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湖に着いたものの辺りは真っ暗で、光源となるのは月の光くらいである。
宿の主人から懐中電灯は借りてきているが、この広い面積で手掛かりを探すには頼りない。
だが、人魚の寿命がいつ尽きるとも知れない今、夜明けを待ってはいられない。
とにかく、封印の“鍵”を探さねばならない。
その封印がどんなものであれ、“鍵”となる物を使わずに結界を造るのは不可能だろう。
この湖の周辺に“鍵”はあるはずだ。巧妙に隠してはあるだろうが。
三蔵はもう一つの懐中電灯を悟空に渡す。
「この湖の近くに、封印の“鍵”があるはずだ。それを探せ」
「“鍵”?」
「そうだ。怪しそうな物があったら、とりあえず俺に知らせろ」
「うん、わかった」
悟空はそう言って、早速湖周辺の探索を始める。
三蔵もまた、悟空とは逆方向を注意深く探し始める。
何故、この自分がこんな地道な作業をしなければならないのかと思ったりもするのだが、
三蔵にとっても、何より失いたくないもの、取り戻さなければならないものが懸かっている。
だんだんと暗闇に目が慣れ始め、探索も先刻よりはやりやすくなってきた。
三蔵がふと辺りを見回すと、悟空の他にも2人、人影が見えた。
十中八九、後から着いた八戒と悟浄だ。
何かを探している三蔵と悟空を見て意図を察し、それぞれ探索を開始したのだろう。
あの2人の場合、いちいち説明しなくても済むのでその辺は助かる。
読まれているようで、なんとなく気に食わない時も多々あるが。
その『気に食わない時』の事を思い出したのか三蔵は少し舌打ちをしたが、
またすぐ視線を懐中電灯の先に戻し、探索を再開した。
湖周辺を調べ始めて、1時間ほど過ぎた時。
「……なあ! なんか変なモンがある!」
悟空が何かを見つけたようだった。
三蔵達が駆けつけると、悟空が木の枝の上で『それ』を懐中電灯で照らしていた。
『それ』が、湖を囲む森の木々の一つ、その幹に出来た窪みの中に置かれている。
この森の木々の樹齢は、確かに200年を越すものがかなりあると思われた。
だが、まさか木の中に、それもこんな高い位置の窪みに隠してあるとは思わなかった。
「……考えやがったな。こういった何かを探す時、自分の目線より上は進んで探そうとしない場合が多い」
実際、三蔵達の視線も無意識の内に下に集中していた。
悟空だからこそ、見つけられたのかもしれない。
「おい、悟空、それに触れられるか」
三蔵の言葉を受けて、悟空が『それ』に手を伸ばす。
「うん、大丈夫だよ」
「よし、なら『それ』を持って降りてこい」
「わかった」
悟空は『それ』を手に取り、するすると下に降りてくる。
そして、手を広げて『それ』を3人に見せる。
「これは……」
「なんだぁ、これ?」
「……紙細工……に見えるんですが」
懐中電灯の光に照らされているのは、複雑な細工と紋様の施された、まさに『紙細工』だった。
三蔵はその『紙細工』を手に取って一通り調べると、一言、呟くように言う。
「……『封縛施符』……か」
「『封縛施符』……? 何だ、それ?」
悟浄がもの珍しそうに『それ』を見ながら尋ねる。
「主には霊的なものを封じる為に使われていた、高度で効力の高い呪符の一種だ」
「使われて『いた』……?」
八戒が、言葉のニュアンスの違いを感じとって聞き返す。
「どちらかと言えば『呪術』に近いものだからな。今は既に『呪術』の類は禁じられている」
「……で、何でおまえがその禁じられた呪術とやらを知ってんだ?」
悟浄の、至極もっともな疑問には答えずに、三蔵は呪符を見て考え込んでいる。
その真剣な様子に他の3人も自然と口を結び、沈黙が下りてくる。
今はもう禁じられ、使い手がいなくなって久しい呪術。
三蔵も知識として知ってはいるものの、実際に見たのは初めてだった。
この呪術による結界は、特定のものを設定し、それのみを封じる。
使いようによっては、人間を封じる事も可能だと言われている。
それこそが、この『封縛施符』が呪術として分類される大きな理由だ。
この呪符によって人間を特定の空間に封じてしまえば、それはその人間にとって『死』と同義となる。
ひたすら続く孤独は狂気を生み、その人間の精神を侵す事になるからだ。
あの人魚の正気を繋ぎとめていたのは、人間への憎しみと、偶然媒体として外と人魚を繋いでいたうろこ、そこから見える景色や鳥達だったのかもしれない。
何にしても、この呪符さえどうにかできれば事態の解決は目前だろう。
だが、肝心のその方法が分からない。
三蔵が思案していると、悟浄がその呪符を横からヒョイと取り上げる。
「燃やしちまえばいいんじゃねーの? 紙なんだからよ」
三蔵がバカバカしいと言いたげな表情で悟浄を睨んで呪符を取り返し、ため息をつく。
