第四話  町の喧騒





人々が忙しなく行き交う中を、三蔵と悟空は並んで歩いていた。
小さな町と言っても、それは西の大都市部と比べての事であって、それなりの規模はある。
悟空は周りをキョロキョロ見ながら、色んな店に目を奪われていた。

「おい、少しは落ち着け。またはぐれるぞ」
というのも、実は先程着いたばかりの頃に一度はぐれているのだ。
すぐに見付かったものの、案の定三蔵に思い切り怒られてしまった。
「だって腹減ったんだもん……。美味そうなモンいっぱいあるし……」
言っているそばから、悟空は通りの右手にある果物屋さんにふらふらと行きそうになっている。

「食い気しかねえのか、お前は。もう少し我慢しろ」
「もう少しってどれくらいだよ? 俺、腹減って死にそう……」
「もう見えてくる。……あそこに青い旗が見えるだろう」
「あそこが飯屋なの!? 早く行こ!」
言うが早いか、悟空は三蔵の手を掴んで走り出した。
「な、おい待て! 俺まで引っ張ってんじゃねえ!」
そう言いつつも、三蔵もその悟空の手を振り払おうとはしていない。
触れた手の温もりが、そうさせなかった。



三蔵が指していた店の前に着く。
「ふわぁ〜……おっきい店……」
悟空は思わずボーっと見上げてしまっていた。
「おい悟空、何突っ立ってやがる。入るぞ」
三蔵が悟空を促して店に入ろうとした時、悟空はある事に気付いて慌てた。
「あ! 俺、手ぇ掴んだまま……。ご、ごめんなさい……」
パッと手を離して小さくなっている悟空に、三蔵は眉を寄せる。
悟空の三蔵に対する感情に、『怯え』が見えたためだ。


三蔵へ怯えの感情があっても、それは無理ない事だとは思う。
三蔵は悟空に対して、羽衣を奪い、それを盾に妻になる事を強要した。
悟空にしてみれば、訳も分からず縛り付けられているようなものだ。
三蔵がどれだけ悟空を望んでも、悟空が望むのは天への帰還。
それでも三蔵は悟空を傍に置くことを望んだ。
ただ、あのまま失いたくなかったから。傍にいて欲しかったから。

だが、それは伝わらない。
伝えようともしていないのだから当然とも言える。
三蔵がそれをしないのは、伝えたからといって変わるわけではないと思ったからだ。
悟空は天界に帰りたいと、それだけを望んでいる。
その想いを伝えても、悟空の気持ちは天に在り続ける。
余りにも、それは自分が惨めに思えて。
だから、三蔵は悟空に対してずっと不遜な態度を崩さなかった。

分かっているのに、それでも悟空の怯えたような態度が気に障る。
三蔵の表情を伺うような、そんな態度に苛ついた。
「あ、あの……怒ってるの?」
不安そうな眼差しで見上げてくる悟空に背を向けるように、三蔵は黙って店の中に入っていった。

「ちょ、ちょっと待ってって……!」
悟空がその後ろを慌ててついてくる。
その悟空を一瞥だけして、三蔵は店のウェイターに席まで案内させ、そこに座った。
「俺は……ここ?」
悟空が三蔵の向かいの席を指差す。
「何処でも好きな所に座れ」
「……うん」
悟空は小さく返事をすると、ちょこんと三蔵の向かいに座った。

注文をしてしまうと、料理が運ばれて来るまでの間、気まずい沈黙が降りた。
しばらく迷っていた悟空だが、意を決したように三蔵に話しかける。
「……あの、さ。さっきはごめん……」
「何の事だ」
「何の事って……俺、手ぇ引っ張って走り出しちゃっただろ?」
「そんな事は別にいい。……いちいち俺の機嫌を取るな」
「機嫌って……何だよ、それ……。別にそんなんで言ったわけじゃないよ……」
「じゃあ何だ」
「俺はただ……俺に触れられんのとかイヤなんだったら悪かったなって思って……。
 さっきからずっと怒ってるし、そんなにイヤな思いさせちゃったんなら謝らなきゃって思ったんだ」
そう言う悟空の目は真剣で、他意はない事がすぐに分かる。
今回だけじゃない。悟空の取る行動はいつも純粋な感情から出たものだ。
それを捻じ曲がった風に受け取っているのは三蔵。
届かない想いを思い知らされないように、わざと解釈を捻じ曲げて。


