第六話  作られた想い




大勢の人間の声がざわめいている大通り。
その中を、三蔵は街の出口に向かって歩いていた。
人の多さにうんざりしながら、三蔵は小さくため息を吐いた。
本当ならもっと人通りの少ない裏通りなりを行けばいいのだが、この大通りを通るのが街を出るには一番早い道のりなのだ。
さっさと街を出てしまいたい三蔵は、結局大通りを選択したのである。



今回の依頼を済ませて報酬を受け取ったのはいいが、その時の八戒とのやり取りを思い出して三蔵は眉間に皺を寄せた。
何を思ったのか、八戒は今度同居人──悟空を連れて遊びに来いと言い出したのだ。
もちろん、三蔵がそんな事を承知するはずがない。
八戒に会わせたくないために、わざわざ別の町に買い出しに行かせているのだから当然だ。

本当なら、一人で買い出しにすら行かせたくない。
悟空が、自分の知らないところで自分以外の誰かを視界に入れる事も許したくない。
結界で悟空に対する物理的な接触は把握できるとしても、誰かと交わす会話までは三蔵には分からないのだ。
悟空が誰とどんな会話を交わしているのか、他の人間にその明るい笑顔を見せているのか、考えるたびに苛立ちが増幅していく。
それでも悟空をあの家の中だけに縛り付けていないのは、三蔵の最後の理性。
地上に縛り付けてしまった天女への罪悪感もあったのかもしれない。


離す事は決して出来ないし、そのつもりもない。
だが三蔵は、日を重ねるごとに強まっていく独占欲に心の何処かで危機感を持っていた。
何もかもを排除してでも、悟空を自分の手の内だけに留めておきたいという激しい欲望が巻き起こる。
そして、それがいずれは悟空を深く傷付け、全てを壊してしまう予感があった。
だからこそ三蔵は悟空に一人で行動させる事に、それを抑え込む意味合いも込めていた。



不意に三蔵は、自嘲の笑みを浮かべた。
今更何を考えているのか、と。
独占欲で悟空の羽衣を奪って縛り付け、冷たい言葉で傷付けているというのに。
初めて町に買い出しに行ったあの日以来、悟空は一度も笑顔を見せていない。
不安そうな目で見る悟空に、三蔵は事務的な事以外何も言葉をかけてやれなかった。
悟空の顔を見ると、羽根のブローチを見ていた悟空の、懐かしそうな切なそうな表情がちらついて。
その時の泣きそうな目がまるで三蔵を非難しているようで、何も言えなかった。
口を開けば、更に悟空を傷付けるような事しか言えない自覚があったからだった。




だが、現実問題として、このままの状態を続けてはいられない。
悟空に愛されるなんて、そんな虫のいい事を望むのは馬鹿げていると思う。
だが、そうでなくてもそれなりの悟空の好意は得ておかなくてはならないのだ。
せめて、自分に対して情が移るくらいの事は必要不可欠だ。
これから訪れるであろう事態のために。

三蔵も、ずっとこのまま邪魔が入らないなどという楽観的な考えは持っていない。
八戒に関しては警戒はしているが、もし八戒が悟空に心奪われて三蔵の敵に回ったとしても対処法はある。
そこまでは考えたくはないが、八戒がどうしても引かない場合は三蔵の呪術で八戒を排除する事も辞さない。
八戒以外の人間が悟空に近付いた場合でも、それは同じだ。

三蔵が一番警戒している相手は、見た事すらない相手。
即ち、天界にいるであろう悟空の大切な者達だ。
あの愛らしい天女を、その連中が大事にしているのは明白だ。
そしてそんな大事な天女が帰らないとなれば、きっと連中は血眼になって捜すだろう。
少なくとも、三蔵がその立場であったなら何をしてでも捜し出してみせる。
天界の事は三蔵は知らない。どんな能力を持っているのかも、どんな世界なのかも。
それでも今現在来ていないという事は、三蔵が悟空と羽衣に張った結界は上手く働いているらしい。
だが、相手の能力が未知数である以上、この先ずっと隠し通せる保証はない。

もし見付かった場合、当然悟空を連れ戻そうとするはずだ。
その時、天界の住人達に、人間の三蔵が何処まで対抗出来るだろう。
いくら名の通った呪術師とはいえ、三蔵はただの人間であるのだから。
その時、キーになるのは悟空だ。
悟空から好意を得ておけば、例えそれが僅かであっても何とか出来る可能性はある。
そう、例えば────三蔵自身の命を盾にしてでも。
少しでも情が移った相手を、見殺しに出来るタイプではないのだから。


我ながらあざとい考えだと思う。
だが、卑怯な手は今更だ。
守るつもりのない約束の下に、悟空に妻になる事を強要したのだから。
あの美しい天女を此処に繋ぎ止めておくためなら、手段など選ばない。

自嘲の笑みを浮かべるのと同時に、三蔵の波立っていた感情が収まっていく。
そう、自分はあの天女を手に入れるために行動しているはずだ。
そのためには、余計な感情に振り回されている暇などない。
望む結果を得るために、必要な行動を的確に実行していかなければならないのだから。





