閉ざされた村





この森の向こうの湿地帯の先には、幾つかの町や村が点在している。
妖怪は、それらの町や村の人達を時折襲っていたのだ。
空腹の時。退屈な時。機嫌の悪い時。
人間達が何がしかの対策を練っても、妖怪にとっては何の意味もない。
たかが人間如きの抵抗では、妖怪に一矢報いる事すら不可能だった。

そんな折、いつものように人間を狩りに出ようとした時に袈裟を着た坊主が2人現れた。
妖怪を退治しに来たという。
バカな人間だと、妖怪は思った。
多少法力に自信があったところで、自分の敵ではない。
案の定、妖怪が本気を出すやいなや、勝負はあっさりとついてしまった。

不味そうだが、この坊主どももさっさと殺して喰ってやろうと妖怪は倒れている坊主どもに歩み寄った。
すると、僅かに身体を起こした坊主の1人が、命乞いをしてきたのだ。
当然、そんな命乞いを聞き入れるほどの慈悲を妖怪が持っているはずもない。
そんな坊主どもの言葉を無視して、爪を構えた。

だが、その時もう1人の坊主が言ったのだ。
『助けてくれるのなら、この先自分達が生きた人間をいくらでも提供してやる』と。
その言葉に、妖怪の手が1度止まった。

人間を狩る事にさほど苦労はないが、この近隣から逃げていく人間も少なからずいた。
人間の数が少なくなれば、妖怪自身もここから移動せざるを得ない。
別に場所自体はどうでもいいのだが、また適当な規模の町や村を探すのが面倒であるのも事実だ。
もし、何もしなくても活きの良い人間が手に入るのならそれに越した事はない。
助かりたいが故の口からでまかせではないかとも考えたが、そうであればこの坊主どもを殺せばいいだけの話だ。
妖怪の動きが止まると、坊主どもは必死でそれが嘘ではないという事を説明し始めた。
もし嘘でも自分にデメリットというほどのものはないと判断した妖怪は、その提案を受け入れてやる事にした。

そのための準備にはしばらくの時間がかかった。
詳しい経緯は妖怪自身はよく知らない。その方法自体には興味もなかったからだ。
その間、妖怪はいつも通りに好き勝手にしていただけだった。
やがて準備が済んだらしく、今いるこの洞窟に連れてこられたのだ。
この珠が、人間をここに送り込むための鍵になっているのだと。
毎夜、ここの珠が光っている時に珠に触れれば、人間がここに送られてくるのだと。
ただ、表立って騒ぎになって逃げられないように、洞窟の外には出ず、人間達に姿を見られないで欲しいという事だけ頼んできた。
妖怪としても、ここで何もしなくても人間──エサがやってくるのであれば自分から出て行く必要はないのでそれを了承した。

それから数ヶ月は、何事もなく過ぎていった。
だが、ある夜を境に珠が光る事がなくなり、当然捧げられるはずの人間も現れなくなった。
それが3日ほども続いて妖怪は苛付き、それなら自分で狩りに行こうと洞窟から出ようとした。

だが、いくら出ようとしてもこの洞窟からは出られなかった。
何度出口から出ても、洞窟内部に戻ってしまう。
次の日も、そのまた次の日も同じ事の繰り返しだった。
そうして悟ったのだ。あの坊主どもの思惑を。
甘いエサで留めておいて、周到に巡らせた罠で自分をこの洞窟に閉じ込めたのだという事を。
気が狂いそうになるほどの怒りをぶつけようにも、ここから出られなければぶつけようがない。
日が経つにつれ、騙された怒りと出られないという絶望感が妖怪の精神を侵していく。
食事すら手に入らず、妖怪はただこの洞窟の中で飢えながら生きるしかなくなってしまったのだ。





一通りの話を聞いて、三蔵にも今回の件の全体像が大体見えてきた。
「……なるほどな、そういう事か」
今の話でおおよそ掴めた三蔵は、短くなった煙草を捨てながら呟いた。
「わかんねえよ! 結界でコイツを閉じ込めるんなら、何も女の人達を喰わせたりする必要ねえじゃんか!」
如意棒を固く握りしめたまま、悟空は三蔵の方を向く。
「女達は、この結界の強化と維持に使われたんだろう」
「強化と……維持……?」
「そうだ。結界は張ったら張りっぱなしで済むものじゃねえ」
結界というものは、張る事自体はもちろんその維持にも霊力を必要とする。
その結界が強力なものになればなるほど、その結界を張り続けるのに必要な霊力も桁違いになっていく。
その坊主達がどれほどの霊力を持っているのかは知らないが、2人がかりとはいえ自分達よりも格上の妖怪を閉じ込める結界を張る事も、それを維持し続ける事も難しい。
おそらく、その2人の書いた筋書きはこうだろう。