「……怒ってねえ。だから、謝る必要もねえ」
「ホント? ホントに怒ってないの?」
「何度も訊くな。怒って欲しいのか、てめえは」
悟空は首を横にブンブンと振り、そしてホッとしたように笑う。
「そっかぁ、良かったぁ。怒ってるわけじゃなかったんだ」
その柔らかい笑顔に、三蔵は水を飲もうとした手を止めてしまった。
冷たい水を持っているはずなのに、その手が熱い。
手だけじゃなく全身が熱く感じられて、三蔵は冷水を身体の中に流し込んだ。



やがて、注文した料理が運ばれてきた。
「うっわ〜、美味しそう〜! なあ、もう食べていい!?
「ああ」
「それじゃ、いただきます。」
両手を合わせて頭をペコリと下げると、凄まじい勢いで食べ始めた。

外見を見事に裏切るその食欲に、三蔵はさすがに少々呆れる。
今日はまだ分かっていたからそれほどではないが、昨夜、初めて共に食事を摂った時には驚いたものである。
一体この小柄な身体の何処にそれだけの食べ物が収まるのか、不思議で仕方がない。
何しろ、三蔵の家にある一週間分の食糧をあっさり平らげてしまったのだ。
だから今日、本来は行く予定のなかった買い出しに出る羽目になっているわけであるが。

ところが突然食べるのをピタリと止めた悟空に、三蔵は訝しげな顔になる。
「……どうした。口に合わねえのか?」
「そうじゃないよっ。でも……」
言い難そうに口をもごもごさせている悟空に少々苛つき、先を続けるように促す。
「だったら何だ。さっさと言え」
不機嫌な空気が伝わったのだろう、悟空は一瞬肩をビクリと揺らすと小さな声で呟いた。
「俺……昨日もすっげえ食べちゃったし……。俺のお金じゃないのに……」
それを聞いた三蔵は拍子抜けしたようにため息をつく。
「何くだらねえ事気にしてやがる。てめえの食事代くらい出せねえほど、俺が貧乏だとでも思ってんのか?」
「そ、そんな事思ってないけど」
「ならバカな事考えてねえで、さっさと食え。いらねえなら下げさせるぞ」
「いる、食べるっ」
「じゃあ早く食っちまえ。今日はまだこれから予定があるんだからな」
「うん」
悟空は一つ頷くと、許しを得た事もあって再び勢い良く食べ始めた。
それでも、昨夜より少し少ない気がしたのは、まだ三蔵に遠慮をしているせいかもしれなかった。




食事を済ませると、今度は買い出しである。
三蔵は町の道筋や主だった店、目印などを悟空に説明しながら必要なものを購入していく。
もっとも、三蔵としても最初から全部覚えられるとは思っていない。
悟空が慣れるまでは、しばらく自分も一緒に来る事になるのは分かりきっている。
だから、説明の仕方も余り力が入っていないのだが、悟空は覚えようと真剣である。
三蔵の指差す方向や説明する声を、心底真面目に見たり聞いたりしている様は非常に健気で愛らしい。
そんな悟空の様子は三蔵にとっても好ましいものではあるのだが、問題は周りである。

ひしめいている大勢の人の群れの中で、三蔵と悟空はかなり注目を集めていた。
その注目を集めているのは、三蔵ではない。
いや、三蔵も確かに注目を集めてはいるのだが、何度も来ているためいい加減町の人間も慣れてきている。

注目を一身に集めているのは……三蔵の隣で、迷わないように三蔵の服の裾を掴んでいる悟空。
三蔵は呪術師としての腕とその美しく整った容貌で、この町では結構な有名人である。
人を寄せ付けない事でも知られている三蔵が、少女を連れているのだ。
しかも、一目見れば誰をも惹き付けてしまいそうな不思議な雰囲気を纏った少女。
道行く男達の視線が悟空に向けられる度に、三蔵の纏う空気が不穏さを増す。

悟空を町に連れてくれば、こうなる事は三蔵とて分かっていた。
しかし、町へ連れていく事は、悟空の望郷の思いを和らげるために必要な事だった。
ずっとあの家に閉じ込めておけばおくほど、悟空の気持ちはひたすら天へと向くだろう。
「ここから出たい。帰りたい」と。
そして、我慢できなくなって自分の身体を張ってでも無理矢理に羽衣の結界を解こうとするかもしれない。
その結果、例え自分が激しく傷付いても。例え……命を落としてでも。
それだけは、させるわけにはいかなかった。
だからこそ、ある程度の『自由』を与える事によって、悟空の精神が必要以上に追い詰められすぎないようにしたのだ。

