王子と姫君



 ─ 第六話 ─



すっかり夕焼けの赤に包まれた、公園。
相当な時間、待たせたと思う。
普通ならば、とっくに諦めて帰っていてもおかしくない時間だった。

あんな手紙を渡したものの、なかなかリンナに会いに行く勇気が出なかった。
何度も部屋の中を歩き回り、窓の外を眺めた。
もう帰ってしまったかもしれないと、そう思いながらここまで来た。
けれど、心のどこかではリンナが待っていることを期待していたのかもしれない。
ベンチにリンナの姿を見つけたとき、嬉しさと痛みと切なさとがない交ぜになって胸が締め付けられる思いがした。



「ベルカ殿下……。来て下さって、ありがとうございます」
この間のように跪きはしなかったが、リンナは立ち上がってその場で礼を取る。
「俺に、話したいことがあるって……」
「……はい。聞いていただけますでしょうか」
「聞く気がなかったら、こんなとこまで来るかよ。けど、その前に……」
そう言って、ベルカは手に持っていた袋のひとつをリンナにずいっと差し出した。

一体それが何なのか分からないのだろう、リンナが戸惑ったように袋を見ている。
「……さっさと取れよ」
「は、はい!」
慌てたようにベルカから袋を受け取ったものの、どうしていいものか分からない様子だ。
「おまえ、どうせ何も食ってねえだろ」
リンナが城に来たのは、まだ昼にもなっていなかった頃だ。
そこで、ベルカからのあの手紙を受け取ったのだ。
リンナのことだから、せいぜい着替えくらいですぐさまここに来て、食事も摂っていないだろう。

そのことを指摘すると、どうやら図星だったらしくリンナは言葉に詰まっている。
「そこに座って、まずはそれ食えよ」
「い、いえ、しかし、殿下の御前でそのような……」
「いいから! 俺も自分の分食うし」
半ば強引にリンナをベンチに座らせ、少し距離を空けて自らもその隣に座る。

ベルカが食べ始めると、リンナも遠慮がちにガサガサと袋の中から揚げパンを取り出して口に運び始めた。
この小魚の揚げパンは、ベルカの好物のひとつだった。
いつかリンナと一緒に食べたいと、そう思っていた。
それがこんな形で実現するなんて、思ってもいなかったけれど。

言葉を交わすこともなく、2人でただ黙々とパンを食べる。
これが最後かもしれなくても、こうしてリンナと並んで食べられるのは……嬉しかった。



食べ終わった後もしばらくは無言のまま座っていたが、リンナがバッと立ち上がるとベルカの前に立った。
「……殿下、聞いていただきたいことがございます」
「ああ……」
ベルカは並んでいられる時間が終わったことに少し落胆しつつ、それでも真っ直ぐにリンナを見返す。

話とは、きっとマリーベルのことだろう。
リンナはマリーベルが好きで、マリーベルもリンナが好きで。
そうなれば、2人が手を取り合わない理由はない。
ベルカに伝えたいのは、想いが通じ合った報告か、それとも付き合うことへの許可を願い出たいのか。
どちらにしても、笑顔で祝ってやろう。
ここに来る前に、そう決めていた。
どれだけ痛みが胸を刺しても、せめてリンナとマリーベルの前では笑っていようと。

どんな言葉を聞いても表情は崩すまいと心の準備をし、リンナの言葉を待つ。
一呼吸を置いて、リンナがゆっくりと口を開いた。
「殿下、このようなことを申し上げるのは、非常に無礼なことだと承知しております。
 ですが、自らの中にある想いをすべてお伝えすることが、私が為すべきことだと思いました」
ベルカは、黙ったままリンナの言葉の続きを待つ。





「ベルカ殿下。私は、あなた様を…………誰よりも想っております」





ひときわ強い風が吹き抜ける。
今…………リンナは、何と言ったのだろう?
自分が耳にした言葉が信じられなくて、呆然とリンナを見返す。
リンナは直立不動のまま、緊張した面持ちでじっとベルカを見つめている。

『誰よりも想っている』と言ったリンナ。
この状況でその言葉は、間違えようもなく『好き』だということだろう。
リンナが? ベルカを?
何故、という言葉が頭の中をぐるぐると回る。
マリーベルがいるというのに、何故、ベルカを好きだなどと言うのか。

「おまえ……自分が何を言ってるか、分かってんのか?」
搾り出すような声で、リンナにそう尋ねる。
「分かっております」
「じゃあ、どういうつもりなんだ!? おまえは、マリーベルが好きなんじゃなかったのかよ!?
リンナが楽しそうに笑いかけていたのは、ベルカではなく『マリーベル』のはずだ。
「仰る通り、私はマリーベルが好きでした。ですが……私が出逢ったマリーベルは、殿下です」
「最初はそうかもしれねえけど……でも、本物のマリーベルにも会ってただろ」
「はい。それでも、私が気が付くと思い浮かべてしまう『マリーベル』は…………ベルカ殿下なのです」
はっきりとそう言い切るリンナに、ベルカは戸惑う。

