悟空は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
一体何が起きたのか、余りの事にまるで理解できないでいる。
三蔵と一緒に洞窟に入って、途中で引き返してきた。
そして、入ってきた時と同じように外に出た……はずだった。
そう、足取りも何も変わったところなどなかったはずなのに。
今、目の前に三蔵の姿はない。
目の前に広がるのは、洞窟の外の森の景色だけだ。
本当に、一瞬だった。
三蔵が洞窟の外に出た瞬間、その姿が溶けるように消えてしまった。
「……三蔵……三蔵!」
名前を呼んでみても、返事は何処からも聞こえない。
周りを見回してみても、風が森の木の枝や葉を揺らしているだけだ。
「三蔵! なあ、三蔵!! 何処にいるんだよ、返事しろよ!」
どうしていいか分からずに、ひたすら三蔵を呼ぶ。
だが、どれほど呼んでもあの不機嫌な声は返ってはこなかった。
その時、草を踏みしめる音が聞こえた。
「三蔵!?」
悟空は思わず三蔵の名前を呼んで、音の方角に振り向く。
「悟空、やっぱりここにいたんですか。なかなか戻って来ないから呼びに来たんですよ」
「……八戒」
安心したように微笑む八戒と、後ろから悟浄が歩いてきていた。
「あれ? 生臭ボーズは一緒じゃねえのかよ?」
そのセリフに、悟空が我に返ったようにまくしたてる。
「どうしよう、八戒! 悟浄! 三蔵が、三蔵が……!」
悟空の泣きそうな表情と切羽詰った声に、八戒と悟浄の表情が瞬時に硬いものに変わった。
「……三蔵が、どうしたんですか、悟空!?」
悟空のすぐ傍まで来てから、覗き込むように尋ねる。
「三蔵が……消えちゃったんだ! いきなり、フッって……!」
「消えた? どういう事です?」
「この洞窟から出た途端に、いなくなっちゃったんだ! どうしよう……どうしよう、八戒!!」
悟空は完全にパニック状態になってしまっていて、とても説明にはならない。
「悟空、落ち着いて下さい!」
八戒の常ならぬ強い口調に、悟空がピタリと止まる。
「……あ……うん、ごめん……」
俯いてしょげてしまった悟空に、八戒は今度は柔らかい声をかける。
「悟空、三蔵が何か大変な事に巻き込まれてしまったんでしょう?
今、その状況を知っているのは悟空だけなんです。落ち着いて、説明してくれますね?」
「……うん」
そう答えて、悟空は三蔵とこの洞窟に来てから三蔵がいなくなるまでの事を、出来る限り順序だてて八戒と悟浄に話した。
「洞窟から出た途端に消えたんですか? ……妙ですね」
「そうだよな、入る時は普通に入れたんだろ? それが何で出る時に限って、しかも三蔵だけが消えるんだ?」
「あるいは、最初からターゲットが三蔵だった……という可能性もありますね」
「ってこたあ、刺客かよ?」
「……断定は出来ませんが……。この前のオカマサソリさんの例もありますし」
三蔵法師を喰らえば不老不死になれる、という言い伝えを未だ信じている輩も少なからずいるだろう。
そういう連中が、『三蔵』がやってきたのを知ってトラップを仕掛けていたのかもしれない。
「とにかく、一度この辺徹底的に調べた方がいいんじゃねえか? なんか手掛かりあるかもしれねえし……」
「……そうですね」
これが結界によるものなら、何かしら掴めるかもしれない。
それを願って、3人はそれぞれ周辺をくまなく調べ始めた。
調べ始めてからかなりの時間が過ぎたものの、事態の進展はまだない状態だった。
「……おい、なんか見つかったか?」
「いえ、こちらは特には……。悟空の方はどうですか?」
「うん……こっちも別に怪しいもんないよ」
どんな小さな物も見逃さないように、注意深く調べてはいるが、成果は全く上がらない。
3人の顔に、徐々に焦りの色が見え始める。
三蔵の強さは知っている。
その辺の妖怪など、相手にもなりはしない。
それが分かっていてもなお、万が一、という言葉が頭の中を掠めていく。
考えたくない事ばかりが、意思とは裏腹に次々と浮かんでは消えていく。
これだけ調べても何も見つからない。
後、手掛かりが掴めそうな場所といえば……。
「……奥に、入ってみるしかなさそうですね」
八戒が洞窟の奥に視線を向ける。
三蔵が姿を消した経緯から考えても、この洞窟が事の元凶である事は間違いない。
三蔵を罠にかけた何者かが存在するとして、その人物の居場所は洞窟の最深部と考えるのが妥当だろう。
「そんじゃま、我らが最高僧サマを迎えに行ってやるか」
重い雰囲気をはねのけるかのように、悟浄が軽い口調で言う。
「何しに来た、とか言われそうですけどね」
「はは、ぜってー言う言う」
悟浄も八戒も、内心は相当焦りや不安を抱えているだろう。
それでも自分を気遣って明るい雰囲気を作ってくれようとしてくれている事が、今の悟空には嬉しかった。
「よし! じゃあ行こうぜ、八戒、悟浄!」
「てめえが仕切んな、バカ猿」
「猿ってゆーな!」
「まあまあ2人とも。ケンカしてたら置いてっちゃいますよぉ?」
いつものやり取りをしていても、三蔵の不機嫌な声がないのが、何処か寂しかった。
