。
叶うはずがないものでも、叶えなければならない。
深く傷付きながら、それでも笑ってくれたマリーベルのためにも。

一度深く呼吸をし、城門の見張りの衛兵へと近付く。
見張りといえども、城に仕えているのはほぼ貴族の子弟だ。
そう簡単にはいかないだろうと、リンナは改めて気を入れ直す。

「私は、十月隊分隊長・リンナ・ジンタルス=オルハルディ。
 どうか、ベルカ王子殿下にお目通りを願いたい」
「……ベルカ殿下に……? どのようなご用件でしょう」
さすがに、本来の用件を告げるわけにはいかない。
「ここでは申し上げられませんが、ベルカ殿下にとっても大切な用件です。
 私の名と共に、取次ぎだけでも願いたい」
衛兵が胡散臭そうな目でリンナを見ている。
無理もないと思う。リンナが向こうの立場でも怪しむだろう。

「お願い致します……」
諦めるわけにはいかないと、深く頭を下げる。
「……分かりました。殿下に貴公のお名前をお伝えして参りましょう」
「ありがとうございます! こちらの書簡も共にお渡し願いたいのですが……」
「中身を先に検めさせていただきますが、よろしいですか」
「もちろんです」
懐から取り出した書簡を、衛兵へと渡す。

自分の名前だけ伝えても、今のベルカは会ってはくれないだろう。
だから、ここに来る前に書簡をしたためておいた。
王子殿下であるベルカならば、当然文字の読み書きは問題なく出来るはずだ。
先に中身を検められることは分かっていたので、かなり文面には苦慮したが。

マリーベルと先に話をしたこと。
どうしても、ベルカに伝えたい言葉があること。
伝えることが叶わなければ、ベルカはもちろん、マリーベルにももう会わない覚悟であること。
それらを、ベルカだけに伝わるよう言葉を選んで書き上げた。



どれだけの時間が経っただろう。
そんなことを思うが、まだ日は真上に昇りきってすらいない。
随分と長く待っているように思えるのは、気持ちが逸っているせいかもしれない。
早く、ベルカに会いたい。
ベルカに会って、この想いをすべて伝えたい。

「オルハルディ殿」
声をかけられ、ハッと我に返る。
「失礼しました。それで、殿下は……」
「殿下は、お会いにならないそうです」
「そう……ですか……」
あの手紙では伝わらなかったのかと、リンナは肩を落とす。
他人の目を憚らねばならないことを考慮しても、上手く伝えられる文章を書けない自分が情けなかった。

それでも、諦めるわけにはいかない。
今日はダメでも、また日を改めてもう一度来よう。
その日にも会ってもらえなければ、また別の日に。
会ってもらえるまで、ひたすら通い続けよう。

礼を言って踵を返そうとすると、慌てたような声がかけられた。
「お待ちください。殿下から、書簡を預かっております」
「書簡?」
「はい。こちらです」
その言葉と共に、1通の書簡がリンナへと手渡される。

書簡を開くと、そこにはたった1行のみ。
『あの日の場所で』
それだけの文章が、少し震えた文字で書かれていた。





再び私服に──あの日に着ていた服に着替え、リンナは駆け足で目的地に向かう。
あの日の場所。
それはきっと…………初めて出逢った、あの街外れの公園。

息を切らしながら辿り着くと、そこにはまだ誰もいなかった。
あの時点でベルカは城にいたのだから、当然といえば当然だ。
リンナは、あの日にベルカがいたベンチへと腰掛ける。

書簡には、日付も時間も書いてはいなかった。
今日ともしれない、いつともしれない約束。
それでもいいと思った。
いつまででも、待っていられる。
ベルカがいつかここに来てくれるのならば。



ベンチに座ったまま、時間だけが流れていく。
徐々に陽射しは弱くなり、空が色づき始める。
それでも、リンナは待ち続けた。
ベルカはきっと来てくれると、そう信じて。



ジャリ、と土を踏む音が聞こえた。
振り返ると、そこにはずっと会いたくて、待ち続けていた人。



「ベルカ殿下……」



帽子を深く被り変装をした、ベルカ王子殿下その人だった。






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次回、告白タイムです。



2011年6月19日 UP




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