「おまえの言う『マリーベル』が、絶対に俺だった確信でもあるのかよ?」
あの日にすべてを話すまで、リンナは気付いてはいなかったはずなのに。
ベルカの考えが伝わったのだろう、リンナは少し困ったような表情を見せる。
「確かにあの日まで、私は殿下とマリーベルのことに気付きませんでした。
 まさか、双子のご姉弟だなどとは考え付きもしませんでしたので」
それ自体は、仕方がないことだと思う。発想が突飛過ぎる。
「ですが、会っている最中に違和感を覚えることがありました。
 あの時会っていた人こそが、本物のマリーベルだったのだと……今なら分かります」
そして、自分が惹かれたのは最初に出逢ったマリーベルなのだと、リンナは続けた。

「何でだよ……。おんなじ顔なんだぞ、それなら女の方がいいだろ。おまえは男なんだから」
なんか一目惚れっぽかったし、とベルカは少し俯きながら呟く。
「……確かに、一目惚れに近いものであったことは否定できません。ですが、決してそれだけではありません」
真っ直ぐにベルカを見つめるリンナの言葉に、ゆっくりと顔を上げる。
「楽しそうな笑顔、少々お転婆な仕草、美味しそうに食べる表情、触れた手の暖かさ。
 それらすべてが、私は愛おしくて仕方がないのです」
あまりにあまりなセリフに、ベルカは全身の血が顔に集まっていくような感覚を覚える。
恥ずかしさで、頬が熱くてたまらない。

「何度でも申し上げます。私は、他の誰でもない、ベルカ殿下が好きです」
そう告げるリンナの瞳に、迷いの色は一切見られない。
いくら信じられないことでも、これがリンナの真実であることは痛いほどに伝わってきた。

「もし、私のこの気持ちを信じていただけるなら……」
言いながら、リンナは懐から何かを取り出す。
「これを、受け取っていただけますでしょうか」
そうして差し出されたのは、いつかマリーベルに見せてもらったブレスレット。
「何で……それ……」
それは、マリーベルが持っているはずなのに。
「マリーベルに言われたのです。これは、私が……誰よりも贈りたい人に渡してほしいと」
マリーベルが一体どんな気持ちでブレスレットを返したのか。
ベルカには、痛いほどに分かる気がした。

「本当に……それを、俺に渡していいのか?」
リンナが自分の想いのすべてを篭めたブレスレットを受け取るのが、本当に自分で良いのだろうか。
「殿下に、受け取っていただきたいのです……」
差し出されたブレスレットが、夕焼けの光を反射している。

一度、目を閉じる。
もう、これ以上自分の気持ちを誤魔化せない。
それは、リンナやマリーベルに対する酷い裏切りになる。

ベルカは緩やかに目を開くと、心を決めて手を伸ばす。
リンナの手の中から、ブレスレットを拾い上げる。
チャリ、と音を鳴らし、ブレスレットがベルカの手の中に収まる。

「……ありがとう…………リンナ」
初めて、相手に向けて呼びかけた名前。
「いえ! 私の方こそ、受け取っていただいてありがとうございます!」
リンナの喜びに溢れた様子に、クスリと小さく笑う。
そんなに喜んでいるのは受け取ってもらえたからか、初めて名を呼ばれたからか。
きっと、両方なのだろう。

「本当にありがとな。ずっと一緒にはいられなくても……おまえの気持ちとこのブレスレットだけで、俺は嬉しいよ」
ベルカはこの国の王太子だ。
当然、将来は父親の後を継いでこの国の王となる。
どれほど望んでも、リンナと生涯を共にすることは出来ない。
ベルカがいなくなれば、この国には王位を継ぐ者がいなくなる。
それが分かっていて、すべてを捨ててリンナと逃げるわけにはいかなかった。

リンナもそのことを分かっているのだろう、表情に苦しげなものが混じる。
「殿下……。それでも私は、生涯あなたのことだけを想っております……」
「……うん、そうだな。俺も、きっとそうだ……」
いつか結婚することになる未来の王妃には、辛い思いを強いることになるかもしれない。
それでも、ベルカはこの気持ちを捨てることが出来るとは、今はもう思えなかった。
片想いのままなら、時間をかければ昇華できたかもしれない。
しかし、互いの想いを知ってしまったら、もうそれは心を捕らえて離さなくなる。

無性にリンナに触れたくて、けれどここは街外れとはいえ屋外だ。
今は周りに誰もいないが、万が一にも誰かに見られないとも限らない。
変装こそしているが、格好は男そのものだ。
伸ばしたくなる手を、懸命に堪えた。

その代わりに、とベルカはブレスレットをリンナに差し出す。
「これ……着けさせてくれよ」
「は、はい!」
リンナはそっとブレスレットを受け取ると、差し出されたベルカの手首に丁寧な所作でブレスレットを装着する。

自らの手首に着けたブレスレットに、ベルカはゆっくりと口付けを落とした。
「殿下……」
「これを、おまえだと思うよ。ありがとな」
口付けの意味を理解したのか、リンナの頬が朱に染まる。



時折にしか会えなくても。
リンナの心が自分にあると信じられるなら、この想いを抱えて生きていける。

「俺も……おまえが好きだよ」
ずっと伝えたくて、伝えられなかったことを……今やっと、言葉にする。

この気持ちだけはこの先もずっと変わらない。
そう告げて、ベルカはどこかに泣きたいような切なさを感じながら笑った。






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気持ちに決着がついて、後はほんの少しエピローグです。



2011年6月26日 UP




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