狂者の館







キィ……と軋むような音を立てながら、ドアを開く。
慎重に部屋の中に足を踏み入れると、三蔵は周りを見渡した。
やはり人の気配はしないが、妙な不快感が三蔵の中にざわめいている。
幾つかの部屋を回ったが、特におかしな点は見当たらなかった。
三蔵の中の何かが警告している気がするものの、実際には何も起こっていない。
罠なら罠で、すぐに仕掛けてくればいいものを……との思いが、三蔵を苛つかせている。

少々乱暴な足取りで部屋の奥へと歩く。
窓からは変わらぬ森の景観が見えるが、その景色は夜の闇に包まれて独特の雰囲気を醸し出していた。
窓を開け、三蔵はマルボロに火を点ける。
こんな所を悟空や悟浄が見れば、またサボリだの何だのと騒ぐだろうが。
煙を深く吸い込むと、多少気分が落ち着く気がする。
苛ついていても仕方がないのは分かっている。
どちらにしても、今夜はここで一夜を明かすしかないだろう。
何も起こっていない以上、気にしていても無駄だ。
そう結論を出し、三蔵は部屋を出ようと踵を返した。

その振り向いた時、部屋の隅、丁度ドア口からは死角になる辺りに床が少しせり上がっている部分があった。
近くのテーブルに置いてあった灰皿で煙草を揉み消し、その部分に近付いてよく見てみる。
敷いてあるカーペットをめくってみると、そこにあったのは、四角い扉のようなもの。
それが、少し開いて浮き上がったような状態になっていた。
きっちり閉まっていれば、おそらく気付かなかっただろう。
「……隠し扉か」
三蔵は、その扉を見つめながらしばし考え込む。
これは、単に古くなった館が歪んで自然に浮き上がったものか、それとも誰かが故意に開けたものか。
誰かが故意に開けたのなら、そいつは三蔵を誘っているのだろうか。

三蔵は、少し開いた扉の端に手をかける。
慎重を期すならば、八戒達に知らせに行くべきなのだろう。
しかし、三蔵にはそれが『頼る』という行為に思えた。
この程度の事で、いちいち誰かを呼ぶ必要などない。
そう決めると、三蔵はゆっくりとその扉を開いた。


少し錆付きかけた扉を開くと、案の定、そこには地下へ続くと思われる階段があった。
ここまでお約束だと、拍子抜けするくらいである。
階段の先は暗くてよく見えない。かなり深くまで続いているようだ。

三蔵は袂からライターを出し、火を点す。
そしてその明かりで周りを照らしながら、一段一段階段を降りていった。


自分以外の気配を探りつつ慎重に降りていくと、階段は終わり、短い通路の奥に扉があった。
如何にも頑丈そうな鉄の扉だ。
前に立ち、中の気配を読み取ろうとしても、分厚い鉄に阻まれそれは出来なかった。
銃を胸の前で構え、扉の脇に立って静かにゆっくりと扉を開いた。





眩しい光が一瞬三蔵の視界を奪う。
地下の暗さに慣れていただけに、その光に瞳を灼かれるような感じだ。
しかし、その中でも三蔵は咄嗟に銃を、部屋にある『気配』に向けた。
部屋に入った瞬間に感じた、吐き気がするほどの嫌な気配。

「ようこそ、三蔵法師様。まさか、こんな所にいらっしゃるとは思いませんでしたよ」
銃を向けられているにも関わらず、余裕に溢れた男の声が耳に届いた。
聞いた感じでは、爽やかなイメージのする声だ。
次第に目が慣れ、三蔵の目に映った男は、外見も9割方が『好青年』と評するであろう優しげな容貌であった。
穏やかそうな微笑みは、何処か八戒を思い出させる。
だが、その瞳に微かに覗く狂気の光に三蔵は気付いた。

「嬉しいですよ、貴方のような人が来て下さるなんて」
「……てめえ、こんな所で何をしてやがるんだ」
銃口は外さず、三蔵は男と相対し、様子を探る。
「何って言われても……私はここで暮らしているんですが?」
何を言われてるのか分からないとでもいう風に、男は首を傾げる。
「こんな、野犬の群れがうろついてる森の中で、1人でか?」
何か目的がなければ、そんな酔狂なヤツなどいるわけがない。
その『目的』を聞き出すのが先だ。
もちろん、素直に喋りはしないだろうが、何かを探り出す事くらい出来るだろう。

本心の見えない微笑みを崩さぬまま、男は三蔵の言葉を修正した。
「1人じゃありませんよ? 他にもたくさんいるんですから」
「……何?」
この部屋に入ってからずっと周りに注意を張り巡らせているが、他に気配など感じない。
「どういう事だ」
目の前の男と周りを警戒しながら、三蔵は男を睨み付ける。
「そうだな……。貴方になら見せてあげますよ。私の大事な『コレクション』なんですけどね」
そう言って、男は後ろにある、壁一面を覆っているカーテンをシャッと開いた。



