ヒトリ・フタリ


200年前───湖に一つの生命が産まれた。
永きに渡り、人々に安らぎと恵みを与え続けてきた湖。神が下りてくるとの伝説もあったらしい。
当然、その生命は邪悪なるものではなく、純粋で無垢な魂だった。
まだ幼い少女の姿をした人魚。その少女は湖と共に静かに生きていた。
しばらくして、少女は村の少年と出会う。

少年は最初驚いた風だったが、子供特有の純粋さ故か少女と打ち解けるようになった。
今まで湖の外の事を全く知らなかった少女にとって、少年との時間は何よりも楽しいものだった。
だが、静かな時間は長くは続かない。
少年は人魚と友達になれた事が嬉しくて、村の者達に少女の事を話してしまう。
最初は信じなかった村人達も、好奇心に駆られた子供達が幾人も湖で見てきた事を知り、
一転して村中が喧騒に包まれる。
それでも。好奇の目にさらされはしたものの、少女を迫害しようとする者はいなかった。
それ以降、村の子供達はしょっちゅう人魚に会いに湖にやって来た。
そして、湖から出て尾が乾くと白いドレスを纏った普通の人間の足に変化するのを知り
おぼつかない足取りで村にも遊びに行くようになった。
このまま、暖かな時間が永久に刻まれていくかのように思えた。



歯車を狂わせたのは、流行り病。
少女が村に遊びに行くようになってからほどなく、村に原因不明の病が流行り始める。
今では治療法の確立した病でも、当時では手の施しようがないものだった。
原因も分からぬ恐怖は、村人達に根拠のない迫害を命じた。

この流行り病は、人魚のせいだと。
ただの偶然だと、本当は分かっていたのかもしれない。
だが、一度火の付いた恐怖心は“原因”を取り除くまで決して落ち着く事はない。
村人達は少女を捕らえ、殺そうとした。
しかし、槍で貫いたその傷口からは一滴の血も流れなかった。
それどころか、村人達の見ている前でみるみる内に塞がっていく。
それが余計に、村人の恐怖と、それに伴う憎悪を煽った。
少女は、一瞬の隙をついてその場から逃げ出した。
慣れない足で、必死に走った。……少年の元へと。
少年ならきっと、助けてくれる。そう信じて。

少年は、家の前にいた。少女が安心したように、走り寄ったその時。
強い衝撃が走った。少女は思わずその場に崩れ落ちる。
何が起こったのか、分からなかった。
ただ、目の前の少年の手には、長い棒のようなものが握られていて。
それで殴られたのだと悟った時、少女の頬に透明な、冷たい物が伝った。
その雫は、少女から離れた瞬間、蒼い粒となって地面に転がった。
再び少女は捕らえられ、あらゆる手段を用いて死を強要された。
しかし、その生命の灯は決して消える事はなかった。
殺す事が出来ないと悟った村人達は、村の呪術師の力を借り、封印という形をとる。
今はもう絶えたと言われている呪術による封印。
少女は空間を歪められた湖の中に閉じ込められた……。









そこまで話し終え、人魚は口を閉じる。
三蔵は、人魚の人間に対する憎しみの理由と同時に、伝承の食い違いの意味も悟った。
少女であった人魚が流した涙。 それは一粒の宝石となり、少年の前に転がった。
それを少年は手に取り……不老不死を得てしまったのではないか。
そして、伝承の通り村に居られなくなり、姿を消した。
要するに、この伝承は村人達に『都合の悪い』部分を削除し、つじつま合わせの話をくっつけたものなのではないのか。
自分達は悪くなどない、悪いのは“人魚”なのだと。
その余りの身勝手さに、三蔵ですら気分が悪くなる。
確かに、人間を憎みたくもなるだろう。……だが。

「それで人間へ復讐する……か。ふん、短絡的だな」
「……どういう意味?」
人魚の険のこもった眼差しを無視して、三蔵は容赦なく言い放つ。
「そのまま、言葉通りの意味だ。そいつらが汚いヤツらだからといって人間全部を一纏めにしちまう辺り、てめえの思考回路も200年前のまま止まっちまってるようだな」
ずっと1人で閉じ込められていたのだから、それはある意味当然の事だろう。
自分以外の何かからの情報や刺激が無ければ、成長や進化などは有り得ない。
500年生きていたはずの悟空が、三蔵が見つけた時、純粋な子供そのものだったように。
この人魚も、閉じ込められた少女の時のまま、時が止まってしまっているのかもしれない。
時を動かすには……ここから出るしかない。

「…………ここから出たいか」
三蔵自身、予期しない言葉が自分の口から発せられた事に少し驚いていた。
もちろん、表情には全く出していないが。
普段の三蔵なら、自分達に敵対する者などどうなってもいいと思っている。
だが……一瞬、本当に一瞬だけ、この人魚が悟空に重なった。
500年間、1人で閉じ込められていた悟空。
悟空の記憶は失われていてそこに至る経緯は分からないが、『異端の存在』としていわれ無き迫害を受けていたのかもしれない。
村人が何も知らない人魚を恐れ、憎んだように。

