激しい音を響かせて、如意棒が洞窟の地面を抉る。
横にかわした妖怪が、回り込んで鋭い爪で悟空に襲いかかる。
その爪を、悟空もまた地を蹴ってかわす。
そんな攻防が何度か繰り返された。
だが、三蔵から受けた脇腹の傷が開いてきたのだろう、妖怪の動きが鈍ってきた。
その変化を、悟空が見逃すはずなどない。
妖怪のスピードが衰えたのを見て取った悟空は、如意棒を構え直すと妖怪に向かってダッシュした。
決着は一瞬だった。
悟空の如意棒によって洞窟の岩壁に叩きつけられた妖怪の腹に、更に追いかけた悟空が如意棒を打ち込んだ。
その衝撃に妖怪は血を吐くと、そのままズルズルとその場に崩れ落ちていった。
どうやら意識を失ったらしい妖怪に、悟空はとりあえず下がって一息をついた。
「済んだか」
その声に悟空が振り向くと、三蔵が煙草を銜えながらこちらに向かって歩いてきていた。
「殺してねえだろうな」
「大丈夫だと思う。一応加減しといたし……」
そう言いかけて、悟空は三蔵の左腕に巻かれた布、それが赤く染まっている事に気付いた。
先程はようやく再会できた嬉しさと、襲ってきた妖怪への対処で、そこまで気が付かなかったのだ。
悟空は慌てて三蔵に駆け寄った。
「三蔵! その腕のケガ……!」
「うるせえ。大したケガじゃねえ。いちいち騒ぐな」
三蔵はそう言うものの、左腕の、布を巻いてある周辺の法衣は紅く染まっている。
洞窟が薄暗いという点を差し引いても、どう見ても顔色だって良くないどころかはっきりと悪い。
これで「騒ぐな」と言われても、悟空には無理な話である。
悟空から心配の表情が消えていない事が分かったのだろう、三蔵は小さくため息をついた。
「……心配ねえよ。それよりも、この洞窟から出て八戒達と合流するのが先だ」
その三蔵の言葉はもっともである。八戒と合流できれば手当てが出来る。
「だったら、あの珠で出れるんじゃ……」
悟浄の一件と今回の事で、何となく悟空にもあの珠の仕組みは予想できた。
おそらく珠に触れるともう片方の珠が光り、同時に触れると空間が繋がるのだろう。
だとしたら、先程の要領であちら側に脱出する事も出来るのではないだろうか。
「……おそらく無理だな」
少し考えた後、三蔵は呟いた。
「え、何で?」
「推測に過ぎんが、この妖怪は好き好んでここに留まっていた訳じゃないようだ」
倒れている妖怪に、三蔵は視線を向ける。
先程この妖怪と対峙した時の様子から察するに、この妖怪もまた結界によってこの洞窟に閉じ込められていたのではないかという疑念が湧くのだ。
「もしこちらからも向こうに出られるのなら、とっくにコイツも出ていっているはずだ」
廃村とはいえ、自分達のような旅の者が通りがかる可能性も0ではない。
この妖怪以外の第三者が結界を張ったのであれば、そしてこれほど強力な結界を張る力があるのならば、妖怪が外に出られるような造りにはなっていないと見ていいのではないか。
「そっか……。だったらどうやって……?」
「とりあえず、コイツは何かしら知っているはずだ。コイツが知っている限りの情報を聞き出す」
そう言うと、三蔵は倒れて気絶している妖怪を蹴り上げる。
「ぐっ……!」
うめき声を上げて、妖怪の身体が小さく動く。
「気がついたか」
上から降ってきた声に状況を思い出したのか、妖怪は咄嗟に起き上がろうとしたがその場で顔を苦痛に歪ませただけだった。
多少手加減したとはいえ、悟空の攻撃をモロに食らったのだから当然といえば当然だ。
顔だけ上げて三蔵と悟空を睨みつける妖怪を、三蔵は冷ややかな視線で見下ろす。
その横では悟空が、万が一の事態に備えて戦闘体制を保っている。
「……いくつか訊きたい事がある。死にたくなきゃ素直に答えるんだな」
その冷淡な眼差しに、殺気しか篭っていなかった妖怪の目に恐怖が混じった。
「まず、一つ目。ここの結界を張ったのは誰だ?」
三蔵が尋ねると、妖怪はしばし躊躇しながらも、渋々口を開いた。
「坊主どもだ。……てめえも坊主だろ、見てるだけで胸糞悪い」
その妖怪の答えを聞いて、悟空が口を挟んだ。
「坊主? それって、あの日記の……?」
悟空のその呟きに、三蔵は眉を顰める。