そこに現れたものに、思わず三蔵も目の前の光景を凝視する。
カーテンが開かれたそこには、壁ではなく、代わりに大きなガラスが巨大な窓のように嵌め込まれていた。
そして、そのガラスの向こう側にあるものは……。



広い空間の部屋に、何十という数の人間。
いや、おそらく、かつては人間であったであろう『もの』。

「……何だ、これは……」
「何だって……剥製ですけど? そう見えませんか?」
剥製。動物のものなら、三蔵も何度も見た事はある。
しかし、今目の前に並んでいるのは、人間の剥製。
異様な光景に、三蔵は気分が悪くなる。
一体何を考えて、こんな悪趣味な真似をしているのだろうか、この男は。

「ね、綺麗でしょう? 私の自慢のコレクションなんですよ」
男は嬉しそうに剥製を眺め、満足そうな笑みを浮かべている。
その笑みに宿った狂気。三蔵の奥で危険信号が点滅し始める。
「……こんなモノ作って、何をしようってんだ」
「別に何もしませんよ。だって、これは私が彼らのためにやってる事なんだから」
「どういう意味だ」
「男でも女でも、綺麗なものって、いつまででもその綺麗なままで残しておいてあげたいと思いませんか?
 こんなに綺麗なのに、醜く老いていくなんて可哀想でしょう」
余りに呆れた言い分に、三蔵は薄ら寒いものを感じた。
この男は、罪悪感など全く感じていない。いや、自分のしている事を善行だと信じている。
こういう手合いには、何を言っても通じない。話す言葉の次元が全く違う。

三蔵は、この男への対応を考える。
妖気は感じられない。まず間違いなくこの男は人間だ。
自分達を狙った刺客ではないようだが、しかし、放置しておくと危険な気がした。
今、ここで仕留めておくべきだと、何かが警告している。
人間なら、ここで引き金を引けば確実に仕留められる。

「はは。美人だと、殺気も迫力あってすごいですね」
ニコニコと笑いながら、男は眉一つ動かさずにその場に立ったままだ。
「随分余裕じゃねえか」
「だって、貴方には私は殺せませんから」
「ほう、じゃあ試して……」
言いかけて、三蔵は引き金にかかった指に力が入らない事に気づいた。
いや、指だけじゃない。腕そのものが痺れたような感じに襲われ、銃を取り落とす。

「ああ、やっと効いてきたみたいですね。普通の人なら、もうちょっと早く効くんですけど……」
「……て、めえ……、何しやがった……!」
そう言っている間にも、身体の自由は奪われ、三蔵はその場に膝をついた。
「この部屋にはね、神経系のガスが充満してるんですよ。無色無臭だから分かりにくいですけどね。
 私はもう免疫が出来てるからこれくらいの量じゃ平気だけど、初めてじゃ効くでしょう?」
男の楽しげな声が、耳障りに響いてくる。
「折角こんなに綺麗なんだから、貴方も私のコレクションに加えてあげますよ。
 ずっと綺麗なままでいられるんです。嬉しいでしょう?」
「……っ……き……さ、ま……!」
好き勝手な事をほざく男に悪態の一つでも吐きたいのはやまやまなのであるが、
もう既にガスは声帯まで侵しているらしく、声すらほとんど声にならなくなっていた。

目線がどんどん下に落ちていく。
そしてついには、完全に身体を床に横たえたような状態になってしまった。
どうやら意識まで沈み込む事はなさそうだが、身体が動かなければどうしようもない。
倒れている三蔵に向かって、男がゆっくりと近付いてくる。
殺気を込めて睨み付けてみるものの、この状態ではほとんど効き目はない。

「こんなになっても怯えないんですね。あ、ひょっとして一緒にいた3人が助けに来てくれるのを待ってるんですか?」
まるで、今思い出したかのように男は言った。
悟空達を知っているという事は、少なくともこの館に入った時点でこの男は何らかの方法で三蔵達を見ていたのだろう。
「でも無駄ですよ。貴方が入ってきた隠し扉はちゃんと、元通りに分からないように閉めてもらってますから」
男の言葉に不審を抱く。誰に、閉めてもらったと言うのだろう。
この館には、この男の仲間が他にいるという事だろうか。

男は三蔵の目の前で屈み込むと、倒れている三蔵を軽々と抱え上げる。
そして部屋の右側に置いてあるベッドに、三蔵を横たわらせた。
「さあ、それじゃ、始めましょうか。大丈夫ですよ、別に怖くないですから。
 まあ、ちょっと苦しいかもしれないけど、三蔵法師様なら我慢できますよね?」
そう言って三蔵を覗き込んだ男の目は、既に狂者の光に満ちていた。





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2002年1月9日UP




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