「そんな単純な訳ねえだろ。てめえの脳みそじゃあるまいし」
「あ? どういう意味だよ、それ?」
「分からんのか。更にバカが進んでいってるみたいだな」
「んだと? 大体、てめえ……」
「まぁまぁ2人とも、今はそんな場合じゃないでしょう。いい加減にしてくださいね?」
八戒の笑顔での制止に、2人の言い合いがピタリと止まる。
三蔵は舌打ちすると、呪符を再び調べ始めた。
その呪符には様々な細工と共に、紋様のような物が描かれている。
紋様というよりは、文字……だろうか。
そもそも、閉じ込める誰かを特定する何かが呪符に書かれてなければならない。
だとすれば、この文字らしきものがそれに当たるのだろう。
ただ、三蔵にも見たことのない文字だった。
強いて言えば、梵字に似ている。
もしかしたら、この呪符の文字の源流は梵字なのかもしれない。
200年の昔に、こんな小さな村の呪術師によって造られた呪符だ。
その呪術師とやらが正しい梵字を理解しておらず、これが梵字の崩れたものだとしたなら、似ている文字を梵字に置き換えて何とか読めないだろうか。
「正しき……生命…………名の…………呪われし……人魚……」
幾つかの単語を拾いながら、三蔵は文字の解読を進める。
やはり梵字に当てはめると、大部分は意味を持つ言葉になる。
読めない文字もあるものの、全体的な意味は大体把握できそうだった。
「なあ、分かったのか?」
呪符から一旦目を離した三蔵を見て、悟空が不安そうに尋ねる。
「おおよそな」
「ホント? すっげー!」
パッと表情の変わる悟空に、三蔵は微かに目を細める。
「どういう事なんですか、三蔵?」
「この呪符には、人魚のみを封印するための記述がなされている。
これを無効化するには、その記述を書き換えてやればいい」
「出来るんですよね?」
「当たり前だ」
自信たっぷりと言った風に言い切ると、三蔵は近くにある岩に腰を下ろし、筆と墨を取り出す。
少し考えた後、呪符に封印の解除の為に必要な言葉を書き換えていく。
「しっかし、さすがは三蔵サマだな。こういう関係のモンには超頼りになんじゃん」
「まぁ、何と言っても“最高僧”ですからね。僕らの知識とは比べ物になりませんよ」
そう、時々……というかいつも忘れそうになるのだが、三蔵は仏教の最高僧なのである。
当然、その知識もかなり深く、広い。全く興味の無い事に関しては、知ろうともしない所はあるが。
「でもよ、今回俺らマジで影薄くねえか?」
「そんな事ないですよ。……多分」
「折角美女がらみなのによー」
悟浄が大きくため息をついて、心底残念そうに言う。
「精霊に手を出したらバチが当たりますよ?」
「誰が当てんだよ」
「そうですねぇ……。やっぱり『自然』でしょうか? 悟浄、頑張って下さいね。ほら、自然災害ほど恐ろしいものはないって言いますし」
「……お前ほどじゃねえよ、絶対」
ポソリと八戒に聞こえない程度の声で呟く。
「何か言いましたか、悟浄?」
「いや、何も」
「……そうですか?」
八戒はちょっと納得がいかないものの、ここで問い質すとまた話が長くなるだけなので、そのまま引き下がる。
悟浄と八戒が割とどうでもいい事を話している内に、三蔵は最後の1文字を書き終える。
その瞬間、呪符が強い光を放ち、三蔵の手の中でボロリと崩れ落ちていった。
「なぁ、結界……解けたのか……?」
「ああ」
三蔵は悟空に短く返事を返すと、人魚の“うろこ”のある場所まで歩き出す。
それを見て、3人も慌ててその後を追った。
大体の位置は覚えていたので、暗いながらも早くうろこを見つけられた。
三蔵はその前に立ち、うろこに向かって話す。
「……おい、見てんだろ。約束通り戻ってきてやったし、結界も解いた。
もうお前の手を弾くものは何も無い。……とっとと出て来い」
そう言って、今度は視線と足を湖の方に向ける。
悟空達もそれにつられ、湖を見つめていた。
2分ほど過ぎた時、湖面が揺らいだ。
次の瞬間、三蔵達の目に入ったのは、月光に照らされた人魚の姿。
今は人魚には足ではなく、尾がついている。
その姿は幻想的で、4人とも、人魚から目が離せずにいた。
人魚は、三蔵達の姿を見つけると、静かに岸まで泳いでくる。
「約束……守ってくれたのね」
「……ふん」
人魚はクスと笑うと、蒼い宝石を取り出す。
「私も……守らなきゃね……」
「それが……『記憶』か」
「……ええ」
人魚はそう言うと、悟空に向き直り、哀しそうに笑いかける。
「……こっちに来て……。返してあげる。あなたの何よりも大切なもの……」
悟空は言われるままに人魚に近付き、ほとりに膝をつく。
「手を出して」
悟空が手を出すと、人魚はそこに先程取り出した蒼い宝石を置いた。
宝石は悟空の手に触れた瞬間、溶けるように消えていった。