自分でもらしくないと思う考えを止め、三蔵が人魚を見やる。
その瞳に映るのは驚愕と困惑と、警戒。
三蔵の発言の真意を計りかねているのだろう。
無意識に近い状態で言った言葉なので、真意も何もないのだが。
ただ、これが人魚への切り札となるのも事実だ。


今度は、はっきりと意識的に言葉にする。
「ここから出たいか?」
「……出す代わりに、記憶を返せとでも言うの?」
「話が早いな」
もともと、そのためにわざわざ来たのだから当たり前だ。
「……イヤだと言ったら?」
「てめえが、更に気の遠くなる時間を1人で過ごさなきゃならなくなるだけの事だ」
それだけで済む問題ではないのだが、そこまでは口に出さない。
わざわざバカ正直に不利になる発言をするほど、三蔵は間抜けではない。
三蔵と同レベルに近い判断力を持ち合わせた者ならすぐに見抜ける事であろうが、目の前の人魚は身体はある程度成長しているものの思考は少女のままだ。
三蔵の内心など掴み取れるはずがない。
その考えの通り、人魚は怒りと困惑の混じった表情で三蔵を見返している。




しばらく黙り込んでいた人魚だが、決心したように呟く。
「本当に……出られるの?」
「この結界の仕組みを見てみないと何とも言えんが、所詮200年前の代物だ。何とかなるだろう」
その言葉を聞いた人魚は少し躊躇ったものの、踵を返して歩き出す。
「……こっちが、私が閉じ込められた場所なの」
そう言って、広場のような場所から細い洞窟のような道に進んでいく。
三蔵も少し後から同じ道を辿った。



その道は唐突に終わりを告げた。
あるところを境に途切れてしまっているのだ。
その先に見えるのは……蒼。ひたすら蒼い水が見えるのみだ。
触れてみると、間違い無く水のようだった。空間が歪められているため、中には入ってこないのだろう。
人魚がそっと手を伸ばし、その水に触れようとした瞬間。
バチッという音と共にその手が弾き返される。
「私は触れられないし、出る事も出来ない……」
「何か特定の物に反応する結界か。ちっ、面倒くせえもん作りやがって」
いっそのこと、全て弾き返すような結界の方が構造が分かりやすい分まだマシだ。

三蔵は、先刻から感じていた疑問を口にする。
「おい、あの“うろこ”はどうやって置いたんだ」
「あれは、別に置いた訳じゃないわ」
「何?」
「……あいつらが私を殺そうとした時、うろこを剥がれたりしたから、それじゃないかしら……」
その時の事を思い出したのか、人魚の顔が苦痛の表情に歪む。
「じゃあ、あの広場のような場所と、真ん中にあった噴水は何だ」
「……産まれた時にはもうあったから……」
「ちっ、手掛かりも何もないな」
ここからこれ以上調べるのは無理なように思えた。
一旦出て、外から調べてみるしかない。


「おい、とりあえず一度外に戻せ」
「え?」
「ここじゃこれ以上調べようがねえ。外から調べる」
しかし、人魚は黙ってその場に立ったままだ。
「おい……」
三蔵がイラついた口調で再び出した声は、人魚の呟きに遮られる。
「帰したら……戻ってこないでしょう……?」
「戻ってきて欲しいのか? てめえの大嫌いな『人間』に」
人魚は答えられずに目を伏せる。
認めたくはないのだろう。『戻って欲しい』と思う自分を。
閉じ込められてからの200年間、これほど長く話をしたのは初めてだったのかもしれない。
『誰かがいる』事を思い出してしまったら、1人に戻る事が怖くなるのは、無理もないだろう。
しかし、だからと言ってここにずっと居てやるほど三蔵はお人好しにはなれない。

とにかく、人魚の不安を取り除いてやらなければ帰そうとはしないだろう。
そう思い、自分らしくないと思いつつ、言葉をかける。
「結界を解く方法を調べたら、ちゃんと戻ってきてやるし、外にも出してやる。……心配するな」
本当ならここで悟空の記憶も取り戻しておきたいのだが、今言っても返そうとはしないことは明白だ。
人魚の表情から見て、望み通り外に出してやれば、三蔵の要求もはねつける事はないだろう。
三蔵の言葉を信用したのかは分からないが、彼女にしても、他に選択肢はない。
人魚は先程の広場への道を戻っていく。先程よりも、少しだけゆっくりした足取りで。

「この噴水のところに来て」
三蔵は少しイヤな予感がしたものの、仕方なく噴水のそばに立つ。
その予感が当たっていた事を確信したのは、突然噴水から一本の細く蒼い触手が伸び、三蔵の左腕にきつく絡みついた時だった。
「おい、何だこれは! ……なっ!」
抗議の声を上げるのと同時に、触手によって強く引っ張られる。
そしてそのまま、噴水の中へとダイブさせられた。
……もっとマシな帰し方はねえのか、あのバカ女!
そう心の中で毒づいたものの、次第に三蔵の意識は闇に落ちていった……。




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