「日記? 何だ、それは」
三蔵の言葉を受けて、悟空は先程廃村で見つけた日記の事、そして八戒が気付いた事実を三蔵に話した。
それを聞いて、三蔵は妖怪から視線は離さぬまま考え込む。
女だけの村。張り巡らされた結界。
「……ふん、なるほどな。道理で見覚えがあったはずだ」
三蔵は最初に廃村を通りがかった時、あの妙な家の並びにデジャ・ビュを覚えた。
その時はこんな面倒事に巻き込まれるとは思っていなかったから深く考えずにいたが、ようやく思い出した。
あれはまだ、三蔵が江流という幼名だった頃だ。
光明三蔵に付いて、とある村に出かけた。
その村は荒れ果てており、建物の並びも奇妙で、丁度三蔵達が見つけた村のようだった。
その村の人々の供養に光明三蔵が呼ばれたのだが、普段穏やか過ぎるくらい穏やかな光明三蔵の厳しい表情に随分驚いた記憶がある。
そしてその帰りの道中、その村の事を尋ねた江流に光明三蔵は悲しそうな表情で話してくれた。
その村は、生贄の村だったのだと。
「い、生贄の村って、何だよそれ!?」
悟空の声に、三蔵は一瞬視線を悟空に向けたが、すぐにまた視線を妖怪に据える。
「近辺の幾つかの村で神隠しが頻繁に起こっていたそうだ」
「神隠し?」
「ああ。丁度その辺りは古い因習に縛られた土地で、『神隠し=神の怒り』だと近隣の村の連中は判断した」
そして、神の怒りを収めるにはどうすればいいのか考えて……その結論が生贄だったのだ。
「そんなのムチャクチャじゃんか!」
悟空の言う事はもっともだ。三蔵とて馬鹿馬鹿しいと思う。
その後分かった事だが、結局その神隠しの正体は凶悪な妖怪が人を襲っていたという事だったのだから。
だが、当時の彼らにしてみれば、それ以外に方法が見出せなかったのだろう。
だから、生贄の村を作って女性達を閉じ込めた。それも、殆ど身寄りのない者達ばかりを。
法術の心得のある者を使って出られないように結界を張り、全員が死んでしまうまで……。
その結界が皮肉にも神隠しの正体であった妖怪の進入すらも阻んでいたのだが、それが彼女達にとって幸運だったのか不運だったのか、それは分からない。
ただ、逃げられない絶望の中で、ある者は自ら命を絶ち、ある者は飢えて死んでいった……。
「そんなの、絶対おかしいじゃん! 大体、何で女の人だけなんだよ!?」
「神への生贄だからな。男より霊的な潜在力が強いとされている女を生贄にしたんだろう」
よく『女の魔力』やら『女の勘』などという事が言われるが、あれもあながち全くのデタラメというわけではない。
女は男よりも、いわゆる『第六感』が優れていると言われている。
潜在的な霊力が男よりも平均的に高いため感覚的に物事を感じ取り、結果、勘の的中率も高くなる事が多いのだ。
そして、あの特殊な建物の並びも結界の一部で、霊的な力を増幅させる働きがある。
そうして村全体の霊的な力を上昇させ、神への供物としたのだろう。
自分達が、助かるために。
身勝手極まりないが、大体において『生贄』などというものは人間の身勝手さから生まれるものだ。
他人を犠牲にして、自分達の平穏を得る。
そしてそれは特別珍しいと言えるものでもなく、自らが命の危険に晒された時に隠していた醜い本性が顔を出すというだけの事だ。
かつて、八戒の村の人々が、百眼魔王の脅威に怯えて八戒の大切な人を差し出したように。
「……だが、今回のケースは以前に俺が見たケースと若干違う」
「違うって?」
「少なくとも、生贄の理由は『神隠し』じゃねえ。他に目的があったはずだ」
先程悟空から聞いた話では、日記には『妖怪退治のために村を作った』と書いてあったのだ。
しかし実際には、彼女達は閉じ込められて妖怪への『生贄』にされてしまった。
その理由、それに三蔵は1つ心当たりがある。
だが、それが当たっているとは余り考えたくなかった。
他の理由があるのかもしれないと考えつつ、三蔵は妖怪への視線を強くする。
「その坊主どもがお前をここに閉じ込めた経緯を、出来るだけ詳しく話せ」
しばし沈黙していた妖怪であるが、話さなければ殺されるだけだと判断したのだろう、少しずつ話し始めた。