街を出て自分の家のある森に向かいながら、三蔵は帰ってからの事を考えていた。
素の感情で接しようとするから、あの悟空の泣きそうな表情が心に引っ掛かるのだ。
それなら、理性の部分だけで対応すればいい。
自分の感情を吐露しないように努め、予め頭で整理した言葉だけを口に出す。
冷静に、相手の感情をコントロールする事を心掛けていればいい。

家に帰ったら、悟空に優しい言葉でもかけてやろう。
この一週間ずっと不安そうな顔をしていた悟空には、それが一番効果的なはずだ。
まずは安心させてやる事。それが第一だ。

それでもし笑顔が見えたら、少しだけ森を一緒に散歩してもいい。
もちろん、羽衣の事を思い出させるあの湖は避けて。
言葉をかけた時にそれでも笑顔が見えなかった時は、焦らずに次の機会を待てばいい。
ここが見つかるまでにどれだけの猶予があるかは分からないが、焦って事を進めれば一層事態は悪くなるだろう。
ゆっくりと、しかし確実に、悟空の心の一端だけでも三蔵の手に収まるように。
三蔵は一つ大きく息をつくと、僅かに帰る足を速めた。







帰ると、悟空が背伸びをして棚の上を雑巾で拭いていた。
爪先立ちでよろよろとしながら手を精一杯上に伸ばして拭いているその後ろ姿は、危なっかしい事この上ない。
掃除に必死になっていて、三蔵が帰って来た事にはまだ気付いていないようだ。
手荷物を置いて悟空の方に近付くと、背伸びをしたまま僅かに横に移動しようとした拍子に足が縺れた。
「うわっ!」
そのまま転びそうになるその身体を、咄嗟に腕を伸ばして受け止める。

三蔵が帰ってきている事を知らなかった悟空は相当驚いたのか、勢い良く三蔵を振り仰いだ。
「か、帰ってたの!?
「今しがたな」
三蔵が返事をすると、悟空はやっと硬直が解けたのか弾かれたようにその身体を三蔵から離した。
「あ、その、ごめん! あの、ありがとう……」
「ああ……無理にあんな所まで掃除しなくていい」
「でも、埃たまっちゃうし」
「転んであちこち壊されるよりマシだ」
「うぅ……」
実際に今転びかけただけに反論できないらしく、しょんぼりとした風に肩を落とす。

その悟空の頭に、三蔵は軽く手を乗せた。
「……自分に出来る範囲でやりゃいい。無理はするな」
その手と声に、悟空は目を見開いて三蔵を見つめた。
悟空にとっては予想外の言葉だったのだろう。
これまでの三蔵の態度からすれば、この反応は当然の事なのかもしれない。

「うん……。あ! えと、おかえりなさい」
改まって、今更とも言える挨拶をする悟空に、三蔵の表情に笑みが浮かぶ。
その笑みの何割が本心だったのか、何割が意識的に作ったものなのか、それは三蔵自身にも分からない。
本音と計算の入り混じった笑みに、悟空は先程よりも更に驚いている。
その頬が僅かに赤みを増したのを、三蔵は見逃さなかった。
この反応なら、少なくとも嫌悪は抱かれていないだろうと即座に予測する。



今が通常の状態なら、その感情を『好意』に持っていかなくてはならない。
そう、『愛情』を得ようとさえ思わなければ、『好意』だけならそう難しくない。
『好意』だけでいい。悟空を失わないために。
そう自分に言い聞かせるように、三蔵は内心で繰り返した。



一呼吸置いて、三蔵は意識的に柔らかい声を出す。
「夕食の仕度をするまでにまだ時間があるだろう。少し、外でも歩くか?」
「え……」
先程からの三蔵の予想外の言動の数々に、悟空は思考がついていけずに戸惑っているようだ。
「あの、さ……怒って、ないの?」
「何を」
「何をって……その、分かんないけど、ずっと不機嫌そうだったから」
「ああ……仕事の件で少し疲れてたんでな。八つ当たりして悪かった」
もちろん不機嫌だった本当の理由はそれではないし、今でも思い出すだけで苛立ちは沸き起こってくる。
しかし、今は感情に流されてはいけない。
極めて理性的に、悟空が安心する言葉をかけてやらなくてはならなかった。

そして、その三蔵の計算は上手く作用した。
「ううん! 別に俺、八つ当たりだとか思ってないよ!」
悟空はそう言って両手を身体の前で大きく横に振ると、ホッと息をついて笑った。
「でも、そっか……。俺が何かしたんじゃなかったんだ……。良かったぁ……」
安心したのかようやく笑顔を見せた悟空に、三蔵は僅かに目を細めた。
傾向としては、悪くない。
このまま優しく接してやれば、この素直な天女はそれを疑いもせずに好意を持ってくれるだろう。
そしてそれは、来るべき日に確実に切り札となる。







そう、素の自分など見せる必要はない。
傷付けかねない炎のような激しい熱さなど、心の奥に押し込んで。
ただ、ぬるま湯のような優しさで包んでやればいい。
そうすれば、心地良い温かさの中で悟空はそのぬくもりにいつしか慣れてくれる。

……例えそれが、偽りの幸せに過ぎなくとも。







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2003年12月20日UP




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