一旦ジープの所に戻り、荷物から必要最低限のものを取り出して洞窟に戻った。
懐中電灯で照らしながら、洞窟の中へと進んでいく。
八戒が壁を手で触り、少し眉を顰める。
「これ……自然のものにしては整いすぎてませんか?」
「誰かが作ったものかもしれねえって事か?」
そう言いつつ、悟浄も壁を触ったりしている。
悟空はさっき、三蔵と一緒にこの洞窟に入った時の事を思い出す。
そういえば、三蔵も壁に手を滑らせて何事か考え込んでいた。
三蔵は、この洞窟の奇妙さに気付いていたのだろうか。
だからこそ、奥に進まず引き返したという事だろうか。
三蔵は今、どうしているだろう。
この奥に、三蔵はいるんだろうか。
しばらく進んでいると、洞窟の奥の方に微かに光が見えた。
「なあ、なんか光見える!」
「……急ぎましょう。ただし、十分に気をつけて」
3人は周りに気を配りながら、少し足を速めて光の方へ急ぐ。
近付いていくにつれ、それは出入り口だと分かった。
「……今まで、分かれ道なんてなかったよな?」
足は止めずに、悟浄が少し首を傾げる。
「ええ……。洞窟というよりも、トンネルみたいなものなんでしょうか」
そう話している間にも、着実に出口へと近付いている。
そして出口を出た瞬間、3人はお互いに信じられないといった顔で互いに顔を見合わせた。
「……おい」
「何です、悟浄?」
「この風景……見覚えねえか?」
「見覚えも何も、さっき見たばっかりじゃないですか」
そう、目の前に広がるのは、さっき3人が調べていた洞窟の外。
「……何でだよ。何で、元の場所に戻ってんだよ!?」
悟空が周りを見渡しながら、外に駆け出る。
洞窟に入ってから、ずっと一本道だった。
なのに、何故入った所と同じ場所に出てくるのだろう。
悟空が混乱しているのを見て取り、八戒が推論で説明する。
「やはり結界が張られてるのかもしれませんね」
さっきその可能性を疑って調べてはみたものの、誰かを閉じ込める為のものならともかく、侵入者を排除する為のものなら結界の外から見つかる事は稀だろう。
「僕は結界については詳しくありませんから、断言は出来ませんが……この結界を張った人物は相当強い力を持っているのかもしれませんね」
もしも三蔵が消えたのも結界によるもので、それによって三蔵が閉じ込められているのだとしたら。
この入り口には2種類の結界が張ってある事になる。
『閉じ込める結界』と『排除する結界』。
2つを同時に操るには、かなりの霊力なり妖力なりが必要になるのではないだろうか。
もちろん、これは推論に過ぎない。
こういった時に、専門家とも言える三蔵がいないのは痛い。
だが今、それを言っていても仕方がない。
問題は、これからどうすべきか。
「もう一度入っても……同じだろうな」
「そうですね……。何か、何か手掛かりでもあれば……」
そこまで言って、八戒はふとこの森に入る前の事を思い出した。
「……そういえば、村がありましたね。この森の少し手前くらいに」
「あ、あの廃村! 三蔵がなんか気にしてた……」
悟空も思い出したように、ハッと顔を上げる。
「ええ。可能性としては余り高くないですが……」
「他に手掛かりなんてねえし、一遍そっち調べてみるか?」
確かに、今の所調べる余地が残っているのはその村だけだ。
その村が今回の件に関係しているかどうかは分からないが、気になる事は全部調べておいた方がいいだろう。
悟浄の提案に乗り、3人は村に向かうべくジープまで急いで戻る事にした。
3人はジープに乗り、ここに来る時に見つけたあの廃村へと向かった。
距離的には割と近い位置にあるので、その村まではすぐに着いた。
八戒がジープを村の手前で止めると、それぞれジープから降りて村に近付く。
「で、これからどうするよ」
「そうですね……。とりあえず、手分けして村の内部を全部見て回ってみましょう。
失礼でしょうがそれぞれの家の中も。ジープはここに待機してて下さいね」
何処を誰が調べるかを手早く決め、それぞれ自分の担当場所に散らばる。
本来ならこういった場合、単独行動は好ましくないのだが、余り悠長にもしていられない。
今、この時にも三蔵の身に何かが起こっていないとも限らないのだ。
とにかく、一刻も早く三蔵を見つけ出す事が先決だ。
八戒は今更ながら、森で話をした時、あの村についてもっと詳しく聞いておかなかった事を後悔していた。
後でゆっくり聞けるだろうと思ったから、あの時はあえて強引には聞かなかった。
まさかこんな事態になるとは、あの時には夢にも思わなかったのだ。
もしもあの時ちゃんと聞き出していれば、事態はもっと進展していたかもしれない。
この村は、確かに八戒から見ても何処かおかしいと思う。
特に、家の並び方など何処から見ても妙である。
しかし、その意味が分からない。
八戒は大きく頭を振った。
今、自分が考えてみても分からないだろう。
それなら、とにかくその答えの手掛かりになるようなものを見つける事に、今は専念したほうがいい。
そう思い、八戒は自分の担当する範囲の調査にかかった。