もちろん、三蔵としても自分以外の男に悟空を触れさせてやる気などさらさらない。
三蔵は裾を掴んでいる悟空の手を放させた。
悟空が不安そうな顔をしたのも束の間、三蔵は悟空の肩をぐいっと自分の方へ抱き寄せた。
「……え!? な、何 !?
悟空は突然の事にかなりうろたえてしまっている。
「何驚いてんだ。お前は俺の『妻』だろ。これくらい当たり前だろうが」
「そ、そうなの?」
「そうだ。……行くぞ」
言うと、三蔵は悟空の肩を抱いたまま再び歩き出した。

少なくとも、この町で三蔵の呪術師としての腕前を知らない人間はいない。
三蔵を敵に回したら、どういう末路を辿る事になるかという事も。
こうして「コイツは俺のモノだ」と示しておけば、例え悟空が一人でも迂闊に手を出す輩はまずいなくなる。
万が一そんな命知らずがいたとしても、悟空に何者かが触れた時点で三蔵には分かる。
ブレスレットに施した結界が、離れていてもそれを三蔵に教えてくれる。



そんな風に周りの男共を視線で威嚇しながら、町中を回って買い出しを続けていく。
悟空の大食を知っているだけに、その荷物の大半が食糧で占められるのは致し方のない事だろう。
もっとも、二人で持てる程度の量であるから、三日もてば良い方かもしれない。
途中で悟空が目を輝かせた食べ物などを幾つか買ってやると、礼と共に鮮やかな笑顔が向けられた。
その笑顔に、知らず穏やかな表情が浮かぶ。
同時に、自分の強いた事に罪悪感がチクリと胸を刺すが、三蔵はそれを故意に自分の奥底へを隠した。
悟空にはなるべく軽いものを持たせ、買い物を終えた時には日も大分傾き始めていた。


「……そろそろ帰るぞ」
三蔵は、隣を荷物を目一杯抱えて一生懸命歩いている悟空に視線を向けた。
さすがに三蔵も両手が塞がっているため、今はもう悟空の肩からは手を離している。
「え、もう帰るの?」
「当たり前だ。いい加減帰らねえと、着いたら夜になっちまうからな」
「そっかぁ……」
残念そうに呟いた悟空は、ふと、ある店先に並んであるアクセサリーに目を止めた。

立ち止まってじっとそれを見つめる悟空に気付いて、三蔵も隣にやってくる。
食べ物ならともかく、こんなアクセサリーに立ち止まったのは少々三蔵には意外だった。
悟空も天に住まう天女と言っても女である以上、こういうものにも興味があるのだろうと思い、一つくらいなら買ってやろうかと言いかけた。
だが、悟空の視線の先にあるそのアクセサリーを見た瞬間、開きかけた口が再び閉じられた。



悟空が見つめていたのは、ブローチ。
美しい小さな羽根を象った、幻想的な雰囲気を持ったブローチだった。
それを見て三蔵は、悟空が目を止めたのがブローチそのものではなくデザインされた羽根なのだと直感した。
三蔵が無理矢理奪い取った、悟空が天に帰るための大切な羽根である羽衣。
悟空は、そのブローチを懐かしむような、それでいて切なそうな表情で見つめていた。
今この時、悟空の心を支配しているのは天界にいる誰かなのだろう。
天界に帰りたいという事は、そこに逢いたい誰かがいるという事に他ならないのだから。

途端に、三蔵の瞳が剣呑な光を帯びた。
「……おい」
いつもより低い声で呼ぶと、悟空はハッとしたように振り向いた。
「あ、ごめん、つい見入っちゃって……」
そこまで言って、悟空は身体を震わせた。
今まで見た事もないような冷たい表情がそこにあったからだ。

「誰が勝手に寄り道していいと言った」
「ご、ごめんなさい……」
怯えたように小さくなっている悟空に、どんどん三蔵の苛立ちが増す。
「余程羽衣がいらねえらしいな。いっそ焼いてやろうか?」
感情を感じさせない声音に、悟空の顔からさっと血の気が引いた。
「ごめんなさいっ! もう勝手な事しないからっ……だからっ……!」
必死に謝る悟空の瞳には、うっすらと涙が滲んでいるようだった。

それが天にいる誰かへの想いの強さであるような気がして、三蔵の眼差しは更に険しくなる。
「その言葉を忘れるな。……てめえは余所見なんてしねえで、ただ俺の後についてくりゃいいんだよ」
三蔵は言い捨てると、そのまま踵を返して歩き出した。
泣きそうな顔をしたまま、頼りない足取りでついてくる悟空を背中に感じながら。



三蔵自身、自分が今どんな表情をしているのか……全く気付いていなかった。







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2002年9月9日UP




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