まず、近隣の村の1つに目をつけて彼らに『妖怪退治の協力』を要請する。
女達を閉じ込めるための小さな村を、それとは知らせずに作らせる。
同時に、天然の洞窟を加工して、結界に必要な準備を進めさせてから、女達だけを村に移住させる。
その後、先程妖怪が話したように妖怪を洞窟に連れて行って言葉巧みに外に出ないように仕向ける。
洞窟に自分達の霊力の範囲内で必要な結界を張る。
おそらくは、妖怪を閉じ込めるためのものと、外部からの他の妖怪の進入を防ぐもの。
妖怪だけを弾いて人間を結界で弾かなかったのは、今回の三蔵のように人間がエサとして迷い込んでくる分にはむしろ結界の強化のためにありがたいからだろう。
そしておそらくは女達に暗示をかけ、逃げられないように小さな村全体に結界を張った。

「暗示?」
「ああ。夜になったら自ら珠に触れて……喰われにいくようにな」
「そんな……!」
悟空の、如意棒を握る力がどんどん強くなっていく。

「その女達自身の霊力を村の結界で増幅させ、この洞窟内で喰わせる事で洞窟の結界に女達の魂を霊力ごと取り込んだんだろう」
何十人分の魂を注ぎ込めば、どんな妖怪でも閉じ込める結界が相当な年月維持出来るはずだ。
「そんな……そんな勝手な事ねえよ! 何でそいつらが助かるために女の人達が殺されなきゃいけないんだよ!?
悟空が怒りを露わにして叫ぶ。
自分達の命を守りたいと思うのは当然だろう。
だが、その坊主達はそのために何十人もの人間を犠牲にするという最悪の方法を選んだ。
自分達の持ちうる最大限の霊力で結界を張れば、おそらく短期間なら保っただろう。
その間に近隣の寺院に使いをやって救援を呼ぶなり出来たはずだ。
確実にそれで対抗出来るとは限らないが、それなりに人数が揃えば倒せる確率はかなりあっただろう。
にも関わらず、坊主達はそうしなかった。理由は今の三蔵には分からない。
だが、確実に分かる事は、その坊主達が取った行動が許されざるものであるという事だ。



急に膨れ上がった殺気に、悟空はハッと妖怪を見た。
悟空の意識が妖怪から三蔵に移っている隙をついて、妖怪が最後の力を振り絞って三蔵に攻撃を仕掛けたのである。
妖怪の爪が三蔵に届く寸前、その腕が如意棒によって叩き伏せられる。
そしてすぐさま、今度は手加減なしに如意棒で妖怪を殴り倒した。
地面に叩きつけられた妖怪は少しの間小さく痙攣していたが、やがてピクリとも動かなくなってしまった。

如意棒を下ろして妖怪から離れた悟空は、何かに気付いたような顔をして振り向いた。
「……あ、三蔵……マズかった?」
先程の話の事もあり、怒りでつい手加減が出来なかったのだ。
「いや、構わん。大体の話は聞き出した。これ以上知ってる事はなさそうだしな」
三蔵は煙草を床に捨てると、足で踏み消す。
「とりあえず、これ以上ここにいても仕方ねえ。脱出して八戒達と合流するぞ」
「脱出って、どうやって?」
「この結界は女達の魂で強化されているからこそ、この強度を誇る。なら、それをどうにかすればいい」
女達の魂による強化さえなくなれば、この結界を破る事は三蔵には簡単だろう。
三蔵は中央へと歩いていく。
中央に立つと、三蔵は目を閉じて両手で印を結び、真言を唱え始めた。



三蔵が真言を唱え始めてからしばらく経ったその時。
片隅にポウ……と小さな光が浮かんだ。
それを始まりとしたかのように、あちこちで小さく白い光が生まれる。
やがて、数十個の小さな光が空間を埋め尽くす。
そして、それぞれがゆっくりと、上に昇ってゆき、溶けるように消えていった。
悟空は、言葉を発することも出来ずにそれを見つめていた。

全ての光が消えると、三蔵はゆっくりと手を解いて目を開ける。
「さ、三蔵……今のは……?」
しばらくボーっとしていた悟空だが、我に返って三蔵に走り寄る。
「喰われた女達の魂を浄化しただけだ」
「浄化……そういえば、三蔵って一応坊主だもんな」
「……何が言いたい」
三蔵が睨みつけるものの、悟空は意に介した様子もなくただ何もない空間を見つめている。
「何見てんだ」
「何見てるわけでもないけど、ただ……」
「ただ?」
「あの女の人達、もう辛くないかな……」
「……さあな」
結界から解放されて浄化しても、それは救いではないのかもしれない。
奪われてしまった生は、決してもう彼女達の元には戻らないのだから。
それでも、きっとこの先ずっと結界に縛られて無理やりここに留められているよりはマシなのだろうと思う。
もっとも三蔵も、彼女達を救ったつもりなどない。自分はそんな偉い人間ではない。
自分達がこの結界を脱出するのに必要だった。だから浄化した。
余計な感傷などないと言わんばかりに、三蔵は踵を返す。
「いつまでボケッとしてやがる。さっさと脱出するぞ」
そう言うと、三蔵は洞窟の出口に向けて歩き出す。

悟空はしばらくその場でじっとしていたが、視線を落とすと身体の向きを変える。
そして、一歩踏み出して一度立ち止まり、すぐにまた三蔵の後姿へと走っていった。







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2003年7月14日 UP




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